.comment-link {margin-left:.6em;}

teanotwar - mirror/archive (Japanese fonts required)

Official mirror site of our blog, for those who can't access it, http://teanotwar.blogtribe.org, due to the technical problems, firewall setups, etc. http://teanotwar.blogtribe.org/のミラーリングを目的としています。記事部分に何も表示されていない場合は下までスクロールしてください。個別記事へのリンクは,記事の投稿時間のところをクリックすれば表示されます。

2005/02/24

選挙の意味

1月30日に投票に行ったイラク人の文章。1月31日のOccupation Watch記事。

イラク選挙の意味を翻訳すると・・・
ハウラ・カラマ
2005年1月31日
OccupationWatch原文

私は長いこと待たれていたイラク選挙にこの週末参加する機会を得た。一般に信じられているのとは異なり、イラク政府で私の意見が求められたのはこれが最初ではない。本当のところ、これは3回目なのだ。サダム・フセインは、我々イラク人に、1995年と2002年に、私たちは彼が指導者であることを望むかどうかと訊ねた。どれだけ多くのイラク人とイラン人そしてクウェート人の血が彼の手についているかを考えると、ちょっと馬鹿げた質問に聞こえるかもしれない。それにもかかわらず、どちらの投票でも、サダムを承認する投票者の比率は99%以上だった。この数値は正確ではありえない、だろうか?イラクの人々は、ひどい専制支配と隣国との戦争、民族浄化をさらに何年も望んだというのだろうか?

振り返ってみると、これら二つの投票の驚くべき結果を説明する理論は何十もあることがわかる。もしかするとバアス党員だけが投票に参加したのかも知れない。人々はあまりに怖くてサダムを望まないと言えなかったのかも知れない。「否」の投票をした人々は無視されたのかも知れない。いずれにせよ、過去を分析することにあまり時間を使いすぎないようにしよう。最低ラインとして言えるのは、独裁体制のもとで民主主義などあり得ないということである。今日私は時間を使って、外国の占領下で民主主義を利用することにしよう。

私はニュースを見るものなら誰でも分かる理由で投票を躊躇した。それから、アメリカ人が私たちに持ってきてくれた民主主義を私が受け入れなかったときイラクにいるアメリカの客人たちが失望するだろうと考えた。彼らの気持ちを傷つけたくはなかった。文明の発祥地に住む人々は文明化されていないと彼らに考えてもらいたくはなかった。だからバグダードで私の家に一番近い投票所に勇気をふりしぼって行ったのである。

最初、私は投票所と米国大使館とを間違えたかと思った。あまりに多くの米兵が外に立っていたから。私の登録票を確認した。私は正しい場所を訪れていた。そこで私は深呼吸して、中に入った。イラク当局が米軍の駐留を求めていたこと、というのも当局は投票者にイラク製のお茶を準備するのに手助けが必要だったからというのを知って安心し驚いた。彼らは、この民主的プロセスをできるだけリラックスするようにしたかったのである。

テキサス州出身の若い兵士がイラクの歓待の一杯を私にくれた。私はそれから神経質に投票箱に向かった。私の心臓は速まり、この瞬間が起きるために支払われた代償を考えて涙が目から溢れた。個人的に、私の姪は2003年3月バグダードで爆弾が爆発したとき両腕と両足にひどい火傷を負った。私の裏庭は米軍戦車の駐車場となってしまった。さらに広い範囲を見渡すならば、私の同胞が十万人以上殺され、さらに多くが怪我をしたり肢体不自由になったに違いない。多くのアメリカ人家族が、軍にいた愛する人々を失って嘆き悲しまなくてはならなかった。環境は向こう数世紀にわたって打撃を受けたと宣言されている。ホワイトハウスと議会の政治家たちはわざわざ、私がこれらすべての苦しみを誰が魔法の杖で振り払ってくれるか選ぼうとしていたときに、私の一杯の紅茶に十分な砂糖が入っているかどうかチェックしてくれたのである。

私は涙を拭い、気を取り直して、ティーカップの最後の一滴を飲み、投票ブースへ入った。私の前に置かれた投票用紙を見てすぐさま、今度は1995年と2002年のときとは違うことを見て取った。その二度のときには、私はたった一人の独裁者に関するたった一つの質問を効かれただけだったのである:「サダム・フセインを大統領として望みますか?A)はい、B)いいえ」。

一方、今度の選挙は、私に沢山の問題について、様々な選択肢を提供してくれていた。私が質問された多くの質問を見て欲しい:

1.あなたは誰に拷問されることを望みますか? A)米軍兵士、B)英軍兵士。

2.道で占領軍兵士があなたを止めたとき、あなたは裸にされて身体検査されるとき、次のどちらを望みますか? A)目隠しあり、B)目隠しなし。

3.外国の兵士があなたの家に真夜中に入ってきてあなたの夫を逮捕し子どもたちを恐怖に陥れるとき、次のどれを望みますか? 彼らが、A)ドアをノックすること、B)呼び鈴を鳴らすこと[この質問は奇妙に思えた。というのも、彼らは私たちには電力供給がないため呼び鈴がならないことを知っていたと思っていたから]。

4.CIAに雇われた以下のイラク人のうちどちらを望みますか?[選択肢はあまりに多いのでここで再掲はしない]

5.あなたはあなたの国を占領している外国軍の撤退を望みますか?A)いいえ。[たぶん彼らは、「はい」という選択肢をたまたま印刷し忘れたのだと思う]。

私たちの意向を完全に確実に聞き届けるために、質問のいくつかは選択式ではなく自由回答式だった。投票者は様々な問題について意見を書くことを許されていた。たとえば次のようなものである:

6.あなたの拷問の写真に対して著作権を持つべきメディアはどこであるべきだと思いますか?

7.占領軍はナジャフやカルバラの神聖な場所を侵害し、バグダードとファルージャで沢山のモスクを爆撃しました。占領軍が見落とした他の神聖な町はありますか?

8.イラクの石油の独占権はどの米国企業に与えられるべきだと思いますか?

これらの質問すべてを読んだ私は、1995年と2002年にしたのと同じことをした。投票用紙に何も書かず、出てきたのである。

投票所から帰る途中、一人の米軍兵士が私に「私は投票した」と書かれたステッカーを手渡してくれた。私がそれを彼のライフルに貼り付けて立ち去ったとき、彼は困惑したようだった。



ファイル作成者:益岡
2005-02-24 21:48:42