イラクのブログ――Riverbendが「ブログ大賞」受賞/Aunt Najmaの学校に迫撃砲攻撃
2001年から毎年開催されているthe Bloggies (TM) のAnnual Blog Awards(年間最優秀ブログ賞)、2006年発表の第5回(2005年末に一般推薦&投票&選定)で、RiverbendのBaghdad Burningが、「中東・アフリカ部門」の「最優秀賞」に選ばれました。
下はBlog Awardsサイトのキャプチャ画像。賞品提供のスポンサー名の方が目立つレイアウトですが。。。
http://2006.bloggies.com/
私もRiverbend blogには投票してたので単純にうれしいです。(でも英国関係で投票したブログは受賞を逃しました。残念。)
Riverbendには賞金£10(2000円くらい)と、$200相当のウェブデザインが贈呈されるそうです。
ちなみに、第4回(2005年)の「中東・アフリカ部門」はSalam Paxの旧ブログ(Where is Raed?)が大賞、Faiza blog(A Family in Baghdad)がノミネート。その前年の第3回(2004年)もSalam Pax blogが大賞、Riverbend blogがノミネート。(その前は「中東・アフリカ部門」はありません。)
2002年からやってるSalam Pax blogは別格として(いやー、あの当時は「Salam Paxは実在するのか?」なんて騒ぎにもなりましたね)、2003年夏から2004年にかけて「イラクのブログ」はブームの様相を呈し、一瞬だけですが米国から「言論の自由のシンボル」として扱われ、見る間に100を超える「イラク人による英語ブログ」ができました。
英語で日記を書けるということは、彼ら/彼女らが「ごくふつうのイラク人」ではないということかもしれないけれど、それでも英語ブロガーたちがいなかったら、うちらは昔どおり、大方はマスメディアの伝える範囲でしか状況を知りえなかった。メディアの記者のいない場所のことは知らされることなく、カオスの只中にある人は、『ホテル・ルワンダ』の主人公のように、外国のジャーナリストに「世界に伝えてください。そうすれば……」という思いを託すしかなかった。2000年代に入って、言語の壁は今でも変わらずそこにあるけれど、それでも職業ジャーナリストがいかない所の情報は入ってこないというのは、100パーセントのことではなくなった。(むろん、ジャーナリストもブロガーもいない地域というのはたくさんあるのですが。)これは大きなことだと思います。
なお、最初のイラク・ブロガー、Salam Paxがblogger.comを使っていたせいだと思いますが、「イラクのブロガー」は9割以上がblogger.comユーザーです。blogger.com(Googleに買収される前でしたが)も彼に協力的で、トラフィックの急激な増加にも対応できるようにしたりしてたので、心象がよかったのかもしれません。それと、Where is Raed?の最初のころはアルファベットしか通らなかったのですが(Raedが「っつか俺ら英語で話してるのおかしくね?」とブログ上で言ってた)、ほどなくしてblogger.comが文字コードをUTF-8にして2バイト文字(アラビア文字含む)が使えるようになりました。今はblogger.comを利用したバイリンガルのブログもあり、アラビア語だけのブログもあります。
Iraq Blog Countによると、現在の「イラクのブログ」は延べで200くらいです。(でも、定期的に更新されているのは100ないかな。)
Riverbend blogはそれら「イラクのブログ」の中でも“古参”(2003年夏開始)で、しかも数あるブログの中でも有数の内容の濃さをずっと維持しています。
単純に「Riverbendすごいー、おめでとー」と言いたい気分です。
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「イラクのブログ」については、更新がありそうなものをピックアップして「はてなRSSリーダー」に登録してあります。更新されたブログの記事の出だしの数百字分が、この1箇所で読めます。みなさまもどうかご活用ください。
http://r.hatena.ne.jp/teanotwar/
※量が多かったので、一部、更新停止になってるのにうっかり登録しちゃっています。もしまた更新されたら私が読みたいからという理由で登録したものもあります。登録時にRSSが読み込めなくて登録できてないものもあります。そのうちにまた整理します。
このRSSリーダーには、ある意味、Riverbend以上に「イラクのアンネ」に近い(特に年齢が)モスルのAunt Najma(筆名)のA Star from Mosulなど、70以上のブログを登録してあります。
# それにしても、イラクでみっちり教育を受ける高校生の英語は何でこんなにきれいなんだろう。>モスルのAunt Najma
そのモスルのAunt Najmaの最新記事はちょっとショッキングです。
まず、ある晩家にかかってきた電話で、大叔父さん(お母さんのおじさん)の死を知らされます。大叔父さんは70代後半で、帰宅途中に米軍に撃たれたそうです。何発も発砲を受け、腕と首と胸に3発が命中し、亡くなったそうです。米軍は謝罪した(sorryと言った)そうです。
翌朝、フランス語の試験を控えて早起きしたAunt Najmaは、悲しいという気持ちよりむしろショックを感じつつ、試験勉強をしてから、出勤するお母さん(モスル大学の先生)と妹たちと一緒にタクシーで学校に向かいます。
タクシーを降りるとどこか様子がおかしいことに気づきます。学校に入るとみんな泣いている(それすらも特に珍しくはないのだそうです)。友達のひとりが「爆弾が云々」と喋っているのを聞いて、Aunt Najmaは事態を飲み込みます。実際には迫撃砲と思われるものが1発、学校に撃ち込まれたのでした。学校は臨時休校、生徒は即帰宅。校長先生の話では、近くにある警察を狙ったものかもしれないとのことですが、それも定かではない。
彼女の学校の旧校舎には、最近、別の学校(宗教学校)の生徒たちが移ってきていて、それでも生徒が入りきらないので、彼女たちが学んでいる新校舎にも生徒が来ている、さらに昼には男子の学校の生徒たちも間借りしにくる、という状態で、彼女の学校は相当混雑しているようです。
Aunt Najmaは「自分は爆発のあったときにはその場にいなかったのだから、爆発が特に恐かったということじゃない。ただ、私たちが標的にされたということがわからない。公立の女子進学高と女子宗教学校を攻撃するなんて、彼らはいったい何を考えてるんだろう? あと、『彼ら』って誰なんだろう?」と結んでいます。
そのあと、同じ学校の友達のブログ(モスルの女子高生ブロガーズ)とお母さんのブログの記事へのリンクがあります。(Aunt Najmaのところは家族ブロガーでもある。)
お母さんの記事には、大叔父さんの死についてより詳しく書かれています。大叔父さんは78歳。車の中で撃たれて死んでいるのを、イラク警察が発見し、大叔父さんが所持していた携帯電話の一番上の番号に連絡した。(Aunt Najma blogによると、電話を受けたのがAunt Najmaのいとこで、数日後に結婚式を控えた女性で、「死んだ」ということまでは知らされなかったそうです。ということは、推測ですが、電話に出たのが若い女性だったことで警察官には「撃たれた」とまでしか伝えられなかったのかもしれません。そして亡くなった老人の名前や住所を確認し、同居家族に伝えた。。。いずれにしても痛々しいことです。)
またコメント欄より、当日大叔父さんの家の一帯で米軍とイラク警察による検査があり、大叔父さんの妻と娘が車のところまで連れて行かれて(おそらく身元確認のため)、米軍から「ミステイクだった」と説明を受けたとのこと。
コメント欄ではアメリカ人から「マケイン上院議員にメールしました」といったコメントも寄せられています。
投稿者:いけだ
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