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2005/02/24

最初のファルージャ包囲を回想する

2004年4月の米軍によるファルージャ包囲と無差別殺害をめぐって、イラク世界民衆法廷に提出された証言からの抜粋。

最初のファルージャ包囲を回想する
イラク世界法廷に提出された証言からの抜粋
オマール・カーン&ダール・ジャマイル
2005年2月14日
ZNet原文

皆さんがた法律家は、自分に関わることなのになぜ沈黙しているのか?
 ジョルジュ・アガンペン

背景:銃撃戦

アメリカ合州国の軍隊は、まず2004年4月に、ついで2004年11月に、イラクの都市ファルージャを包囲した。これらの攻撃をめぐって米国の報道メディアが果たした役割をよりよく理解するために、私たちはほとんど繰り返されてはいないけれども否定しようのない次のような現実を確認することから始めなくてはならない:ファルージャに対する米軍の攻撃は2004年4月に始まったのではない。第一次湾岸戦争の際、ファルージャが最も数多くの民間人犠牲者を出した都市の一つだった----この名誉は人々であふれかえった市場をレーザー誘導の精密爆弾が襲ったことによる----という居心地の悪い事実を思い出すことは避けることにしよう。そうすると、ファルージャ攻撃が始まったのは「自由イラク作戦」開始のときだということができる。忘れてしまった人々のために指摘しておくと、「自由イラク作戦」というのは、米国のイラク侵略に名付けられた名前である。ヒューマンライツ・ウォッチの報告書が、この背景を説明している。

アル=ファルージャは全体としてみると前政権から経済的な利益を受けていた。地元住人はヒューマンライツ・ウォッチに対し、多くの住人が軍や警察、諜報で働いていたと語っている。しかしながら、ヒューマンライツ・ウォッチは、サダム・フセイン政府が崩壊した後でもサダム・フセインに対する強い同情の存在をアル=ファルージャで確認できなかった。アル=ファルージャの住民の多くは、自分たちはサダムの抑圧的支配の犠牲者であると感じておりまたサダム支配に反対していたとヒューマンライツ・ウォッチに語っている[1]。

同レポートは、2003年4月23日に米軍がファルージャにやってくる前に:

アル=ファルージャの部族指導者と宗教指導者たちはすでに都市総監と市長を含む都市運営評議会を選出していた。この現地政府がすみやかに設立されたため、イラクの他の都市で多数見られた略奪をはじめとする犯罪は最小限に抑えることができた。町の財産である銀行や政府事務所などを異なる部族が管理した。あるときには、アル=ファルージャの病院を管理している部族がすぐに武装した男たちからなるギャングを組織して差し迫った攻撃から敷地を守ろうとした。地元のイマームたちは人々に法と秩序を守るよう呼びかけた。人々の間にあった確固たる家族間関係のおかげもあって、その作戦は成功した。アル=ファルージャでは、たとえばバグダードなどで見られたような略奪と破壊の兆しは見られなかった。

しかしながら、同じヒューマンライツ・ウォッチの報告は、米軍が小学校を含むファルージャの中心部に陣取ってから、ファルージャのコミュニティはいささか「興奮し心配しだした」と述べている。「心配した地元指導者たちは4月24日に米軍司令官と面会し、アル=ファルージャは宗教的な町であり、米軍兵士にそのことを考慮してほしいと求めた」。それにもかかわらず、高圧的で攻撃的な路上パトロールが米軍により続けられ、そして学校が始まる予定日の前日だった4月28日、米軍が陣取る小学校の外でデモが行われた。米軍が「銃撃戦」と説明し米国ジャーナリズムの旗手たちが恐らく攻撃に対する過剰対応だったと述べた事件[2]で、米軍兵士たちは人々に対して10分近くにわたり機関銃を休みなく掃射し続け、17人を殺し70人以上を負傷させた。その後行われた銃痕の調査からは、米軍兵士たちに向けて発砲が行われたことについては「何一つ説得力のある証拠は見つからなかった」。

安全維持手段

ファルージャで2003年4月に米軍が開始した「高圧的で攻撃的な路上パトロール」に立ち戻ると、こうした町の安全維持が住人を怒らせたのはどうしてかと不思議に思うかも知れない。けれども、この問題に答える必要は実際にはない:イラクではそうしたパトロールとそれに伴う米軍による人々の拘留そして集団的懲罰が進められている。そうしたパトロールが町の市民にとって忌まわしいものだったのはなぜかと問うことはまた奇妙でもある:そうしたパトロールは、結局、住民男女から市民としての権利を剥奪するものだったのだから。米国当局がファルージャを安全に放置しておけば、ファルージャの人々の市民権も同様に維持されていた。占領軍がやってきてから8カ月後の2004年1月に法律学教授と話すためにファルージャを訪れたとき、この問題は思いもかけないかたちで浮かび上がることとなった。

