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2007/02/10

バグダードに落とされる爆弾

米軍が空からイラクの人々にもたらす死について。Tomdispatchのニック・タースが伝える。第一部。

バグダードに落とされる爆弾
イラクでペンタゴンが進めている秘密戦争
ニック・タース
2007年2月7日
トムズ・ディスパッチより
ZNet 原文

イラクで----それもしばしば人口が集中している地域やその周辺で----、秘密戦争が続けられている。けれども、私たちはほとんどそれについて知ることがない。米軍は、空襲に用いている弾薬の情報を秘密にしており、規模の詳細について報告を拒否することで、イラクにおける空軍力の重要性を最低限に見せようとしている。けれども、専門家の意見によると、私たちのメディアではほとんど報じられないにもかかわらず、イラクに加えられている空襲こそが、2003年のイラク侵略以来、米軍と連合軍がイラクの民間人にもたらしてきた死のほとんどを占めているという。

空からの攻撃の一部は完全に謎のままであるが、米国空軍関係者は、米軍と連合軍の戦闘機が2006年にイラクの標的に少なくとも11万1000ポンドの爆弾を投下したことを認めている。この数値----合計177発の爆弾からなる----には、誘導ミサイルやロケットは含まれていないし、機関砲の発射数も含まれていない。また、米国中央軍司令部空軍(CENTAF)報道官によると、この数値には、海兵隊その他の連合軍部隊の航空機が発射した砲弾も、陸軍の戦闘ヘリが発射した砲弾も含まれていない。さらに、多くの私営治安契約要員が使っている武装ヘリが自分たちの作戦飛行で用いた砲弾も含まれていない。

空襲、2006年イラク

Tomdispatchが入手した統計によると、CENTAFは2006年、イラクで「上空掩護作戦」を合計1万519回行ったと報じており、それを通して177発の爆弾を投下し、52発の「ヘルファイヤー/マベリック・ミサイル」を発射した。これらの空襲には、おそらく、広く宣伝された作戦も多数含まれているだろう。たとえば、1月にバイジ郊外に加えられ、「12人からなる家族を殺した」と報じられた空襲----このときには女性3人と幼い子ども3人も殺された----から、ファルージャ近くのガルマ地区にあるゲリラの隠れ家に対して12月に加えられた攻撃----このときには5人のゲリラに加えて「女性2人と子ども1人」を殺した----までが含まれているだろう。そのほかに、もっと知られていない事件も含まれる。7月28日---公式報告に基づいて述べよう----米国空軍のプレデター無人航空機がヘルファイヤー・ミサイルにより「反イラク部隊」の車両を破壊し、一方米国空軍F16戦闘ファルコンが「GBU-12を使って反イラク部隊の拠点を破壊し」た事件などである。これらの事件はいずれもラマディ市近郊で起きた。

GBU-12(誘導爆弾装置12)は、500ポンドの多目的弾頭を備えたレーザー誘導爆弾で、Tomdispatchが入手したCENTAFの統計によると、2006年にイラクで最も多く使われた爆弾である。GBU-12が95発「費やされた」のに加え、2006年には、衛星誘導500ポンドGBU38が67発、2000ポンドGBU-31/32が15発、イラクの標的に向けて投下されたと空軍の公式数値は語っている。

これらの数値から、はっきり除外されているのは、色々な弾頭に装備することができ、固定翼航空機やほとんどのヘリコプターから発射することができる2・75インチのヒドラ-70ロケットといったロケットである。発射されたロケットの数は報道陣には公表されていない。CENTAFの報道官によると、「数値をゆがめ、空軍作戦について不正確なイメージを与えない」ようにするためであるという。イラクで発射されたロケットの数は相当多いかも知れない。2005年にパトリック・リーヒー米上院議員(民主党・バーモント州)----彼はジェネラル・ダイナミクス社に対するヒドラをめぐる軍の契約を監視するよう求めた一人である----が行った報道機関向け発表では、「広く使われているヒドラ-70・ロケットは・・・・・・アフガニスタンとイラクで大規模に用いられており、ヘリコプターから発射される兵器の中では世界で最も広く使われるものとなった」と述べている。昨年の早い時期に、米国防衛マガジン誌のサンドラ・I・アーウィンは、米軍が、ヒドラをイラク都市部で使える低価格兵器として頼りにしている、と指摘している。「米軍はすでに2・75インチ・ヒドラ・ロケットを大量に購入して蓄えており、先端精密殺人兵器システム、APKWSと呼ばれるプログラムのもとで、7万3000発にレーザー装置を装備しようとしている。海軍は海兵隊のヘリ向けに8000発を購入する予定である」と彼女は書いている。

