「拷問/虐待」とサンチェス中将,アブ・グレイブとCIA
米国のthe American Civil Liberties Union(ACLU)は,イラクおよびアフガニスタンにおける囚人虐待の責任者であるとしてドナルド・ラムズフェルド国防長官を訴えた裁判(→4月1日のACLUプレスリリース)での一連の手続きにおいて,さまざまな文書を入手してきました。アブ・グレイブに子どもが収容されていたことが,この3月に明らかになったのも,ACLUが入手した文書によってでした(このことについてのラフール・マハジャンの記述,およびBBCの記事)。
この後,3月末にACLUが入手した文書により,さらに,当時の米軍司令官サンチェス中将が,各種尋問テクニックを知っていたこと,またアブ・グレイブ以外の収容施設での拷問/虐待行為についての軍の内部調査の詳細などが明らかになっています。
3月30日の,英BBCのあっさりした報道記事と,イタリアの英語サイトuruknetの詳しい記事を。
まずはBBCです。
US memo shows Iraq jail methods
Last Updated: Wednesday, 30 March, 2005, 04:24 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/4392519.stm
※概略
米国のthe American Civil Liberties Union(ACLU)が米国情報公開法により入手した2003年9月付けの文書によると,当時の駐イラク米軍最高司令官,リカルド・サンチェス中将が,各種の尋問テクニックを許可していた(authorised)。
これらの尋問テクニックには,犬をけしかける,方向をわからなくする,ストレスのかかる体勢を取らせる,大音量の音楽をかける,照明をつけっぱなしにする,部屋の温度を極端に上げるまたは下げるなどする,睡眠のパターンを乱す,不快な臭いを放つ,孤立させる,といったものが含まれている。また,米国以外の国の人物が尋問を行なっていると信じさせるために「偽の旗(false flag)」を使うことも許可していた。
マズルをつけた軍用犬を使うことに関しては,このメモには「アラブ人が犬を恐れることを利用しつつ,一方で尋問中の安全を維持する」とある。
ACLUでは,これらの手法は一般に認められている手法ではなく,サンチェス中将に責任を問うべき(should be made accountable)としている。
これらの手法はすべてサンチェス中将の認可を得ていたが,1ヵ月後に軍の法律家からの反対のために撤回されていた。
サンチェス中将は,これらのテクニックについては毎回,申請と認可の手続きが取られた上で行なわれていたとし,自分は一度もその許可を与えたことはないと述べている。
当初ペンタゴンは国家安全保障上の理由でこのメモの公開を拒否していたが,ACLUは情報公開法に基づいて法的手続きを行ない,その結果,メモは3月25日にACLUに渡された。
ACLUでは,文書にある29のテクニックのうち少なくとも12が,軍の現場マニュアルで認められている限界をはるかに超えるものであるとしている。
ACLUの法律家であるアムリット・シン(Amrit Singh)はACLUの声明文で「サンチェス中将は,明らかにジュネーヴ条約に違反し,軍の基準をも逸脱した尋問テクニックを認めていた。被拘束者に対する広範な虐待に責任を負う,中将をはじめとする軍高官は,説明責任を負うべきである」と述べている。
アブ・グレイブ刑務所で米軍兵士らによってイラク人囚人が虐待を受けたのは,サンチェス中将が総司令官をつとめていた時期のことであった。
軍の調査では,これらの虐待は幹部らによって定められた方針の結果生じたものではない,との結論になっている。
同じニュースについて書かれている,uruknet.info(イタリア;記事は英語)の,BBCよりはるかに主張系の記事によると,問題の文書はサンチェス中将によって2003年9月14日に書かれたもの。
また,「ペンタゴンは3月21日までにこの文書を渡すことになっていたのに,イースター休暇直前の25日になってやっと出してきた」,また,「ACLUに渡される前に,文書を収録したCD-ROMが一部の報道関係者に渡されていた」とのこと。
uruknet.infoの記事の要点となる部分を訳出しておきます。
