米軍家族が援助を持ってきた
米軍家族が援助を持ってきた
ダール・ジャマイル
2005年1月7日
原文
アンマン発1月7日(IPS)----イラクで殺された一部の米軍兵士の家族は、侵略2周年の日に大きな抗議行動を計画している。「軍人家族は声を挙げる」というグループで、3月19日米国ノースカロライナ州フェイエットヴィルでデモを行う予定である。
現在までに、1340人の米軍兵士がイラクで殺された。
「全世界が我々はこの戦争と不法で不正なイラク占領を拒否すると言っているというはっきりとしたメッセージを送るために、私たちは、世界中の平和運動に関わる同胞たちと協力します」と言うのは、最近アンマンを訪問した同グループ使節の一人である。
この使節はイラクで命を落とした米軍兵士3家族のメンバーからなっている。彼らは、一員を失ったさらに多くの家族から支持を得ていると語る。
このグループは、アンマンの国連事務所前で大晦日にろうそくをともして平和ビジルを行なった。1月1日、別の平和ビジルを行うために同使節はイラク国境を訪れた。
カリフォルニア州エスコンディトのロサ・スアレスは、「私にとってこの使節は、イラクの人々に共感と支持を表明する方法なのです」と語る。息子のヘススは2003年3月27日、イラクで死んだ。「イラク戦争は私の息子の命を奪いました。そしてイラク戦争はあまりにたくさんの罪のないイラク人の命を奪いました」と彼女はIPS通信に語った。「殺害をとめ、イラクの子どもたちを助けるときが来ているのです」。
ロサと夫のフェルナンド・スアレスは、イラクの子どもたちに向けられた医薬品をスーツケース3個分持ってきた。「イラクに薬を提供するキャンペーンを続けたいと思っています」とフェルナンドはIPSに語る。「戦争が今日終わるわけではないので、これは大切です。イラクの子どもたちにはさらなる援助が必要なのです」。
この使節は米国に本部を置く組織「グローバル・エクスチェンジ」と「コード・ピンク」の支援を受けている。9月11日の攻撃で親族を失った人々からなるグループ「平和な明日を求める家族」のメンバーも使節団に参加した。「私たちは人間の家族の一員なのです」とグローバル・エクスチェンジの創設者でコード・ピンクの共同創始者でもあるメディア・ベンジャミンは言う。「殺人をとめるときが来ています」。
ヨルダンへの使節は、イラクの人々に向けた60万ドルの支援を集めた。支援金と医薬品は、大部分が、インターネット上のアピールを通して集められた。グループはイラク人ボランティアに資金の寄付と支援物資の提供を頼んでいる。「米国大統領選の数週間後に行われた世論調査では、米国人の大多数がイラク占領に反対しています」とベンジャミンは言う。「ですから私たちは米国人の多数派を代表しているのです」。
子どもたちのための医薬品とおもちゃの山の向こうから、彼女は「私たちはイラクに医薬品を提供するためにここにいます。そしてその大部分は既に送られました」と語った。
使節に合流したバグダードの薬剤師インティサール博士は、IPSに対し、「占領はイラクの人々を助けるのではなく傷つけています」と語る。治安状況のため、イラク保健省は人々を助けることができていないとも彼女は語った。
「米国人家族の使節を含め、イラク人に援助を提供するすべての国際組織に感謝します」と彼女は続けた。「これらの家族は私たちと全く同じ苦しみを味わっています。アメリカ人であろうがイラク人であろうが、これ以上血が流れることは止めたいのです」。
ラナとだけ名前を述べたイラク人女性は、コード・ピンクの人道活動家として支援を提供することができたと語る。「輪脚はバグダードにいるコード・ピンクの友人の一人から寄付を受け取りました」と彼女は言う。また、米軍兵士が彼女を手伝ったとも。「ここにいる家族の息子たちのような、一部の善良な米兵が私を助けてファルージャに入れてくれました」と彼女は語る。「私は毛布と暖房、食料をファルージャの家族に運びました」。
投稿者:益岡
2005-01-10 21:27:29
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