タルアファル攻撃
タルアファルについては,5日かその前くらいから,包囲攻撃間近ということを示す「一般住民への避難命令」などが伝えられていました。8日の時点で「200名身柄拘束」といった記事が出ていました。
今回の攻撃について,英テレグラフでは10日付けのトップ記事になっています。
http://www.telegraph.co.uk/
→記事
US and Iraqi forces launch Talafar offensive
(Filed: 10/09/2005)←日付は「9月10日」ということ
※概要
イラクのジャファリ首相は,米国・イラク軍が北部の都市タルアファルへの攻撃を開始したことを明らかにした。街からテロリストと疑われる者を除去する目的(to rid it of suspected terrorists)。
ジャファリ首相のステートメントの内容は以下の通り――本日午前2時,私の命令により,イラク軍はタルアファル市からすべての残存テロリスト・エレメントを除去する作戦を開始した。イラク軍は多国籍軍の支援を得て作戦を行っている。
ジャファリ首相は,軍は「タルアファルのありとあらゆる宗派・民族の人々」からの助けを求める声に応じて動いていると述べた。
タルアファルはモスルの西,シリアとの国境の近くに位置し,住民のほとんどはトルクメン人である。
米軍およびイラク軍は,以前から,タルアファルはシリアから密かに入ってくる武器や外国人戦士の経由地として利用されているとしてきた。
もう100%混じりけなしのテレグラフって感じの記事ですね。原文だけ示して「さてこれはタイムズかテレグラフかガーディアンかインディペンデントのどれでしょうか」というクイズが成立しそうな勢いです。(こんなバカなことでも言ってないとやってられないですね,この記事。)
ガーディアン掲載のAP通信記事は,より詳細であるだけでなく,少しトーンが違います――大同小異ではありますが。上のテレグラフの記事より時間的に新しいものと思われます。
http://www.guardian.co.uk/worldlatest/story/
0,1280,-5269317,00.html
Saturday September 10, 2005 9:01 PM
By JACOB SILBERBERG
Associated Press Writer
※概要
土曜日,5000人強のイラク軍および准軍の部隊が,米兵に支援されて,シリア国境近くの反乱勢力の拠点に突入し,すべての家の家宅捜査などをおこなった。
土曜日遅く,首相は,タルアファルから60マイルのところにある国境の封鎖を命じた。
同市の歴史あるサライ地区において,数百人の反乱勢力が小火器を用いて強固に抵抗したが,イラク軍側の損害は負傷者2名だけであったと伝えられている。米軍は3500人を投入しているが,死傷者の報告はなかった。
内務大臣によると,反乱勢力48人が身柄を拘束された。
戦闘はほどなく終息したと米軍の司令官は述べている。銃撃が終わったとき,サライ地区にはほとんど誰もいないことを合同軍は確認した,とこの司令官は述べた。
敵は逃げ出したが,この2日間で150人の反乱者が殺されたと司令官は述べた。内務大臣はその数を141であるとし,政府軍兵士5人が死亡し3人が負傷していると述べた。
捕らえられた反乱勢力について,この米軍司令官は,ほとんどがイラク人であり外国人ではなかったとしている。一方で,木曜日にイラクの高官は,150人の外国人戦士を拘束したと述べた。
【タルアファルとは関係のないトピックが入っている箇所をカット】
タルアファル攻撃が進められる一方で,イラクの防衛大臣は,アメリカが訓練を施したこの軍は,今回の作戦が終わっても,イラクの国中の反乱勢力に対して攻撃を続行すると述べた。
今回また強固な反乱をたたく作戦が行われたが,そのタイミングは,恒久憲法についての住民投票まで残すところ1ヶ月余というものである。
難航した憲法起草の段階で,スンニ派アラブ人からの強い反対があり,イラク国内の民族的・宗派的対立の危うさが露呈した。最終的にはイラクは分断されるのではないかとの懸念も強い。
タルアファルはバグダードの北西260マイルのところにあり,特に民族構成が複雑な都市である。
市の人口20万(現在はほとんどが疎開している)のうちの9割がスンニ派トルクメン人である。彼らはシーア派が強い政府・警察からの扱いについて不満をかかえている。
