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2005/04/19

ドキュメンタリー映画『忘却のバグダッド(Forget Baghdad)』~「アラブ映画祭2005」より

Arab Film Festival 2005 at the Japan Foundation Forum
photo by: nofrills(いけだ)

18日、東京・赤坂の国際交流基金フォーラムで行なわれている「アラブ映画祭2005」で、『忘却のバグダッド(Forget Baghdad)』を見てきました。110分くらいのドキュメンタリーです。

このドキュメンタリーは、1955年にバグダードに生まれ、スイスで育ったサミール(Samir)という監督の作品です。

作品を見ながら、私には非常に情報量が多く感じられました。つまり、消化するのが大変でした。今も消化できてないです。が、非常に見ごたえがありました。

この作品について、映画祭公式サイトの紹介文を引用しておきます。
映画史100年の中で表象されてきた「アラブ人」「ユダヤ人」像を、4人のイラク系ユダヤ人とイラク系ユダヤ人を親に持つ女性社会学者が語る、自己史を織り混ぜたドキュメンタリー。バグダッドのユダヤ人であること、そしてイスラエルのアラブ人であることの意味を検証しながら、ステレオタイプ化された「アラブ人」「ユダヤ人」像を解体していく。2002年ロカルノ国際映画祭審査員賞受賞。


この作品の次回上映は、4月21日(木)19:00から。場所などは公式サイトにて。

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※以下は少し「ネタバレ」を含みます。
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監督が取材した人々は5人。全員がIraqi Jewsです――4人は自身でイラクからイスラエルへ移住した経験を有する高齢の男性(彼らはイスラエルに暮らしている)、1人は移住者の家庭に生まれ育った中年の女性(彼女はニューヨークに暮らしている)です。

この作品で描かれているのは、「イラク」であるというよりむしろ、「イスラエル」です。1948年以降の、イスラエル国内の、ミズラヒム(Oriental Jews)が主要なテーマです。

4人の男性たちは全員が、イラク共産党の党員でした。(監督が彼らを知ったのは、監督のお父さんがイラク共産党党員だったから、と冒頭で言っていたように記憶しています。)彼らは、バグダードでともに活動していたわけではないのだけれども、大きな体験は共有されています。

4人の男性たちはそれぞれwriterです。彼らは、自らのnative language(母語)であるアラビア語で書くか、それとも移住した国で用いられている言語であるヘブライ語で書くかをそれぞれ選択し、そして結局、今もまだアラビア語で書き続けているのは、4人のうち1人だけ。

残念なことに私にはアラビア語もヘブライ語もわからないので、4人が語っていたことの細かなニュアンスは、まったくわかってないと思います。それでも、この「言語の選択」だけで1本のフィルムになるんじゃないかという気がします。

4人のうち、今でも共産党に籍を置いているのは1人だけ。これも何度か言及されます。

5人目の、ニューヨーク在住の女性は、大学でカルチュラル・スタディーズと女性学を教えています(字幕で「教養科目」と出てきたのはひどいのですが)。

4人の男性たちが、バグダードでの日々を語り、イラクでの共産党に対する弾圧(この部分だけでも1本のフィルムになりそう……4人それぞれ、この時期のことを書物に著しているそうですが)、イスラエルへの移住、移住後の生活のことを、それぞれの自宅でカメラに向かって語る一方で、ニューヨーク在住の女性は、イスラエルでのミズラヒムへの「差別」のことを、自分の経験をベースに語ります。

こういったことが、5人のインタビュー映像だけでなく、「東方ユダヤ人の典型」が出てくる1960年代のコメディタッチのヒューマンドラマ映画からの抜粋、古いニュースフィルム(多くは英国のプロパガンダ<初めて見るものばかり)、これらとは別の性質を持つエジプトのドタバタ喜劇映画、などの映像をはさみつつ、描かれていきます。

そして、1948年以降のイスラエルのメッセージが、西方ユダヤ人に向けられたものであったこと、東方ユダヤ人の移住は、イスラエルの人口を増やすためであったこと、イスラエル国内での東方系(Arab圏から移住してきたユダヤ人)への差別のこと――この部分は、このドキュメンタリー・フィルムのひとつのハイライトとなっていますが、イスラエルのテレビ局のトーク番組に招かれたニューヨークの女性が「差別はある」ということを西方ユダヤ人である番組のホストにつきつける映像で語られます(女性の化粧・髪形・服装から判断して、85年ごろでしょう)。

フィルムの構成は、基本的にはクロノロジカルです。4人の男性たちが幼少期を過ごしたバグダードのこと(「ムスリムもキリスト教徒もユダヤ教徒も暮らしていた」「私たち家族が暮らしていた一帯には、シナゴーグもモスクもチャーチもなかった」など)、彼らが共産党員としてデモを行なったりしていた日々のこと、アラブ・ナショナリズム、そして移住、移住後のこと、執筆活動(彼らの書いたものがどの程度読まれうる環境にあるかを含め)、最後に湾岸戦争(1991年)、というのが大きな流れで、「場所」としてイスラエル(テル・アヴィヴ、ハイファ)とイラク(バグダード)。

……ううむ、私には説明は難しいです。本当に情報量が多いフィルムだったので十分に咀嚼できていないようです。あと何度か見ないとわからないかも。。。

やはり、この110分くらいのフィルムは、「イスラエル」についての映画です。それも、いわゆる「パレスチナ紛争」とは別の文脈での「イスラエル」です。

フィルムの中で、1シーンだけ「パレスチナ」が出てきます。取材先のハイファに移動する途中、監督が乗った車の走る海沿いの道路の脇に、サボテンが群生しています。そのサボテンは、かつてパレスチナの人々が「村の境界線」として植えたものです。

ただし監督の車が走っているのは、「イスラエル」です。

東方系ユダヤ人によるシオニスト元イラク共産党員の4人の男性のうちのひとりは、イスラエルについて「イデオロギーだ」と言い切ります。

そして「アメリカ」――東方系ユダヤ人2世としてイスラエルに生まれ育ったニューヨークの大学の先生の窓から、2001年9月11日に倒壊したツインタワーが見えています。

彼女は自分のことを、exileと説明します。「本来exileとは連絡手段すら持たぬ人々のことを言うのだから奇妙かもしれないが、私は連絡手段を有するexileだ」と言います。

監督の「イスラエル」に対するスタンスは、冒頭の1分か2分で非常に短く描写されています。

いけだ

■追記(21日)
この映画の公式サイトがありました。英語・ドイツ語・フランス語で読めます。英語のURLをリンクしておきます。
http://www.forgetbaghdad.com/index.php?lang=e