私たちが会いに行ったのは法律学教授のハジ・バラカート導師だった。問題は、バラカート導師は3カ月前に米軍兵士に拘留され、今日までアブグレイブ収容所に入れられたままにされていることである。ファルージャの米軍司令官は彼の家族に導師は無罪であるとすでに告げたというのに、彼は拘留されたままなのである。彼の解放を家族が求めるたびに、米軍からは同じ返事が返ってきた。明日、明日、明日、明日・・・・・・と。

彼のいとこハーミスは、「ハジ・バラカート導師は偉大な尊敬すべき人物です」と説明する。「アメリカ人たちは彼をレジスタンスに資金を提供していると非難しました。けれども導師自身が7人の息子がレジスタンスに参加していると述べていたのです。そうだからといって父親が有罪となるわけではありません。それにもかかわらず、いずれにせよ米軍は彼を不法に拘留したのです」。

バラカート導師の甥で20歳のオマールもまた拘留された。彼は我々に尋問を受けた様子を教えてくれた。アメリカ人たちは彼にスンニ派かどうか、母親と最後に会ったのはいつかなど、奇妙な質問を訊ね、それから彼を解放した。彼はまた、アメリカ人たちが彼を拘留しに来たとき、家のドアは破壊され、書類とパスポートは取り上げられ、家族の車の所有証明書と家にあった金も全部持っていかれたと語った。

オマールは、収容所にいたときに彼を尋問したアメリカ人たちは文民の服を着ており、ジャーマンシェパードを使って彼を襲わせると脅したと述べた[4]。


拷問の画像は今や広く知られている。2003年4月以来、ファルージャをはじめとするイラクの人々にとって、英国植民地支配下のインドは牧歌的な夢のようなものに映ることだろう。ガンジーが逮捕される際に述べた「いったい何の罪で」という力強い答弁は、今日のイラクでは米軍当局とそのお抱え拷問者たち(ハジ・バラカートが拷問されたことを口にだすまでに弱ったとして)からは嘲笑をもって迎えられるだけだろう。「自由イラク作戦」のために、ファルージャをはじめとするイラク全土で、安全維持のために最初に破棄されたのは法律なのである。

屠殺された羊

それにもかかわらず、最初のファルージャ包囲の前数週間、米国の報道メディアは、米軍のイラク占領に対するレジスタンスは「自由市場資本主義と性の自由、ハリウッド映画の押しつけ」に反対しているのだと言うことができた。そうした反対はあるものの、イラク人に対するニューヨーク・タイムズ紙の調査は、自分たちの生活は良くなるだろうという「高揚した感覚が多くの人々に見られる」ことを示していた。「イラク人は事態の進捗に満足を表明し始めている」と[6]。かくして、ニューヨーク・タイムズ紙に、イラクから撤退するというスペインの決定----恐らくそのとき起きたマドリッドの爆発に関係している----は「9/11以来我あれが直面している最も危険な時である」と論ずる記事[7]が掲載されたのは驚きではない。

2004年3月31日、ファルージャを通っていた米国の車両が襲撃され、乗っていた4人が殺された。この4人は何者だったのだろうか? 米国国内のメディアによると、彼らは「コンサルタント」あるいは「契約職員」あるいは「治安契約職員」だった。彼らはファルージャで一体何をしていたのだろうか? 4月1日、サンフランシスコ・クロニクル紙は、「ファルージャ周辺に食料配布」を行っていたと書き、ニューヨーク・タイムズ紙は「ファルージャ地区の食料配布の治安維持をしていた」と書き、シカコ・クロニクル紙の見出しは4人を単に「民間人」と書いている。氾濫した記事の中で、我々は、こうした説明とは異なる説明をたった二つしか見つけることができなかった。一つはワシントン・ポスト紙の記事で、殺された男たちは「イラクで活動するエリート突撃部隊の一員だった」としている。しかしながら、同じ記事はこの事実を雇用主の次のような説明とともに掲載している:

連合軍兵士と民間人契約職員と行政は、毎日イラクの人々と協力して働いている。我々の仕事は危険で、同僚が命を失ったのは悲しいが、我々はまたイラクの人々の状況を改善していることに誇りと満足を感じている[8]。

シカゴ・トリビューン紙のある記事は、殺された4人は、軍様式の階級を採用し、要員の訓練に攻撃ヘリを使い、数カ月連続で要員を派遣し、軍施設で訓練を行い、あらゆる戦争地帯で米軍司令官たちと日常的に協力して活動する「治安企業」で働いていたと書いている[9]。それにもかかわらず、この同じ記事は、それらの要員は「治安に関する防衛的仕事」を行なっていただけなので「傭兵ではない」と結論している。そして、イラクの土地と資源の正当な所有者が米国企業であるということを思い起こしさえすれば、これはわかり切った結論だということになるのだろう。すなわち米国企業を守ろうという試みはすべて防衛行為となり、また企業利益に仕えるためにイラク人に対して警察行為を行うことも防衛行為だということになる。いずれにせよ、これら4人についてこのように述べている記事は例外であった。実際、2004年3月31日に殺された4人----保全許可を有し(すなわちイラク人だったら全員が----ラッキーならだが----従わなくてはならない法律を超越した存在だったということである)、重武装し、軍の鑑札章を身につけていた4人は、メディアで、ほとんど例外なしに、教師や庭師、用務員や援助職員を指し示すのと同じ言葉で表されていたのである。4人の死の直後そして第一次ファルージャ包囲の直前の3日間、4月の1日・2日・3日の間に、この4人について全く当たり前のように「民間人」という言葉さえ使われ続けた:ロサンゼルス・タイムズ紙で10回、サンフランシスコ・クロニクル紙で9回、ワシントン・ポスト紙で20回、シカゴ・トリビューン紙で16回、そしてニューヨーク・タイムズ紙ではナント25回も「民間人」という言葉がこの4人に対して使われた。米軍が報復のためのファルージャ包囲を準備しているわずかな時間の間に、米国で最も評価の高いたった5紙に限っても、読者は80回も「ファルージャにおけるアメリカ人民間人の死と遺体切断」という文句を目にしたのである。

次の点を問うてみるのは自然なことだろう:この時期、ファルージャの民間人はどのように描き出されていたのだろうか? 米国で部数の多い7紙では、橋からつり下げられたアメリカ人の遺体の前で祝福しているファルージャの人々の写真かあるいは地面に横たわるアメリカ人の遺体を殴っているファルージャの人々の写真を一面に掲載した[10]。主要な米国の報道メディアは、出来事を描き出す立場を検討していた。典型的なのはニューヨーク・タイムズ紙で、「好みの問題」という見出しのもと、「視聴者を不快にさせずに起きたことを示すにはどうすればよいか」という問題を論じていた。この問題に対して同記事は、「路上で遺体を引きずりながら歓声を上げる子どもたちを見せることは報道に必要不可欠だった」と結論している[11]。ファルージャの人々----メディアは注意深くこれらの人々を表象した----に対する関心ではなく、全く逆の関心から状況と伝えるというこの事態は、10年前のモガディシオに似通っていた。モガディシオでは「その瞬間が人々の意見を変え結局米国の撤退を促すことになった」のである。とはいえ、ニューヨーク・タイムズ紙は、同紙が引用した米軍海兵隊の言葉よりもうまく事態を表現することはできなかったろう:「ファルージャの反乱勢力は我々を試している。我々の決意を試している。けれども我々は撤退しない。我々はここに来たばかりなのだ」。こうした決意は米国のメディアに満ちあふれていた。圧倒的な存在だった。ニューヨーク・タイムズ紙が「反米感情の野蛮な爆発」[12]と呼んだ事態は、シカゴ・トリビューンの言うところでは「サダム主義者の反乱」であるばかりではなく「陽気に踊る喝采」[13]であり、ワシントン・ポスト紙によれば「猛り狂う町の人々」[14]であり、ワシントン・タイムズ紙では「残忍な血の祝祭に歓声を上げる群衆」[15]であった。サンフランシスコ・クロニクル紙が報じたように、ファルージャで起きたことは「イラク最悪のトラブル・スポットの血塗られた基準から言っても残忍なまでにショッキング」なもので[16]、「何ら理由も必然性もない」「西洋人を標的とした無差別殺害」だった。全国に配信された目撃証言は、「ファルージャの人々は遺体のいくつかを屠殺された羊のように古い橋から吊り下げた」と住人のアブドゥル・アジズ・モハマドはうれしそうに語ったと伝えている。当時の状況の中でそれは不必要だったが、ファルージャのタクシー運転手はニューヨーク・タイムズ紙の読者に「ここにいる誰もが皆これを喜んでいた。それは疑いない」と確言している[17]。

