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2006/01/04

キルクーク近くのBaijiで米軍が空爆

英BBC、1月3日記事です。米軍からの説明はまだ出ていませんが(→数時間後の記事アップデートで米軍のコメント入りました)、米軍の空爆で子どもと女性を含む家族が死亡、というニュース。

なお、以下は速報段階に近い状態の記事と見受けられ(単に英文として、あまり記述が整理されていないように思う)、時間が経過すれば、同じURLで書き換えられる可能性はあります。

→アップデート:書き換えられました。Last Updated: Tuesday, 3 January 2006, 17:50 GMT になっています。記事タイトルも US air strike hits Iraqi familyに変更。

書き換えられた内容について詳細は後ほど書ければと思いますが、とりあえず、記事に「犠牲者数については混乱しており」とあるように、BBCでの第一報とは数値が異なっています。最新の記事では「少なくとも6名が死亡」という記述があり、さらに記事の下のほうでは「男児と女児、および女性3人と男性3人の遺体が」(←これは下記の第一報の記述と同じ)とあり、「1+1+3+3=6なのか?」と私もかなり混乱しています。(モンティ・パイソンのSpanish Inquisitionじゃあるまいし、数は数えてほしい。。。)

また、米軍のコメントとしては、簡単にまとめると、「無人偵察機で、路肩爆弾を仕掛けるときの穴の掘り方をしている3人の男性を確認し、彼らがその家に入るところを米軍は空から確認し、精密誘導弾薬でその家を攻撃した」、「その3人は、穴を掘ってから家に駆け込んだので、市民および軍にとっての脅威と判断された」。

・・・米軍のみなさんにおかれましては、ますますぶっとばしておられますね。イラク警察の人が「もし彼らが爆弾を仕掛けてから家に走りこんだのであれば、どうして包囲して身柄を拘束しないのか?」と言っていますが、まさにその通り。市民への脅威を排除するために、爆発物を処理し、爆弾を仕掛けた者は包囲して逮捕するんではなく、市民に犠牲者――いや、「コラテラル・ダメージ」でしょうかね――が出る確率が極めて高い空爆という手法をとる。意味がわかりません。まるでモンティ・パイソンの「モスキート・ハンター」(←これは、でかい武器を持って茂みを進む苦みばしった男たちが狙うのは、蚊、というお笑いのスケッチです)がリアル世界になだれ込んできたかのような気分です。が、これが標準になっているから笑えないです。

それから、どう言いつくろおうと、今回米軍のやったことは、2005年7月22日にロンドンのストックウェル駅で行なわれたのと同じく、shoot to killです。ただしストックウェルでは拳銃で8発撃って殺したんですが、ベイジでは空からミサイル。(実際には、ストックウェルの事件は、テレビカメラの前で様子を説明してた「たまたま居合わせた」男の証言もまるでデタラメだったことが判明するなど、あまりに疑わしいことだらけで何とも言えないのですが・・・。)

あるいは、1988年3月6日にジブラルタルでSASが行なったProvisional IRAメンバー3人殺害を、銃で狙撃する代わりに空から爆撃したようなものかもしれないですね。(ジブラルタル狙撃の前、「奴らは仕掛けた爆弾を爆発させようとしている」という虚偽の説明を、英国政府がSASの隊員に対して行なっていました。狙撃のターゲットは実際にIRAのメンバーだったし、SASは命令に従って「仕事をやり遂げた」わけですが、まだ仕掛けてない爆弾を仕掛けたとの理由で警告もなく射殺したことは、欧州人権法廷で英国側敗訴という形になりました。こういうのが、「英軍は米軍とは違う」と英軍の人が述べている背景にあります。それも何だかなーですけど。)

※以下は攻撃を報じるBBC第一報と、それに基づいた記述です。(最新版の記事を参照してはいません。)

US air strike kills Iraqi family
Last Updated: Tuesday, 3 January 2006, 12:11 GMT
原文:http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4577578.stm

イラク北部で米軍が空爆を行い家屋1軒を破壊した際に、1つの家族に属する14人が死亡したと、イラク当局筋が語った。

イラクと米軍の連絡を担当している機関に属するイラク人役人の語ったところによると、当該の攻撃は、バグダードの北200キロに位置するBaiji(Beijiという綴りもあり)で発生した。

その報について、米軍からは現時点でコメントは為されていない。

米軍は、イラクの反乱者に対する戦闘において、頻繁に空爆を行なう。それは米軍の死傷者を最小限に抑えるためである。

Ghadban Nahd Hassan(56歳)は、AFP通信社に対し、破壊された家が爆撃されたときには、家の中に彼の家族14人がいたと語った。

「21:30ごろ(18:30 GMT)に爆撃の音がしましたが、そのとき私は友人たちと一緒に、家から100メートル離れた小さな店にいました。」

「慌てて駆け出して見ると、私の家が破壊されていて、あたり一面に煙でした。」

これまでのところ、9歳の男児と11歳の女児、および女性3人と男性3人の遺体が、瓦礫の中で発見されている。


Baiji (or Beiji) は、上記BBC記事ではバグダードからの距離で示されていてわかりづらいのですが、地図を見ると、最寄の有名な都市はティクリートです(規模としてはティクリートのほうが小さい)。位置はティクリートの北40~50キロくらい。その街道をまっすぐ北上すると、モスルに到着します。県/州としては、サラフディンです。

サラフディンは、最初にアルファベットでの綴りを見たときに読めなかったので、しっかり記憶に残っています。(蛇足ですが、ちょっと説明しておくと、「サラフディン」か「サラハディン」かについて、英語でも表記ぶれがあるんです。私は何となく前者を使ってますが今でもはっきりわかってるわけではないです。)

