ファルージャで米国人は自己問答している
ファルージャで米国人は自己問答している
ナイジェル・パリー
エレクトロニック・イラク原文
2005年1月9日
米軍海兵隊リマ中隊兵士が破壊されたファルージャの町をパトロールしてイラク人の横を通っている(AFP/Hrvoje Polan)
2004年4月と11月は米軍による大規模なファルージャ攻撃で記憶されることになるが、ときたまニュースを見る人々ならば、2005年1月7日にさえ、米軍海兵隊がファルージャの反対勢力と戦闘を続け、米軍中央軍司令部(CENTCOM)言うところの「戦闘的標的」に空襲さえ加えていることを知って驚くだろう。
奇妙なことに、ファルージャで米軍が軍事行動を続けていることについては注目が限られている。CENTCOMのウェブサイト(www.centcom.mil)にもあまり多くの情報はない。
プレスリリースのいくつかの冒頭に「キャンプ・ファルージャ」の文言はあるものの、CENTCOMの最近の報告からは「ファルージャ」への言及がかけている。最近米軍ではやりの「ファルージャ」を表す専門用語は「アンバル州」である。アンバル州は、80万人の人口を擁する5万3476平方マイル(13万8501平方キロ)の大きな地域である。
イラク西部アル=アンバル地方の地図(UN)
現在、米国政府がファルージャにフォーカスが当たることを避けたがる理由がある。この数週間、ファルージャの戦闘を逃れた人々が期間を開始しており、家族のメンバーを失わなかった人でも、自分たちの以前の暮らしが完全に破壊されたことを知り始めている。夕暮れから夜明けまで厳しい外出禁止令を敷かれたファルージャには、基本施設だけを見ても、水道水も下水設備も電気もない。
BBCニュースとのインタビューで、ファルージャ総合病院の院長代理サレ・フセイン・イサウィ博士は、クリスマス・イヴにファルージャに入って知ったことを伝えている:
町の中に入った。住宅やビルの6割から7割が完全に破壊され損傷しており、現在住むことはできない。
今も倒壊していない残りの3割の中で、何らかの損害を受けていない建物は一つもないと思う。
自宅を見に行った同僚の一人は・・・自宅が完全に潰され中のあらゆるものが燃えていたことを発見した。
近隣の家々を訪れた彼は、親戚の一人が死んでおり犬が肉を食いちぎって持ち去った光景を見た。
私が思うに、これからこうしたことを沢山目にすることになるだろう。というのも、米軍は路上で死んだ人々の遺体は掃除したが、家の中の遺体は運び去っていないからである。
米軍の攻撃により瓦礫と化した町に戻った茫然自失のイラク人たちは、米軍の検問所における完全な指紋押捺と瞳孔スキャンというさらなる尊厳を傷つけることに直面する。
2005年1月8日のナイト・リッダー・ニュース・サービスは、イラクの上級現地司令官トマス・メッツ中将がこれまでにファルージャに戻った住人は4万人----30万人の人口のうち2割以下----だと語ったことを報じている。イラク暫定政権は帰還者数を6万人としている。
1月7日ネーション誌のトム・ディスパッチで、独立ジャーナリストのダール・ジャマイルは帰還する難民たちを待ち受けている破壊について、次のように述べている:
[ファルージャの]4分の3は爆撃や砲撃により瓦礫と化した。町の廃墟の中で戦闘が続き、その間住民の大多数は自宅(その多くはもはや存在していない)への帰還を許されていない。先月先々月にファルージャで犯された残虐行為は、多くの点で2004年4月に米軍海兵隊が町を取り囲んで失敗したときと似通っているが、それよりも遙かに大きな規模であった。さらに、今回、町の内部の家族からの報告や写真証拠は、米軍が化学兵器と燐兵器、そしてクラスター爆弾を使っていることを示している。2004年の最終週に帰還を許されたわずかな住人は、町の中の食べ物を食べないよう、また水を飲まないよう指示する軍作成のリーフレットを手渡された。
これから数週間そして数カ月のうちに、我々はファルージャで何が行われたかについてより多くのことを知ることになるだろう。国際人権団体が現地を訪れ報告を書くための調査をするだろうが、出版される報告はほとんどメディアの関心を集めないだろう。一方、海兵隊中佐スコット・バラードはニューヨーク・タイムズ紙のエリック・エックホルムに次のように言っている:
内部の主要水道管は数週間のうちに修理されるだろう。けれども、各戸への配管は一つ一つ修復しなくてはならない。今のところ、住民は、15箇所にある貯水所に容器を持っていって持ち帰るものを持ち帰らなくてはならない。電力には数カ月かかるだろう。
30万人都市のインフラを、60%から75%を壊滅させ基本施設の復旧に数カ月を要するまでに破壊することが、どう考えれば、その住民に平和と安全の気持をもたらすことができるというのだろうか?