機関砲がどれだけ発射されたかも----たとえばAC-130の中にはガトリング砲を備え、一分間に1800発を発射することのできるモデルがある----秘密とされている。ある士官によると、秘密にしている公式の理由は「特殊部隊がしばしばAC-130といった航空機を用い」ており、「特殊部隊の任務と作戦は機密事項なので、数値も発表されない」というものである。

CENTAFの航空機が発射した機関砲の数値をめぐって別の記者が繰り返し調査したのに対し、この士官は、電子メールで「我々は機関砲の数を公開しない」と強調して答えた。彼の上官にあたるCENTAFの広報担当副長官ジョン・ケネディ中佐は、それをフォローして、次のように述べた。

「[私の部下]がこれまであなたに費やしてきた多大な努力にあなたが感謝していることは喜びです。それはおそらく、機関砲の発射数を執拗に追求するよりも、はるかに重要なことです。信じて下さい。

けれども、レス・ロバーツ----ルワンダで内戦が起きていた時期にWHOのルワンダ担当疫学者として働き、また、イラクにおける人的被害の専門家でもある----によると、米軍機が発射した機関砲とロケットの数は取るに足らない問題ではない。2004年にイラクにいたロバーツ(彼は、バグダードのサドル・シティで航空機から発射された機関砲により「ブロック全体がずたずたにされる」のを目撃したと述べている)によると、「ロケットと機関砲が、連合軍がもたらした民間人犠牲者の大多数を占めている」。彼はさらに、「軍がそれ[その数値]を公開しないのはひどいことだし、さらにひどいのは、そうした情報を求めた議員にもそれを提供していないことだ」と言う。

CENTAF以外の軍士官たちも、少なくとも私に対しては、砲弾の数について口を硬く閉ざしている。米国中央軍司令部の広報担当士官は私に、司令部はそうした情報を把握してこなかったと述べた。バグダードで連合軍の報道官に私が2006年にイラクで陸軍と海兵隊のヘリから発射されたロケットと機関砲の数を訪ねたとき、答えは「作戦上の治安の問題に関わっているので、あなたの質問には答えられない」というものだった。

そこで私は、次の点を指摘した。すなわち、わずか1カ月前に、米国国防マガジン誌上で、海兵隊の航空計画政策担当主任ロバート・A・フィッツジェラルド大佐の言葉が引用されており、そこでは、2006年に「海兵隊の回転翼航空機は6万時間を超える戦闘飛行を行い、固定翼機は3万1000時間の飛行を遂行した。これらの航空機は合計で80トンの爆弾を投下し、80発のミサイルと3532発のロケット、そしてより小さな兵器を200万発以上発射した」と述べられている、と。

この情報は作戦上の治安を危機にさらさないのかと訪ねたのに対して、報道官は、次のように答えた。「私は海兵隊大佐のポリシーや情報公開権限についてはコメントできない」。

海兵隊の数値には、おそらく、アフガニスタンで使われた砲弾の数も含まれているかも知れないが----そしてアフガニスタンでは米軍の空軍力が大きな役割を果たしている----、それでも、CENTAFが提供している最低数値はイラクにおける空からの攻撃について正確な状況を示していないのではないかと考えさせるものである。CENTAFによると、これらの合計数は、2006年にイラクで費やされた爆弾とミサイルについてTomdispatchに「提供されたデータとは別のもの」であるという。

投稿者:益岡

2007/02/02

「ナジャフの戦闘」をめぐる当局の嘘が暴かれた

「当局筋によると、ナジャフ戦闘でテロリスト200人以上が死亡」。大手メディアでこのように発表された事件は、実は、イラク軍が巡礼者に発砲して殺し、それから米英軍が空から巡礼者に攻撃を加えて殺した虐殺であったことがどんどん明らかになっています。

「ナジャフの戦闘」をめぐる当局の嘘が暴かれた
ダール・ジャマイル&アリ・アル=ファディリ
2007年1月31日
インタープレス・サービス
www.dahrjamailiraq.com 原文

イラク・ナジャフ発1月31日(IPS)。日曜日(1月28日)の襲撃でシーア派の人々数百人が殺された出来事をめぐるイラク政府の嘘が、イラクでIPS(インタープレス・サービス)が行った独自の調査で暴かれた。