昨年の10月下旬に行なわれた「憲法草案承認の国民投票」をご記憶でしょうか。あのとき「NO」の結果が出たのが、ファルージャやラマディを含むアンバールと、そしてBaijiやティクリートを含むサラフディンです。
http://teanotwar.blogtribe.org/
entry-3999d0bf29430c64a6909cfa3ac83213.html


Baijiはかねてから時々ニュースに出てくる地名です。例えば、2004年11月に反乱勢力が石油施設を制圧など。(<時期的にはファルージャ包囲の真っ最中)

ニュースのまとめサイト的に参照できるWikipediaを見ると(以下、改行を増やし、日本語は「参考」程度につけました):
http://en.wikipedia.org/wiki/Baiji,_Iraq

Baiji was captured with little or no fighting during the 2003 invasion of Iraq. It was briefly thought in late April 2003 that barrels of chemicals found in a storage area near the town contained the nerve agent cyclosarin. Soon afterwards, United States troops discovered an underground oil refinery at Baiji which was initially suspected to be a chemical weapons plant. Both leads eventually proved to be false alarms in the so far fruitless search for Iraqi weapons of mass destruction.

(2003年のイラク侵略時には戦闘はほとんどない状態だった。2003年4月下旬に、街の近くに神経ガスを貯蔵してある場所があるとされたが、その説はすぐに消えた。米軍が発見した地下製油施設が化学兵器プラントだと疑われていたのである。)

Following the invasion, Baiji subsequently became the scene of a number of insurgent attacks. The town is at one end of the "Sunni Triangle" region which provided the bedrock of Saddam Hussein's support. The sprawling oil refinery and pipelines have been particularly difficult to protect against guerrillas. There have been repeated (occasionally successful) attempts to blow up oil pipelines and damage other elements of the oil infrastructure.

(侵略の後、Baijiでは数々の反乱者の攻撃が発生した。この街は、サダム・フセイン支持者の拠点となった、いわゆる「スンニ三角地帯」の端に位置している。石油精製施設やパイプラインはゲリラの攻撃から守ることが特に難しく、それらを狙った攻撃が繰り返されてきた。)

In October 2003, violent riots broke out in the town in protest against the US-backed police force, which was accused of corruption. US troops restored order, wounding four Iraqis in the process, and sacked the town's police chief, replacing him with a local man elected by tribal elders. A US soldier was killed in the town on October 12. US troops subsequently conducted a number of raids in the town to root out guerrillas, who were publicly supported by some of Baiji's clergy. It was also thought that Saddam Hussein might be hiding in Baiji, prompting raids to find him, before he was eventually captured in December 2003 in the village of ad-Dawr.

(2003年10月、米国が支援する警察に対して腐敗しているとの糾弾が起きる中、警察に対する抗議デモが発生。米軍が秩序を回復したが、イラク人4人が負傷した。米軍は警察署長を解任して、部族の長老たちに選挙で選ばれた地元の人を新たに署長とした。10月12日には米兵1名がBaijiの街で死亡し、その後米軍はゲリラ一掃のために何件もの強制捜査をおこなった。ゲリラたちはBaijiの宗教指導者の一部から公に支持を得ていた。また、2003年12月に身柄を確保されたサダム・フセインは、Baijiに潜伏しているのではないかと考えられていたこともあり、サダム・フセインを発見するための強制捜査が行なわれた。)


……だいたいこういう場所です。ちなみにイラク全土の石油についての地図によると、BaijiはIraq-Turkey pipelineの要衝です。

「化学兵器工場」とか「スンニ派」とか、また「戦争中は特に何事もなかった」など、ファルージャと共通する点がいくつかありますが、最大の共通点は、「抗議デモに米軍が対応し、その対応の仕方がピースフルなものではなくて、人が傷ついた」ことじゃないかと思います。直感レベルの話かもしれませんが。(補記:2003年4月28日にファルージャでは抗議デモで13人が撃たれて死んでいます。北アイルランドのリパブリカン/ナショナリストでイラク戦争反対の立場の人たちは、1972年1月に北アイルランドで起きた非常に似た構図の事件になぞらえて、「イラクのBloody Sunday」と呼んでいたりします。)

ただ、Baijiは石油に関して非常に重要な地点であるという点は、ファルージャとは違っています。

なお、2日には、「バクバで自動車自爆、7人死亡」(BBC記事)というニュースもありました。バクバはバグダードの北側ですが、ティクリート方面ではなくちょっと東寄り(→地図で場所を確認)。ここも「武装勢力が警察署を襲撃し……」といったニュースは、これまで何度も伝えられてきた場所です。

10月末の「憲法案是非の国民投票」とそれによる憲法の承認、それを受けての12月なかばの「議会選挙」で、「反政府勢力の反乱に悩まされる新生イラクの苦難に満ちた道のり」は、私が把握している範囲では、米英首脳には「うまく行くはずだ」的に捉えられているようです。

が、1月2日の「バクバで自動車爆弾」、3日の「ベイジで空爆、家にいた14人が死亡」のニュースを読んで、はて、私はお屠蘇気分で夢でも見ているのか、今は2005年1月か、という気分にとらわれたことに、ワタシ的には不思議はありません。

また、ついでのようで申し訳ありませんが、1日にはやはりBBCで、「キルクークで燃料不足、抗議行動に治安当局が発砲、2人死亡」という記事が出ています。(キルクークと言えば大油田なんですが、BBCによれば、ベイジの精製施設のタンクの運転手が「仕事に出たら殺す」と脅迫されていて、そのために燃料不足になっているそうです。)

投稿者:いけだ