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2005/01/28

「自由」がやってくる(ジャマイル,1月27日)

ダール・ジャマイルのウェブログ,1月27日の記事。

大文字の「自由」がやってくる
Here comes "The Freedom"
Dahr Jamail, January 27, 2005
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000186.php
またはhttp://electroniciraq.net/news/1828.shtml

昨日,バクバから友人が訪ねてきた。その友人は,いつものごとく,自宅で作った食事をたくさん持ってきてくれた。私に会いにくるときには必ず持ってきてくれるのだ。実はその食事,今もまだ食べている。今晩の夕食もこれだった。ああ,イラクごはん。

その友人は大きなテントを4つ所有していて,通夜・葬儀や結婚パーティ,部族の交渉の会合や,庭を覆うためなどに,バクバの人々に貸し出している。

2003年春の英米のイラク侵略の間は,人々がバグダードから爆弾のないところへと避難し,そういった家族の多くがバクバにあふれかえった。友人は,自宅が避難民でいっぱいになると,他の人たちにテントを貸し与えた。もちろん無料で。

現在は,ファルージャからの避難民がそれらのテントを使っている。

今日,イラクでは,少なくとも35人の米兵が死亡している。そのうち31人は,ヨルダンとの国境近くでチヌーク輸送ヘリが墜落したために死亡した。このほか少なくとも4人が,アル=アンバール州での衝突で死亡している。(バグダードの)エアポート・ロードではパトロール隊が爆弾で攻撃され,軍の車両少なくとも1台が破壊された。この件についての軍からの死傷者数の発表は,まだない。

「かかってこい(Bring 'em on)」と,しばらく前にジョージ・ブッシュは言った。イラクのレジスタンスがペースをあげ始めたころのことだ。

今日記者会見の席で,彼はもうじき行なわれるイラクでの選挙について話をした。

「おじけづいている人たちもいることは明らかですが」と彼は言った。「すべでの(タイプのミスではない)人に是が非でも投票していただきたい」【訳注:原文ではI urge alls (not a typo) people to vote.】

この「解放された」イラクの現地情勢がいかなるものか,ここで説明させていただこう。

「選挙」が3日後に迫り,人々は恐怖に陥っている。イラク侵略に先立ってバグダードからは人々が退避していたものだが,それと同じように,今も人々はバグダードから脱出している。首都ではものすごい規模の暴力の嵐となるのではと恐れ,それから避難しようとして,バグダードの市境にある検問所には車が長蛇の列となって並んでいる。

警察官やイラク兵は,人々にバグダードに留まって投票するよう呼びかけている。

しかし誰もそれに耳を貸さない。

バグダードはファルージャからの避難民があふれかえっているが,バグダード近郊の集落や小規模な町は,選挙からの避難民であふれかえっている。

しかしこういった場所も安全ではない。バクバでは投票所に対する攻撃はほぼ毎日起きている。投票所への迫撃砲攻撃は,はるか南のバスラでも珍しいものではない。モスル近郊の小さな町にあるあるクルド政党の本部にはトラック爆弾が突っ込んで,15人が死亡し,その倍の人数が負傷した。すでに20時から5時の夜間外出禁止令が出ているキルクークの投票所は次々と自動車爆弾でやられ,イラク人10人が死亡している。

ここバグダードでは,the High Commission for Elections in Iraqはまだ所在地を明らかにしていないが,投票所となった学校がすでに攻撃を受けている。

投票所となった学校の近くに住んでいるイラク人は,この先どうなるかについて非常な恐怖を抱いている。

「市全域がブロックされることもありうるし,そうなれば移動ができなくなる」と,匿名を条件に取材に応じてくれたある男性は言う。「町は死んでいるし,人も死んでいる。何のために? 強制された選挙のためにだ!」

彼は怒り,フラストレーションを感じている。投票所として使われることになっている小さな中学校の近くであるため,彼の住む通りは封鎖されているからだ。

近くでは,いつものごとく,米兵が何名かで警察署を占拠している。兵士のひとりは私が写真を撮影しているのを見ると,カメラを没収しようとした。

私はその兵士に取材記者のバッジを示したが,だからどうだということにはならなかった。しばらく話をして,兵士は私に撮影した写真を消去させ,カメラは手に持ったままで行けと言った。

ある通りの突き当たりが砂袋で封鎖されている。内部がすでにめちゃくちゃに破壊されている学校が,その向こう側にある。

バグダードでは現在少なくとも90の通りが,砂袋および/またはコンクリート壁とレイザーワイヤーで封鎖されている。封鎖されている通りの数は,毎日増えている。

「投票所が攻撃されたら,迫撃砲がうちに当たるんじゃないかと心配です」と匿名で取材に応じてくれた男性は語る。彼は町の反対側の親戚の家に移るつもりだ。その親戚の家は,投票所には近くない。

近くの小さな食料品店の店主も,同じく心配している。この店主は,兵士と交渉して,バリアの一部を開放したままにしておいてもらわなければならなかった。そうしないと客が彼の店に来ることができないのである。

「食料配給に頼っています。商売の方はさっぱりです」と,人のいない通りを指して彼は言う。「うちの店の近くに来ようなんて人,いますか? 私たちはみな怖がっている。みなが苦しんでいます。」

近くにいた疲れた様子をした警備員が会話に入ってきた。サルマンという名前のこの警備員は,手にたばこを1本持って「投票するなんてとんでもないことですよ,非常に危険なことになってます」と言う。「それだけではなく,どうして投票するのかということもあります。もちろんアラウィが留まるでしょう。アメリカ人がそうなるようにするでしょうから。」

私の連絡員が,ファルージャで1週間を過ごして戻ってきた。バクバの友人が持ってきてくれた食事を一緒に食べた。

「1週間ファルージャにいたけれど,見たものといえば,軍の強硬な戦術だけだった」と彼は言う。「人々を逮捕しては,目隠しをして縛り上げてトラックに載せている。どこを見ても,まったくひどい惨状ばかりだった。」

彼は多くの家族と話をした。家族らは次から次へと恐ろしい話をした。誰それが死んだ,誰それも死んだ,誰それも死んだ,と。

「そして今日,軍が10台ちょっとのハムヴィーと地上部隊を投入して,マーケット近くの小さな区域を封鎖して」と彼は続ける。「その真ん中にCNNの撮影クルーがいて,兵士が子どもたちにお菓子を投げているのとか,オレンジ色の上着を着た人たちが通りを清掃しているのとかを撮影していた。」

両腕を宙に上げて彼は笑い,そして言う。「ファルージャでああいう人たちを見たことは前にはまったくない。どこから来たんだろう。」

ソーダ水を飲むために一呼吸置いて,彼は続ける。「兵士が普通に陸上に立っている(boots on the ground)のなんか一度も見たことがなかった。それが,突如として,万事異常なしみたいに海兵隊があちこちにいる。ハムヴィーとかブラッドレーに乗っていない兵士なんて,それまで見たことがなくて,本当にびっくりしたよ。」

「全部100パーセント演出だ。選挙前のPRとしては上々だ」と彼は言う。そしてアメリカの主流をさして「ファルージャは問題ない。さあ,帰って寝よう」と付け加えた。

Posted by Dahr_Jamail at January 27, 2005 05:38 AM


文中に出てくるバクバ(Baquba)は,バグダードの北東50~60キロほど,いわゆる「スンニ・トライアングル」にある都市。
source: Wikipedia, Online Dictionary of Iraq

投稿者:いけだ
2005-01-28 22:56:22