バグダードの南90キロに位置するシーア派の聖なる都市ナジャフから北東数キロにある小さな村ザルカ周辺で、大規模な戦闘がなぜどのように起きたかについて、これまではお互いに相容れない様々な報道がなされていた。

はっきりしているのは、1月28日日曜日に半日以上続いた戦闘が収まったとき、200人以上の人々が命を落としていたという点である。米軍ヘリ一機が撃墜され、米兵2名が死亡した。イラク治安部隊の兵士も25人殺された。

シーア派アラブのアル=ハタミ部族の指導者、ジャバル・アル=ハタミは「私たちは、毎年行っている恒例の儀式を行おうとしただけなのですが、そのときイラク軍兵士の攻撃を受けたのです」と語る。

「イラク軍がよくやるように、誤って民間人を殺してしまったのだと思いましたので、兵士たちが私たちの5人を殺したのにはまったく理由がないと告げに行ったのです。ところが、驚いたことに、兵士たちはさらに銃撃を浴びせてきました」。

この衝突は、シーア派の休日であるアーシューラーの際に起きた。アーシューラーは、預言者ムハンマドの孫で、シーア派聖者の中でも最も神聖なイマーム・フセインを記念するものである。

南部に住むシーア派アラブ人の多くは、イラン生まれの聖職者アヤトーラ・アリ・アル=シスタニ師を信奉しない。人々は、宗教的指導力をアラブ人聖職者が発揮すべきだと考えている。アル=ハタミとアル=ハザーリは、シスタニ師に従わない主な部族の二つである。

両部族の人々は、この攻撃は、バグダードの中央政府が、この地域で進んでいるシーア派とスンニ派の団結を破壊しようと行ったものであると信じている。

「ナジャフに行く途中で大規模な銃撃を耳にしたとき、私たちの隊列は、アル=ハタミの隊列の近くにいました。私たちの部族と彼らの部族は強い連帯関係にありましたので、彼らを助けに駆けつけました」と、アフメドを呼ぶよう求めた45歳の男性がIPSに語った。

アル=ハザリ部族の一員であるアフメドは、「私たち二部族は、イラン人たちがイラクで分派的暴力を引き起こしていると思っています。それはムスリムの信仰に反するものです。ですから、私たちはスンニ派の兄弟たちと、イラクでの分派的暴力すべてに反対する同盟を結ぶと発表しました。イランの支配を受けているイラク政府はそれをよく思っていなかったのです」。

戦闘はディワニヤとナジャフを結ぶ道で起き、近くのナツメヤシ農場に広がりました。巡礼者たちがそこに避難しようとしたからです。


「米軍ヘリも虐殺に参加しました」。こうIPSに語ったのは、地元の農民ジャシム・アッバスである。「米軍はまもなくやってきて、何の躊躇もなく、巡礼者たちを殺しました。助けが必要なときにイラク人を助けに米軍がやってきたことなど決してなかったのですが・・・・・・。私たちは、農園に包囲された人々が一団また一団を殺されるのを見ていました」。

目撃者たちによると、殺人のほとんどは、米軍と英軍の戦闘機により行われた。

親イラン的なイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)のメンバーであり、ナジャフ知事でもあるアブ・カリルを含め、地元の当局は、殺害が起きる前、主として外国から来た、アルカーイダと関係を持つスンニ派の戦闘員たちが、アーシューラーの祭典を妨害し、ナジャフのシーア派巡礼者と上級アヤトーラを攻撃しようとしていると述べていた。ナジャフは、イラクのシーア派にとって宗教的に重要な場所である。

当局筋は、この諜報情報を、攻撃を準備していたイラクさそり部隊を率いていた二人の拘留者から得たと述べている。この情報が、事件の展開にほとんど影響しなかったことは明らかである。

内務相ジャワド・アル=ボラニは、日曜日の朝9時に、記者団に対し、ナジャフがアルカーイダの攻撃を受けていると発表した。この発表直後に、国家保安省(MNS)は、死んだ者たちは、シーア派の分派過激グループ、ジュンド・アル=サマ(天国の軍隊)のメンバーであり、彼らはナジャフで大アヤトーラのアリ・アル=シスタニ師を含む上級アヤトーラを殺そうとしていたと発表した。

MNSの発表があってからちょうど15分後、イラク国家保安顧問ムアファク・アル=ルバイーは、アラブ人戦闘員数百人が殺され、多くが逮捕されたと述べた。ルバイーは、これらの戦闘員は、サウジアラビア人、イエメン人、エジプト人、アフガン人だと主張した。

