イラクの新聞の記事が日本語で紹介されています。
例えば,今年1月の「バグダードでは停電がひどい」シリーズ(1~5)は,ある主婦の「シャツやズボンにアイロンがかかってないと文句をいう夫と喧嘩になる」という,本当に日常生活そのものの証言や,蛍光灯を照射する必要のある黄疸症の赤ちゃんを抱えたお母さんの「充電式の蛍光灯も故障しちゃって、どうやって私の赤ちゃんは快復できるというのでしょう?!!!」という証言,「まず養魚場の貯水池の水を交換しないといけないのだが」そのためのポンプが動かせないという養魚場経営者の話や,養鶏場の経営者の話,「電気が安定しないため、検査結果も正確でなくなってきて」いるという病院スタッフの証言など,生々しい声がたくさん掲載されています。
5月14日には「イラクの特殊警備会社」として6編の記事が上がっています。以下では,これらを,全体の流れがわかるように少しずつ引用してご紹介したいと思います。ぜひともリンク先(元の記述:各記事に「URL」としてリンクをはってあります)をお読みください。(そんなに長い記述ではありません。というか,6編をあわせても,このウェブログの記事でよくある長さよりは短いです。)
イラクの特殊警備会社 1
2005年05月14日
URL
アル・ナハダ 2005年2月22日
by メシュリク・アッバース
2003年、特殊警備を専門とする国際企業というものが初めてイラク国内に入ってくるという経験をした。
そのときから、多くの外国及びアラブ国籍の会社が現れ、イラクで営業するようになった。その一部は、イラク専門に営業するために設立された会社だった。
〈中略〉
国内の警備会社の事業は闇に包まれている。加えて、この種の職業に対して、国と国民の権利を守る法的枠組みを作ろうという公の関心も無かった。
この特殊警備という新しい現象のうち、我々に見えているのは、最新型の車両、装甲車、市民に向けられた銃口、何十もの正体不明の犯人が起こした事件にすぎない!
イラクの特殊警備会社 2
2005年05月14日
URL
● これは“ムハンマド・ナースル”(ドーラの交差点近くのタバコ屋)の証言で、ハッジ・アブダッラ殺害事件の詳細である。
ムハンマドは語る、「ハッジは歩道に立っていた。皆驚いたのだが、道の混雑を避けるためだと思うが、急に三台の四輪駆動の“シボレー”、色は黒で、窓はスモーク【訳注:車の中が見えないよう張られる目隠し用カーフィルム】、ナンバー・プレートはついていなかった...が、ものすごいスピードで走りながら車道から歩道に乗り上げてきて、ハッジ・アブダッラをはね、血の海に溺れた老人を顧みることも無く走り去った。即死だった。」
● ハッジ・アブダッラの息子は、タバコ屋の証言を手がかりに、警察、米軍司令部と事件の犯人を追い求めた。
ハッジ・アブダッラの息子は言う、「たくさんの人が、この件はあきらめてアッラーに委ねろ、彼らは米軍の仲間だ。法律もいかなる手段も彼らに勝る力は無いと私に言った。でも私はどうしても真実を知りたかった。そこで、ドーラ地区の米軍責任者という大将に会いに行った。大将が事件発生日時と場所を確認してくれたが、彼の指揮下の人たちはその時間帯にその場所を通過していなかった。そして、彼は私にこの事故を起こしたのは特殊警備会社の人である可能性があるが、それは自分達軍の責任範囲外であると伝えた。」
● そして続ける、「その後、事故を起こした責任のある警備会社名にたどり着こうとしたが、できなかった。グリーン・ゾーンや内務省、さらには外国人が宿泊するホテルにまでも足を運んでいくうちに、イラクには何十もの独立した警備会社があり、これら企業は内務省の監視もどこからの監視も受けておらず、会社に問い合わせることも、法的に裁くことも、罰することもできないことが判った。」
〈後略〉
イラクの特殊警備会社 3
2005年05月14日
URL
犯人は誰?
