モルグの秘密:バグダードの死者数
バグダードだけで毎月700人から1000人以上の人々が殺されているイラクの日常と、それに関心を持たない占領者たち、イラク「政府」、西側メディア。
モルグの秘密
バグダードの死者数
ロバート・フィスク
2005年8月19日
ZNet原文
バグダードのモルグは暑さと悪臭と悲嘆に溢れた恐ろしい場所で、薄黄色のレンガで作られた医療センターの後ろの悪臭を放つ狭い小径を親族の嘆きの叫びがこだましている。医療センターでは当局がコンピュータで記録を保管している。霊安室に運び込まれる遺体がとても多いため、遺体が次々と積み重ねられる。身元の確認できない遺体も、スペースがないために、数日のうちに埋葬しなくてはならない----けれども市当局は、殺害の数に圧倒され、もはや遺体を墓地に運ぶ車両と人員を確保できないまでになっている。7月はバグダード近代史で最も血塗られた月となった。合計で、1100の遺体が市のモルグに運び込まれた。ほとんどが処刑された遺体で、内臓を抉られ、刺され、棍棒で殴打され、拷問されて死に至っている。この数字は秘密にされている。
私たちは、先月(2005年7月)一カ月にイラク首都で生まれた犠牲者の数が、2003年4月以来イラクで死んだ米国人の数より700人少ないだけだということを知るべきではないことになっている。死者のうち、963人は男性で、多くは手を縛られ、目隠しをされて、頭に銃弾を撃ち込まれている。137人は女性である。統計は、恐ろしいと同時に恥ずべきものでもある。というのも、これらの男女は、我々が「解放」するとされていた男女でありながら、実際にはその運命など何一つ我々は気にかけていないからである。
もちろん、今月の死者数はまだ数えられない。けれども、先の日曜日、霊安室には37名の男女の遺体が運び込まれた。全員が暴力によって殺されていた。月曜日の午前8時までに、さらに9人の遺体が運び込まれた。正午までにその数は25人になった。
「このくらいなら平穏な一日だと言えます」と、遺体の近くに立っていたとき霊安室職員の一人が私に言った。日曜日の夜明けから月曜日の昼間でのたった36時間で、バグダードの市民62人が殺されたのである。西側政府の職員もイラク政府閣僚も公務員も当局の記者会見も新聞も、誰一人どれ一つとしてこの恐ろしい数字に言及したものはなかった。イラクの死者----我々が不法侵略をはじめてからずっとそうだが----は、単にどこにも書き留められていない。公式にはこれらの死者は存在していない。
かくして、2003年7月----侵略から3カ月ののち----700人の遺体がバグタードの霊安室に運び込まれたという事実は全く公表されていない。2004年7月にその数は約800に増加した。霊安室では今年6月に暴力的に死亡した人々の数を879人と記録している----そのうち764人は男性で115人は女性である。男性のうち480人、そして女性の25人は、火器により殺された。比較のためにあげると、1996年、1998年、1999年7月の同様の死者数はいずれも200人を下回っている。
遺体の1割から2割は身元がわからないままである----当局は今年1月以来、身元もわからず身元のクレームもない遺体を400人埋葬しなくてはならなかった。多くの場合、遺体は爆発で粉々になっている----自爆攻撃者によるものの可能性もある----か、殺人者たちが意図的に身元をわからなくしている。
霊安室の職員は、犠牲者に加えられたサディズムに唖然としていた。「明らかに拷問を受けている遺体がたくさんあります----ほとんどが男性です」と一人が言った。「手足その他のところに恐ろしい火傷の痕がある人もいます。多くが手錠で両手を後ろ手に縛られてセロテープで目をふさがれています。それから頭を撃たれる、後頭部や顔、目を撃たれるのです。処刑です」。
サダム政権は反対派に公式処刑で死をもたらしていたが、現在バグダード、モスル、バスラをはじめとする諸都市に見られる混沌の規模はかつてないものだ。「7月の数字は、バグダード医療研究所が始まって以来記録されている中で最大のものです」と研究所を管理する上級職の人物はインディペンデント紙に語った。
米軍と、米軍が支援する選ばれたイブラヒム・アル=ジャーファリ政府の統制下に置かれていることになっているはずの都市の路上で、死の部隊が猛威をふるっていることははっきりしている。これほどの混沌がこの都市の民間人の上に解き放たれたことは歴史上かつてなかった----それにもかかわらず、西側諸国とイラク当局は、この詳細を明らかにすることに何の関心ももっていない。新憲法の起草----あるいはそれを完成できないこと----が西側の外交官と記者たちの関心事である。死者はどうやらものの数に入らないらしい。
けれども、死者のことを考えるべきである。そのほとんどは15歳から44歳----イラクの若い層----で、イラク全体に数字を外挿するならば、先月バグダードで死んだ1100人は、イラク全体では7月だけで最低でも3000人----恐らく4000人----ということになるだろう。1年たてば、少なくとも3万6000人になる。侵略以来の死者数10万人という、論争の余地があるとされている数値の現実性が非常によくわかる。
これら何千人もの暴力的に死を迎えた人々の死の理由を識別する手だてはない。米軍の検問所で射殺された男女もいれば、明らかにゲリラや泥棒に殺害された人々もいる。「なまくらのゲリラ」に殺されたとされる数人は交通事故で死んだのかも知れない。女性の中には恐らく「名誉の」殺害の犠牲者もいるだろう----男性の親族が悪しき男と不法な関係を持っていると疑ったために。医者たちは、米軍が霊安室に運んできた遺体を検死解剖してはいけないと言われている(アメリカ人たちがすでにその役割を果たしているはずだからという奇妙な根拠で)。
あまりに多くの民間人が死んでいるため、モルグでは、身元のわからないシーア派ムスリムの死者を町の中心部で最大の墓地に運ぶために聖なる都市ナジャフ出身のボランティアに頼らざるを得ず、またこれら死者の墓地区画は宗教組織から寄付してもらわざるを得ない状況にある。「遺体のいくつかに、私たちは米軍の銃弾を見つけました」と霊安室に来た一人が言った。「けれどもイラク人が発砲した米軍の銃弾の可能性もあります。誰が誰を殺しているのかわかりません----それを見つけるのが私たちの仕事ではないのです。けれども、市民がお互いに殺し合っています」。
「先日ここに遺体が一つあり、親族は、彼が殺されたのは旧政権でバース党員だったからだと言っていました。それから彼らは、その兄も数週間前に殺されたけれど、その理由はサダムの敵だったシーア派のダワ党の党員だったからだと言っていました。これは本当のことなのです----人々の殺害。新たな憲法ができてその下で死んでいくのは嫌です。私は安全が欲しい」。
毎日の死者数を記録するにあたって問題となっている一つは、公式ラジオがしばしば明らかにされた死者について報ずるのを拒絶することにある。月曜日、カラダ地区の爆弾については結局公式の説明はなされなかった。自爆攻撃者が人気のカフェ、エミールに歩いて行って自爆し、二人の警官を殺したということがわかったのはようやく昨日[木曜日]のことである。もう一つの爆発は、おおやけには迫撃砲によるものとされたが、実際には米軍のパトロールが通っているときにスイカの山の下に仕掛けられた地雷が爆発したものだということが明らかになった。
これらの死についても公式の説明はなされていない。政府も占領軍も、そして当然のことながら西側のメディアも、これらを記録してはいない。バグダード市の霊安室にある遺体と同様、これらの死者も存在しない。
投稿者:益岡
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