これにどう対応すべきかという問題も同様の決意で扱われている。ニューヨーク・タイムズ紙が報じたように、この出来事により「西洋式の民主国家を構築するための米国の前進」が中断されることとなった[18]。4月2日には、あらゆるところから、迅速な軍事的対応をとらなければ、米国は「暴力を我慢する」ようになったという不穏な証拠を提供してしまうことになるのではないかとの心配の声が挙がり始めた[19]。対応策に使うべき手段については、恐らく、ニューヨーク・タイムズ紙に引用された、死亡したアメリカ人の家族の一人の次のような言葉に示唆されている:「それを行なったのが誰であれ、動物以下だ」[20]。もっとあからさまな新聞もあった。署名なしのワシントン・ポスト紙社説は「この国は野蛮行為により腐敗し敗北するのだろうか」と問うている。この社説はさらに続けて「米軍司令官は力をもってファルージャに応えスンニ派反乱ゲリラに反対攻撃を加えることが決定的に重要だ」としている[21]。かくして我々は、4月に殺された4人のアメリカ人傭兵(あるいは当時のはやり言葉でいうと「屠殺された羊」)以外に、ファルージャ住民----市民ではなくまた屠殺される羊でもない----がおり、彼ら町の父親や母親、赤ん坊や祖母は単なる「喜びに満ちた現地の生き物」であって、自ら示したように獣であり、したがって「無害化する必要がある」ことになる[22]。ある新聞は、ファルージャ住民の「彼らがファルージャにやってこようとすればよいのに。そうすれば地獄を見せることができる」という言葉への返答として、次のように述べた:「この男の望みはかなえられるだろう・・・・・・いつどのようにしてが決まっていないだけだ」[23]。

抜け目なき決意

いついかにして、は数時間後に訪れた。米国が据え付けたイラク国民会議のメンバーさえ集団的懲罰として批判した、そしてワシントンのご主人たちが「抜け目なき決意作戦」と呼んだ作戦として、それは実現した。倦むことなく繰り返し繰り返し表明された目的は、「反抗的な都市をふたたび制圧する」ことだった[24]。ヒューマンライツ・ウォッチによると、サダム後のイラクでファルージャの町は相対的に「法と秩序」が守られた自治生活を歩み始めていたことを思い出そう。このヒューマンライツ・ウォッチ報告書はまた「サダム・フセインに対する強い同情の存在は確認でき」ず、住民の多くは「抑圧的支配の犠牲者であると感じておりそれに反対していた」ことを思い出そう。けれども、真実は、米国にはほとんど邪魔にはならない。米国の報道メディアは巧妙に、ファルージャをそれとは全く違った町として読者の前に描き出した。そこではファルージャは「反抗的」なだけでなく「無法」であり、暴力の「ホットスポット」かつ「フラッシュポイント」であって、また「爆発の危険をはらんだ[サダム・フセイン]支持の拠点」とされた[25]。その月のもっとあとになって噂は事実に格上げされ、ニューヨーク・タイムズ紙はペンタゴンの口から出た言葉をそのまま繰り返して、サダム・フセインの元士官たちがファルージャでの今日の「攻撃のほとんどを行っている」と報じるに至った[26]。ニューヨーク・タイムズ紙では実際の戦闘は海兵隊が「ゲリラをあぶり出すためにブロックごとに戦いを進め」、ファルージャで「検問所を設けてゲリラと疑わしき者たちを探している」と報ぜられ、さらにその町は「アメリカの治安契約職員が殺され遺体がバラバラにされた」町だったことを読者に思い起こさせた[27]。この指摘は米軍がファルージャにいることを説明する際、そしてニューヨーク・タイムズ紙の別の記事が明らかにした次のような点を指摘する際に必須のものとなった:[要員の殺害の]結果、米軍海兵隊は「米軍のより友好的な側面」を放棄することを余儀なくされ、そのかわりに「重火器とよりタフな戦略」を採用せざるを得なくなった、と[28]。

