ブッシュ支配下のイラクで行われている拷問はサダム支配下よりもひどい
「イラク解放」。2003年、米英によるイラク侵略が行われ「大規模戦闘終結宣言」が出されたとき、Yomiuri Weeklyはこうした見出しを掲げました。「解放」されたイラクの状況。
ブッシュ支配下のイラクで行われている拷問はサダム支配下よりもひどい
恐怖の共和国
パトリック・コックバーン
2006年9月22日
CounterPunch原文
恐怖の共和国がよみがえった。現在イラクを支配しているテロ国家は、サダム・フセイン時代におとらずおぞましい。国連の拷問特別調査官は昨日、イラクで加えられている拷問は、もしかするとサダム・フセイン支配時代よりも悪いかも知れないと語った。
「拷問について言うと、現在のイラクにおける状況は、まったく手の施しようがない」。国連調査官マンフレッド・ノワックはこう語る。「状況はあまりに酷く、多くの人が、サダム・フセインの時代よりも現在のほうがひどいと言っている」。
公正な上級国連職員によるこの報告は、ジョージ・ブッシュおよびトニー・ブレアの希望的発言と正反対の事態を語っている。ジョージ・ブッシュとトニー・ブレアは、2003年、イラクに民主主義を実現し、イラクの人々の人権を尊重すると約束した。2003年に追放された政権が監獄で行っていた残忍な拷問は、米英が後押しする現在のイラク政府の収容所でも引き継がれ、そこではいっそうひどくなっている。「収容された人々の体には、電気ケーブルによる殴打のあとが見られ、頭や性器を含む体の様々な場所に傷があり、手足の骨が折られたり、電気やタバコによるやけどがある」と、国連イラク支援使節の人権局は新たに発表された報告書の中で述べている。
サダム・フセイン政権下のイラクは、その恐ろしい拷問部屋のために、カナン・マキヤの著書の標題をとって「恐怖の共和国」と呼ばれることになった。そうした拷問部屋での惨劇が再び日常的なものになっている。バグダードのモルグに運び込まれる遺体には「しばしば、酸による怪我や化学物質によるやけど、はぎ取られた皮膚、骨折(背骨、手、足など)、えぐり取られた目、電気ドリルや釘による傷などが見られる」と国連報告は述べている。こうした虐待で死ななかった人々は、頭に銃弾を撃ち込まれる。
人権団体は、イラク内務省や国防省が運営する監獄、スンニ派およびシーア派の民兵が運営する監獄のほか、米国が運営する監獄でも、拷問が実行されていると述べている。
広い範囲にわたて拷問が行われていることは、北部のクルド人居住地区以外では、イラク中で政府が完全に崩壊していることの一面にすぎない。7月と8月だけで、6599人の民間人が殺されたと国連は述べている。
ある米軍少佐は、バグダードは今や、万人の万人に対する戦争が行われているホッブス風の世界となっており、唯一の防御は自己防衛であると語ったと報じられている。
イラクは原初的な無政府状態にある。逆説的なことに、イラクで何が起きているか報ずるのがジャーナリストたちにとって危険となりすぎたため、今年夏に起きた治安の最終的な崩壊は、外の世界から隠されていることである。2003年にサダム・フセイン政権が崩壊して以来、134人のジャーナリストが殺された。そのほとんどはイラク人である。
暴力的に殺される民間人の数がずっと増え続けていることは、米英の圧力で今年5月に据えられたヌーリ・アル=マリキ首相の新イラク政府が失敗していることを示している。新政府がその前の政府よりも効果的であることを示す兆しは何もない。「この政府はグリーン・ゾーンの政府に過ぎない」とあるイラク人官僚は言う。グリーン・ゾーンは、バグダード中央部にある、イラク政府および米英大使館のある要塞化された地区のことである。
首都の統制を取り戻し、分派的暴力を鎮めるために、イラク政府と米軍は7月半ば、「共に進もう作戦」を開始したが、二週間ほどわずかな効果があったに過ぎないようである。7月に殺された民間人の数は3590人で、死者数は8月に3009人に減ったが、8月末には再び増え始めた。
イラクの状況について中立かつ客観的な調査を行っているのは、ほとんど唯一、二カ月ごとに国連が発表するイラク報告だけである。イラクで殺された民間人の本当の人数は、おそらくはるかに多いだろう。というのも、バグダードの外では、死者は記録されていないからである。たとえば、保健省は、7月にイラク西部のアンバル州----最も暴力の激しい地域である----で暴力的な死をとげた人は一人もいないと述べたが、これはおそらく、暴力があまりに酷かったため、病院から死傷者数を手に入れることができなかったということであろう。
イラクでは誰一人安全ではない。バスや車が検問所で止められ、スンニ派やシーア派が、身分証明書をちらっと見られただけで殺される。多くの人が、シーア派のとスンニ派のという二種類の身分証明書を携行している。スンニ派の地域で登録されたことのわかる自動車のナンバープレートが付いているだけで、シーア派地区で運転手が殺される。バグダードおよびイラク中部では、分派的内戦が至るところでおきている。8月19日と20日、シーア派の巡礼者たちが攻撃を受け続け、20人が死に、300人が負傷した。
イラク国家と社会の多くが犯罪行為の場と化した。国営テレビでは、銃を持ったギャングたちが「警察の制服を身につけている」と報じられる。ある上級イラク閣僚は、インディペンデント紙に対し、笑って「もちろん彼らは警察の制服を着ている。実際、警官なんだから」と述べた。
たとえば7月31日、警察の制服を着た、武装した男たちが15台のパトカーを運転し、アラサトというバグダードの一地区で、26人の人々を拉致した。この地区はバグダードの上質なレストランが何件かあったところだった。警察の制服を着たガンマンたちはまた、バグダードの中央で、イラク・オリンピック委員会のアンマル・ジャバル・アル=サーディほか12名を誘拐した。米軍は、バグダード警察の重大犯罪対応部隊が実行したのではないかと考え、その本部を襲撃捜査し、拉致犠牲者を捜して地下を調べたが何も見つからなかった。
イラクでは、政府閣僚が海外を旅して、ゲリラ活動は終焉を迎えつつあると記者会見で述べることは、かなり以前から嘲笑と嫌悪の対象だった。ある元官僚は、「自分の省庁には決していかず、職員に書類をグリーン・ゾーンまで持ってこさせてそこで署名する閣僚たちを知っている」と語る。
グリーン・ゾーンの外では、イラクは殺人の跋扈する無政府状態に陥った。今月に入って数日にわたり、バグダードとバスラを結ぶ幹線道路が閉鎖された。二つの家族が、油田の所有をめぐって争っていたからである。
政府閣僚は、シーア派かスンニ派である。バグダードでは、今月、モルグを撮影していたあるテレビ・クルーが、シーア派の守衛がスンニ派の守衛と銃撃戦を始めたため、壁のかげに身を縮こまらせて隠れなくてはならなかった。
パトリック・コックバーンは、The Occupation: War, resistance and daily life in Iraq (Verso)の著者。
投稿者:益岡
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