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2005/07/30

ファルージャは巨大な監獄だ

 
ファルージャに戻った記者が、今も暴力と破壊が日常生活の一部となっていることを報ずる。

「ファルージャは巨大な監獄だ」
デイヴィッド・エンダース
2005年7月27日
マザージョーンズ原文

二度目のファルージャ侵略から8カ月経った今でも、攻撃の際に粉砕された建物のない通りはほとんどなかった。昨年7月以来、ファルージャには行っていなかった。最後に行ったとき、私はムジャヒディーンの車三台にエスコートされて町を出た----当時はまだ状況は比較的良好だった----。今回、予想してはいたが、それでも破壊はショッキングなものだった。

前回、目印に使っていたモスクのドームは完全になくなっていた。大きなホテルも爆撃で見分けがつかなくなっていた。人々の住宅はぺしゃんこにされ、残った家のほとんどすべてのファサードに少なくとも小さな銃痕があった。30万人強のファルージャ人口のうち80%近くが町に戻ったが、生活が日常に戻ったとは決して言えない。日曜日、警察が中央署のすでに要塞化された周囲にさらに有刺鉄線とコンクリートの防御壁を忙しく作っていた。米軍とイラク軍のパトロールは大通りを行き来し、イラク軍兵士が道をあけさせるために空に向けて発砲していた。小さな銃音が遠くで聞こえ、次いで大きな銃による応答があった。緊張があたり一面に感じられた。外出禁止令が夜10時から布かれているが、小さな戦闘は続いている。

「奴らは毎日我々の一人か二人を殺している」と、あるイラク人兵士が町の入り口にある検問所の一つで述べた。地元の医者たちもそれを認めている。

イラクの人々がイラク占領をイスラエルによるパレスチナ占領と比較しているのを聞いてきたが、たくさんの家族がファルージャの外にある駐車場から市内に一キロにわたる検問を通るのを見て、初めてそのことがわかった。中に入って、瓦礫の中で生活が営まれているのを目にすると、物理的な類似性を無視することはさらに難しい。

大きな橋から子どもが一人、ユーフラテス川に飛び込んだ。2004年3月、怒った住民たちが米国人傭兵を焼いて遺体を吊り下げたその橋であり、11月に米軍が侵略したとき米軍海兵隊が最初に奪取する目標となったファルージャ総合病院と町の中心部とをつなぐその橋だった。本名は使わないという条件でインタビューに応じてくれた二人の医師アフメドとサラームは、町とそこに暮らす人々の状況を嘆いている。先週、米軍の発砲による民間人の犠牲者三人を彼らは治療した。今週はいつもより犠牲者の数は少ないという。「普通は、毎日一人か二人、民間人が殺されており、ファルージャの町が米軍に占領されて以来、連合国軍によって数百人の人が殺された」とアフメドは言う。

「昨日も、中年の女性が連合国軍の兵士に連れてこられた。頭に一発撃たれて殺されていた」とアフメドは言う。「兵士は病院に来て彼女の名前とすべての情報を書き取った」。

「ファルージャの人々は、自由に町を移動できないため、そして連合国軍とイラク国家警備隊が毎日毎日新たな検問を設け、新たな障害を設けるために、陰鬱な状態にある」とサラームは言う。「夜は自由に動けない。治療を要することが夜に起きると、病院に来れないために命を失ってしまう」。

町の中規模礼拝所の一つアル=フルカン・モスクでは、礼拝のあと残った男たちの一部が状況について話している。ファルージャに戒厳令を布いているのは、米軍以上に、保守的なシーア派政党に支配された新たな政府であると彼らは感じている。

「彼らは道を空けさせるために武器を使う」とアブドゥル・マジド導師は言う。礼拝のとき、彼が神にファルージャとイラクを救うよう願うと泣き出す男たちもいる。「アメリカ人はイラク人兵士よりもましだとさえ言える。率直に話すと、新政府は失敗した」。侵入捜査や拘束、失踪者、嫌がらせが続いていると人々は不平を言うと彼は語った。「以前は侵略者により弾圧されていた。今はもっとひどい」。

「夜、店に泥棒が押し入り荒らされる」と人々の一人が行った。「夜間外出禁止令が布かれ、軍と警察が道を制圧している中で、誰が我々の店に押し入るのか、わかるだろう?」

人々は、新政府へのイランの影響を恐れている。その政府は、11月の侵略を支持していたにもかかわらず米国が指名したイヤド・アラウィ首相の政府がやったように援助品を送りさえしなかった。

病院では、アフメドが、戦闘が続くと思うと述べた。「民間人さえ、戦士になるかも知れない」と彼は言う。「ファルージャは巨大な監獄だ」(ファルージャの人々は戦闘について直接は話さないが、すべての指標が、新たな攻撃は地元で育まれたことを示している)。

全員が南部出身であることを平然と記者に語るファルージャのイラク軍は、特にファルージャにいて興奮しているわけではない(米軍がファルージャの人々をファルージャでの戦闘に雇おうとしたとき、人々は銃を米軍に向けたりゲリラに渡したりした)。

「ファルージャ? 死だね」と、指で喉を横に切り裂く仕草をしながら、兵士の一人が言った。イラクではこの仕草を誰かがしない日はほとんど一日とてない。

戦闘以来行われた再建のほとんどは、しばしば家の一部を立て直すだけである。イヤド・アラウィの政府は約束した賠償の20%を送った。

「イラクでは、現在、家を一軒たてるのに、少なくとも5000万ディナール必要だ」とサラームは言う。「たった300万ディナールしか手にしない状況で、何をしろというのだろう? しかも、それらの人々は、家を逃れて過ごしており、さらに、誰かを殺されなかった家族はファルージャに一つとしてない状況で」。

私はファルージャ市内の海兵隊員に近づいた。そこでの生活が海兵隊員にとってどんなものかを知るために。おおやけに話をできる人間は基地には一人もいないと彼らは言ったが、私はちょっと立ち寄って、話をした。すぐに埃っぽい、もしかすると発砲がされるかも知れない中を戻りたくはなかったので。彼らはどうしてここに来たか訊ねた。私がこの4カ月で初めての記者だとも。

「ファルージャについては、誰も話したくない」と海兵隊の一人が言った。

デイヴィッド・エンダースはフリーのジャーナリストで、この2年間のほとんどをイラクで過ごしている。著書「Baghdad Bulletin」がUniversity of Michigan Pressから出ている。


投稿者:益岡