● 2003年4月9日ファルドウス広場のサダム像が倒された日に、米軍は無垢な土地を開拓するチャンスを狙う何十もの民間企業を伴って、バグダッド中心部に入ってきた。まもなく混乱が生じ、治安状況は悪化し、外国人を狙った事件が多発するようになった。このため、イラク復興事業関連企業を守るため、新たな“特殊警備会社”という企業を入れる必要が生じた。
● 特殊警備会社は、イラクで働く人材を誘致するため、世界各国に支店を出した。同様の目的で、イラク国内にも事務所を開設した。
● イラクでは軍事作戦が激しさを増し、それに伴い特殊警備会社の仕事も儲けも増えていった。それも普通の経済活動では考えられないような倍増の仕方をしていった。
● ワシントンポストが今年の初旬に掲載した報道によると、イラクの特殊警備会社の売り上げは2004年に1-10倍に増えた。保険会社も同年同様の率で売上げを伸ばし、イラクで活動する企業や従業員に対する保障も1-10倍まで引き上げられた。
〈後略〉
イラクの特殊警備会社 4
2005年05月14日
URL
● この時点で、我々が知っておかなければならないのは、アメリカの経済発表によると、イラク国内の特殊警備会社に働く外国人従業員は1万人と予測されているということだ。
〈警備会社の収入の詳細と,いくつかの疑問の記述を割愛。次の「そのような問い」は割愛した部分を指す。〉
● もちろんそのような問いに答える数字はイラクのどこの公的事務所にもない。なぜなら、国の“制御外”にあるからだ。この国にはカネの動きを追えるような統一された会計基準も銀行機構もない。国と国民の権利を守るための課税徴税システムもない!!
〈後略〉
イラクの特殊警備会社 5
2005年05月14日
URL
正体不明の犯人が起した事件...
● 特殊警備のキャラバンが起こした事件は数えきれないくらいだが、一部だけでも紹介したい。
● アメリーア地区で、特殊警備のキャラバンが通過した際に発砲があった。キャラバンのメンバーは、周囲を無差別に射撃し、二人の死者と4人の負傷者と2 件の衝突事故を起こし、立ち去った。事故は2005年2月5日に起きた。発砲元は近くで行われていた結婚式場の祝砲だった。
〈衝突され車がひどく破損した事例,威嚇発砲に驚き発作を起こして死亡した老人の事例を省略〉
● バグダッド-ヒッラ間の幹線道路で起きた、イラク国民の車と特殊警備会社のキャラバンの内の一台との間でひどい衝突事故がおき、運転していたイラク国民とその妻が死亡した。
驚くことに、このキャラバンは、もう一台の事故車を顧みることも無く、自分達キャラバンの事故車を急いで牽引し、去っていった!!
● チュニジア地区では、子供が特殊警備の車にはねられ、道に臥したまま放ったかされた。スレーフ地区で被害にあったもう一人の被害者は、重度の身体障害を負わされた。
● これらの事故は、実際に起きている膨大な数の事件のほんのわずかでしかなく、我々はこの現象を前に今一度よく調査研究する必要がある。
イラクの特殊警備会社 6
2005年05月14日
URL
付随的な疑問...
● 爆発物を仕掛けられた車の爆発、無差別に攻撃するロケット弾、銃の乱射や軍の浅薄さにより、過去から現在に至るまで、日々数十いや数千という犠牲者がイラクの路上倒れ、これからも倒れ続けるだろう。一部に、ハッジ・アブダッラやその他の人たちにしても、数十年来イラク国民が払わせられている血の税金の一部に過ぎないではないかという人がいる。
このような発言には、多くの混同と危険が含まれる。正体不明の犯人の犯行と処理されても、人民は人民の権利を放棄しない。加害者の罪が被害者の流した血で洗い流されることもない!!
● では、ハッジ・アブダッラその他多くの人々は、どちらに向かって権利を主張すればよいのか?と聞いてみたい。
● 外国の特殊警備会社の業務が闇に包まれた状況にある中、誰に異議申し立てを起こせばよいのか?
