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2005/04/02

1年が経過しました。

橋げたに黒く焼け焦げ,手足をもがれた遺体が吊り下げられ,興奮した群集が画面いっぱいに映し出されているあの映像が流れてから,ちょうど1年です。1年前のことを,当時の記事で振り返ってみます。

まず,昨年3月28日,橋げたに遺体が吊り下げられる3日前の,英ガーディアン/オブアーヴァーの記事。ファルージャにいたPatrick Graham記者が,ファルージャの人々を取材したものです。

Falluja fury as marines move in to restore calm
Patrick Graham in Falluja
Sunday March 28, 2004
The Observer
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1179692,00.html

米軍と迫撃砲やRPGで武装したゲリラ(guerrillas)との戦闘が激化するなか,今週末,イラク各地での暴力による死者は22人に達した。

昨日バグダードでは路上で爆弾が爆発し,イラク人5人が負傷。米軍が一帯を封鎖した。

またティクリートでは昨日,3歳の男児が米軍に撃たれて死亡した。男児が乗っていた車が検問所で停止せずに銃撃された。

さらにモスルでは昨日,反乱勢力が行政の建物にロケット弾を打ち込み,文民2人が死亡,14人が負傷した。

しかし最も激しい戦闘となっているのはファルージャである。市街で海兵隊とゲリラとの戦闘が何時間にもわたっており,海兵隊員1人と,少なくとも6人のイラク人(うち1人は11歳の男児)とテレビ局カメラマンが死亡。

金曜に始まったこの戦闘で,イラク人25人と海兵隊員5人が負傷している。

土曜の朝までに,ファルージャに入る主要な道路のすべてが,米軍によって封鎖された。軽装甲車両とハムヴィーが戦闘が発生したファルージャ郊外に配備された。

ファルージャ市民の怒りに対して新たなアプローチを約束しながら,米海兵隊は,水曜にファルージャを後にした前任者,第82空挺師団(the US 82nd Airborne)と同じ過ちを犯しつつあるように見える。昨年(=2003年)4月,第82空挺師団は2日間の戦闘中に18人のデモ参加者を殺した。占領が始まって6ヶ月の間に,ファルージャ市と周辺において,同師団は少なくとも40人の文民および警察官を殺した。

これらの死亡事件の後で,米軍は人々の信頼を回復することができておらず,数ヶ月のうちに最大規模の反乱がアル=アンバール州全域で発生。(2003年の)初秋までに,米軍は事実上ファルージャ周辺地域のコントロールを失い,その後優位を回復できずにいる。ヘリや戦車の援護なしに車両の外にいる米兵は,今ではほとんど見かけない。

しかし金曜の市全域での掃討は,多くの住民からは,現在の占領者である海兵遠征軍(the Marine Expeditionary Force)の力を誇示するためのものだ,と見なされている。

ファルージャ市議会のモハメド・アルバルワ(Mohammed Albalwa)議長は,「木曜に攻撃があり,米兵1人が死亡していますが――これは(金曜の掃討の)復讐でした」と語る。「彼ら(=米軍)は自分たちは強く,ファルージャをコントロールしているのは自分たちなのだということを証明したがっているのですが,彼らにはファルージャをコントロールできません。」

金曜にアスカダリ(Askadari)地区で何が起きたのかは,正確にはわかっていない。死者のひとりの通夜では,参列者たちは反乱勢力と海兵隊との間には戦闘はなかったと断言していた。

「アメリカ人はここに朝の9時に来ました。その数時間前に爆弾が1つ爆発していたのですが,米兵は何でもかんでも銃撃しました」と,甥のシャキール・マフムード・ムクリフ(Shakir Mahmoud Mukhlif)の通夜に参列していたタヒール・ムクリフ・アブドゥラ(Tahir Mukhlif Abdullah)は語った。

タヒールの話では,32歳の商店主のシャキールは,友人のアディルが家の門の外で撃たれたのを見て駆け寄った。そして倒れた友人を抱き上げようとしたところ,頭を銃撃された。アディルの家では,玄関から道路に出る通路(driveway)にどす黒いしみが残っている。

