シーア派とスンニ派はお互いをかばい合っている
シーア派とスンニ派の内戦、セクトの殺し合い・・・アメリカ合衆国の占領下で引き起こされた様々な争乱をこうした言葉で報ずる記事も多くなっていますが・・・。
シーア派とスンニ派はお互いをかばい合っている
2006年8月3日
IRIN
Electronic Iraq 原文
バグダード発。ハラン・ムハンマドはとても保守的なスンニ派家族の出身である。彼女と4人の子どもたちは、バグダードの、スンニ派が多数を占める地域で暮らしている。けれども、セクト的暴力がイラクを席巻する中、ムハンマドは、地元のシーア派の隣人たちを自宅にかくまっている。
「私たちは永年、隣り合って暮らしてきました。それが今、この馬鹿げたセクト的暴力のために、シーア派の人々は、このスンニ派の場所から出たがっています」とムハンマドは言う。「けれども、どこにも行き場所がありません。ですから、私はそうした人たちを助け、自宅を提供し、食料と友情を必要な限り提供しています」。
バグダードを拠点とするイラク支援協会(IAA)の報道担当によると、現在続いているセクト的暴力に反対する何百人ものイラク人たちがお互いを助け合っているという。
「隣人の家に避難する家族もいます。また、家を追われた人々に食料を供給するといった支援をしている人々もいますし、現在続いている暴力の犠牲になった罪のない人々を助けるために無料で診断を行う医師もいます」とIAAの報道担当ファター・アフメドは語る。
ハナン・ムハンマドは2カ月近くにわたって隣人たちを自宅に住ませている。彼ら彼女らへの脅迫が職場でも地元でもとても頻繁になったため、子どもたちは学校へ行けず、親たちは仕事を辞め、ムハンマドの家から出ることができない状態でいる。人々が便りにできる唯一の人は、寡婦のムハンマドだけである。
「3年前、私の夫が死んだとき、隣人たちが全面的な手助けをしてくれたのです」とムハンマドは言う。「この困難なときに、彼ら彼女らを放っておくことはできません」。
彼女は政府の仕事についており、二家族のニーズをまかなうために給料を切りつめて使っている。「安く挙げるために食事の質を落とさなくてはなりませんでした」とムハンマドは言う。「けれども、神が将来それを補ってくれるでしょう」。
セクト的攻撃はイラク全土に広まっている。追放・移民省によると、2月にシーア派モスクへの攻撃があって、現在の暴力のサイクルが始まって以来、推定16万人のイラク人が国内避難民となっている。
和解プランが発足してから1カ月たつにもかかわらず、状況は悪化し、イラクでは毎日少なくとも70人の人々が殺されている。内務省の公共情報局が出している統計によると、これらの死のほとんどはセクト的暴力によるものである。
イラクの人々は、同胞の市民を助ける行為により、自分の身を危険に晒すことを知っている。
「私の父は家にスンニ派の家族をかくまっていました。昔からの友人だったからです。それに、その家族は、近所の人たちにより自宅を追い出されてからどこにも行く場所がなかったからです」とバグダードのシーア派住民ユーセリア・アリ(23歳)は言う。
武装民兵が、父のやっていることを見つけ、父を殺しました。そしてかくまわれていた友人たちが逃げ出そうとしたとき、家族の4人全員を民兵たちは殺したのです」とアリは言う。
こうした危険にもかかわらず、イラクの人々は、友人や隣人をかくまい続けている。
「そうした家族をかくまっておくことの危険は承知しています。けれども、よく考えなくてはいけません。もしそうした人々に背を向けたら、逆に私たちが助けを求めたときにも、同じ扱いを受けるでしょう」と、バスラ出身のシーア派であるカリッド・ハッサン(34歳)は言った。
彼は、バグダードのシーア派地区にある自宅に、スンニ派の友人4人をかくまっている。4人が、テロリズムを行っているという無名の脅迫を受け始めて以来、かくまうことにしたのである。
「良き日々に友人だった人たちのことを忘れるわけにはいきません」とハッサンは言う。「彼らは良い人たちで、テロリズムに加担もしていません。けれども、私が暮らす地区では、スンニ派であるというだけで、ゲリラだと非難されるに十分なのです。この微妙なときに、保護の手をさしのべずに彼らを放っておくことはできません」。
隣人や親戚にかくまわれている人たちはそれを喜んでいるが、いつまでそうした状況が続くか心配してもいる。
「友人たちが与えてくれる助けにはとても感謝しています」とアドナン・アブドゥル=ザフラ(39歳)は言う。彼は隣人にかくまわれている。「彼らは、私たちが彼らの家で気楽に安心していられるようあらゆることをしてくれます」。
けれども、と彼は続ける。「家の中で囚人になったように感じ、何も手助けできず、お金さえ提供できないのは、つらいことです。自宅を追い出されるときに、すべてを失ったものですから」。
紛争のとき頻繁に起きることだが、子どもたちが最も大きな苦しみを受ける。イラクで家を追われた人々のうち半分近くは子どもで、医療も教育も受けられない状況に置かれている。多くが貧困に追いやられたキャンプやモスク、使われなくなった学校や政府建物にすねいる。
「学校が懐かしい」とアフメド・アル=フリ(12歳)は言う。家族は、隣人のうちに避難している。「父親が脅迫を受けて以来、兄弟も私も、授業に行かなくなった。医者は、私の健康状態が良くないと言うけれど、治療を受けに行くのも、とても難しい。どんな理由があっても、友人の家から出るのを、家族は怖がっている」。
壁の外では緊張は高まっているが、こうした家の中では、宗教的な違いは何の問題でもない。
「これまで、宗教的な違いを話したこともなかったし、信じている宗教が私たちのと違うからという理由で誰かを殺すことも決してなかった」とアリ・ジャファー(53歳)は言う。彼は5児の父で、隣人のスンニ派家族をかくまっている。「イラクで今起きていることはとても受け入れられない。私たちの国はイラク人のもので、それは人種や宗教には関係ないんだ」。
ジャファーは、3カ月以上にわたり、家族のほかに6人をかくまっている。全員が私に依存しているというのは、難しい状況だ」と彼は言う。「けれども、そうするのは幸せでもある。セクト的暴力が私たちに平和をもたらすことはない----でも、友情は平和をもってくるんだ」。
このニュースは国連人道ニュース・情報サービスIRINから届けられるが、必ずしも国連やその機関の見解を反映するものではない。IRINの文書はすべて無料で再ポスト・再プリントできる。使用条件については、IRINのコピーライト・ページを参照のこと。IRINは、国連人道問題調整局のプロジェクトである。
投稿者:益岡
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