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2005/01/30

戦死した米兵の母から,イラクの母親への手紙。

子をイラクで「戦死」というかたちで喪った米国人が,米国内で発言するばかりでなく,医薬品などを持ってイラクを訪れた,ということは,これまでに当ウェブログだけでなく,ほかのウェブログやウェブサイトでも伝えられています。


#上記リストは,反戦翻訳団さんの記事を参考にさせていただきました。

こういった大きな動きだけでなく,個人と個人の間でのやり取りも,「選挙」などに比べればずっとずっと小さなものであるかもしれませんが,確実に存在しています。

Jarrarさんたちのお母さん,Faizaさんのもとに寄せられた手紙が3通,Faizaさんのウェブログ(1月26日)に紹介されています。


拝啓

私も息子をイラクで喪った母親です。息子は2004年6月22日に戦死しました。

私は12月27日にアンマンに到着した平和代表団に加わってイラク国境とアンマンを訪れていました。ちょうどその旅から戻ったところです。

私たちは,ファルージャの子どもたちのために60万ドル相当の医薬品を届けるために行きました。私は私と同じように誰かを亡くし苦しい思いをしている母親たちと会いたいと思っていました。

私たちの団体は平和とイラクからの軍の撤退を求めています。今すぐに,戦争に終わってもらいたいのです。

私は数ヶ月でまたそちらに行き,イラクの難民,女性,子どものためのプロジェクトをアンマンで開始します。私は私たちの政府が人々に対してやっていることを快く思っていません……私たちのグループのほとんどは,イラクの状況について,米国全土とヨーロッパで具体的に資料を示しながら,本当のことを語る活動をしています。この国の多くの人が戦争に反対していますが,本当のことを知っている人は多くはありません……。

Nadia McCaffrey
※以下,所属団体と肩書きの部分を割愛。
ナディアさんのウェブサイトhttp://www.angelstaff.org/に関連する記事へのリンク多数。息子のパトリックさんは1970年5月26日生まれ,2004年6月22日,バラドで襲撃され胸を撃たれて死亡。軍の救命士だった。遺体は2004年7月4日(独立記念日)に帰国。パトリックさんには9歳の息子と3歳の娘がいる。

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ファイザさん

また自分の国の政府のことが恥ずかしくてならないアメリカ人の母親からのメールかと思わないでくださいね。私たちの大半は,政府を支持していません。

私もまた愛する息子を亡くした母親です。息子は2004年9月25日,タイグ近くで戦死しました。

息子もまた,優しくすばらしい人間でした。あなたの国の子どもたちのことが大好きでした。息子は,軍に入る前は調理師でしたので,バグダードの通りを車で通ると楽しくて仕方なかったのではないかと思います。女性たちが食事を支度するおいしそうな香りがしていたでしょうから。車から飛び降りて,香辛料について話をしたり,レシピを教えあったりできれば,きっと息子にとっては無上の喜びだったでしょう。

息子の死で,私たちの世界は永遠に変わってしまいました。

あなたの国の悲惨な状況を聞くにつけ,残念でなりません。私たちがこの惨状から何かよいものを見つけることができると,ただ願うのみです。あなたの国の人々のために毎日祈っています。この国がひどい状況に追いやった私たちの兵士たちのために祈るだけでなく。

いつの日か,あなたの国の方々が,私たちの国の人々を許してくださいますよう。

In Peace and Love
Michelle DeFord
Mother of Sgt. David W. Johnson

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ファイザさま

スーザンから是非連絡しなさいなと言われました。

私の息子は2004年4月4日にサドルシティで死亡しました。息子の名はケイシー・オースティン・シーハンといいます。4月4日のシーア派蜂起で死亡しました。25歳になろうという年齢でした。

私たちの指導者があなたの国に対して為したことを,私は本当に申し訳なく思っているとお知らせしたく思います。ケイシーは穏やかでやさしい子でした。軍に入ったのは,アメリカを守り人々を助けるためでした。殺人者である傲慢な政府によって誤ったふうに使われるために軍に入ったのではありません。私はケイシーを殺したイラク人を責めません……ブッシュとその追随者を責めます。

どうかこれからもご連絡くださいね……一緒に平和を築かなければならないと思っていますので。米国にいる米国の母親たちは,あなたがたイラクの母親たちと連絡を取り,団結しなければなりません。

Love and hugs from America
Cindy Sheehan

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Cindy Sheehanさんは,手紙の文中にあるSusanさんとともに,Gold Star Families for Peaceで発言しています(CindyさんやSusanさんのウェブログ)。そのGSFPは,Military Families Speak Outと提携関係にあり,MFSOのサイトには,CindyさんがTIME誌に送った投書も紹介されています。なお,昨夏来日したイヴァン・メディナさんや,ファルージャのための医薬品を届けに行ったフェルナンド・スアレスさんもMFSOのメンバーです。

Faizaさんは,GSFPのSusanさんからの手紙を紹介したときに(1月25日)次のようなことを書き添えています。

友人のスーザンがこのようなメールをくれました。
アメリカのすばらしい面を見ることができます。
イラクの戦争で殺されてゆく兵士たちの親という気の毒な人々と
ブッシュ大統領の再選のお祝い。
よく見知ったものを思い出します
……サダム・フセインと,
サダム・フセインのアジェンダのために息子たちをイランとの戦争やクウェートの戦争で亡くした
気の毒なイラクの親たち。
サダムはこれは自分たちの国威のためなのだと言っていました。
歴史が繰り返しているようです,場所を変えて。


投稿者:いけだ
2005-01-30 11:37:34