「銃撃が始まったとき,アディルは様子を確認するために門のところまで出たのですが,そこで3発撃たれたのです」と,アディルの兄弟のひとりであるジュスフ(Jusuf)は語る。家族の話では,米海兵隊が家に来て30分ほど留まり,写真を撮影したり家族と話をしていったりした。

ジュスフは「アイム・ソリー,ソリー」と言った。ひとりの兵士が英語で彼に言った言葉だ。ジュスフは,その将校は基地に行って死亡の件について申し立てるように言った,という。

第82空挺師団から海兵隊に管轄権が引き渡される期間に,新たな司令官は異なったアプローチを約束していた。

「地域の人々と一緒にサッカーをしている日が来ると思います」と,新司令官のジェイムズ・コンウェイ(James Conway)大将は語った。「しかし数週間のうちにそうなるということはないでしょうが。」

1週間前,海兵隊が最初に到着したとき,ファルージャの多くの人々は安堵していた。「彼らはとてもよいです」と米軍から身を隠していたあるシャイフは言った。「彼らはドアを蹴破るのではなく,ドアをノックしますから。」


この記事を参照しているカナダの人のウェブログ,Flitの記事(=検索で見つけました)は,次のように書いています。


March 31, 2004
THOUGHTS ON FALLUJAH

1週間前にファルージャで起きていたことを振り返っておくことは,今起きていることを理解するうえで,重要だろう。

※ワシントン・ポストの記事の引用のようです。以下は要旨。パラグラフを入れ替えた箇所があります。

【3月26日,ファルージャ】 金曜日,ファルージャで発生した銃撃戦で米海兵隊員1人が死亡した。負傷者も数名出ている。海兵隊は1軒1軒家宅捜索を行なっていた。米軍スポークスマンは,死傷者についての情報はほかにはないとし,ファルージャにおけるこの「攻撃作戦(offensice operation)」については,「現在進行中のため」として,それ以上のコメントを拒んだ。攻撃は午前8時30分に始まって以来,この時点で15時間。

戦闘は,民間人の服装をして迫撃砲やRPG,アソルトライフルで武装した反乱勢力が,海兵隊に発砲して始まった,と目撃者は語っている。戦闘が続く中,イラク人市民がそれと気づかずに戦闘地域に入り込んでしまっている,と住民たちは語っている。

イラク人死者は15人。さらに,病院筋からは,数人の子どもを含む25人が負傷しているとの情報がある。イラク人医師の話では,死者の1人は,米ABCニュースと契約しているイラク人のフリーランス・カメラマンのブルハン・モハメド・マズール(?:Burhan Mohammed Mazhour)で,頭を撃たれていた。ほかに少なくとも1人の女性と1人の子どもが含まれている。カメラマンを銃撃したのが誰かはわかっていない。

目撃したというイラク人と手当てした医師によると,死傷したイラク人は海兵隊に撃たれているという。医師のこの判断は,死傷者から取り出された銃弾に基づいている。

第一海兵遠征軍(the 1st Marine Expeditionary Force)のT.V.ジョンソン少将は,ファルージャ市東端部の工業地帯での作戦は,「ならず者集団(rogue elements and thugs)」を根こそぎにすることが目的であると語っている。

木曜に反乱勢力がファルージャの東部で輸送車列を攻撃し,海兵隊員1人が死亡,2人が負傷している。


筆者の分析:
ファルージャ情勢は,サマラ情勢と同様,海兵隊が着任して市をコントロール下に置こうという再度の試みが失敗に終わり,市内から出るという方針に落ち着いていた。今回海兵隊は死者を出した襲撃に応じ,翌日に市内で家宅捜索を行なった……この家宅捜索で無差別な銃撃(→ここで上記ガーディアン記事へのリンク)があったかもしれないし,また住民たちを怒らせたことは確実だろう。住民の一部はその4日後に,最も近いターゲットを襲撃した。【=橋での件を指す。】

だからといって,今日の米国の傭兵(mercenaries)4人の死体損壊の理由となるだろうか? もちろんならない。しかし,これはこれまでの流れを考える材料となる。現在までのところ米軍側の犠牲者の数値が低く抑えられているのは,サマラやファルージャといったホットスポットからはなるべく離れているという方針によるものである。