けれども、カリル知事は、殺された人々が地元のシーア派イラク人だったことを知って、当初の主張を取り下げた。イラク治安当局は、自らの以前の発表と矛盾するような発表を続けた。政府関係者のほとんどは、今になって、死者は、外国勢力の支持を受けたシーア派過激派だと言っている。

ヌーリ・アル=マリキ首相の政府は、後ろ盾である米国政府と同じように、自分たちはテロリストと戦っていると繰り返し発表する習慣がある。

南部では多くのイラク人が、現在、イランが支配する政府と協力することを拒んだからという理由だけでイラク政府は自分たちのことをテロリストと呼んでいると述べ、イラク政府を批判している。

(アリ・アル=ファディリはIPSのバグダード特派員。ダール・ジャマイルは専門記者で、イラク内部から8カ月にわたり報道を続け、数年来、中東の情勢を報道している)。


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投稿者:益岡

2007/01/31

「カルト指導者に対する米国の大勝利」は、虐殺だった

1月29日(月)、時事通信が「武装勢力250人殺害か=狂信集団?と激しい戦闘?米・イラク軍」との報道を行いました。産経では、

ロイター通信がイラク警察筋などの話として伝えたところによると、武装勢力は「天国の戦士」と名乗り、シーア派の中心的教義ともいえるマフディー(救世主)の降臨が近いと唱えるアハマド・ハッサーニ・ヤマニという指導者が率いる終末論的なカルトの一群。ヤマニ師はナジャフに事務所を構えていたが、1月初めに当局により閉鎖を命じられたという。

イラク治安筋などによると、この武装勢力は、シーア派最大の宗教行事アシュラが最高潮を迎える29日に、ナジャフの北にある聖地カルバラの宗教行事を攻撃し、シーア派宗教指導者たちの殺害を計画しており、米軍とイラク軍は事前に掃討作戦に踏み切った。

とのこと(以上は、P-navi infoより間接引用させてもらいました)。

これらの報道は「イラク警察筋」「イラク治安筋など」を情報源としています。バグダードからパトリック・コックバーンが伝える、別の可能性----巡礼者に対する虐殺----を紹介します。

「カルト指導者に対する米国の大勝利」は、虐殺だった
パトリック・コックバーン
バグダード発
2007年1月31日
インディペンデント紙より

ナジャフ郊外での、イラクのメシア的なカルト(「天国の兵士たち」)と米軍の支援を受けたイラク治安部隊との戦い----この戦いで263人が殺され210人が負傷した----をめぐる公式報道は捏造だという疑念がイラクで広まっている。

実際のところは、ナジャフの巡礼に向かうイラクのシーア派部族がイラク軍の検問とぶつかり、そこに米軍が介入して破滅的な事態を引き起こしたとの説明が現れている。自らを来るべきメフディすなわち救世主と信じているアフメド・アル=ハッサニ(アブ・カマルとも呼ばれる)がそれに関わっていたのは偶然だったようである。

イラクの独立系ウェブサイトやアラビア語の諸新聞に現れている説明は、いわゆる「天国の兵士たち」がシーア派宗教指導者たちを殺すためにナジャフを襲撃しようとしていたのでそれと戦ったというイラク政府の説明とは完全に食い違っている。

このカルトは、自分たちは平和的な運動であり、戦闘に関与してはいないと述べている。伝えられるところでは、この事件が起きたのは、200人の巡礼者たちの行列が、アーシューラー(シーア派ではムハンマドの孫イマーム・フセイン殉死の日として聖地を巡礼し喪に服する)のためにナジャフに徒歩で行こうとしていたときに起きた。巡礼者はナジャフとディワニヤの間に住むハワティム部族の出身で、日曜日の朝6時頃にナジャフから1マイルのところにあるザルガに到着した。行列の先頭にいたのは部族の超ハジ・サアド・サアド・ナイフ・アル=ハテミとその妻で、二人は歩けなかったため、1982年型のスーパー・トヨタ・セダンに乗っていた。一行がイラク軍の検問にさしかかったとき、イラク軍が発砲し、ハテミ氏とその妻、そして運転手のジャバル・リダ・アル=ハテミを殺した。部族の人々----夜旅をするために武装していた----は、長を殺されたことへの復讐として検問所を攻撃した。

