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2005/03/04

傲慢? 訴えどおり有罪

ファルージャ難民を訪問したクリスチャン平和構築チームの一人による報告。

傲慢? 訴えどおり有罪
アラン・スレーター
Electronic Iraq原文


イラク・ファルージャ 町の入り口の検問にて(米国防省写真)

「この地点より、致死的兵器の使用を許可する」。ファルージャ郊外の米軍検問所の横に掲げられたアラビア語の表示を最もうまく翻訳している言葉はこれだろう。ファルージャの自宅に向かう何百台もの車と何千人もの人々が、この表示を通り抜けるために並んでいる。ファルージャ脇を通るとき、高速道路からファルージャの最新の区画割りを見ることができる。家々はうち捨てられた。家の半分は、屋根が米軍の爆撃で崩れ落ちた。依然として立っている壁はすべて銃弾の穴と戦車砲の大きな穴があいている。ファルージャは産業の中心地だった。今や、操業しているわずかな産業といえばセメント工場だけである。

2月24日だった。私たちはファルージャの南西約25キロにあるアモリヤ村へ向かっていた。ファルージャ出身の難民が何百人も、アモリヤで暮らしている。車に乗っていたのは5人だった。運転手はファルージャに親戚がいた。ファルージャとつながりをもっていることは安全上必須だった。私たちは、ファルージャの人々の苦しみについて証言と証拠を集めているあるイラク人人権活動家に同行を願い出た。彼女の他に、難民に医薬品を届けようとイラク人薬剤師が1人同行していた。シェイラ・プロベンチャーと私がイラクのクリスチャン平和構築チーム(CPT)所属のオブザーバだった。

アモリヤで、私たちはまっすぐに学校へと向かった。最初の教室に入った。家族にプライバシーを与えるものといえば、毛布で作られた粗末な囲いだけだった。部屋の真ん中には共同スペースがあり、パンを作るためのガス・オーブンがあった。羊の残骸が床に横たわっていた。昨年11月以来、この部屋で25人程が暮らしている。ここで二人の赤ちゃんが産まれた。誰もが、ファルージャを逃げ出す際の恐ろしい経験を抱えていた。家族の中に、けが人や行方不明者、死者がいた。5人家族をもつ1人の男性は、米軍が彼に家族をファルージャに連れ戻さなければ逮捕すると述べたと語った。ファルージャの家はもはや存在していない。米軍が爆撃で破壊したのである。この男性は、家族を別の人々にあずけて、自分は逮捕されないよう逃げようと計画している。

私たちは同じような部屋の多くを慌ただしくのぞき込むだけで通り過ぎた。この学校に来たオブザーバの何人が、最初の部屋で立ち止まって証言を聞き、他の部屋を通り過ぎただろうとの思いが頭をよぎった。

私たちは何百人もが使うたった一つのトイレのそばで立ち止まった。すぐに私たちは自分たちの証言を抱えた多くの人に取り囲まれた。中には最初の部屋の人々もいた。特に子どもたちだった。集団の後ろの方をみた。新しい顔が近づいてきたりためらったりしていた。誰もが自分の経験を持っており、私たちにそれを聞く余裕がないことを知っていた。しばらくして人々の顔は不機嫌になった。私たちが彼ら/彼女らが経験した恐ろしい話を聞かないことに怒りと不満を募らせていることが現れていた。とても困難な環境にともに置かれることを余儀なくされたこれらの人々の集団生活に対して、私たちが姿を現したことでどんな影響を与えてしまうだろうと考えた。コミュニティは、自分たちの話を伝えることができた人と伝えなかった人とにわかれる。古い科学の法則は次のように述べている:「観察対象に変化を与えることなしに対象を観察することはできない」

外に出て、私たちは学校の裏手を通り、埃っぽい砂利の校庭に出た。私たちはそこで「移動教室」という言葉に新たな意味を与える状況を目にした。遊び場がドラッブの暗いテントで覆われ教室として使われていた。きれいな大きな文字で英語で書かれたサインは、誇らしげに、これはヒューマン・アピール・インターナショナルとイラク政府教育省の共同プロジェクトの成果であると告げていた。私たちは学校の教頭に表示が英語だけなのはどうしてかと訊ねた。彼女は、それはメディア向けで、そうすればヒューマン・アピール・インターナショナルが資金集めの要請をしやすくなるからだと述べた。イラク教育省がこのプロジェクトを支援していることを誇りに思うかと私たちは彼女に聞いた。彼女はぶっきらぼうに「ノー!」と答えた。

突然、誰かがイラク人権活動家の女性にメモを手渡した。「ただちにこの地域を立ち去らなくてはならない」と書かれていた。どうやら、キャンプの誰かが、「米国大使館から来たアメリカ人」がキャンプにいるという話を広めたらしい。人権活動家はクールな女性だったが、明らかに怯えだした。難民の誰かが、地域から出るために車を提供してくれた。運転手が自分が隠し持っていたピストルを一緒にいた女性に手渡した。彼女が身体検査される可能性はより少ないと知っていてのことである。イラク人の同僚は命を危険にさらすこととなったため、シェイラと私はイラクの人々が直面している問題の一部を経験することができた。

世界は難民の証言を聞かなくてはならない。絶対に。けれども、私がキャンプのコミュニティから何らかの公式招待を受け取って別の難民キャンプに行けるまでにはずいぶん待たなくてはならないだろう。私たちが訪れたことで、そこの難民コミュニティ内で緊張の可能性が高まったと私は考えている。

クリスチャン平和構築チームは全教会が参加する暴力削減プログラムで、歴史的な平和教会を起源とする。訓練を受けたチームのワーカが世界中の紛争地域に住んでいる。CPTは2002年10月以来イラクにいる。CPTについてのさらなる情報はhttp://www.cpt.orgを参照。CPTプロジェクトの写真はhttp://www.cpt.org/gallery


投稿者:益岡
2005-03-03 01:44:28