今回死亡したのは,ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルティング社と契約していた人々だ。同社ウェブサイトには同社は「特殊部隊関係者にルーツがある」「退役した軍人・情報部員・法執行のプロ」であるとある。(同社ウェブサイトには現在,炎上する車両の画像があるが,訓練中の光景ではあるのだろうが,やや不適切だ。)というわけで,こんなことがいくらか気持ちをやわらげるとすれば,死亡した4人は襲撃されたときにほぼ間違いなく武装していた。(事実,銃器や米軍のIDがあった。)彼らを傭兵と呼んで間違いなかろう。「民間人」というのはややこじつけのように思われる。

興味深いことに,彼らはファルージャで「食糧輸送の治安確保」をしていたという話だ……誰に対する輸送であるのかは特定されていないのだが。5日前にファルージャでどのようなことがあったのかを彼らが知っていたとすれば――彼らが訓練を受けたプロフェッショナルなのであれば,また彼らが米軍基地から出ているのであれば,戦闘があったばかりの現場を,2車両で通行して安全だと考えていたのはなぜなのか,理解しがたい。

……後略……
Posted by BruceR at 05:49 PM


この後,海兵隊はファルージャを包囲攻撃。その時系列的記述を,英国で編集・制作されているウェブサイトUNDERSTANDING THE PRESENT CRISISから転載します。

なお,この期間に2度ファルージャに入ったジョー・ワイルディングさんのネット上での報告と,1度入ったラフール・マハジャンさん,ダール・ジャマイルさんの,同じくネット上での報告をまとめたのが,書籍『ファルージャ 2004年4月』です。

31 Mar
Four US security contractors killed, bodies mutilated
3月31日 米国の警備会社契約者4人が殺され,遺体損壊。

1 Apr
General Kimmitt says 'we will pacify that city'
 4月1日
 キミット准将「あの町を平定する」と発言。

4-5 Apr
1,200 US troops seal off Falluja
 4月4~5日
 1200人から成る米軍部隊がファルージャを封鎖。

6 Apr
Heavy fighting, US forces say they control industrial area on east of city
 4月6日
 激しい戦闘。米軍は市東部の工業地帯を制圧と発表。

7/8 Apr
US F-16 jet drops bomb on the Abdul Aziz al-Samarrai mosque, locals say up to 40 killed
 4月7~8日
 米軍F-16戦闘機が,アブドゥル・アジズ・アル=サマライ・モスクに爆弾を投下。地域住民によると最高で40人が死亡。

9 Apr
Women, children and old men allowed to leave city. Relief workers take some aid in. Reports speak of bodies left in the streets. Fighting resumes in evening
 4月9日
 女性,子ども,高齢の男性がファルージャから退去することを許可される。救援活動者が救援物資を運びこむ。街路に遺体が放置されているとの情報。夕刻に戦闘が再開。

10 Apr
Governing Council and US officials call for a truce
 4月10日
 統治評議会と米当局者が停戦を呼びかけ。

11 Apr
Tentative ceasefire begins at 0600. Thousands flee city
 4月11日
 仮の停戦が6時に開始。市から数千人単位が避難。

16 Apr
First direct negotiations between US officials and local leaders
 4月16日
 米当局者とファルージャ市指導者の間の第1回直接交渉。

19 Apr
US military officials and Fallujan leaders agree to work for a deal in which guerrilla fighters will give up their heavy weapons. US agrees to allow access to Falluja's hospital for the first time. US announces it is 'halting operations'
 4月19日
 米軍高官とファルージャ市指導者らが,ゲリラ戦士が重火器を放棄することになるディールへ向けて動くことで同意。米側は初めて,ファルージャの病院へのアクセスを許可することに同意。米側は「作戦を停止」すると発表。

26 Apr
(US launches attack on Najaf, 64 Iraqis killed)
 4月26日
 (米軍,ナジャフへの攻撃を開始。イラク人64人死亡)

26 Apr
US begins nightly 'defensive' bombing raids on city that last four nights
 4月26日
 米軍,ファルージャに対し毎晩の「防衛的」爆撃を開始。この後4晩続く。

28 Apr
(Pictures of torture and abuse of Iraqis By US at Abu Ghraib prison published)
 4月28日
 (アブ・グレイブにおける米軍によるイラク人拷問および虐待の写真が公表)