● 内務省や法務省に代表される政府は、このような質問に答えようとしたか?そもそも答えも持っていないのではないか?
● その他、あれこれあるが、どうやってこの現象を封じ込め、特殊警備会社の危険から人々を守ることができるのか?
● 弁護士アブドル・アディーム・アナード氏は、この現象を封じ込めるために、以下のような仕組みを提案する。
「このような事件を解き明かせば、治安情勢の悪化を背景にしていることに突き当たる。
しかし、占領軍の軍事活動と占領により誕生した武装勢力とイラクで営業する特殊警備会社の起こす事故を混同しては誤りに陥る。一番目と二番目を規定する法律は異なる。特殊警備会社が起こす事件はイラク民法に従う。特殊警備会社は武装活動を行ってはいるが、イラクで営業する外資系民間企業に過ぎない。何がいいたいかというと、これら警備会社の起こした事件を軍や武装背力が行ったその他の事件と混同すると、国の公共の権利や個人の権利が失われてしまうということだ。」
よって、被害を受けた国民は、加害側の企業を相手取りイラクの裁判所に損害賠償を求めて告訴する権利があるのだが、ここで問題になるのは、このような事業はまだ国が法律の枠組みに組み込んでいないため、被害者は容疑を誰に向けたらよいのかわからない。」
● アナード氏は続ける、「この怠慢の責任は、私の考えではイラク政府にある。本来ならば、専門の会議所を設けて、国内の全ての警備会社名と国籍、従業員名を登録させる。
それを警備契約のプロセスに組み込むようにして、被害者が警備会社の従業員個人ではなく、責任のある企業に権利を要求できるようにするべきである。」
〈後略〉
この新聞の翻訳のほかにも,ウェブログ「アラビア語に……」さんにはこの方(アラビア語のイラク方言をよく知っている方)が書かれた記事がいくつもあり,それらは「イラク市民レポート」というカテゴリで一括して読むことができます。
今年3月にポストされている「バグダッドは水浸し 1」で,この数十年来なかったくらいの豪雨でバグダードの町が洪水になったことが伝えられており,「長時間停電が続いている」ところに「急に戻った電気で感電死する事故も少なからず発生」といった記述もあります。同シリーズの記事「2」には,バグダードの下水施設は80年代に日本企業が作ったものであること,しかし現在の関心事は雇用創出効果がより高い地下鉄整備事業などであることが説明されています。(その地下鉄計画についてはこちらに詳報。)
当ウェブログでは,英米のジャーナリストや支援活動をしている人たちの記事を中心にご紹介していますが,イラクの人がイラクの人のためにアラビア語で書いたパチャーチの党の新聞の記事は,英米の人が英語で書いた記事とは少し違う感触があります。イラクは,いわゆる「先進国」としては数えられていなかったし,90年代は経済制裁で世界のそのほかの部分からは切り離されていたけれども,高度に工業化されていた国です。日本や英国などと同様,夫婦喧嘩の発端が「シャツにアイロンがかかってないじゃないか」だったりする国です。そんなことが改めてよく伝わってきました。そして,イラクの人々が具体的にどう考えどう動いているのかも。
*1:
アドナン・パチャーチ:
現在81歳かそれ以上(<はっきりしないのは私が調べてないから)。1968年のバアス党クーデター/革命の前に外務大臣を務めていたが,サダム・フセイン政権成立後イラクを離れ,英国などで生活。2003年,サダム・フセイン政権崩壊後の5月にイラクに戻り,セキュラー・ムスリムの「独立民主運動」という政党を立ち上げた。2005年1月の選挙では得票が伸びず。なお,バグダードで映画学校を立ち上げたメイスーン・パチャーチは,アドナンの娘。(ちなみに,私が「アドナン・パチャーチ」の名前を覚えたのは,反占領のイラク人のウェブログ(複数)によく名前が出てくるため。)
投稿者:いけだ
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