「私たちは、疲れた」。二人の女性のお話
「こんなことを言うことになるとは思いもよらなかった」けれど、「イラクは、サダム政権下よりも悪くなっている」。CPTの報告。
「私たちは、疲れた」。二人の女性のお話
ペギー・ギッシュ
2005年8月1日
Electronic Iraq 原文
私たちは、その夕方と夜を、有名な作家のハラ[名前は変えてある]および彼女の家族・友人たちと過ごす計画だった。CPTの女性3人が、バグダードの彼女の家の屋上で彼女と一緒に眠って、翌朝早くに彼女が生まれた国シリアに向けて発つのを見送ることになっていたのだ。彼女はシリアで姉と娘、その家族に再会する予定だった。
ハラにとって、3人の孫を見るのは最初のことだった。彼女はパレスチナ出身のイラク人と結婚したので、20年以上、イラクの外を旅することができなかった。米軍支配下のイラクで11カ月にわたり投獄された息子は解放され、それが彼女に引き起こしていた悲しみと心配からようやく解放されたところだった。彼女の家族と友人たちは、彼女の生活に新たな可能性が開けたことの喜びと期待を彼女と分かち合うためにそこにいたのだった。
これを機に、私たちはハラの親友サミア[名前は変えてある]と話すことができた。彼女は家族の話を私たちに教えてくれた。父は、サダム政権で運輸建設省の上級官僚でサダムに気に入られていたという。1983年、サダム政権が彼を逮捕して投獄し、家を没収したとき、家族はその理由がまったくわからなかった。家族はアブグレイブ監獄に毎週父親を訪問し、食べ物をはじめとする必需品を持っていった。サミアは、母が家族を支えるのを助けて、店で食べ物を売ったりビーズ細工や裁縫をしたりしなくてはならなかったため、大学での教育を続けることはできなかった。3年後、ようやく解放されたとき、父は「とても疲れて」おり、家族を養うことはできなかった。
サミアは、結婚したあとも、裁縫とビーズ細工を続け、子どもたちが寝たあと毎晩夜遅くまで働いて、家族の生活水準を改善しようとした。「私は疲れた」と彼女は言う。両目に、積み重なった苦痛を見てとることができた。イラク侵略以来、米軍が義理の弟を投獄したため、彼女は妹の家族も助けてきた。家族が、義理の弟がどこにいるか知り、訪問にこぎ着けるだけで、数カ月かかった。
「アメリカ人が来たとき、アブグレイブ監獄は閉鎖すると言っていた」とサミアは私たちに語った。「こんなことを言うことになるとは思いもしなかったが、イラクは、収容された人々とその家族にとって、そして生活一般に、サダム時代よりも悪くなっている」、「どの家族にも、少なくとも一人、この戦争で殺されたり怪我をしたり投獄された人がいる。私たちは、疲れた」。
この2年間、この二人の女性は、地元の女性組織で働いてきた。その組織は、様々な背景を持つ女性が集まり、占領に反対するものである。イラク人の社会では、事態は改善していない。変化をもたらすことは困難である。けれども、彼女たちは、希望の空間を保つために協力して働く決意をもっている。それが、ますます多くのイラク人が感じる疲労により挫けてしまわないためだけだとしても。
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クリスチャン平和構築チームは全教会が参加する暴力削減プログラムで、歴史的な平和教会を起源とする。訓練を受けたチームのワーカが世界中の紛争地域に住んでいる。CPTは2002年10月以来イラクにいる。CPTについてのさらなる情報はhttp://www.cpt.orgを参照。CPTプロジェクトの写真はhttp://www.cpt.org/gallery。
投稿者:益岡
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