30 Apr
US announces pull-back, says Iraqi 'Fallujah Brigade' under Baathist Jasim Saleh will patrol city
 4月30日
 米軍が撤退を宣言し,バアス党員ジャシム・サレハ(Jasim Saleh)指揮下の「ファルージャ・ブリゲード」がファルージャをパトロールすると述べる。→参考:米国防総省サイト

2 May
US says Saleh will not after all be in charge of Fallujah Brigade
 5月2日
 米,サレハはファルージャ・ブリゲードの責任者ではなくなると述べる。


この「ファルージャ・ブリゲード」は,その後9月上旬に解体。ブリゲードのメンバーがゲリラ側に武器を渡すなどして支援していたことなどが,いくつもの記事に書かれています。
 →2004年8月14日,antiwar.comのblog記事
 →2004年9月10日,LAタイムズ記事(アリッサ・J・ルービン)
 →2004年9月13日,antiwar.comの記事(ブライアン・ドミニク)
 →2004年9月13日,ワシントン・ポスト記事(ラジヴ・チャンドラセカラン)←登録なしでも閲覧できました

ワシントン・ポストの記事(ウェブ版で2ページ目)には,次のような記述があります。
Conway insisted the brigade was an experiment. "The early success of the Fallujah Brigade was ultimately its downfall," he said. "You had to have a force that came from Fallujah in order for it to be accepted by the people of all. They're very xenophobic . . . but in the end those were the same things I think that dictated the demise of the Fallujah Brigade. Because they were from the local area, they were emasculated as far as their ability to do something very aggressive."

With no security forces in Fallujah now -- U.S. troops do not patrol inside the city limits -- the area has become a haven for insurgents, Marine officers said. Among the foreign-born fighters believed to be holed up in Fallujah is Abu Musab Zarqawi, a Jordanian who is alleged to have organized car bombings, kidnappings and other attacks targeting Americans and Iraqis.

コンウェイ大将はブリゲードは実験だと主張する。「ファルージャ・ブリゲードが早くに成功したことは失敗だった」と彼は言う。「住民に受け入れられるためには,ファルージャ出身の治安部隊が必要だった。彼らは極めて外国人嫌い(xenophobic)であるから……しかしそれがまさに,ファルージャ・ブリゲードの終焉をもたらしたのではないかと今は思う。ファルージャ出身の人々で構成されていたので,非常に攻撃的なことをする能力がほとんど備わっていなかったのだ。」

現在ファルージャには治安部隊が存在せず――米軍は市の境界線の内側はパトロールしていない――,そのためファルージャは反乱勢力の溜まり場(haven)になっている,と海兵隊将校らは言う。ファルージャにこもっていると考えられる外国生まれの戦士の中には,自動車爆弾攻撃や誘拐といった米国人やイラク人を標的とした攻撃をオーガナイズしているヨルダン人,アブ・ムサブ・アル=ザルカウィもいる。


「ゼノフォビア」と書かれるほど閉鎖的なコミュニティになぜ「ヨルダン人」が,という疑問もなくはないのですが,そこはとりあえず流します。ザルカウィは5月に米国人ニック・バーグさんを拉致拘束し斬首して以降,メディアの記事に毎日のように出てくるようになりましたが,そのザルカウィがファルージャにいるという報道が出たのは,BBCでは2004年6月19日でした。

ファルージャ・ブリゲードの解体が正式に宣言される週の米軍の行動について,上記ワシントン・ポスト記事には次のようにあります。

Over the past week, U.S. warplanes have bombed suspected insurgent safe houses and other targets in the city. Coleman said those attacks have killed hundreds of insurgents.

この1週間,米軍爆撃機は,ファルージャ市内の反乱勢力の隠れ家と思われるものなどを標的として爆撃してきた。コールマン(=Conway's chief of staff)はこの攻撃で反乱勢力を数百単位で殺したと述べている。


同じくワシントン・ポスト記事には,コンウェイ大将の後任となったサトラー中将は,この次にファルージャに入る(incursion)ときにはイラク軍との合同作戦になるだろうと述べている,とあります。

そして,それはその通りになりました

"When we approach it next time, we will approach it a little bit differently."

"The status quo is unacceptable."

--Lt. Gen. John F. Sattler, the Washington Post, 13 September 2004


投稿者:いけだ
2005-03-31 18:57:34