サマラには援助団体が入れない(IRINレポート)
サマラには援助団体が入れない
Aid agencies unable to enter Samarra
Report, IRIN, 22 March 2006
原文:http://electroniciraq.net/news/2315.shtml
バグダード発――援助団体(複数)は、米軍とイラク軍の大規模な作戦が進行中のイラク中部の都市サマラに入ることが妨げられていると述べている。
「日曜と月曜に送り出した私たちの車は、米軍によって、市に入ることを妨げられました。市内からの情報によると、一般の家族たちには食料も電力も持ち運びのできる水もない状態です。何しろ家から出ることができないのですから」と、イラク赤新月社(IRCS)のスポークスパーソン、アブデル・ハミードは語る。
これにより、数百という世帯が、医療面での援助や食料の供給なしになってしまっていると彼らは言う。
「自体に何も関係のない人たち、特に子供たちが、サマラ市内およびサマラ外周部で、供給がないことで大変な思いをしています」と、the Monitoring Net of Human Rights in Iraq (MHRI)のディレクターであるムハンマド・アル=ダラージは語る。
「米軍とイラク軍は、メディアだけでなく地元のNGOも入れないようにしています。市内で起きている人権侵害の実態がつかめません」と彼は続けた。
アル=ダラージによれば、3月16日に作戦が開始されて以降、首都バグダードの北約120キロに位置するサマラ市からは、一般市民は誰一人として出ることを許されていない。米軍とイラク軍の奇襲隊は、サマラ一帯の反乱者を一掃するために、この作戦は必要なものであると述べている。
「私どもが知らされたところによると、軍は男性を尋問のために連行してしまい、家には女性と子供だけが残される。残された女性や子供は恐怖し、物資の補給を切望しています」とアル=ダラージは語った。
1,200世帯近くがバグダードに避難してきて、空き家となった建物や臨時につくられたキャンプで暮らしている、と、モニターしている地元のNGOは説明している。彼らの中でこれまでに援助を受けた者はほとんどない。
サラフディン県にある地域病院の救急科勤務の臨床医、イブラヒーム・マフムード医師は、市内の住民たちから電話が来ており、路上に死体があるとか、手当てを受けられない怪我人がいると聞いていると述べている。
「彼らは絶望していますが、あそこから連れ出すこともできません。私どもが聞いている情報によると、女性や子供も犠牲になっているとのことです」とマフムード医師は語った。「子供たちが病気になって、慢性の下痢など深刻な胃腸の症状を示しているとの報告です。」
3月17日以降、空からの攻撃による負傷で、地元の病院で手当てを受けた人は40人を超え、遺体は22体、病院に運び込まれている。
イラク内務省では、金曜日に作戦が始まって以来、今のところ一般市民の死傷者の報告はなく、80人の反乱者が身柄を拘束されたとしている。「イラク治安部隊にも一般市民にも連合軍部隊にも、1人も死傷者は報告されていない」と米軍のプレスサーヴィスは述べている。
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サマラとは別ですが、昨年11月、ハディーサで反乱勢力が路上爆弾を仕掛け、米軍との戦闘が起きたときに死亡した15人の民間人について、米軍が「反乱勢力によって殺された」と説明していたのが、実は彼らは米軍の攻撃で死亡していたことを示す証拠が出された、という報道が、週末のTIME誌でありました。
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1174649,00.html
亡くなった15人のうちの7人が女性、3人が子供で、どうやら路上爆弾で米軍兵士に犠牲が出たあと、そのエリアの家に発砲しまくったようです(住民の証言による)。1月にTIME誌が証人28人(亡くなった人々のご家族・ご遺族や米兵)に話を聞いて、米軍の攻撃で死んだのではないかと軍に話したところ、軍が調査を開始し、その結果、彼らは米軍の攻撃で死んだということがわかったそうです。
今回もまた、米軍はいつものような弁解をしています。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4827424.stm
Riverbendは次のように述べています。
3年の時と、爆弾と「衝撃と畏怖」の悪夢は別の種類の悪夢を生み出した。今とあの時の違いは、3年前私たちはまだ物質的な心配ができていた。財産や家、車、電気、水、燃料・・・今、私たちを苦しめ不安にさせているものは何かを明らかにするのは難しい。どんな徹底した戦争反対論者でも、戦後3年の今日、イラクがここまでひどい状態に陥るとは予測もできなかった。
――Riverbend、2006年3月18日(翻訳は山口陽子さんによる)
投稿者:いけだ
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