米軍のこうした「タフな戦略」は、米国の国内メディアで報じるには「不適切」なものだったが、ファルージャにいた人にとっては誰の目にも明らかだった。4月9日ニューヨーク・タイムズ紙は、「住民が何十人もの死者を埋葬できるように、また包囲されたファルージャに食料と緊急に必要な医療品を提供するための輸送路を開くために」米国が戦闘を一時停止したと報じたが、実際にファルージャにやってきた60台のトラックのうち町に入ることを許されたのはたった3台だけだった。これらトラックの何台かに対して町へ入ることを拒否し追い返す前に米軍が発砲していたことも、報ずる価値のないことだったのだろう[29]。その二日後ニューヨーク・タイムズ紙が掲載した「交渉のため米軍は戦闘を控えている」というのも、単に全くの嘘であった:

私の友人たちの3人が、一台の動く救急車に乗って負傷者を診療所に連れてくることに合意した。この救急車には米軍の狙撃手が運転席側のフロントガラスに3発の銃弾で穴をあけていたが、救急車に乗り込んだ3人のうち2人が西洋人であるという点が、米兵たちが負傷したイラク人を連れ出すことを認めるかも知れない可能性をめぐる唯一の希望だった。以前この救急車を運転していた運転手は米軍狙撃手の銃弾が彼の頭を削り取って負傷していた。

私がファルージャから伝えることができるのは、停戦などなされていないし、停戦がなされたこともないということである。イラク人女性や子どもたちが米軍の狙撃手に撃たれている。米軍の攻撃で600人以上のイラク人が殺され、住民は2カ所のサッカー場を墓地にかえた。救急車も米軍に撃たれている。そして今、米軍はファルージャへの全面侵略を準備している[31]。

私には理解しがたい。とりわけ昨日そこにいて運転席側のフロントガラスに3発の銃弾の穴があいた救急車を目撃した後では。女性や子ども、年老いた武器を持たない人々が、米軍狙撃手に殺されたり怪我をさせられたりしたのを見た後では。先週ファルージャだけで600人以上のイラク人が殺され、数千人が負傷した[32]。

米軍による救急車の狙撃は非常に抜け目のないものだったので、4月17日イラク保健相はポール・ブレマーに公にそれについて説明するよう求めた。ブレマーは、米軍当局は救急車が戦士たちにより使われていると信じていると説明し、その返答の中でまさに集団的懲罰の定義を答えた[33]。医療行為を妨害することは、場合によってはさらに抜け目のない行為だったかも知れないことは、次のような例が示している:

アメリカ人たちは私たちの病院の前に陣取り、緊急部隊が病院に行くのを妨害したため、我々はすぐに機材と薬物が不足し始めた[34]。

ファルージャの医師の一人が米兵に、ファルージャから負傷した患者を連れだして良いかどうか聞いた。兵士は彼が犠牲者を動かすことを禁止してこう言った:「我々兵士の側にも死者が出ている。ここは戦地なんだ」。医師は負傷した男性を連れ出すことができず、この男性は死亡した。極めて多くの医者と救急車がファルージャの検問所で追い返された[35]。

こうした抜け目なさのかわりに、不法なハードウェアを使うこともできた。ファルージャ住民は、米軍がクラスター爆弾とフレシェット弾を使っていることをよく知っている[36]。ファルージャ総合病院で二人の整形外科医アブドゥル・ジャッバール医師とラシード医師はこれを証言した。アブドゥル・ジャッバール医師は「たくさんの人がクラスター爆弾により殺されたり負傷したりしている。もちろん米軍はクラスター爆弾を使っている。我々はその音を耳にしている。そしてまたクラスター爆弾を受けた人々を治療している」と語る。ラシード医師もそれに同意して、次のように言う:「私は自分のこの目でクラスター爆弾を見た。これ以上証拠は必要ない。これらの爆弾のほとんどが普通の家族の頭上に投下される。戦士たちはどうやって逃げればよいか知っている。けれども民間人は逃げようがない」[37]。

