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2005/01/23

集団懲罰(ジャマイル,1月14日)

ダール・ジャマイルのウェブログ,1月14日の記事。送電停止,道路封鎖,そして,倒されるナツメ椰子の木。

集団懲罰
Collective Punishment
Dahr Jamail, January 14, 2005
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/dispatches/000168.php


ここイラクでは,これは新しい戦術ではない。米軍がこれをやりだしてから軽く1年になる。昨1月3日,バグダード郊外部のアル=ドーラ地区にある農園を私は訪ねた。アル=ドーラ地区は都市化されておらず,ナツメ椰子とオレンジの樹がチグリス川の岸に沿って立ち並んでいる。私が訪ねた農園には,占領軍が迫撃砲を数発撃ち込んでいた。

米軍はこのエリアから戦士たちの攻撃を受けたのだと主張した。一方で地元住民は,レジスタンス戦士(resistance fighters)に場所を提供している(harbor)などということは一切知らないと反駁した。

不発の迫撃弾(photo)でいっぱいの畑に立って,ある農民は「なぜ私たちの家や畑が爆撃されたのか,わかりません」と言った。「私たちはアメリカ人に抵抗したことは一度もありません。この地区を通っていく外国人戦士はいます。アメリカ人が捕らえたいのは外国人戦士でしょう。ならどうして私たちを爆撃するのでしょうか。」

当時,米陸軍のマーク・キミット准将は記者たちに対し,この地域での「鉄の支配作戦(Operation Iron Grip)」は,「RPGだの迫撃砲だのを発射した結果を心配することなくバグダードを走り回れるなどと考えている者に,極めて明確なメッセージ」を送っていると語った。「イラク人の一般市民または連合軍を傷つけたいと考える者に対しては,それが誰であれ,迅速に反応することができるのだということが示されている(in the air)。」

畑のこの小さな区画で,そこらに(into the air)突き刺さっている9発の迫撃弾の尻尾を,私は数えた。

私はこの家族に,米軍に不発弾を除去するよう要請してあるのかどうかを尋ねた。

シャクルさん(Mr. Shakr)はとても困惑した様子で,私にこう言った。「最初に除去をお願いしたときは『わかりました,この件については我々が処理しましょう』と言いましたが,結局来ませんでした。2度目にお願いすると,レジスタンス戦士を引き渡さない限りは不発弾は除去しない,と言いました。彼らは『あなたがたがレジスタンス戦士をひとり我々に引き渡さないのなら,我々は爆弾を除去するために行くことはありません』と言ったのです。」

シャクルさんは空中に手を挙げて「けれど,私たちはレジスタンス戦士なんて一人も知らないんです」と言った。

昨冬,サマラで軍によって家屋が破壊されていること(photo)も,私は報じた。当時一貫していたパターンは,占領軍に対する攻撃があった場合はいつでも,近くの家屋/建物/畑が軍によって強制捜査を受けるか破壊されるというものだった。これには,村および/または市の電力停止というおまけもついていた。

今日バグダードのアル=ドーラ地区を再度訪問してわかったことだが,そのパターンは現在も変わらないように見受けられる。

7週間前,そのエリアはイラク人レジスタンスによる多くの攻撃で打撃を受けていたが,さらに軍がナツメ椰子の果樹林を踏み荒らし,ガソリンスタンドを戦車で爆破し(photo),電力を停止し(現在でもダウンしている),都市化されていない農耕地帯の道路を封鎖した。

チグリス川に平行して続いている細く曲がりくねった道を,農耕地帯へと車を走らせていると,1匹のオオカミが道路をとことこと横切った。カーブを曲がると,ブルドーザーで倒されたナツメ椰子の木がたくさん視界に入った。木は積み上げられて大きな山となっており,燃料をかけられ燃やされていた(photo)。

「米軍ははこの畑から攻撃されて,ここまで戻ってきて木を全部倒し始めました」と,この地域に在住するメカニックのカリームが説明する。「私たちのなかには,戦士など知っている者はいませんし,戦士は米軍を攻撃することが目的で,他の地域からここに来ているとしか知りません。でもこれで被害を受けるのは,私たちです。」

道路の反対側にも,また別の,倒されたナツメ椰子の木の山がある。

15歳の学生,モハメドは,自宅の側に立って自分の見たことを語る(photo)。「ブルドーザーで潰されたおばあさんの墓があります。」そして近くの道路を指差して,「米軍が柵を壊してしまったので,家畜を襲うオオカミが出没しています。農作業に使う機械もたくさん破壊していきました。あと最悪なのが,電気を止めたことですね。」

「毎晩彼らはここに来て,武器を発射して僕たちを脅かすんです」と,モハメドは地面のMRE(米軍用携行食)を指し示して言う(photo)。ブルドーザーを使った兵士たちの残していったものだ。