このサンチェス・メモは,2003年4月にラムズフェルド国防長官に承認された尋問テクニック・リストより広範囲なものであり,2003年秋にジェフリー・ミラー将軍(当時,グアンタナモ湾米軍キャンプのトップ)がイラクを訪問した時期と重なっている。グアンタナモでは苛烈な尋問テクニックが用いられている。
サンチェス・メモのすぐ後に起きた虐待の疑惑についての軍の内部調査の報告書には,アブ・グレイブ以外での同種の件が示されている。
2003年12月にモスルのthe 101st Airborne Division管轄地域内,the Brigade Holding Area (BHA) of the 311th Military Intelligence unitで,20歳のイラク人男性が米軍に拘束されている間にあごを砕かれた。この男性は父親がサダム・フェダイーンの一員だったことがあるために拘束された。この男性は,米兵にあごを殴りつけられたと語り,「一晩中水をかけられていた。立たされたりしゃがまされたりした。夜から翌日にかけてずっと殴られた。木曜日にあごを殴られた。その後水を与えられたがまるで飲めなかった」と述べている。
この事件の調査にあたった調査官は,モスルの施設での広範な虐待の証拠を発見している。「the 311th MIに所属する兵士および/または通訳が,被収容者の肉体的拷問(physical torture)を行なったという証拠がある」と調査官は書いている。また,被収容者の虐待は「受容できるpracticeであり,経験の少ない歩兵隊警備員に,ほとんどガイダンスのように示された。……ジュネーヴ条約の第三条約および第四条約に違反している」とも書いている。
兵士らによって用いられた手法には,ヘヴィメタルを大音量でかける,拡声器を使って怒鳴りつける,水のボトルで殴る,長時間にわたって運動を強要する,冷たい水をかける,睡眠を奪う,などといったものがある。
兵士のひとりによると,「一晩中金属の扉を叩いたり,うるさい音楽をかけたり,怒鳴りつけたりして,囚人を寝かさないようにしていた。これらが指示されていた」という。殴ってはならないと指示されていたとこの兵士は言うが,別の部隊員は司令官が「囚人の首に膝を乗せて床に押し付けていた」のを目撃している。「この司令官は非常に攻撃的で囚人の扱いが乱暴だった。」
これらの手法は,尋問を進めることを目的としていたものであろう。ある将校は「これをすると疲れてしまう。疲れるとうっかりするものだ」と述べている。
この件の2日前の2003年12月9日,アブ・マリク・ケナミ(Abu Malik Kenami)という囚人が死亡した。死因は心臓発作と思われる。ある署名のない文書には「5日から9日にかけて,ケナミは収容施設内のルールに従っていなかった。彼への罰はups and downsだった。Ups and downsとは,囚人を短時間のうちに連続して立たせたり座らせたりする矯正テクニックのことである」とある。ケナミには心臓病の病歴はなく,検視解剖も行なわれていない。
この調査官は,the 311th Military Intelligence unit司令官に対する懲戒処分は一切提言していない。
別の調査では,2003年6月に起きた件で,タジのTask Force Iron Gunner, a unit of the 4th Infantry Divisionが対象となっている。
心理作戦(Psychological Operations: PSYOP)の将校が,しばしばイラク人全般をターゲットとする無差別的・犯罪的性格の拘束や作戦を行なっていたことを示す報告がある。この将校によれば,「Task Force Gunnerは地域の一般市民を拘束していたが,その根拠はただの思いつきに過ぎないものであった。当初人々は,100ドル相当を所持していたとの理由で拘束され連行されてきた。……このタスクフォースはその金銭を取り上げ,そのまま返却しないことも多かった。……尋問された650人以上のうち,少しでも情報的価値があると証明されたのはわずか20人だった。」
この将校は,司令官は「誰が『悪い奴』で収容すべきなのかを判断するときにオーソドックスではない方法を」使っていた,と述べる。「手を振ってみせて相手が同じように応じなかった場合には逮捕させていた。」
あるとき,このユニットがパトロール中に発砲を受けた。「事件現場近辺の一般家屋に家宅捜索が行なわれた。……降服せよとの告知で,その家の住民(女性と子どもがだいたい19人と男性が3人)が降服した。住民が家から出ると,ブラッドリーが家に対しておよそ1分間の銃撃を加え,家は家族の見ている前で炎上した。」
