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2005/06/25

「死の部隊」式虐殺(1)

 
今年上旬、米国政府は「エルサルバドル・オプション」をイラクで採用すると語っていたことが報じられました。すぐにその話しは話題から消えましたが、イラクの現状をその観点から見る記事。長いので3分割します。

「死の部隊」式虐殺
「エルサルバドル・オプション」が現実に

マックス・ヒューラー
2005年6月2日
Occupation Watch 原文

今年1月8日、ニューズウィーク誌は、イラクの反対勢力と戦うために米国政府は「エルサルバドル・オプション」を検討しているとする記事を掲載した(http://www.msnbc.msn.com/id/6802629/site/newsweek/)。エルサルバドル・オプションが指すものは、1980年代、ジミー・カーターが開始しその後レーガン政権が追求した軍事援助プログラムで、米国が、人々に支持されたFMLNゲリラに対するエルサルバドル軍の対ゲリラ作戦においてエルサルバドル軍を訓練し物質的に支援するものであった。このニューズウィーク誌の記事は、主流メディアで広く言及されたが、この主張はすぐさま国防長官ドナルド・ラムズフェルドにより否定された。様々な報告がエルサルバドルにおける人権侵害について述べたが、一般にこうした報告は、米軍顧問団が指導しているまさにその部隊が口に出すのもおぞましい最もひどい犯罪を頻繁に犯していることや、新たな訓練とその後に起きる残虐行為にときにはっきりした相関関係があることについてはほとんど述べていない(Noam Chomsky, 'The Crucifixion of El Salvador', http://www.zmag.org/chomsky/sam/sam-2-02.html を参照)。

1月10日のインタビューで退役した元米軍特殊作戦部隊司令官ウェイン・ダウニング将軍は、まったく異なる見解を示し、米国が支援する特殊部隊は、2003年3月以来、いわゆる反乱勢力の指導者に対して「攻撃を行なって」きたと述べる('Phenix Rising in Iraq', Stephen Shalom http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?ItemID=7227 からの引用)。けれども、ダウニングは、注意深く、エルサルバドル方式の戦略を実施すれば、占領の軍力にあらたな「タイプ」の部隊が付け加わることになるだろうと述べている。メディアもドナルド・ラムズフェルドも、ダウニング将軍も指摘していないことは、エルサルバドル・オプションがすでにイラクで実施されており、想像するよりもはるかに文字通りのかたちで行われていることである。

最近発表されたニューヨーク・タイムズ・マガジンの記事によると、2004年9月、イラク治安部隊に関する米国大使顧問ジェームズ・スティールが、イラク内務省の統制下で結成された特殊警察奇襲隊として知られる新たなイラクのエリート対ゲリラ部隊と協力する任務を指名された('The Way of the Commandos', Peter Maass, http://psychoanalystsopposewar.org/resources_files/TheWay_of_the_Cor)。

1984年から1986年まで、当時大佐だったスティールは、エルサルバドルで米軍顧問団を率いており、紛争の絶頂期に、旅団レベルでの特殊作戦部隊を養成する責任者だった。これらの部隊は、集められる限り最も残忍な兵士たちからなり、スティールがベトナムでの兵役で馴染んだ小部隊作戦を真似たものだった。領土を奪取することに焦点をあてるかわりに、部隊の役割は、「ゲリラ」指導陣とその支持者、供給源とベースキャンプを攻撃することにあった。第四旅団について言うと、こうした作戦のために、20人の兵士が部隊が加えた総犠牲者の6割を生み出すこととなった(Manwaring, El Salvador at War, 1988, p 306-8)。軍事関係者の中では、こうした戦略を用いたことで、最終的にゲリラを妥当することができたとされているが、カトリックの聖職者ダニエル・サンティアゴ師をはじめとする別の人々には、スティールのような者たちの存在は別の相違をもたらした。

エルサルバドルでは、死の部隊はただ人々を殺すのではない。人々は切り刻まれ、頭は槍に刺されて目印のように置かれる。エルサルバドル特殊警察はただ男のはらわたを抉りだすだけでなく、切り取ったペニスを口に突っ込む。治安部隊はただ女性を強姦するだけでなく、子宮を体から切り取って顔に被せる。ただ子どもを殺すだけでは足りないので、肉が骨からそげ落ちるまでバラ線にこすりつけ、それを親に強制的に見物させる(Chomsky, op. cit. からの引用)。