彼はさらに、「殺された人々のうち女性と子どもの数は6割は下らない。自分の目で墓地を見て下さい」と続ける。アル=アーダミーヤのノマーン病院でも、医師の一人は10日前にファルージャから連れてこられた患者たちについて、「ほとんどは子どもや女性、老人たちであると証言する[38]。ヤムーク病院でも医局長が米兵が女性と子どもを殺しているところを目撃したと述べ、ファルージャの状況を「虐殺」と呼んでいる。ニューヨーク・タイムズ紙は「すさまじく精確な」という表現を好む[39]。そしてそれは、あるファルージャ住民によると適切な表現である。この住民はバグダードに逃げてきたあとで、自分がファルージャを逃げ出すまえ、米軍戦闘機が町を大規模に爆撃しており海兵隊の狙撃手が包囲された町から一発一発で確実に住人を消し去っていたと証言している。「非常にたくさん米軍の狙撃手がいて、家から出た人は誰もが殺された」[40]。ニューヨーク・タイムズ紙では、これは「喜んで死を急ぐゲリラたち」と呼ばれる[41]。

4月の包囲の際、ファルージャに作られた臨時の救急診療所で働いていたある医師は、「デモクラシー・ナウ!」で次のような問いを問うている:

頭を失った5歳の子どもを目にしたとき、何が言えるでしょうか? 脳味噌がなくなって、がらんどうの頭だけが残された子どもを見たとき、何が言えるでしょうか? 頭の無い子どもを抱いた母親を見たとき、そしてその母親の体中に銃弾の穴があいているのを見たとき、何が言えるでしょうか?[42]

これは良い質問である。そしてそれには理由がある。2004年4月、ファルージャが侵略を受け、住人が逃げ、隠れ、あるいは虐殺されていたとき、米国では、報道メディアのおかげで「我々」人間の切断された遺体について人々はとてもよく知っていた。けれども、4月だけで何千回もなされた手足を切断された遺体への言及の中で、私たちは、3月31日より後に起きたそうした手足切断への言及をまだ一つとして見つけることができていない。それゆえ、今日、我々はイラク人医師が持ち出した質問をふたたび取り上げよう。このたびは、過去を振り返って:頭を失ったイラク人の幼女を見たとき、あなたは何を言いましたか?と。むろん、人によって異なるだろう。もしあなたがニューヨーク・タイムズ紙なら、何一つ言わなかったのだ[43]。もしあなたがポール・ブレマーだったら、たぶん、「それは抜け目ない決意だ」と言ったのだろう。

