イラク:真実と死とメディア
イサム・ラシードさんの講演会を聞きながら、大手メディアの沈黙とイラク現地での独立ジャーナリストに対する米軍の攻撃が気になっていました。関連する、おぞましい出来事の記事。
イラク:真実と死とメディア
不幸にして、第二部
マイケル・I・ナイマン
WW4レポート
今年、メディアは「エルサルバドル・オプション」について報じていた。米国国防長官ドナルド・ラムズフェルドがエルサルバドル式の「死の部隊」を訓練して採用し、レジスタンス戦士の疑いのあるイラク人とそれを支援すると見なした人々を狩りだして殺す意図を表明したことについてのものである。ロナルド・レーガンがホワイトハウスを支配していた時代、エルサルバドルで政治的反対派をこのような方法で一括して処刑したため、約7万人が犠牲となった。
ナイトリッダー[米国の新聞・放送企業]の特派員ヤセール・サリヘーもこの話題を扱った。オンラインで調査を行なっている米本国の記者たちと違って、サリヘーはイラクの現地におり、一次データを収集していた。その中には、超法規的処刑ののっぴきならない証拠も含まれていた。6月27日、ナイトリッダーはサリヘーの基本的な調査結果を発表した。調査を開始して1週間もたたないうちに、サリヘともう一人のナイトリッダーの記者は、米国が支援するイラク人「死の部隊」が行なったと疑われる30以上の超法規的処刑を発見した。
記事の中で、サリヘと共著者は、モルグに持ってこられた犠牲者が、目隠しをされ、背中で手を縛られたり手錠をされていたことを記録している。犠牲者のほとんどは、アブグレイブ式の拷問を受けた痕を示していた。犠牲者の多くが最後に目撃されたのは、警察の留置場だった。多くが、頭への一発で殺されていた。
6月24日、サリヘーの記事が印刷されているちょうどそのとき、米軍の狙撃手がサリヘーを射殺した。頭への一発であった。ナイトリッダーによると、彼はその日休暇を取っていた。近くのガソリンスタンドで車にガソリンを入れ、それから、家族とともに水泳プールに行こうとしていた。そのとき、思いがけず、自宅から数ブロックのところに即席で作られた米軍の検問所に出会ったのである。目撃者たちは、彼は警告もなしに撃たれ、何ら撃たれる理由もなかった、と語っている。ナイトリッダーは、公式に、「この射殺が、彼の報道の仕事と関係していたと考える理由はない」と発表した。こうした免責発表は、このごろでは事実上義務的なものとなっているように思われる。調査型記者が、調査している組織の一員に射殺されたとき、疑いを持つ明白な理由が存在する。
今年これまでには、ほかにも、CNNの主任ニュース担当代表イーソン・ジョルダンが、今となっては有名になった、米軍兵士がイラクで記者たちを標的にしていることに関する、撤回されたコメントを発表した。イーソンはこのために仕事を失った。免責発表の神に対して平身低頭しても謝罪しても、それは覆らなかった。彼は辞任した。問題は、彼が正しいことにあった。これが、バグダードで米軍兵士に殺された記者二人の死について「国境なき記者団」が出した結論であった。アフガニスタン、イラク、セルビアでの米軍兵士によるジャーナリストの殺害をめぐる米軍の文書は、ジャーナリストの多くが実際、意図的に標的とされたことを示している。
記者たちは、戦地における残虐行為の記録を外の世界とつなぐパイプラインである。軍が戦地から記者たちを除去するとき----通常、あからさまな殺害まで行かなくてもテロと脅迫により取り除くのだが----、軍は自らの犯罪を記録する最も信頼できる目撃証人を取り除くことに成功したことになる。サリヘーがそうした証人の一人と見られたことは確実である----ラムズフェルドが命じたらしい一連の戦争犯罪の背後にある決定的証拠を明らかにしたのだから。私のような安楽椅子に座ったコラムニストがイラクについて書くことができるのは、サリヘーやロバート・フィスク、ダール・ジャマイルなど、イラク現地に残る少数の軍属しないジャーナリストの勇気のおかげである。
米軍狙撃手によるサリヘーの殺害は、孤立した事件ではない。彼が殺されてから、米軍兵士により、イラク人記者二人がさらに射殺された。米国のイラク占領におおやけに反対していたテレビ・ニュースのエディタ、マハ・イブラヒムは、6月26日、仕事場に向かう彼女の車に米軍兵士たちが発砲し、射殺された。6月28日、アル=シャルキヤTVのディレクタ、アフマド・ワイル・バクリも、バグダードの米軍車列の近くを車で通っているときに、米軍兵士たちに射殺された。国際ジャーナリスト連盟は、これら3件の殺人に対する調査を要求した。「ジャーナリストを守る委員会」(CPJ)もこれらの殺人に懸念を表明し、独自の調査を開始している。
これらの記者たちが、実際に、米軍兵士たちの標的にされたのではなく、ただバグダードで発砲している神経過敏な米軍兵士たちの意図せざる犠牲者となったのだとするならば、その殺害は、人命を何とも思わなくなるまで腐敗していることの証拠である。はっきりした目的も撤退の戦略もないままに続けられる民間人に対する長引く戦闘のストレスからくる腐敗の。
これらの記者の一人でも、その仕事がゆえに殺されたとするならば----そしてヤセール・サリヘーの決定的な調査報道はこの疑問を確かに引き起こす----私たちが目にしているのは、イラクに対する戦争だけではなく、イラクで何が起きているかを知る世界の人々の権利に対する戦争でもある。サリヘーが死んだ今、イラクにおける「死の部隊」の行動について記録することはいっそう難しくなるだろう。メッセンジャーを殺せば、真実も死ぬ。
マイケル・I・ナイマンのこれまでのコラムはhttp://www.mediastudy.comにあります。
情報源:
2003年4月のパレスチナ・ホテルに対する米軍の発砲に関する「国境なき記者団」の調査報告は、TruthOutから入手できる。
他に、"TRUTH DEATH AND MEDIA IN IRAQ: We Kill Journalists, Don't We?" by Michael I. Niman, WW4 REPORT #107 http://www.ww4report.com/node/283も参照。
2005年8月1日、第4次世界大戦レポートに再掲。http://WW4Report.comを明記すれば再掲可。
少し前、ファルージャなどで米国が行なっていることは、無差別大量殺人としか言いようがないと書きました。それに加えて、そうした無差別大量殺人を隠蔽するために、狙い澄ました殺害が進められているようです。
第一部はイラクのパレスチナ・ホテルへの米軍の爆撃などをカバーした長いものです。そのうち紹介できればと思っています。
投稿者:益岡
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