「畑に水をまくポンプを動かすのには電気がないと」とモハメドは言葉を続ける。「今は川からバケツで水を汲んできてますが,大変です。彼らは状況を改善すると言ってますけど,ますます悪くなってる。サダムのほうかこれよりかはまだましでした。うちの親戚が3人サダムに処刑されてますが,それでも。」

モハメドの母親,ウム・ライード(photo)は,電気について話し始めると止まらない。

「爆弾があるのなら,どうして私たちの家を攻撃するんでしょう」と彼女は訴える。「攻撃してくる奴らを追っかけないのはどうしてなんです? どうして私たちの家族のところに来るんですか? 私たちに今必要なのは電気ですよ。電気があれば水のポンプが動かせます。家は必要ではありません,でも水は必要なんです。今は植え付けの時期なんですから。」

17歳の学生のイフサン(Ihsan)も,ブルドーザーに倒された樹木の近くでの会話に加わる。「アメリカ人に殴られたんです」と彼は言う。「誰が攻撃してきたのか教えろと言われたんですが,そんなの僕は知りません。うちは捜索を受けて家具は壊されて,おじのひとりが逮捕されました。」

ウム・ライードは彼に,電気のことをもっと言ってちょうだいと言って,それからこう付け加える。「昨日の夕方の5時半に彼らがここに来て,15分の間,でたらめに銃を撃って,それからいなくなったのよ。」

彼女が話している間に地面に目をやると,50口径銃の薬莢がある。「誰も彼らを攻撃してない。なのにどうしてこんなことを? どうぞ来て探してくださいと言いましたけど,それもしなかった。ただ銃を撃って,いなくなったんですよ。」

空中に腕を掲げ,彼女は訴える。「お願いですから,電気がないと生活できません。うちはポンプも2台壊されました。彼らは壊したポンプを川に投げ込んでいったんです。」

20歳の農夫,ハリードが私たちが話をしているのを見て,こちらに歩いてきた。「ここ2ヶ月近くになりますけど,畑を踏み荒らされてからずっとですね,電気がまったく来ないんです。ポンプなしでどうやって畑に水をやれと? 電気がなくちゃ水もないんです。彼らは毎晩ここに来て銃を撃っていきます。うちなんか,窓ガラスなしですよ。」

ウム・ライードの家に目をやったが,壁にはぽつぽつと銃痕がある。

「毎晩パトロールにやってきては,どこかまわず撃つんです」とハリードが言った。

55歳の目の不自由な農夫(photo)が,杖をついて私たちの方にやってきた。彼は会話を聞いていたが,自分のことも話し始めた。「今の問題は,機械を動かす燃料がないことだ。戦車でガソリンスタンドを撃っていった(photo)」と彼は私の肩越しを見るようにしながら言う。「この木は数百年の樹齢なのに,奴らが切ってしまった。なぜだ?」

「フェンスもそりゃもうたくさん壊された」と彼はさらに言う。「家畜がオオカミに襲われている。食料の配給で食いつないでいるが,ほかには何もない。この惨状をストップしないとどうにもならない。」

他の人々も彼の話に耳を傾けうなづいている。彼はさらに続ける。「毎日夜になると奴らが来ては撃っていくのが聞こえる。最初のうちは,家宅捜索をやっても盗みはしなかった。今は彼らは盗んでいく。最初のうちは私たちを傷つけはしなかったが,今はこんなにも傷つけている!」

道路を少し歩いていくと,38歳の農夫,アハメドが話しかけてくる。アハメドは2003年8月13日に家宅捜索をされ,そのときに身柄を拘束された。

「どうして自分が逮捕されたのか,さっぱりです」と,10ヶ月にわたって軍の拘置施設を転々と回ったことを語る。彼はその間に,処刑の真似ごとをされたり,何日も連続で縛られて頭を覆われたままにされたりといった扱いを経験していた。真夏の高温の中を,バスラ【注:イラク南部で酷暑の地。最高気温の世界記録保持都市でもある】の近くのキャンプに拘束されていた経験もある。

アハメドは「あのキャンプでは,私たちのいるところには『動物園』という看板がかかってました」と言う。彼の話では,自宅も農作地も捜索され,武器は一切発見されなかった。10ヶ月の拘束の間,彼は拘束されている人々の性的辱めや常態的殴打を目撃した。

「黒人の米兵たちが裸のイラク人女性を独房に入れておいてから,その独房に入るのを見ていました。兵隊たちがその女の人を強姦している間,叫び声が聞こえました。」

よい身なりをした中年の男性,シャイフ・ハミードがこちらにやってきて,パトロール隊が来てまた銃撃を始めるとあれですので移動をしたほうが,と言う。

道路から移動すると彼は「あれは私たちの祖父の代の木ですよ」と言う。「英国もサダムも,このような振舞いはしなかった。これは私たちの歴史です(photo)。彼らが1本の木を切るとき,それは私たちの家族の1人を殺しているようなものです。」