(1) "Violent Response: the US army in al-Falluja", Human Rights Watch, June 2003.
(2) See front page accounts in the New York Times et. al. on April 30, 2003.
(3) Ibid; see section 5, "Ballistic Evidence at the School".
(4) "Iraq Diary-Baghdad Street Sweepers; Collective Punishment and Kabobs in Falluja," Dahr Jamail, January 12, 2004.
(5) "Killing Iraq with Kindness," New York Times, Ian Buruma, March 17, 2004.
(6) "One Year Later," New York Times, Unsigned editorial, March 19, 2004.
(7) "Axis of Appeasement," New York Times, Thomas Friedman, March 18, 2004.
(8) "Slain Contractors Were in Iraq Working Security Detail," the Washington Post, Dana Priest and Mary Pat Flaherty, April 2, 2004.
(9) "Iraq violence drives thriving business," Chicago Tribune, Kristen Schanberg, Mike Dorning, April 2, 2004.
(10) "7 of Top 20 Papers Published Front-Page Fallujah Body Photos," E&P News, Charles Geraci, April 1, 2004.
(11) "To Portray the Horrors, News Media Agonize," New York Times, Bill Carter and Jacques Steinberg, April 1, 2004.
(12) "4 From US Killed in Ambush in Iraq; Mob Drags Bodies," New York Times, Jeffrey Gettleman, April 1, 2004.
(13) "Iraqi Mob Mutilates 4 American Civilians," Chicago Tribune, Colin McMahon, April 1, 2004.
(14) "Descent into Carnage in a Hostile City," Washington Post, Sewall Chan, April 1, 2004.
(15) "Four Americans Mutilated," the Washington Times, April 1, 2004.
(16) "Horror at Fallujah," San Francisco Chronicle, Colin Freeman, April 1, 2004.
(17) "4 From US Killed in Ambush in Iraq; Mob Drags Bodies," New York Times, Jeffrey Gettleman, April 1, 2004.
(18) "Acts of Hatred, Hints of Doubt," John Burns, New York Times, April 1, 2004.
(19) "General Vows to Hunt Killers, Retake Fallujah," Chicago Tribune, April 2, 2004.
(20) "Families of Men Slain by Mob Focus on Their Lives, Not How They Died," New York Times, Abby Goodnough, Michael Luo, April 3, 2004.
(21) "A Response to Fallujah," Washington Post, unsigned op-ed, April 1, 2004.
(22) "Why America Won't Cut and Run," Chicago Tribune, unsigned op-ed, April 1, 2004.
(23) "General Vows to Hunt Killers, Retake Fallujah," Chicago Tribune, April 2, 2004.
(24) "Marines Battle guerrillas in streets of Falluja," New York Times, Eric Schmitt, April 9, 2004.
(25) "Acts of Hatred, Hints of Doubt," John Burns, New York Times, April 1, 2004.
(26) "Hussein's Agents Behind Attacks, Pentagon Finds," Thom Shanker, New York Times, April 29, 2004. ほんのわずかたりともこの主張をうらづける証拠はあげられていない。また、前政権があるいは誰であれファルージャの人々に対して犯した犯罪が、なぜ、米軍がファルージャの人々に対して犯罪を(しかもはるかに重大な犯罪を)犯すことを正当化する事になるのか疑問とせざるを得ない。
(27) "Up to 12 Marines Die in Raid on Their Base AS Fierce Fighting Spreads to 6 Iraqi cities," New York Times, Jeffrey Gettleman and Douglass Jehl, April 7, 2004.
(28) "Marines Battle guerrillas in streets of Falluja," New York Times, Eric Schmitt, April 9, 2004.
(29) "When do we begin calling this a War again?" Dahr Jamail, April 9, 2004.
(30) "Troops Hold Fire for Negotiations at 3 Iraqi Cities," New York Times, John Burns, April 12, 2004.
(31) "Slaughtering Civilians in Falluja," Dahr Jamail, April 11, 2004.
(32) "No respite from the Violence," Dahr Jamail, April 12, 2004.
(33) "Iraqi Minister of Health presses Bremer and IGC to explain U.S. Targeting of Ambulances in Falluja," Dahr Jamail, April 17, 2004.
(34) "Fallujah Doctors Report U.S. Forces Obstructed Medical Care in April," News Standard, Dahr Jamail, May 21, 2004.
(35) "Cluster Bombs in Falluja, Harassment of Patients by Soldiers," Dahr Jamail, April 19, 2004.
(36) フレシェット弾は殺傷範囲が広いため極めて致命的である。人口密集地域でこれらの爆弾を使うことは戦争法の基本原則の二つに違反している。第一は、無差別攻撃の禁止という原則であり、これは民間人と軍事標的とを区別しないあるいは区別できない武器を使ったり攻撃を行ったりすることはできないことを意味する。第二は攻撃の方法と手段を選ぶ際には民間人の被害を避けるか最小化するためにあらゆる可能な手だてを取ることが要求されるという原則である。"Israel: Stop Using Flechettes in Gaza," April 29, 2003.
(37) "Atrocities Continue to Emerge from the rubble of Fallujah," Dahr Jamail, May 11, 2004.
(38) "Cluster Bombs in Falluja, Harrassment of Patients by Soldiers," Dahr Jamail, April 19, 2004.
(39) "Troops Hold Fire for Negotiations at 3 Iraqi Cities," New York Times, John Burns, April 12, 2004.
(40) Abu Muher, quoted in "Fallujah Residents Report U.S. Forces Engaged in Collective Punishment," News Standard, Dahr Jamaril, Apr 23, 2004.
(41) "Marines Use Low-Tech Skill to Kill 100 in Urban Battle," New York Times, Jeffrey Gettleman, April 15, 2004.
(42) "US Marines Shoot Ambulances in Fallujah," Democracy Now! April 13, 2004.
(43) もっときちんと検討しないとここは不完全であろう。2004年4月1日から5月11日までの間にファルージャを扱ったニューヨーク・タイムズ紙の55の記事のうち、米国による民間人攻撃を扱った記事がたった一つだけある。この記事は「民間人の戦争証言はイラク人の反米感情を激化させている」というもので、クリスティン・ハウザーが執筆し2004年4月14日に掲載されたものである。ヒューマンライツ・ウォッチが言うように「情報は直接検証しなくてはならない」という基本的なポイントが巧妙に利用されて、「戦闘の混乱により真実を知ることは難しくなっている」との指摘がなされる。けれどもそうした困難を記事も新聞もそれ以降気にしているようには思えない。この記事ではジョン・アビサイド将軍が「専門家の目撃証人」として登場し、次のように語っている:「アラブのメディア、とりわけアル=ジャジーラとアル=アラビヤは我々の行為を意図的に民間人を標的としているように描き出しているが、我々は断じてそんなことはしていない。誰もがそのことはわかっているだろう」。この記事の見出し表題が恐らくは示しているように、この記事は米軍の残虐行為が起きていることよりもむしろそうした残虐行為が起きていると噂されていることが米軍の戦争努力の邪魔になるという点を主題としている。「米国人治安契約職員が襲撃され手足を切断されてから開始された米軍によるファルージャ攻撃に関するこうした証言を、中東地域の多くのアラブ人は耳にしている」。

