コンラッド『闇の奥』と映画『アラビアのロレンス』(Faiza blog, 21 May 2005)
A Family in Baghdad
Saturday, May 21 st, 2005
http://afamilyinbaghdad.blogspot.com/2005_05_22_...
似たようなできごとが同時に起こり,あるひとつの問題を提起することがあります。
古い,けれども西洋ではとても有名な小説を読んでいました。著者はジョゼフ・コンラッド,ポーランド系英国人です。小説のタイトルは『闇の奥(the Heart of Darkness)』*1,1899年に発表されたものです。
この小説のなかでコンラッドは,ほかの文明,とりわけ植民地に対する白人のメンタリティを語っています。小説の舞台はアフリカです。そしてアフリカは英国が占領していました――英国は「我々は慈悲と科学と知識と文明を,無知な民族(nations)にもたらす」というスローガンを掲げていました。彼らはこれら惨めな(miserable)国々の富を漁り,無慈悲にも,そして科学も進歩もないまま,飢えと病と蒙と闇の中に置き去りにしていたのに。
これが貧しい国/民を見下しその血を吸う,資本主義ないし帝国主義の使命なのでしょうか,自身では世界に対する使命は,進歩と科学と慈悲をこれらの国々にもたらすことであると宣言しながら?
これがこの小説での作者コンラッドの考え。
なるほど。こういう話は私たちにはおなじみのものじゃありませんか?
特にイラクの私たちにとっては?
不正義を為す独裁者からの救済と慈悲,そして民主主義と進歩を人々にもたらすという理由で,私たちに対する戦争が行なわれたのでは?
コンラッドは,珍しいほどに率直な態度でこのことを描いています……彼はいかにして西洋のメンタリティを引き継ぐことなく書けたのでしょう? 私はこれは,優れた芸術家の特性だと思います。嘘やごまかしなく,物事を抽象化して見るという。
コンラッドは,この小説の主要な登場人物の口を借りてこう言っています――その人物は自身の意見の中でこう言っています。「我々(つまり白人)は,既に進歩を成し遂げており,彼ら(野蛮人)には超自然的生物であるかのように見えるはずである。我々は彼らを力で統べるべきである,神々の力のように……そして我々の決意をもってすれば,決して倒れぬ力を作り出すことができよう……」
このすばらしい部分を読んで,私は,威厳というものに支配された空想上の偉大さというものを経験しました。私は頭がぼうっとしました。これは不倒のレトリックの力……ことばの力,高貴にして燃え盛るようなことばの力です……。現在のアメリカの政権の指導者たちのことを思い出させます。高貴にして燃え盛るような,淀みない弁舌。
小説の中でこの淀みない演説をしてみせるこの熱意ある人物は,慈悲と科学と進歩という隠れ蓑をかぶってアフリカにやってきたのです。しかし彼は象牙の密輸で財を成し,自宅のフェンスにアフリカ人の頭蓋を――自分が「反乱者」と呼ぶアフリカ人の頭蓋をつけている。
10年前にこの小説を読んでいたら,何の意味も汲み取れなかったでしょう。けれども,イラクに対する戦争が行なわれ,西洋とそのメンタリティに直にさらされている今,私はコンラッドをずっとよく理解しています。同じメンタリティが今でもまだあることを,私は知っています。
そしてキプリング(コンラッド同様,英国の作家です)が書いた有名な寓話にあるように,「東は東,西は西,両者は決して相まみえることはない」*2……コンラッドが小説で書いているのは,「いや,両者は相まみえる,しかしそれは醜悪なかたちをとり,不公平な関係となる。そして搾取と富の略奪が行なわれる」
つまり,主人と奴隷の関係……。
私たちは21世紀にいるというのに,この方程式は変わったのでしょうか?
