イラクにおける監獄の状況。国連IRINのニュースより。
イラクの監獄はほとんど改善されていない
2006年10月12日
IRIN
Electronic Iraq原文
2006年6月15日、米軍軍事警察がアブグレイブ監獄から、拘留されていた人々を釈放する場面を監視している(写真:ジム・ガラモネ)
バグダード発。イラク首相ヌーリ・アル=マリキはイラク監獄内部で続く人権侵害について、それを行っている責任者を厳重に取り締まると約束したにもかかわらず、つい最近拘留されたイラクの人々によると、監獄での扱いと監獄の状況は依然としてひどい。
アル=マリキの約束は、6月25日にイラク政府が発表した24ポイントからなる和解プランの一部だった。この計画は、分離主義的暴力を抑制するための手段を提供するもので、イラク社会の様々な側面、すなわち人権や犠牲者への賠償、民主主義、司法、経済などを扱っている。
以前投獄されていた人々は政府のこの新たなイニシアチブを歓迎したものの、自分たちが経験したことの生々しい記憶はつきまとって離れない。「その年[2005年]私は全人生の中でも決して経験しないようなことを経験しました。私は棒でひどく殴られ、そして私たちは監房の鉄格子にチェーンで縛られたのです」と33歳のアフメド・ジャブレ・エッサは言う。彼はタクシー運転手で、2005年3月、ファルージャで拘留され、ジハード(聖戦)を促すパンフレットを配布していると告発された。
「尋問のとき、彼らは、告白しなければ、私の妻と姉妹、そして年老いた父をその場に連れてくると脅迫しました」と彼は語る。
ナディム・イスマイル・カディムは2005年3月から2006年8月の間に、イラクの監獄3カ所に拘留されたが、解放されるまで、首相の約束については何一つ知らなかったと言う。
「私たちは以前と同じように虐待され、監獄は同じように汚いものでした。つい最近耳にした和解プランが言うこととはまったく違います」と45歳のカディムは言う。彼は種子・農業のビジネスを経営しており、武装グループに爆弾を作るための化学物質を提供していると非難された。
「自分が何一つ関わっていないことについて無理矢理白状させようと、彼らは毎日のように私を棒で殴りました」と彼は言う。
しかしながら、人権団体によると、和解プランが発表されて以来、状況が改善された監獄もあり、また、内務省職員が解雇された例も確認したという。
イラク内務省の報道官であるアブドゥル=カリム・カラフ准将は、2006年6月、汚職や賄賂、人権侵害により、警察官と内務省職員が数十人解雇されたと述べた。
内務省職員は、建物を修復したり発電機を付けたりベッドを改善したりすることで、監獄の状況を改善しはじめたと述べる。
「内務省の高官が1カ月に4回近くも監獄を訪問しており、また監獄の所長自身が収容者の食事の質を監視している」と内務省のアブドゥル=アッバス・サハラル少将は語る。
ニューヨークに本部を置くNGO、ヒューマンライツ・ウォッチ(HRW)は、イラク人とりわけ内務省が運営する監獄の視察を繰り返し求めてきた。
イラク人官僚の対応は当初否定的だったという。「けれども、この6カ月は、HRWは、法務省が運営する施設と、内務省が運営する施設を訪問してよいと言われている」とHRWの職員は言う。
イラクの治安状況のため、まだ訪問を実現していないが、バグダードの刑事法廷で拘留者に聞き取りを行うことができたとHRWの職員は語る。
拘留の環境改善と拘留者の扱いの改善について、そのHRW職員は次のように言う。「この点について何らかの手だてを講ずることはほとんどなされていない。HRWは、内務省や国防省が運営する施設で拘留者への拷問や虐待が行われたという報告を依然として多数受け取っており、拘留の状況は今も恐ろしいものである」。
一方、イラクの人権団体の中には、治安組織が運営する収容所に対して刑務所の状況は改善されたと言うグループもある。
「私たちは、最近、ディヤラ、サラヘディン、アンバルという三つの州でイラクが運営する刑務所をいくつか訪問しましたが、収容者の状況はとても良好でした」と、バグダードに本部を置く人権監視ハムラビ機構の代表であるアブドゥル=ラフマン・アル=マシャダニは語る。
「人権侵害や拷問のケースは耳にしていません」と彼は言う。「けれども、どうしても修復が必要な建物はいくつかあります。とりわけ、トイレと空調についてです」。
彼は、収容者は看守と同じ質の食べ物を与えられていると述べた。
このニュースは国連人道ニュース・情報サービスIRINから届けられるが、必ずしも国連やその機関の見解を反映するものではない。IRINの文書はすべて無料で再ポスト・再プリントできる。使用条件については、IRINのコピーライト・ページを参照のこと。IRINは、国連人道問題調整局のプロジェクトである。
投稿者:益岡
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