ザルガに住む、カザイルと呼ばれる別の部族の人々が戦闘を止めようとしたが、彼らも攻撃されることとなった。その間、検問所にいた兵士たちと警察は司令官に電話で連絡を取り、自分たちは先端兵器を持ったアルカーイダの攻撃を受けていると伝えた。増援軍がこの地に殺到し、近くの果樹園にハワティム部族の人々を包囲した。ハワティムの人々は、軍の攻撃を止めさせようとしたが軍は攻撃をやめなかった。

それから米軍ヘリが到着し、「テロリストへ告ぐ、我々の爆撃前に降伏せよ」と書いたビラを投下した。ハワティムの人々は発砲を続け、米軍ヘリ1台が銃弾を受けて墜落し、乗員二人が死亡した。ハワティムの人々は、自分たちの発砲が当たったのか、米軍の友軍の発砲があたったのかはわからないと語っている。米軍機は激しい空爆を加え、それによりハワティム部族の人々とその地の住人120人が、月曜日の朝4時までに殺された。

アフマド・アル=ハッサニが率いるメシア的グループ----既にナジャフのイラク当局と不仲な関係にあった----は、ザルガを拠点としており、また、このグループの存在が、事実上の虐殺に対する都合の良い言い訳になったために、戦闘に引き込まれた。ハワティムとカザイルの人々は、ナジャフを支配しバグダード政府の中枢を占めるイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)とダーワ党に反対していた。

以上の説明は、「ヒーリング・イラク」のウェブサイト及び権威主義的なバグダードの日刊紙アザマンの情報に基づいており、立証はできていない。けれども、以上の説明は、ある発表では政府側の犠牲者が25人以下だったのに対して、殺されたり負傷した相手側の数が極めて多かった事態を説明している。イラク当局は現場を封鎖し、記者たちが負傷者と話をすることを禁じている。

イラク全土のセクト的暴力もまたシーア派の祭式アーシューラーを台無しにしている。バラード・ルズのシーア派モスクでは、自爆爆弾が23人の礼拝者を殺し、57人を負傷させた。そう遠くないカナキンでは、ディヤラで、爆弾により3人の女性を含む13人が殺され、29人が負傷した。バグダード東部では、迫撃砲で17人が殺された。

米軍。最大のテロリストはまた、自らをテロリストであるなどと毛ほども信じていない、完全に自らに無知な集団であるために、最悪のテロ行為をイラクで続けています。

投稿者:益岡

今日、クラスで私はたった一人だった

バグダードの小学校では生徒も先生も通えなくなっています。

今日、クラスで私はたった一人だった
サミール・イブラヒーム
2007年1月29日
IRIN
Electronic Iraq 原文

バグダード発。私は11歳で、一人息子です。バグダードのマンスール小学校の生徒です。最近、クラスでとても寂しく感じています。今週、私はクラスでただ一人の生徒でした。というのも、色々な理由で、クラスメートが一人も学校に来なかったからです。

昨年9月以来、クラスメートの3人が誘拐されて、2人が殺されました。一人は自宅で家族と一緒に殺され、もう一人は1カ月前、爆弾が爆発したとき犠牲になったのです。

他のクラスメートは、家族と一緒にヨルダンやシリアに避難したか、何か起きるといけないと心配して親戚が学校に行くのを禁じたのです。

私は学校のすぐ近くに住んでいるので、歩いて2分で学校に行けます。母が、毎日、学校に連れていってくれ、迎えに来てくれます。行き帰りの道中ずっと、母は神に祈っていて、私に怖がってはいけないといいます。少なくとも私は勉強を続けていて、いつか重要な人物になってイラクを永遠に離れることができるだろうと母は言います。

学校で生徒の誰かに何かが起きると必ず、次の日は学校中が空っぽになり、1週間誰もいない日が続きます。家族も先生も怖がって、絶望的な気持ちになるのです。

しばらく前、学校から帰ろうとしていたとき、車に乗った4人の男がカディジャを誘拐しました。彼女は私の友だちの一人で、まだ10歳でした。彼女が殺されるのじゃないかと思って、何日も泣き続けました。両親が家と車を売って身代金を払ったので、彼女は釈放されました。でも、そのとき彼女はとても体が弱っていて、2週間入院しなくてはなりませんでした。

今、彼女と家族はヨルダンにいます。彼女がいなくて寂しいのですが、彼女たち皆にとってそれがいいことだというのもわかっています。

唯一恐いのは、私が誘拐されれば、殺されるのは確実だということです。私の家族には身代金を払うお金はありません。家も車もないし、売り物になりそうなものもありません。ですから、誘拐されたら私たちが日々その中で暮らしているテロの犠牲になるのは確実ですが、神が私を守ってくれると信じています。