ファルージャで起きたことは、ブッシュ政権の「対テロ戦争」戦略が自滅的愚行であることの強力な例である。この「戦争」では、外国の占領に対するレジスタンス行為と民間人に対するテロ行為との国際的な合法性の区別をつけていない。
ブッシュ政権は最も明白な事実を全くわかっていない。すなわち、真の平和は人々が生存の基本が満たされ、家や施設、安全の感覚を持てるところにしかないということを。ファルージャでは、平和は何世代分も押し戻されてしまった。
「アメリカ」は、これを簡単に修復し、町全体の破壊と生活の破壊が人々の心にこれから何年も苦い棘を残したことをを忘れている。ロサンゼルス・タイムズ紙のトム・ペリーに語った現地の海兵隊員たちは、「ファルージャを制圧していた反対勢力を取り除くために破壊が必要だったということを住民が受け入れることについては自信を持っている」。
ファルージャの30万人の住民がそのような見方をするのか、それともイラク人レジスタンスへの支持が増大するというもっとありそうな結果が米国がファルージャで見せた行為から得られるものなのかについては、考え込まざるを得ない。ファルージャ住人は、再建の中で文字通り何年もこのことを考えるだろう。一方我々は、これを数カ月で忘れるだろう。それこそまさに9/11[2001年9月11日の米国内のいくつかの建物に航空機が突入した事件のこと]を可能にした無知の雰囲気と同じである。3000人もの人々が死んだが、いまだに何も考えない人間が裸の王様を先導している。
希望の灯りもある。2004年9月、米国の購入・技術・兵站担当国防次官補事務所がThe Report of the Defense Science Board Task Force on Strategic Communicationという報告書を発表した。この報告書は、著者----米国政府の職員----が、報告の中で「対テロ戦争」のダイナミクスにおける原因と結果について明らかなことを理解し明白な方向を強調している点で異例である。
同報告の2.3節は次のようにある:
何が問題か? 我々は誰を相手にしているのか?
情報作戦----あるいは一部の人が今も使う言葉では「思想戦」あるいは「心を勝ち得る」ための闘い----はあらゆる戦争で重要である。この戦争ではそれが必須の目標である。というのも、米国戦略のより大きな目標は、非暴力的な大多数のムスリムと急進的で戦闘的なイスラミスト=ジハディストとを分離することにあるからである。けれども米国の試みはその点で失敗しただけでない。意図したと反対のことを達成してしまったかも知れない。
ムスリム世界に対する米国の直接介入は逆説的にも急進的イスラミストの名声を増しそれへの支援を増大させた一方、アラブ社会によっては米国支持率を一桁にまで下げることとなった。
・ムスリムは「我々の自由を嫌悪している」のではなく、我々の政策を嫌悪している。大多数の人々は、我々がイスラエルを一方的に支持してパレスチナ人の権利に反対していることに反対しており、また、ムスリムが皆独裁者と見ているエジプトやサウジアラビア、ヨルダン、パキスタンや湾岸諸国へのこれまでのそして増大しつつある支持に反対している。
・従って、米国の公共外交がイスラム社会に民主主義をもたらすといった話をするとき、自己正当化の偽善以上のものとはみなされない。さらに「自由こそ中東の未来」というときそれは権威主義的口出しと見なされ、アラブ人はまるで古い共産主義世界の奴隷化された人々のようであることを示唆している----けれどもムスリムはそう感じてはいない。抑圧されてはいるが奴隷化されてはいない。
・さらに、ムスリムの人々の目に、米国のアフガニスタン占領とイラク占領は民主主義をもたらすかわりに混沌と苦しみをもたらしたと写る。米国の行為は、反対に隠された動因によるもので、ムスリムの自決を犠牲にして米国の利益に仕えるべく計算高く調整されていると写る。
