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2005/03/04

サイード・サラ、農民

クリスチャン平和構築チームが伝えるイラク人農民サイード・サラさんの話。

サイード・サラ、農民
クリフ・キンディ
Electronic Iraq原文
2005年2月28日

サイード・サラはケルバラ郊外で父と叔父たちとともに農業を営んでいた。2003年の米国によるイラク侵略のとき、米軍兵士が彼の農場を攻撃し爆撃した。家族のうち16人がこの攻撃で殺され、9人が怪我をした。家は潰され、家具と持ち物は破壊された。さらに、米軍の攻撃により75頭の羊が殺された。牧羊は彼の収入源の一つだった。

攻撃の4日後、彼はケルバラのイラク・ヒューマンライツ・ウォッチを訪れ、自分の身に起きた悲劇を報告した。世界中のメディアがこの出来事について報じた。それからヒューマンライツ・ウォッチ・インターナショナルが彼の農場を訪れた。人権活動家たちは農場に不発弾を見いだした。サイードは彼らに、1991年の反サダム蜂起で殺された人々の大量墓地6カ所を知っていると述べた。

米国は1991年の蜂起の際、サダム・フセイン政権により殺された人々の記録をとることを進めており、イラク暫定政権とともにその時代に失踪した人々を見つけだす委員会を設置した。フセイン時代のイラク政府関係者に対して戦争犯罪の告発もなされつつある。それにもかかわらず、アメリカ合州国は2003年のイラク侵略の際に米国が引き起こした損害や死に対する賠償を拒否している。

サイード・サラは米軍からもイラク暫定政権からも他の誰からも何一つ支援を受け取っていない。シーア派ムスリムのサラはケルバラのCPT(クリスチャン平和構築チーム)関係者に「イエスは平和のために命を捧げた。私の家族の命も平和のためにささげられた。世界中のクリスチャンに私の話を聞いてもらいたい」と語った。

彼はさらに、「失われた家族の代わりとなるものは何もない。賠償はいらない。ただ、人々に、それがどんな影響を私の心に与えたか知って欲しい」と語った。

クリスチャン平和構築チームは全教会が参加する暴力削減プログラムで、歴史的な平和教会を起源とする。訓練を受けたチームのワーカが世界中の紛争地域に住んでいる。CPTは2002年10月以来イラクにいる。CPTについてのさらなる情報はhttp://www.cpt.orgを参照。CPTプロジェクトの写真はhttp://www.cpt.org/gallery


投稿者:益岡
2005-03-02 00:49:27