先生も、ほとんどが学校を去っていきました。外国に行った先生もいれば、家族の求めにしたがって安全のために仕事をやめている先生もいると聞きました。いない先生みんなのことを懐かしく思っています。学校の中を走り回り、子どもたちだけで家に帰り、暴力の心配をしなくてよかった日々が懐かしいです。

今週、私は母に、家にいたいと言いました。クラスで生徒は私一人になってしまったからです。でも、母は私が学校に行くべきだと言い張りました。恐かったのですが、母の言葉に従いました。

クラスには21人生徒がいましたが、今日は、私がただ一人の生徒でした。

事態が良くなって安全になる日が来るとの希望を持っているかと聞かれると、持っていないと答えます。暴力は毎日悪化していて、友だちを失う日々は続いているからです。

もう勉強はできません。集中できないし、先生たちも前みたいに授業をしないのです。この頃勉強しているのは、2年前に学んだ内容です。こんな風に勉強していても、母が信じているように、いつか重要な人物になれるかどうかは、わかりません。

このニュースは国連人道ニュース・情報サービスIRINから届けられるが、必ずしも国連やその機関の見解を反映するものではない。IRINの文書はすべて無料で再ポスト・再プリントできる。使用条件については、IRINのコピーライト・ページを参照のこと。IRINは、国連人道問題調整局のプロジェクト。

投稿者:益岡

2007/01/28

「軍の絶え間ない侵入捜査に、私はもう耐えられない」

1月14日の日曜日、アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュは、「60ミニッツ」というテレビの前で、イラクの人々はアメリカ合衆国に対して膨大な恩義がある、と述べました。「イラクを解放」した米軍が、日々イラクの人々に加えている行為を、バグダードのハイファ通りに暮らすイラク人女性が語ります。

「軍の絶え間ない侵入捜査に、私はもう耐えられない」
リナ・マスフィ
2007年1月23日
IRIN
Electronic Iraq 原文

バグダード発。私の名はリナ・マスフィ。32歳で研究所の助手をしており、子どもたちを育てるのに必要な収入を得るために1日10時間働いています。

この3カ月、私の生活は地獄のようでした。米軍とイラク軍の兵士たちが、12回以上、私の家に侵入し捜索したのです。

夫のカリルは、2003年、米軍がイラクを侵略したときに殺されました。閉鎖された道を車で通っていて、米軍兵士に射殺されたのです。

私はハイファ通りに住んでいます。現在、バグダードで最も危険な地区の一つです。この地区は、ゲリラが多いことで有名です。イラク軍と米軍の兵士たちがこの地区で活動を強化しているのはそのためで、彼らは絶え間なく家々に侵入捜査を加え、男たちを逮捕して尋問しています。

先月、彼らは、23歳になる私の弟ファエークを捕まえました。彼は私の家に同居していました。薬学専攻の学生ですが、兵士たちは彼を捕まえ、無罪であることがわかったあとも、1週間にわたって彼を拘束していました。戻ってきたときには、拷問を受けた痕があり、苦痛で幼児のように泣いていました。

軍の絶え間ない侵入捜査に、私は耐えられません。兵士たちが家に侵入するとき、必ず家のドアを壊すのです。ドアをノックすることすら知らないのです。ある日、私は兵士たちに、呼び鈴をならさずドアを破壊して侵入するのはどうしてかと聞きました。彼らは私をあざ笑い、お前はバカだ、と言いました。

家の家具は、兵士たちが乱暴に捜索を行うため、すべて壊れてしまいました。皿やコップも兵士たちが捜索で壊したため、もうありません。

私には子どもが二人いますが、ほとんどいつも子どもたちは怖がっています。4歳になるムハンマドは、夜、よく眠ることができません。毎晩、悪夢を見て、起きては泣くのです。おじさんを連れ去ったように自分も連れ去られることがないようにと私に求めながら。

娘のファディアはまだ8歳ですが、学校に行きたがりません。兵士たちが家に侵入してきたときに私がいないと、兵士たちは弟に何か悪いことをするのではないかと心配しているからです。家にいれば、弟が怖がらないように守ることができるからです。

私が暮らしている地区は、絶え間ない戦争のさなかにあります。自分の家に出入りすることさえ安全ではありません。店はほとんどしまっています。野菜や米などの食料品を買うために、5キロも歩かなくてはなりません。