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コンラッドを読んだ後のことですが,昨日アラブの衛星放送で映画『アラビアのロレンス』を見ました……この映画にもやはり同じ,病んだ西洋のメンタリティを感じました。つまり,白人は蒙を啓くためにやってきた,蒙き人々に光を与えるためにやってきたのだという考えを「売り出す(market)」ことを求めている。
ロレンスのかの有名な日記,『知恵の七柱』は,バグダードにいたころに既に読んでいました。何ヶ月か前にこれについてこのウェブログに書いています。その時私は,ロレンスはとても正直な人だと,アラブの人々を愛し,オスマンの支配に対する革命を助けた,と書いています。しかし彼は英国政府を恥じていた。政府は彼を裏切り(letting him down),アラブを弄びました。口ではオスマン帝国が倒れた後,第一次大戦後のアラブの独立を約束しながら,その口約束を撤回し,アラブ諸国を占領し,彼らを独立させなかった。
こんなことをして,彼らは恥というものを感じなかったのでしょうか? 嘘をつき,約束を反故にして,どうして信頼などされるでしょうか? 彼らはこれを頭のよさ,知性と見るのでしょうか?
私たちはこれは大きな欠陥と見ます。そしてレスペクタブルな人間の特徴であると。
今日,西洋の指導者のひとりが,モラルとか原則とか人権といったものについて語っているのを聞きました。笑えますね。これらの人間をどうやって信用しろと? どうしてこんなにも変わり身が早いんでしょう?
私にはわかりません……。
話を映画に戻しましょう。
この映画は古いもので,私は若い頃に見ていると思います。そしてほかの人々と同じように,映画に描かれていることを信用していました。
けれども昨日見たときには,ただもうびっくりしてしまいました。
この映画には数え切れないほどの嘘があります。悲しむべきは,映画の中で重要な役を演じているオマー・シャリフ(→参考)が,こんなに嘘だらけな映画になることにどうして反対しなかったのかということです。
きっと彼には2つの選択肢があったのでしょう。原則を貫き,映画の中のあれこれの嘘を修正しない限りは出演を拒否するか,あるいは原則など忘れて国際派俳優になるか。だってまたとないチャンスですから。
彼はが選んだのは,意見と愛国心(patriotism),そして監督もしくはプロデューサーの見方を修正することではなく,名声とお金だったようですね。
ロレンスの書いた日記では,ロレンスはアラブについて真実を語っています。アラブの流儀,他人に対する扱い,愛国心,正直さ……ロレンスの日記には,軽蔑とか侮蔑といったものは一切感じられません。彼はファイサル王子,その父親のアル=シャリーフ・アル=フセイン・ビン・アリ,アブドゥラ・ビン・アル=フセイン王子といった,当時のアラブの指導者たちとの会合のことを書いています。さらに,イラク人やシリア人らナショナリストとの会合もしています。彼らのほとんどはトルコ軍にいたことがあり戦闘技能や諜報技能があり,トルコからの独立という野心があり,協力して進めるプランを多く有しており,英国から武器を調達してもらえないかとロレンスに依頼しています。彼らの準備は整っていました……。
しかし映画では,ロレンスだけが唯一のヒーローとして描かれています。ロレンスがすべての軸であった,と。
また,映画では,どこかの部族の井戸の水を飲んだからといって殺される人がいます……まったくのでたらめ。
砂漠の部族は見知らぬ人を称えるのが通常です。3日間はその人を歓待します。通りすがりに井戸の水を飲んだからといって殺すのではなく! 水や火や家畜の放牧で必要な草の利用について,ベドウィン(ノマドとも言います)にはルールがあります。そして私たちは誰でもそれを知っています。水も火も草も共有のものです。誰かが独占するのではなくみんなで使うものです。
それから,アル=フワイタアト族(Al-Huwaita'at Tribe)とその族長,Ouda Bu Tayeehのくだり……映画では彼は盗賊として描かれています。原理原則を持たず物質的利得をのみ見て,オスマンの占領に対して戦うことなど考えてもおらず,支払われることになる金貨のことだけを考えている人物として。
映画の中の多くのできごとが「ラム」谷を舞台としています。私は「ラム」谷("Rum" valley:ワディラムのこと)出身の家であるヨルダンの友人に,水や井戸についての慣習がどうなっているか,また,ヨルダンでのOuda Bu Tayeehの評判についてを訊いてみました。その友人は,「あの映画は信じちゃだめよ,あれもこれも全部嘘だから。Bu Tayeehは清廉潔白な人物と言われているわ。寛大で愛国心の強い人だったそうよ……みんな彼のことも彼の部族のことも尊敬してるのよ」と言っていました。