シャイフ・ハミードは,従兄弟のうち3人がサダム・フセイン政権によって処刑されたのだと言い,それから「アメリカ人の自由など欲しくはない」と言う。「彼らは私たちの家を襲い(raid),常に私たちを脅かしている。私たちは恐怖(terror)のなかに暮らしている。アメリカ人は毎日ここで銃を撃ち爆弾を撃ち込む。家族は他所の土地で暮らすよう送ってしまった。」

道路が封鎖されていると言われたので,もう少し先までチグリス川沿いに車を進めてゆくと,爆発のために道路にあいた深い穴から大きなコンクリートのブロックが4つ上に伸びていた(photo)。

私たちに同行していた男性たちのひとりが,ナツメ椰子が倒されたのと同じときに道路が封鎖されていたと語る。最初は軍が道路を爆破し,それからこれよりは小さなコンクリートのバリアを置いたのだ,と。

道路が封鎖されている地点から自宅まで歩いていく(photo)ことに,人々は疲れ果ててしまい,農耕作業用のトラクターを用いて,コンクリートのブロックをどかして道路を再び開通させた。が,昨日,軍はより大きなバリアを運んできて,道路は再び,封鎖されてしまっている。

食料の入った袋をいくつか持った80歳の男性(photo)が,恐る恐るバリアの間を抜け,足を引き引き自宅へと向かって道路を歩いてゆく。

道路が封鎖されている地点を過ぎたところで,50歳のサクランボ農家,ハムード・アビド(Hamoud Abid)と会う。私は彼に,道路封鎖について兵士たちはどんなことを言っていましたか,と尋ねる。

「わたしらが話しかけても,兵士たちは礼儀もへったくれもない」と彼は言う。「このブロックをいつどけるかは話しちゃくれませんので,今はみなが徒歩ですよ。」

彼の話では,兵士たちはかつては畑の捜索をしたいのだがと彼のところに来て頼み,それを彼は許可し,さらに兵士たちが捜索をしている間にオレンジを兵士たちにあげていた。「うちの畑を10回も捜索したんですがね,もちろん何も見つかりゃしませんでした。しかし,ついこのあいだ,一番最後に来たときに,うちの壁を壊してしまったんです。わたしの木を倒し出しましたときに,兵士たちのブルドーザーからトレッドが脱落しましてね(photo),それで行ってしまったんです。」

だが,彼らは立ち去る前に,ハムードの家の正面の門を破壊し,来たという目印としてコンクリートのブロックを置き去っていった(photo)。

私たちが帰り支度を始めると,ハムードは,このひどい状況にも関わらず,陽気にこう言った。「ゆっくりしてってくださいよ。魚を焼きますんで。夜はうちにお泊りください。」

私たちは辞退したが,ハムードはじゃあちょっと軽く食べていきませんかとか,お茶でもどうですかと引き止める。しかし私たちはゆっくりはしておられないのだ。

細く曲がりくねった道を帰宅の途についたが,3台のハムヴィーから成るパトロール隊が2隊,私たちが来た方向へと飛ばしていった。その直後,2機のヘリコプターが同じ方向へと低空を飛んでいった。

バグダードの軍の報道局に電話をかけ,現地の複数の住民から聞いたのだが,道路封鎖や銃撃を行なっていること,ナツメ椰子を倒していることや,アル=ドーラのアル=アラブ・ジュボール(Al-Arab Jubour)村の電気を止めていることの理由についての情報をいただけないかと尋ねた。

報道官は,私には名前を告げず,そのようなことはまったく知らないが,アル=ドーラ地区では保安作戦が進行中である,と答えた。

Posted by Dahr_Jamail at January 14, 2005 07:19 PM


米軍がナツメ椰子を切っているという報道は,たとえば2003年10月にPatrick Cockburnが英Independentに書いた記事,"US soldiers bulldoze farmers' crops"(リンク先ではアーカイヴされているので閲覧は有料)があります。検索をしてて見つけたのですが,Riverbendのウェブログを紹介してるページに,いくつかこの件についてのリンクがあります。Riverbendのウェブログでは,2003年10月13日の記事(原文=英語日本語)。1文だけ,引用します。

Historically, palm trees have represented the rugged, stoic beauty of Iraq and its people.

歴史的に、椰子は、イラクとイラクの人々にとって、質実で禁欲的な精神の美しさの象徴であった。(翻訳 池田真理さん)




※本記事中の写真は,ダール・ジャマイルのウェブログ本文にリンクされているものの一部です。キャプションに相当するものを,独自につけました。

投稿者:いけだ
2005-01-22 20:37:39