ときどき、仕事からタクシーで戻ってくると----仕事場は家から45分かかります----、道路が閉鎖され、至る所で弾丸が飛び交っていたりします。

そんなとき、子どもたちの身に何か起きたのではないかと心配になり、私も泣き出してしまいます。弟がいることはわかっているのですが。家に着けば、ムハンマドが泣いていて、ファディアが怖がっていることはわかるのですが、ずっと家にいるわけにもいきません。今、私が仕事を辞めれば、子どもたちを食べさせることができなくなるからです。

ハイファ通りでは、毎日3人の遺体を見るのは当たり前で、先週のように、8人の遺体があったこともあります。戦士たち、罪のない民間人、そして兵士たちの遺体です。誰も遺体の処置をしようとしません。遺体に近づこうとすると、次の犠牲者になってしまうからです。

逃げる場所もありません。いつか再び平和な中で暮らせるようになることを望みながら、この絶望的な状況に耐えるしかないのです。そうなるまでに何十年とかかるように思えたとしても。

このニュースは国連人道ニュース・情報サービスIRINから届けられるが、必ずしも国連やその機関の見解を反映するものではない。IRINの文書はすべて無料で再ポスト・再プリントできる。使用条件については、IRINのコピーライト・ページを参照のこと。IRINは、国連人道問題調整局のプロジェクトである。

投稿者:益岡

2007/01/26

スペインの判事、イラクにおける記者「殺害」容疑で米軍兵士3人に逮捕状を発行

ドイツではラムズフェルドが訴えられていますが、スペインではスペイン人記者を殺した米軍兵士3名への逮捕状が発行されました。

スペインの判事、イラクにおける記者「殺害」容疑で米軍兵士3人に逮捕状を発行
国境なき記者団
2007年1月25日
Electronic Iraq

「国境なき記者団(RSF)」は、本日、マドリードの判事が昨日、3人の米軍兵士に対して国際逮捕状を発行したことを歓迎する。逮捕状は、民放テレビ局テレシニコのスペイン人カメラマン、ホセ・コウソ「殺害」の罪で出された。コウソは2003年4月8日、国際メディアのスタッフが滞在していたバグダードのホテルに、米軍の戦車が砲弾を発射した際、殺された。

「コウソを殺した砲弾の発射を決断した3名の米軍兵士に対して国際逮捕状を発行するというサンチアゴ・ペドラス判事の決定により、ついに3名が、自分たちのしたことについて法廷で説明するよう求められることになることを期待したい」と「国境なき記者団」は述べた。

「我々はまた、これにより人々が、戦争地帯における記者の死が抽象的な問題ではなく、緊急に対策を要する問題であると理解することを望む」とRSFは言う。[2006年]12月23日、戦争地帯にいる記者の保護をめぐって国連安保理が満場一致で採択した決議1738もまた、記者の死を避けがたいものと見なすべきではないことに注意を促すものである」。

2007年1月16日にペドラス判事が発行した逮捕状には、トマス・ギブソン軍曹、フィリップ・ウォルフォード大尉、フィリップ・デ・キャンプ中佐の名が記載されている。この3人は、バグダードのパレスチナ・ホテルに砲弾を発射した戦車の責任者であった。判事は、3人がコウソの家族に賠償金を支払うよう命ぜられた場合のために、逮捕状の凍結可能性も考慮されていると述べた。

マドリードの米国大使館は、コウソの死については既に調査が行われており、その結果、3名の兵士たちは、交戦地帯で適用される戦闘規則に則って行動していたと結論したと述べている。コウソ家の弁護士レオポルド・トーレス・ボウルサウルトは、3人の身柄引き渡しが実現しない場合、国連安保理決議1738の適用を求めたいと述べた。

米国当局が3人の身柄引き渡しを拒んだとしても、スペインとの身柄引き渡し協定に署名している第三国を訪れれば、3人は逮捕される可能性がある。

米軍は、2003年の報告書の中で、連合軍による「不当行為や過失」はなく、砲弾は敵の発砲源と考えられた場所を標的としていたと結論している。

ペドラス判事は、2005年10月、既に3名の米軍兵士に対する逮捕状および、3人の供述を求める二件の請求を発行していたが、2006年3月に刑事法廷がこの件を却下して以来、何の手だても取られていなかった。しかしながら、スペインの最高裁が2006年12月5日にその裁定を覆し、コウソの死をめぐる調査を再開するよう命じた。