というわけで,ここでまたメンタリティのことを考えてみます。映画のプロデューサーまたは監督が,アラビア半島での経験を綴ったロレンスの本を読んだとき,彼らは自分たちのメンタリティに従って話を解釈しました。だから彼らは,このような馬鹿げた見方の中で映画を作り上げた。真実とか現実とかからはまったくかけ離れた映画を。
映画の1場面にこんなのがあります。砂漠の中をアカバへと向かって進みつつ,彼らは人員をひとり失いますが,誰も彼を助けるために戻ろうとはしません。するとロレンスが彼らに断固反対し,ひとりで戻ります。そしてさまざまな危険を乗り越えて,最後には残された人を連れて戻ってきます。
これは,アラブを残酷で慈悲を知らぬ者として,愚かで,交渉の余地のない運命には唯々諾々と従う者であると描写するものです。つまり,奴らの脳みそは怠惰である,話し合うことなどできないし,何かを変えようと努力することもできない,と。
一方で白人,ヨーロッパ人は,慈悲を知っており,物事に対処するに理性を有する,と。
テントで作った基地と部族の暮らすテントにトルコによる空襲が加えられたときには,ファイサル王子は馬にまたがり,剣を振りかざして迫り来る飛行機に向かって叫びます。あたかも剣で戦うつもりであるかのように。こんなことがありうるでしょうか?
私たちはここまでナイーヴで馬鹿なのでしょうか?
それから,別のシーンですが,ファイサル王子が米国人ジャーナリストと話をしている場面。彼は「犠牲者が大変多く出ている。それは我々は負傷者を運んでこないからだ。我々は負傷者を戦場に置き去りにするが,それで彼らは死んでしまう。というのは,我々とオスマン側との間には戦争捕虜に関するジュネーヴ条約は結ばれていないからだ」と語ります。
一体どうして「ジュネーヴ条約」が?
国際法・人権・ジュネーヴ条約について最近読んだ本によると,ジュネーヴ条約が形をなし承認されたのは1949年です。戦場での負傷者を守るための条約で……ああそうです,確かに発端は1864年のスイスでのジュネーヴ会議です。けれども,発効したのは1949年です。つまり,第二次大戦後。
映画『アラビアのロレンス』の中の出来事は,1916年から18年の間のこと(第一次大戦中)です。
また,映画の最後のところですが,彼らはダマスカスに到達し,アラブの指導者たちは,シリアの帰属と大権をめぐって内紛を起こしています(アリ王子とアル=フワイタアト族のOuda Bu Tayeeh)。するとロレンスが「しのごの言うんじゃない,我々はアラブであるとどうして言わないんだ」と一喝します……。
おもしろいですね……どうして話が逆になってるんでしょう?
私たちの歴史が,そして父祖が,私たちをばらばらにしたのは英国だと語っているのですが。私たちを征服するためにばらばらにしたのだ,と。
「スンニ派アラブ人」「シーア派アラブ人」「クルド人」なんてイラクをばらばらにしたのは,今の占領軍ではなかったですか? 彼らが2003年に入ってきてからの数ヶ月でそうしたのではなかったですか?
私たちは,私たちの誰もが,自分たちはイラク人であると考えているのに?
「あなたはスンニ派ですか,シーア派ですか? アラブ人ですか,クルド人ですか?」――私たちがイラク国外に出ると,こんな馬鹿げたことを質問されるようになりました。こんなこと,いまだかつてなかったことです。
私たちにこんなことをしたのは誰です??
これは生の歴史です。バグダード陥落以降私たちはその中を生きている……本や映画で教えてもらった歴史じゃありません。
私たちは生の歴史を生き抜いています。そして毎日毎日,その苦さを味わっているのです……。
ロレンスの日記には,アラブに対する馬鹿げた否定的な言辞は,書かれていないと思います。私は彼の本は一度ならず読んでいますが,私はロレンスの中に,他に対する優越というメンタリティをまったく感じ取ることはできないのです。
映画版の『アラビアのロレンス』はプロデューサーか監督が発明したものです。退屈にならないように,そして特別な魔法を付け加えるように……西洋流に。
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# posted by faiza @ 11:01 PM
Translated from Arabic into English by May/Baghdad.
