土井敏邦 『ファルージャ2004年4月』
まばたきする以外、目以外、何も動かすことができない状態で、一人の少年が粗末な病院のベッドに横たわっている。
鼻にパイプをつながれた少年の脳には、小さな爆弾の破片が多数食い込んでいる。取り出すことが絶望的に不可能なまでに、細かい破片が食い込んでいることが、レントゲン写真で示される。
天井が目に入る。緊急に作られた診療所だった場所の天井。埃や鳥の羽がそこから舞い落ちてくる、高い天井。青い空がまぶしいまでに姿を現している、かつては天井であっただろうところ。
そして、ばらばらになって壁や床とともに地面に横たわっている、かつて天井を構成していただろうもの。
子どもの頃、熱を出して一人ふとんに横たわって眺め、様々な想像をめぐらせていた天井に、そして病院のベッドで雨の音を聞きながらする事もなく眺めていた天井に思いが及ぶ。
今となっては、忙しい、けれども当たり前の一日を終えて家に帰に帰ったあと、意識さえしないほど当たり前になっている天井。怠惰で横になることが好きな自分にとってあまりに当たり前の天井。
殺された人々、負傷した人々のうち、子どもや女性、老人の比率はとても高い。それは、米軍の爆撃が、攻撃が、住宅を標的として行われたためである。
米軍戦闘機が上空を飛び回る中、家の中で子どもを守るように抱きかかえている人々の上に、爆弾は天井を突き破って、あるいは破壊した天井とともに落ちてくる。白旗を掲げてどこかに避難しようとすると撃たれ、それを恐れて家の中に留まるしかない人々の上に、米軍の戦闘機は爆弾を投下し続けた。
米軍の爆撃に襲われ、負傷した身を横たえた人々は、埃や鳥の羽ねが舞い落ちてくる天井を、どのように眺めていただろう。
少年の唯一動かすことができる目には、天井が見えているのだろうか。見えているとすると、どのように。
制作者の土井さんは、次のように語っている。
私にできることは、一人一人の命を、一人一人の顔を拾っていくことなのです。人の死を数で伝えないこと。等身大の固有名詞で伝えることが私の役割です。〔・・・・・・〕ドキュメンタリーというとその「作品」としての完成度が語られることもありますが、私の映像は「作品」ではありません。ファルージャで何が起こったかを歴史的証言として残すことがこの映像の目的なのです。
カメラの前で語る人々の言葉の中に、語ることも体を動かすこともできず目を左右に動かしまばたきするだけの少年の視線の中に、空の見える穴の開いた天井の下に残された誰もいない部屋の中に、車の音や風の音、人の声に、ファルージャで生活してきた人々の証言が、そして、
「米軍は、たた住民を殺すのです」。
というたった一言が一人一人の住民にとって何を意味するのかを語る証言が、記録されている。
私たちが編訳した同じ標題の本と、このビデオは、言葉と映像、侵攻下での目撃証言と侵攻前後の証言というかたちで、お互いに補い合うものとなっています。どうか、個人であるいはグループ上映会で、自主上映で、見て、広めて下さいますよう。
このビデオについての問い合わせ先は、「土井敏邦・ファルージャ侵攻の記録を残す会」
falluja2004@hotmail.co.jp
です。
益岡
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