土曜日,内務大臣は,今回の攻撃の後に,タルアファルの警察官を1000名,トルクメン人から選んで増員する,と発表した。
トルクメン人はトルコ領内のトルクメン人とつながりがあるが,トルコはアメリカの同盟国であり,またこの数十年にわたってクルド人反乱者と戦ってきた。タルアファルの近隣はイラクのクルド人が支配する地域である。
1年前,米軍がタルアファルから反乱者を駆逐したときに,トルコはアメリカの戦術について異を唱えた。トルクメン人の住民たちは,イラクのクルド人はアメリカ軍と一緒に戦っていると不満の声を上げた。
米軍当局者,クルド人当局者はこの非難はあたらないものであると退けたが,トルコ政府は,米軍への協力を停止するかもしれないとゆさぶりをかけた。その翌日,タルアファル包囲は解除され,米軍が500人を残して撤退すると反乱勢力は戻りはじめた。
こういった理由により,今回のタルアファル攻撃においては米軍は一歩下がった位置で後衛についており,反乱勢力の捜索のためにドアを破るのはイラク軍である。
攻撃開始の12時間後,ジャファリ首相は,反乱勢力は「タルアファルを憲法についてのレファレンダムの政治的プロセスから孤立させ」ようとしているのだと述べた。
会見に加わったアル=ドゥレイミ防衛大臣は,この3日間,攻撃を常に予想していたと述べ,イラクと国境を接する諸国が戦士たちの流入を止める努力を十分にしていないと苦言を呈した。「遺憾ながら,わが国のアラブの同胞たちは薬の代わりにテロリストを送り込んできている。」
内務大臣は,土曜日夜のイラクテレビでジャファリ首相の国境閉鎖の命令を読み上げた。ラビヤーの国境は無期限で封鎖され,内務省からの特別の許可を持った車両を除いては,鉄道を含めたすべての交通が遮断される。
この国境封鎖の命令は,反乱勢力の拠点であるカーイム近くの国境やシリアへの主要なハイウェイについては,効力がない。
AP記事中に出てきていますが,タルアファル(英語ではTal Afar, Talafarなどと表記)では昨年の9月に大規模な攻撃が実施されています。このウェブログの記事では,2004年9月13日,同9月10日など。
また,テレグラフによると「ジャファリ首相は住民がファイターを何とかしてくれというので動いた」そうですし,APによると「住民のほぼ全員が疎開している」とか「街はほとんど無人だった」そうですが,IoLにはTal Afar Residents Send Out SOSという記事(文章が非常に生々しいです)があがっていますし,ワシントン・ポストはWith Death at Their Door, Few Leave Iraqi City(死が迫っているのに街を去る人はほとんどいない)と報じています。記事の中には,サライ地区の住民には南部に避難するようにという指示が出ているが,市の南部にシーア派住民と警察官が集中していて,トルクメン人がそっちに逃げたら襲撃されるという警告を受けている,という記述もあります。また,避難しようとしている数百人の人たちの中に女装した反乱勢力が1人紛れ込んでいるのが発見されたために,米軍が北部への道をブロックしているとも書いてあります。
北に行きたいと言った住民のひとりに対し,「みなさんの99%は,うそなどついていない善良な人々でしょう」と,Bel Air周辺地域の警備をしている米軍の司令官は言った。「しかし群集の中に,少数の,善良でない人間がいることは確かです。そういった人間をチェックするファシリティもここにはありませんし,だから南に行ってもらわなければならないのです。」
住民は「戦車で送ってくれない限りは行きません」と答えた。「サライには悪い奴などいません。一緒に来てください,全部の家にご案内しますから。そうすればわかるでしょう。悪い奴というのは,市の南部にいるシーア派ですよ。」
――ワシントン・ポスト記事より
米軍の役割についても情報がばらばらです。10日付のAPはちょっとありえないくらいに強調して「米軍の役割は後衛」と書いていますが,7日付のワシントン・ポスト記事では,10日のAP記事に出てきたのと同じ米軍司令官が率いるレジメントについて,which is leading the assault(攻撃を主導している)と記しています。
なお,タルアファルはトルコとシリアとイラクの国境から南に少し行ったところに位置します。ファルージャやラマディやカーイムなどのあるアンバール州ではなく,モスルのあるニナワ州(Ninawa)にあります。
投稿者:いけだ