さらにまた,砲兵隊の車列に対し発砲したとされる車両に,この車列が発砲したというケースもある。この将校は「しかし報告書には武器が回収されたとの記述がない」と書いている。「遺体はタジの軍事施設にすぐに埋められ,居場所を尋ねてきた家族が一時的に収容され,翌日遺体の引き取りに来るようにと言われた。(死亡した人の)父親は翌日再訪し,息子たちの遺体を掘り出さなければならなかった。」
この将校によれば,「この〔編集されている〕は毎回,活動中のタスクフォース・メンバーがイラク国民を銃撃し殺すことは,受容範囲内であり,必要なことですらある,ということをはっきりさせていた」。
この他にも多くの事例がこれらの文書には報告されている。ある文書には,バグダード近くに駐留する将校が,軍規違反で有罪を申し立てたとある。この将校は「ある囚人の服をすべて脱がせ,その囚人を,全裸のまま公衆の面前を帰らせるよう,部下に積極的に指示した」。
the 41st Infantryのある司令官は,2003年3月のイラク侵攻当初に,部隊に対して「戦争捕虜をとるのではなく,敵は全員,戦闘中であれ負傷しているのであれ降服してきたのであれ,殺せ」と命令したとして訴えられている。
2003年8月16日付けの文書には,ある将校が部下の一人に対し,「囚人を連れ戻して殴りつけてゲロを吐かせろ」と(f***を入れて)命令した,とある。Husaybahにいた兵士はMTVの番組「Jackass」の投稿ネタにするつもりでビデオを撮影した。そのビデオでその兵士は「こいつの腹を殴ります。これがJackass Iraqです」と言い,囚人を殴った。
これらは,ACLUが入手した大量の文書の最新のものであるにすぎない。3月9日,ACLUは自身のサイトに,CIAの「ghost detainees」に関する一連の文書を掲載した。その中には,CIAと軍情報機関がアブ・グレイブにおいて,同刑務所をCIAの秘密囚人(secret prisoners)を拘置しておくために用いることで合意したという声明もある。これらの囚人は国際赤十字委員会からも隠されている。
先週,関連する文書をワシントン・ポスト紙が入手した。3月24日の同紙記事によれば,「未登録の,CIAによる拘束者が,2003年末の1週間の間に数度,アブ・グレイブに連行されていた。そして……特別の独房に隠されていた。1ケタのID番号をつけられたこれらの収容者を追跡するため,軍警察はrough systemを考案し,一方で名前も挙げられず告知もされず説明もなく死亡した(drop off)者もいる」。
ワシントン・ポスト紙が入手した文書には,同刑務所での最高位の軍情報部将校であるColonel Thomas PappasとLieutenant Colonel Steven Jordanが,幽霊囚人の扱いをめぐるCIAとの協議に関わっていたことが示されている。文書のうち1通は,サンチェス中将の供述であり,イラクにおける情報部将校トップのMajor General Barbara Fastが「OGA(Other Government Agency, すなわちCIAを言う)によって使われる独房の配置について知らされていた」としている。
CIAの幽霊囚人は,アブ・グレイブでの虐待写真に写されている人々の中にもいる。氷につけられたManadel a-Jamadiの死体の写真があるが,Manadel a-JamadiはおそらくCIAが拘束した人物である。これらの文書は,イラクでの情報将校上層部が,アブ・グレイブが囚人を隠すために用いられていることを知っていたということを示すものである。そしてそれは,国際法の元では違法行為である。
BBCおよびuruknet記事で報告されている文書をはじめとする各種文書そのものがACLUのサイトで閲覧可能(PDF)。ですが,全部で30,000ページだそうです……。
上記2件の記事で言及されている「サンチェス中将のかかわり」についてのプレスリリース(1ページ)はMarch 29, 2005付けと,March 31, 2005で出ています。
uruknetの記事の最後の方にある,「アブ・グレイブとCIA」については,4月4日にロイターが報じています。→日本語にしました(ミラーのURL)。
投稿者:いけだ
2005-04-05 22:16:00
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