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2005/03/22

私がイラクについて耳にしたこと (3)

米国によるイラク侵略から2年。日本で小泉政権が言葉への最低限の誠意を崩壊させている中、イラクについて何が語られてきたかを振り返る記事の第三回。長いため、間を置いて順次掲載します。(1)はこちらを、(2)はこちらをご覧下さい。(※「1」のミラー版および「2」のミラー版もあります。)

私がイラクについて耳にしたこと (3)
エリオット・ワインバーガー
ロンドン・レビュー・オブ・ブックス原文
2005年2月3日

私は米国副大統領が次のように言うのを耳にした:「軍事史上もっともみごとな任務の基準----たとえば1940年春のアルデンヌにおけるドイツ軍や1944年7月のパットンの快進撃など----と比べても、今進められているバグダードへの進軍は速度と勇敢さと犠牲者の少なさにおいて前例がないものだ」。

私はデイヴィッド・ハックワース大佐が「Hey diddle diddle, it's straight up the middle」というのを聞いた。

私はペンタゴンの報道官がイラク人犠牲者の95%は「軍事年齢の男性」だと言うのを聞いた。

私は赤十字職員が次のように言うのを耳にした:「高速道路だけをとってみても、民間人の車が50台以上あって、それぞれの中で4人から5人の人々が灰になっていた。これらの遺体は、近くの人々が有志で埋葬するまで10日から15日も灼熱の光の中に座っていたのである。親族たちがやってきて見つけるのは、こうしたものだ。戦争は悪だが、それがあとに残すものはさらにひどい」。

私はバグダードのある病院長が次のように言うのを聞いた:「病院全体が緊急治療室になっている。怪我の状態はあまりにひどい----頭のない胴体が一つ、お腹が切り裂かれ開いた人が別のところに」。

私はある米軍兵士が次のように言うのを聞いた:「私はベッドの横に世界貿易センターの写真をかけており、ケブラーの下にも一つもっている。見るたびに私はそこにいた人々に哀れみを感じて、こう考える:『奴らが俺たちを襲撃したんだから、今度は俺たちの番だ』」。

私は、14歳で「痛々しいまでにはにかみ屋」だった太ったハシムが米軍第四歩兵部隊が彼の村を襲撃したときに射殺されたと聞いた。彼は川辺に鳥かごをもって何時間も座っているのが好きだった。ハシム少年の死についての詳細を聞かれたとき、部隊の司令官は次のように言った:「そいつはたぶん、都合の悪いときに都合の悪い場所にいたんだろう」。

私はある米軍兵士の次のような言葉を耳にした:「ガキどもが俺たちに石を投げて来るんだ。そっちを向いてクソガキの一人を撃ち殺してやりたいが、そんなことしちゃいけないだろう」。

私はペンタゴン報道官が米国は民間人犠牲者数を数えていないと言うのを聞いた:「我々は敵の戦闘能力を破壊することに力を注いでいる。したがって我々は民間人を標的にすることは決してせず、それゆえ意図しない民間人の死者数を数えるいわれはない」。私はこの報道官が、いずれにせよ民間人犠牲者すうを数えるのは不可能だ、というのもイラク人準軍組織は民間人の服を着て戦闘に参加しており、イラク軍は民間人を盾としており、そして民間人死者の多くはイラクの「目標を失った対空砲弾が地上に落下したため」に引き起こされたからだ、と語るのを聞いた。

私はある米軍兵士が次のように言うのを耳にした:「最悪なのは、奴らの一人を撃ってそれから助けにいくことだ」。規程通りに。「クソったれ、俺は奴らの誰一人たすけたかない。クソゴミどもを助けたくはない。ときどき死ぬにまかせることもある。二度やることもある。最初は標的にたどりついたとき、それから奴らを撃って進んで、まだ何かあったら、もういっぺん撃つ。戦争捕虜はほしくないからな」。

私はジェシカ・リンチ上等兵の世話をした医師アンマル・ウダイが次のように言うのを聞いた:「私たちはヘリの音を聞いて驚いた。なんでそんなことをするのだろう? イラク軍などいなかった。病院には兵士は一人もいなかった。まるでハリウッド映画のようだった。銃を持った彼らは『ゴー、ゴー、ゴー!』と叫び、光がきらめき、爆発音が聞こえた。彼らは演出していた:シルベスタ・スタローンかジェッキー・チェンばりのアクションムービーで、飛んだり叫んだり、ドアを壊したり。その間ずっとカメラが回っていた」。

私はジェシカ・リンチ上等兵が次のように言うのを聞いた:「彼らはこれらすべてをシンボルに仕立て上げるために私を利用した。真実のかけらもない物語を人々が作り上げるのには傷ついた」。彼女が自分を拘束した者たちと勇敢に戦って銃による傷と刺し傷を被ったところについて、私は彼女が次のように言うのを聞いた:「私は自分がしなかったことを私のものとされようとは思わない」。彼女のドラマティックな「救出」については、彼女が次のように言うのを聞いた:「そんな風に事態が起きたとは思わない」。

私は赤十字がバグダードの犠牲者数はあまりに多くて病院も犠牲者の数を数えることを止めざるを得なかったと言うのを耳にした。

私はある老人が、戦車が彼のミニバンを爆破して家族の11人----子どもたちと孫たち----を殺されたあと、次のように言うのを聞いた:「私たちの家はからっぽになってしまった。残されたのは野生動物だけだ。できることは嘆くことだけだ」。

暴動と略奪が起きたとき、私はバグダードの市場のある男性が次のように言うのを聞いた:「サダム・フセイン最大の犯罪は、米軍をイラクに連れ込んだことだ」。

暴動と略奪が起きたとき、私はドナルド・ラムズフェルドが「雑然としている。そして自由とは雑然としたものだ」と言うのを聞いた。

そしてイラク国立博物館がからっぽになり国立図書館が焼き払われたとき、私はラムズフェルドの次のような言葉を聞いた:「テレビで目にする映像は、繰り返し繰り返し繰り返し同じこと、誰かが建物から壺をもって出てくる光景だ。20回もそれを見て、こう思う:『マーイ・グッドネス、そんなに沢山壺があるってか? イラク全体でそんなに沢山壺があるなんてことがあるんだろうか?』」。

私は1万人のイラク民間人が死んだと聞いた。

以下、続きは順次ポストしていきます。「私がイラクについて耳にしたこと(1)」はこちらを、(2)はこちらをご覧下さい。

米国がつきつづけてきた嘘をめぐっては、「戦争とテロを巡る40の嘘」(1)(2)(3)(4)もご覧下さい。


投稿者:益岡
2005-03-22 20:01:01