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2005/01/23

殺された人々の家族は連帯する

2004年12月25日、米軍家族がファルージャ難民を支援という短い記事を本ブログで紹介し、7日付のダール・ジャマイルによる関連記事も紹介しました。同じジャマイルの11日付続報記事を紹介します。

殺された人々の家族は悲しみ----そして怒り----の中で連帯する
ダール・ジャマイル
2005年1月11日
DahrJamailIraq.com原文
原文

アンマン発1月11日(IPS)----フェルナンド・スアレス・デル・ソラルの息子ヘスス米軍海兵隊上等兵がイラク侵略のときに死亡してから2年近くが経つ。

父親の悲しみは今も深いが、彼は、復讐の気持に屈するのではなく、イラクの子どもたちに医療援助を届け、また、不正で誤ったものであると信じるこの戦争に反対の声を挙げることを選び取った。

スアレスには怒る権利が十分ある。最初、米軍で最初の犠牲者の一人である息子は2003年3月27日、頭部に銃撃を受けて殺されたと伝えられた。その後、スアレスは、20歳の息子は地雷により殺されたと言われた。

さらにあとになって、ヘススの部隊に軍属しているABCの記者が確認した情報に基づき、スアレスは、息子が死んだのはクラスター爆弾の不発ボムレットを踏んだからであると知った。多くの人が、クラスター爆弾はジュネーブ条約のもとで不法な武器であると論じている。

昨2004年12月の末、ヨルダンのアンマンでスアレスは、アラブ人権協会を前に、「このことから、私は、アラブ人であるかメキシコ人であるか米国人であるかにかかわらず、一緒に活動することができるという教訓を得たのです」と語る。「死んでいった人々の血によって、米国の腐敗した政府に反対する私たちは団結すべきなのです」。

同意を示してうなずくアラブ人参加者もいた中、スアレスはさらに「私の人々の名において許しをお願いしますが、それだけでは十分ではありません。これを終わらせるために何かすべきです」と行った。

カリフォルニアで集めた医薬品で膨れ上がった3つのスーツケースを持って、スアレスは妻とともにイラク人特に子ども----占領下で苦しみ命を落としていっている----を助ける使節の一員としてヨルダンにやってきた。

人権団体「グローバル・エクスチェンジ」とロサンゼルスを拠点とする平和団体「コード・ピンク」の支援を受けた使節には、イラクで愛する人々を失った家族が他にも2家族と、米国における2001年9月11日のテロ攻撃で息子を失った女性も参加している。

親族を暴力で失ったイラク人と使節との会合では感情が高まり、多くの人々が泣き出した。息子のヘススが十代のときに米国に移住してきたスアレスも泣いた。

「我々の子どもたちはイラクに行きたくないのにむりやり行かされたということをわかって下さい」とスアレスは言う。「生きるか死ぬかの状況だったこともあるでしょうが、だからといって人々を助けないことや収容所での虐待が正当化されるわけではありません。私たちが持ってきた薬は、おそらく、100人の子どもが生き延びるのを助けるでしょう。けれども、イラク全体が生き延びることを支援するために活動します」。

その後の、イラク家族とのもう一つの会談で、スアレスは、ファルージャから来たあるシャイフ----コミュニティの宗教的指導者----の話しに耳を傾けた。彼は、その前の週、自宅で娘婿が米軍兵士たちにより処刑されたと語った。

自らの身の安全のために名前を伏せることを求めたこのシャイフは、大きな危険を背負い込みながら、自分の身に起きたことを語るためにアンマンにやってきた。娘婿が処刑されたのは米軍による家々の襲撃捜索のときで、彼の妻は隣室にいたと彼は言う。後になって、米軍はシャイフに、自分たちは間違った人物を殺したと告げた。

髭を蓄えたシャイフは、一方の手に娘婿の写真を、もう一方の手に小さな女の子二人の写真を掲げながら、「この男は先週末に殺されました。そしてここにいる二人の子どもは、二度と父親の顔を見ることはできないのです」と語った。

「今この時から、私たち全員が教訓を学ばなくてはなりません。すべての人々にとっての真実という教訓を。大統領により嘘をつかれる国民に、そしてその嘘を手助けするメディアに、真実を」とシャイフは続けた。

涙を拭くために少し時間を取ったあと、スアレスはグループに向けて語った。「私たちはここで悲しみの中で一つになっています」。「私たちの生活の一部を失った苦しみ〔・・・・・・〕私が何を言っても、皆さん一人一人の苦しみが変わるわけではありません。けれども、私たちが被った苦しみを他の人々が被ることのないようすることはできるという希望を持っています。今日お会いできたことに感謝します。皆さんは全員私の家族です」。

しばらくの間、部屋にいた誰も、話すことができなかった。最後にシャイフが言った。「心の底からの、その言葉に感謝します」。

「イラクに薬を提供するキャンペーンを続けたいと思っています」とフェルナンドはIPSに語る。「戦争が今日終わるわけではないので、これは大切です。毎日、犠牲者が増えています。イラクの子どもたちにはさらなる援助が必要なのです」。

スアレスと使節がもたらす総額60万ドルの医薬品と支援金は、少なくとも1万人のイラク人に救援を提供することになると推定されている。その多くは、国境地帯の難民キャンプにいる女性と子どもである。

スアレスには、自分とシャイフのような人々との間にある悲しみの絆が連帯と行動の基盤であることがわかる。

「イラクの家族が私の話を聞き、息子が死んだことに耳を傾けたとき、彼ら彼女らの心が開かれ、私はとても美しい歓迎を受けることができたのです」と彼は説明する。「イラク人家族は、米国人もまた涙することを、米国人もまた苦しみを感じることを目にしました。私たちもまた人間であるということをイラクの人々は知ったのです。どこから来たかに関わりなく」。


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仮に米軍が捜索の際処刑したのが標的としていた人物だったとしても、その行為は犯罪です。

訳している間、ブッシュ米大統領の顔と小泉日本国首相のにやにや顔とが頭に貼り付いて離れませんでした。


投稿者:益岡
2005-01-16 12:57:13