警察奇襲隊は、基本的に、もう一人の対ゲリラ戦ベテラン、スティーヴン・カスティールがあみだしたものである。カスティールは元DEA(米国麻薬取締局)のトップで、内務省の上級顧問として活動していた。カスティールは、コロンビアの悪名高いコカイン王パブロ・エスコバルの追求に参加しており、その期間、DEAはロス・ペペスとして知られる準軍組織と共謀していた。この組織はのちに、コロンビアの準軍組織「死の部隊」すべての傘となるAUCとなった(http://cocaine.org/colombia/pablo-escobar.html ; http://www.ciponline.org/colombia/040105isac.htm)。

コロンビアの「死の部隊」と同様、イラクの警察奇襲隊は意図的に、恐ろしい準軍組織のイメージを展開している。侵入襲撃捜査のときには目出し帽と黒い革手袋をはめ、外国のジャーナリストがいるときでさえ、疑わしい人々をおおっぴらに脅して残虐行為を加える(Peter Maassのレポートを参照)。重要なことだが、警察奇襲隊の多くは、指導者も含めて、スンニ派ムスリムである。

虐殺の証拠

この数週間、バグダード市内及び周辺でいくつかの大量墓地が発見され、複数の超法規的処刑が行われた証拠がはるかに目に見えるようになった。けれども、実際には、イラク・ボディ・カウントが収集したような虐殺の記録をざっと見ただけでも、少なくとも過去6カ月にイラクでは大量処刑が当たり前のように起きていることがわかる。とりわけ印象的なのは、これら殺害の多くが警察奇襲隊の作戦行動が始まってから起きており、しばしば、奇襲隊が派遣された地域に対応していることである。

相関が最も明らかなのは、10月後半に警察奇襲隊が作戦を開始したモスルである(http://www.strykernews.com/archives/2004/10/29/special_iraqi_police_commandos_continue_operations.html)。11月半ば、ゲリラが攻撃を行い、(通常)警察のほとんどを町から追放することに成功したことが報じられた。それに続き、米軍と警察奇襲隊の共同反撃と言われるものが行われた。警察機動隊は11月16日から旧市街内で襲撃捜査を行い、数十人の容疑者を逮捕した。モスクと紅茶店を標的にしたこうした襲撃捜査の一つでは、目隠しをされ後ろ手に縛られた人々が警察奇襲隊に連れ去られるところが目撃されている(http://www.smh.com.au/news/After-Saddam/Iraqi-soldiers-found-murdered-in-Mosul/2004/11/21/1100972263000.html)。それから数週間・数カ月間に、150人以上の遺体が見つかった(http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4105009.stm)。しばしばまとまって、そして頻繁に処刑されたことが明らかなかたちで、通常は頭に銃弾を撃ち込まれて(例えば http://www.middle-east-online.com/english/iraq/?id=12147 )。

繰り返し、犠牲者のほとんどは治安部隊に所属しており、「ゲリラ」が脅迫作戦を行なっているとして非難された。けれども、遺体のほとんどは民間人の服装で、身元をあきらかにするものはほとんどなかった。身元がわかったと報じられたいくつかのケースでも、それらは曖昧な証拠にもとづいていた。たとえば、頭を撃たれた兵士と報じられた9人の犠牲者の場合、米軍中尉が単に、「米軍基地の一つに最近移動してきた部隊」では「数名の行方がわからない」と述べているだけである( http://www.smh.com.au/news/After-Saddam/Iraqi-soldiers-found-murdered-in-Mosul/2004/11/21/1100972263000.html )。犠牲者の写真は、犠牲者が平服を着ていることを示している。偽情報のあからさまな例としては、2005年3月、モスル西部の墓地周辺に散らばった31人の遺体を警察奇襲隊が「発見」した出来事がある。内務省報道官が民間人、警察官、軍兵士と述べた遺体は、ショカイェル・ファリード・シェートというただ一人の警察官の犠牲者であると言われている。彼は、警察奇襲隊アドナン・タビットが思いついた「正義の手によるテロリズム」というテレビ番組の中でこの殺害をはじめとする多数の殺害を告白したのである( http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A23448-2005Mar10.html )。この番組は、想像しうるあらゆる道徳的・法的基準を破っているだけでなく、明らかに拷問されたことがわかる捕虜が、しばしばむりやり、同性愛者だったとか幼児性愛者だったとか殺人犯だったなどと告白させられる( http://66.102.9.104/search?q=cache:OkQ0b9q9QbkJ:uniraq.org/documents/ArabicRegionalNews22 March2005.doc+quds+press&hl=en&client=safari )。

証拠が極めて少なく、確実な身元確認もなく、内務省が偽情報を発表していることを考えると、少なくとも、モスルにおける超法規的処刑のすべてではないにせよ多くが、警察奇襲隊によりなされた可能性は強い。


投稿者:益岡