translated from English into Japanese by nofrills
【訳注】
*1:
言うまでもありませんが,フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』はこの小説を翻案したものです。『闇の奥』は中野好夫さんの翻訳が岩波文庫から出ていますが,原文はe-text化されていて,オンラインで読めます。
・etext.lib.virginia.edu
・www.georgetown.edu
・www.bibliomania.com
・www.sas.upenn.edu
・gaslight.mtroyal.ca
*2:
ラディヤード・キプリング(1865-1936)は『ジャングル・ブック』で知られる英国の作家……というのがお決まりの人物紹介ですが,このフレーズは『東と西のバラード』(1899)の最初の部分(→参考)。
補足:
コンラッドの部分……まず,日本語が非常にわかりづらいことになっているであろうことをお詫びします。
Faizaさんが書いているのはもちろん「クルツ」のことで(映画『地獄の黙示録』ではマーロン・ブランドが演じた役),彼の「弁舌」の部分は,原作では次のように書かれています。(出典=ヴァージニア大学のe-text,122~124ページ)
The original Kurtz had been educated partly in England, and -- as he was good enough to say himself -- his sympathies were in the right place. His mother was half-English, his father was half-French. All Europe contributed to the making of Kurtz; and by and by I learned that, most appropriately, the International Society for the Suppression of Savage Customs had intrusted him with the making of a report, for its future guidance. And he had written it, too. I've seen it. I've read it. It was eloquent, vibrating with eloquence, but too high-strung, I think. Seventeen pages of close writing he had found time for! But this must have been before his -- let us say -- nerves, went wrong, and caused him to preside at certain midnight dances ending with unspeakable rites, which -- as far as I reluctantly gathered from what I heard at various times -- were offered up to him -- do you understand? -- to Mr. Kurtz himself. But it was a beautiful piece of writing. The opening paragraph, however, in the light of later information, strikes me now as ominous. He began with the argument that we whites, from the point of development we had arrived at, 'must necessarily appear to them [savages] in the nature of supernatural beings -- we approach them with the might of a deity,' and so on, and so on. 'By the simple exercise of our will we can exert a power for good practically unbounded,' etc., etc. From that point he soared and took me with him. The peroration was magnificent, though difficult to remember, you know. It gave me the notion of an exotic Immensity ruled by an august Benevolence. It made me tingle with enthusiasm. This was the unbounded power of eloquence -- of words -- of burning noble words.
また,クルツの家のフェンスの「土人の首」(<あえてこの表現を使います)については,原作では次のように書かれています。(出典=ヴァージニア大学のe-text,132~133ページ)
You remember I told you I had been struck at the distance by certain attempts at ornamentation, rather remarkable in the ruinous aspect of the place. Now I had suddenly a nearer view, and its first result was to make me throw my head back as if before a blow. Then I went carefully from post to post with my glass, and I saw my mistake. These round knobs were not ornamental but symbolic; they were expressive and puzzling, striking and disturbing -- food for thought and also for vultures if there had been any looking down from the sky; but at all events for such ants as were industrious enough to ascend the pole. They would have been even more impressive, those heads on the stakes, if their faces had not been turned to the house. Only one, the first I had made out, was facing my way. I was not so shocked as you may think. The start back I had given was really nothing but a movement of surprise. I had expected to see a knob of wood there, you know. I returned deliberately to the first I had seen -- and there it was, black, dried, sunken, with closed eyelids -- a head that seemed to sleep at the top of that pole, and, with the shrunken dry lips showing a narrow white line of the teeth, was smiling, too, smiling continuously at some endless and jocose dream of that eternal slumber.
『アラビアのロレンス』に関しては,スレイマン・ムーサの『アラブが見たアラビアのロレンス』が日本では知られているかと思いますが,Faizaさんの記述はスレイマン・ムーサの著書の論点とも異なっています。つまりT.E.ロレンス本人についてではなく,デイヴィッド・リーンの大作映画についての記述ですが,Faizaさんの記述を読んでいて,私は,米ソ冷戦時代の日本を舞台にした『007は二度死ぬ』で,潜入工作員の訓練で手裏剣を投げてたのを思い出さざるを得ませんでした。(007はお笑い/娯楽映画であって,『アラビアのロレンス』と比べてはならないかもしれませんが。)
投稿者:いけだ
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