しかしながら、国際法の言葉がニューヨーク・タイムズ紙から失われたというわけでもないらしい。4月7日、マーリス・サイモンズは「イラク人が戦争犯罪裁判専門家と面会」したことを報じている。けれどもそこで彼女が議論しているのはサダムを裁判にかける見通しについてであり、米国にいるサダムの(失望した)主人たちを裁判にかけることにつじてではない。そのときすでに、米国にいるご主人たちはファルージャで虐殺の初期段階を開始していたにもかかわらずである。4月8日、ジュネーブ条約への言及がなされたが、現状に適用できるものではないとされた。9日には、米軍の将軍たちがニューヨーク・タイムズ紙を使って読者に、ファルージャで米軍は「武力行使を思慮深く/遵法的に」行っていると述べた。読者がそれを理解できないときのために、ニューヨーク・タイムズ紙は、ファルージャの者たちは「ファルージャで4人の治安ガードを攻撃して殺してから戦争の光景を劇的に変えてしまった」と説明し、そのためもはやファルージャでは戦士と民間人のはっきりした区別などすることができないと示唆してくれる。「誰があなたのところに来てあなたを殺すかなどわからないのだ」と("Under Falluja Sun, Gun Fire and a GrimTask: Wait it out," John Kifner, April 19, 2004)。また、「今や大問題は友好的な者たちと民間人と悪人がまぜこぜになっていることだ」とも("A Full Range of Technology is Appled to Bomb Falluja," Eric Schmitt and Thom Shanker, April 30, 2004)。実際のところ、3月31日にファルージャで死んだ4人のノースカロライナ州出身傭兵に対してと同じ基準がファルージャ住民にも適用されたとするならば、「抜け目ない決意」の犠牲となったファルージャ住民の一部ではなく全員が民間人である。

ニューヨーク・タイムズ紙をはじめとする米国のメディア(日本の少なからぬメディアや政治家の発言、インターネットや紙媒体の「批評家」の発言にも同様のものは見られますが)の発言は、まったく最悪のストーカー発言そのものです。

他人の家に法を犯して乗り込んで居座って「自分たちはお前たちに善をなしている」と居直り、抵抗されると「西洋式民主主義を教えようとする我々の企てが邪魔された」とわめき散らす。

大規模爆弾による無差別殺人、老人や子どもの狙い澄ました射殺、無根拠な拘留と収容所での拷問や強姦、町の破壊を繰り返し、勝手に押しつけた総督と傀儡にすべての資源を米国を中心とする諸外国の資本が略奪できるような「法」を勝手に押しつけておきながらなお、米国は「西洋式民主国家を構築しようとしている」と叫ぶ。

平和的なデモにマシンガンを無差別発砲し17人もを殺し数十人もを負傷させておきながら、それを全く取り上げずに、あたかも米国人傭兵が殺されるまで米軍海兵隊は「友好的」であり、その「友好的側面」を放棄せざるを得なくなったのは傭兵の殺害のせいであるとする根本的な自己反省能力の欠如も、こうしてまとめてみると異様なまでに際だっています。

ニューヨーク・タイムズ紙の執筆者たちは、自分たちは戦略的に宣伝の立場をとっておりこうしたストーカー的記事は意識的なものであると言うのかも知れません。けれども、ロス・マクドナルドがかつてその小説の中で「自ら狂気を意識的に装いながらその装いの意識も含めて完全にイカれてしまった人物」を描いたように、米国のメディアはその「戦略的自己意識」も含めて完全に人間的センスを失い崩壊してしまっているように見受けられます。

2004年4月のファルージャ包囲の際、米軍が実際に何をしていたかについての目撃証言は『ファルージャ2004年4月』(現代企画室)にまとめられています。また、TUPさんが、「ファルージャ総攻撃の実態を伝えたイラクNGOの国連事務総長宛報告書」を日本語で紹介しています。是非ご覧下さい。

投稿者:益岡
2005-02-21 18:04:50