ファルージャの安全?
ファルージャの安全?
ペギー・ギッシュ
2005年2月17日
ElectronicIraq原文
30キロ爆弾
「もっと安全なところにいたいなら、ファルージャに移るべきだろう」と、ここバグダードで私の同僚の一人が冗談っぽく言った。新聞で、ファルージャはイラクで最も安全な町であるとの記事を読んでのことだ。私はその記事を取り上げ、ファルージャ----人口30万人の都市----で8000人が投票したと書かれているのを発見した。
記事はまじめに書いているものだということがわかった。難民の一部はファルージャに戻り、瓦礫を取り除いて再建の準備をしていることが報じられていた。前提にあるのは、反乱勢力がいなくなったから、ファルージャは今や安全だというものだった。けれども記者は他の状況についても言及していた:水と電気がほとんどないこと、厳格な外出禁止令、移動の制限。
昨年11月、米国政府は1月にわたり米軍が行ったファルージャ攻撃を、安全で自由な選挙を実現するための手段であるとして正当化した。実際には、この攻撃で投票者数は大規模に減り、イラク全土のスンニ派の大多数は選挙をボイコットした。
昨年11月以来、我々のピースチームのメンバーはファルージャ難民キャンプ3カ所を訪れ、また、他の場所にいる難民たちともインタビューした。数日前に行った最も最近の訪問では、バグダード大学モスクにキャンプしている約1300人を訪問した。そこでは家族が屋外テントに密集し、またモスクの中ではロープにかけられた毛布で作られた小部屋に詰め込まれていた。人々はファルージャで破壊された自分たちの店やビジネスについて語り、今もさらに多くの家が破壊され続けていると述べた。町に入るために検問所で12時間以上も待たされる。多くの家族が、メンバーや友人が行方不明になっていたり殺されたり、拘束されたりしていると説明する。難民のほとんどは、ファルージャがより安全になり容易に帰ることができるようになり、そして米軍が立ち去るまでファルージャに戻らないと決めている。
子どもたちは状況について色々話をしてくれる。12歳のラニアは次のように聞いてきた:「アメリカ人が強いというのなら、どうしてアル=ザルカウィを見つけられなかったの? どうしてアメリカ人は私の本やゲーム、子どものおもちゃをめちゃくちゃにしたの? 私たちが何をしたの?」
ここにいる難民のグループは5つの要求が満たされるまで寒い泥にまみれたキャンプに留まることを選んだ。
1.無差別爆撃に対する米国の謝罪
2.50億から100億ドルの被害弁償
3.米軍兵士のファルージャからの撤退
4.他の地域からのイラク人民兵の撤退
5.国際組織とメディアのファルージャ入りと自由な報道
ファルージャはもしかするとイラクで最も「安全」な都市かもしれないが、私自身はそんな安全の中に住みたいとは思わない。イラク人にとっての本当の安全を作り出す方法は、米軍兵士がファルージャでしたように町を完全に破壊して平らにすることではない。すべての人にとっての安全は、米兵を殺すことでも、米兵がさらに多くのイラク人を殺すことでももたらされない。安全と民主主義をうち立てるためには、破壊された社会を復興し、仕事を提供し、異なるエスニック・グループ間の対話と団結を支援し、暴力の主原因であるイラク占領を取り除くことで始めて可能になる。
米国は石油支ペギー・ギッシュは農家で、現在クリスチャン・ピースメーカー・チームの一員としてイラクで活動している。
配のためのサダム追放とイラク侵略を隠蔽しごまかすために、「大量破壊兵器」「アルカーイダとの関係」といった事実無根かつ侵略と破壊・占領の理由には何一つならない「理由」を持ち出してきました。
それが全く通用しなくなると、今度は「イラクに民主主義をもたらす」と叫び始めました。侵略して占領し、傀儡政権を植え付け植民地時代さながらに総督ポール・ブレマーが勝手な法律と憲法相当の政令を発布し、裁判もかけずに無差別に拘束した人々を拷問し強姦し、ファルージャで無差別大量殺人を犯し、といった事態を「民主主義の実現」という言葉でくるむことで、「民主主義」という言葉は全く内容を失いました。
そして、「イラクの安全/治安を維持する」と称してファルージャを破壊し民間人数千人を無差別に殺し、また老人や病人・けが人をも狙い澄まして射殺したのち、外出禁止令と検問とIDカードを導入してわずかな人々を完全監視下においてファルージャは「安全」だと叫び始めました。かくして「安全」という言葉も、全く意味を失ってしまいました。
日本でも「国家安全保障」政策への動きが高まっています。まさにファルージャ風の「安全」を保障するからありがたく受け取れというもの。
投稿者:益岡
2005-02-19 00:14:39
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