サマラ攻撃開始は間近か&タルアファル
予定されている攻撃を前に,一般家族がサマラから避難
Families flee Samara ahead of planned offensive
原文:http://electroniciraq.net/news/2167.shtml
SALAH AL DIN/BAGHDAD, 27 Sep 2005 (IRIN) ―― 高官らによると,イラクの都市サマラからは数百単位で一般家族が避難を開始している。サマラは首都バグダードの北120キロに位置する都市で,既に国防大臣が,同市に身を隠している反乱勢力に対する連合軍の攻撃の準備が開始されたと述べている。
Salah al-Din州のHamad al-Kashty知事は月曜日に,これまでに500世帯近くがサマラから避難したと述べた。現在,多くが外周部,特にバグダードのal-Dur, al-Salam地区周辺や,ティクリット市近くの無人の学校や行政関係の建物に身をおいている。
また知事は,「日々その数を増やす反乱勢力にとって,サマラ市が重要な場所となっていることは承知している。しかし政府は慎重に行動し,私たちの町でファルージャやタルアファルで起きたような恐ろしい状態にしないようにすべきである」と述べた。
知事は,市内では,特に反乱勢力諸グループが軍や政府によって武器を与えられている集団に属し,職を辞していない者は,誰であろうとも標的とみなすと宣言して以降,治安が極度にひどくなっていると説明した。反乱勢力によるこの宣言により,数十単位のイラク人が,家族が報復されないようにと職を離れた。
イラク内務省のスポークスパーソンは,イラクから武装勢力を一掃するためにこのような作戦は継続されると述べた。
内務省高官のAhmed Diarは,「Salah al-Din州もまた,イラクの反乱の憂慮すべきスポットとなっており,私たちはイラク人に対し安全と安心を与えるために情勢を掌握しなければならない。しかし現在作戦の日取りは確定しておらず,みなさんには私たちからの告知を待ってから非難していただきたい」と述べた。
サマラの住民たちは,反乱勢力がマシンガンをかついで自由に歩き回っており,自分の家に閉じこもっておらざるを得ない状態であると語る。
サマラで商店を経営するMuhammad Bakr(42歳)は,「閉店しました。この反乱を政府がどうしてくれるのかがわかるまで,開けないつもりです。家族を連れてこの無人の建物に来ましたが,バグダードのどこかに住居を見つけられるまではここで過ごします」と語る。
しかしイラク赤新月社は,先のタフアファルでの対反乱勢力攻撃のため5000世帯近くが避難せざるを得なくなったと述べ,イラク政府に対し,サマラでの作戦を進めないよう強く求めている。
イラク赤新月社のスポークスウーマン,Ferdous al-Abadiは,「赤新月社では,タルアファルから逃げてきた人々を助けるために全力をあげています。ここでまた作戦があれば,イラク人に対しますます不正義と痛みがもたらされるだけです。私どもの倉庫は空っぽですから,タルアファルへの援助も届けることが難しかった。ここでまた作戦が行われたら,もっとひどい状態になるでしょう」と述べる。
避難を開始した住民たちは,先週の宣言の後,市内にはイラクおよび連合軍が集結していると語っている。
3人の子の父で,市内から外周部に逃れたMahmoud Tikrit(56歳)は,「家族を連れて町から逃げるのがよいと考えた。タルアファルの兄弟たちがあんな大変なことになって,うちも同じになるかもしれないと思った。市内では米軍とイラク軍の数が増えているのがわかって,命を保証するには避難するのが得策と判断した」と語る。
また高官らは,サマラでの作戦は10月15日に予定されている新イラク憲法についてのレファレンダムにも影響するかもしれないと述べている。スンニ派の指導者らは憲法を支持しないようにと呼びかけているが,少数のスンニ派の人々が投票することを望んでいる。サマラでの作戦はこれを妨げるということだ。
9月21日,イラク赤新月社は,タルアファルに潜む反乱勢力を一掃するための作戦を連合軍が終結させた後,避難していた一般家族1500世帯近くが,タルアファルに戻ったと述べた。市内に戻った人々は,何十という一般家屋が完全に破壊されていると述べている。
帰還した人々がいる一方で,数千人規模の避難者たちは今でもキャンプ生活を送り,いくつもの人道組織からの支援で生き延びている。戦闘のために学期も中断されてしまっており,市全域で学校が遅れていると住民たちは述べている。
米軍3800人とイラク軍5000人が参加したこの(タルアファルでの)作戦では,テロリスト153人が殺され,187人が捕らえられたが,一般市民の死傷者は一切ない,と米軍筋では述べている。
タルアファル攻撃についても相当情報が少なかったですが,サマラはもっと少なくなっているように感じます。昨年11月のファルージャ攻撃は,情報の量はこんなに少なくなかった。それはファルージャがずっと,ある意味注目の的だったからかもしれません。ファルージャの後で大規模な作戦が行われたカーイムでの作戦(オペレーション・マタドール)も情報は少なかった。
というか,サマラはこれまでにも何度も攻撃(米軍から,あるいは反乱勢力から)がなされてきたのですが,Googleで「サマラ」で検索しても,同音異義語が多いからですかね(ロシアの地名でもあり,人気映画の登場人物の名でもある),検索結果の中から「イラクの都市のサマラ」を探すのが大変なくらいです。「サマッラ」なら情報が絞り込めますが。あるいは「サマラ イラク」で検索するとか。
タルアファルでは28日,女性が自爆しました。これは,読売新聞は「イラクで異例!女の自爆テロ、国軍施設前で7人死亡」などと「!」つきの(まるでスポーツ新聞のような)見出しで報じています。共同通信の報道もありますが,私が見つけた日本語の記事はそれらだけで,どちらにしても短すぎてよくわかりません。
BBCによると,タルアファルでの28日の自爆は,9月の作戦が終わった後で立ち上げられたイラク軍のリクルート・センターの開所初日に起き,アル=カーイダ・イン・イラクのらしいメッセージがネット上に出ているとのこと。自爆した女性はアバヤを着ていたようです(Islamic dressとBBCには書かれている)。負傷したイラク人は「若い女が人混みをかき分けて進んでいった。そして爆発が起きた」と証言しています。(アルジャジーラ記事も見ましたが,「アル=カーイダ・イン・イラクのメッセージ」が本物かどうか疑わしいということがBBCよりはっきり書かれているのと,このセンターが前にも標的となったことが書かれている点が,BBCと異なります。)
なお,共同通信の記事に「内務省報道官は、旧フセイン政権の崩壊後、イラクで女性による自爆攻撃が伝えられたのは初めてとしている」とありますが,BBCでは,2003年4月(戦争中)に2人の女性が連合軍の検問所で乗っていた車を爆発させ,兵士3人を殺したことが書かれています。(そのときの記事を探してみました。→こちら。BBCで2003年4月5日付け。シリアとの国境から130キロの,ハディサ・ダムのところで起きたそうです。この「自爆」は,“戦争中”におけるフセイン政権崩壊前の自爆としては2例目。最初の例はナジャフで。)
投稿者:いけだ
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