・それゆえ、9/11[1973年チリで米国支援のクーデターが民主的に選ばれたアジェンデ政権を崩壊させた事件を指しているわけではないようです]以来の劇的なナラティブは、急進的イスラム全体を支えることとなった。米国の行為と出来事の流れによって、ジハードのゲリラ勢力の権威は上昇し、ムスリムの中でその正当性が認められる傾向がある。戦闘に参加するグループは自分たちが、侵略され攻撃を受けているウンマー(ムスリム社会全体)の真の防衛者であると見せて、幅広い人々の支持を得る。
・取るに足らないネットワークだったものが今やウンマー全体に広がる戦闘グループの運動となった。「テロリスト」集団が増殖しただけでなく、共通の大義という団結を促す文脈の中でイスラムを分けていた多くの文化的・セクト的協会を越えて相互関係の気持が創り出されている。
・最後に、ムスリムは米国人を奇妙にナルシスティックだと見なしている----すなわち、戦争はすべて自分たちアメリカ人に関するものと。ムスリムが見るように、この戦争についてのすべては----アメリカ人にとって----実際、国内政策とその偉大なゲームの延長以外ではない。この認識はむろん大統領選の雰囲気の中で必然的に高められたが、それにしてもアメリカ人がムスリムに語りかけるとき、実際には自分自身に話しているというムスリムの印象はそのままである。
悲しいことに、ホワイトハウスと国防省がこの報告を読んだかどうかはわからないが、これが出版されてから3カ月の間に、イラクにおける米国の政策にも、パレスチナでの政策にも、変化は見受けられない。国際関係と外交政策の領域で、アメリカは自分が一番気持ちよくできることをし続けている----自分にだけ語りかけるということを。不可避的な対応として恐ろしい答えが返ってくる前に、誤りに気付けばよいのだが。
関連リンク:
・絵で見るファルージャ
文中、「ブッシュ政権は最も明白な事実を全くわかっていない。すなわち、真の平和は人々が生存の基本が満たされ、家や施設、安全の感覚を持てるところにしかないということを」とありますが、これは、そもそもブッシュ政権が少しでもそんなことを考慮しているという誤った前提に立っている論のように思えます。
そんなことはどうでもよいから、好きなように殺したいだけ殺し、破壊したいだけ破壊する。金儲けと石油支配のために。世界最強の武器を持つテロリストがやっているのは、単にそういうこと。
また、国防省報告書の「さらに、ムスリムの人々の目に、米国のアフガニスタン占領とイラク占領は民主主義をもたらすかわりに混沌と苦しみをもたらしたと写る。米国の行為は、反対に隠された動因によるもので、ムスリムの自決を犠牲にして米国の利益に仕えるべく計算高く調整されていると写る」という文言も、異様さを示しています。
米国のアフガニスタン占領とイラク占領は、冷静に分析する人にとっては誰の目にも、混沌と苦しみをもたらしたと写るでしょうし、米国の行為は自国(正確には自国を拠点とする企業ギャングたち)の利益に仕えるべく計算されていると写るでしょう。
こうした倒錯は、しばしば日本のメディアでも目にします。アブグレイブでの女性に対する強姦や拷問が明らかになったとき、ある新聞は、「イスラム社会では重大」といった報道をしました。強姦や拷問は、人間にとって重大ではないのでしょうか?
「9/11」を米国のいくつかの建物に飛行機が突っ込んだ事件を指すために特権的に用いるというのも、自分にだけ話していることの一環のように思えます。
普段は使わないのですが「アメリカ」と言う言葉をアメリカ合州国を指すために使ってみました。
投稿者:益岡
2005-01-13 00:30:06
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