イラクで戦争が始まってから、合計で146人の記者とメディア・アシスタントが殺されている。この数は、ベトナム戦争におけるメディア関係者の犠牲者の二倍にのぼる。

ブッシュとその仲間たち(小泉純一郎元首相も当然含まれます)が「人道に対する罪」「戦争犯罪」で正当に裁かれる日ができるだけ早く訪れるとよいのですが。

投稿者:益岡

2007/01/25

南部の諸部族が武装レジスタンスに参加しつつある

占領軍・外国の干渉に対するイランのレジスタンスが南部で活発になっています。

南部の諸部族が武装レジスタンスに参加しつつある
ダール・ジャマイル&アリ・アル=ファディリー
2006年1月22日
Electronic Iraq 原文

バグダード発(IPS)。暴力はイラクでさらに広まっている。というのも、イラク南部のシーア派アラブ人の部族たちが、新たな武装レジスタンスに参加し、占領軍と交戦しているからである。

イラク南部のレジスタンスは、最近3カ月でエスカレートし、英軍をはじめとする占領軍の被害が増えている。

独立系のウェブサイト「イラク連合軍犠牲者」によると、イラク南部では最近の7カ月で少なくとも24人の英軍兵士が殺され、同じくらいの数の負傷者が出ている。これまでに全体で少なくとも128人の英軍兵士がイラクで死亡し、それ以外の国の兵士も123人死亡している。そのほとんどは、イラク南部に駐留していた。

以前の犠牲者数ははるかに少なかった。

占領軍への攻撃は、強まる民族主義から来ているもののようである。

「これは報復ではありません」。バグダードの南200キロにあるクート在住の元イラク軍士官は、バグダードでIPSに対し、こう語る。「人々は、米軍主導の占領軍が約束したことに対して希望を失っています。そして、人々は、多国籍軍が支持する----そうでなくても少なくとも黙認している----イランの影響からイラクを救おうとしているのです」。

英軍・米軍の指導者たちは、イラク南部で誰が占領軍を狙っているのか言いたがらない。彼らはレジスタンスの戦士をただ「テロリスト」とだけ呼ぶか、あるいは、南部での争乱の唯一の原因としてシーア派の聖職者ムクタダ・アル=サドルが率いるメフディ軍を指さすだけである。

イラク南部でメフディ軍のメンバーが占領軍に攻撃を加えているのは確実であるが、それ以外に、過去の経験に基づき、地元のレジスタンスも根付いてきているようである。

「人々は、米国と英国によるイラク占領をこれまでもずっと忌み嫌ってきました。そして、粗末な武器を取って英国軍と闘った祖父たちのことを思い起こしているのです」。クートで校長をしているジャシム・アル=アサディは、最近訪れたバグダードでIPSにこう語った。

アル=アサディが言及しているのは、1920年代と30年代に、イラクから英軍を追い出すにあたって決定的な役割を担ったシーア派レジスタンスである。

南部で占領軍に対する武装レジスタンスの開始が遅れたのは、宗教指導者たちが信者に、ブッシュとブレア政権が約束したことを実現するための時間を占領軍に与えるよう指示したからである、とアル=アサディは言う。

「けれども、人々はもはや宗教指導者たちの約束を信じません。人々は闘いを始めたのです。それだけです」。

W・アル=タミミの名で呼ぶように求めたバグダードのある政治アナリストは、IPSに、占領軍は「死の部隊」と協力していると思うと語った。「私たちは、アメリカ合衆国とイギリスの占領軍が、イラク全土で「死の部隊」を支援しているのを目にしてきました。それでも私たちは和解を望んでいますが」。

アル=タミミは、自分の部族----シーア派もスンニ派もいる----のシェイクは「若い人々から、自分たちをレジスタンスに参加させろと大きなプレッシャーを受けています」と述べた。

イラク南部でレジスタンス勢力が大きくなっていることはますます明らかになっている。昨年8月末、「女王の王立軽騎兵隊」と呼ばれる英軍部隊1200人が、シーア派レジスタンスの戦士たちが発砲し続けた迫撃砲とミサイルのために、3年間にわたって駐留した基地から急遽撤退した。

英軍は、この撤退は、以前から計画されていた通りで、治安をイラク政府に返還する行動の一環であると発表したが、撤退が突然のものだったことは明らかである。

撤退時に、「英軍兵士たちは、イラク軍との調整を行わずに、軍司令部を明け渡した」と地元自治体の報道官ダファル・ジャバルは語っていた。

空っぽになった基地には略奪者たちがすぐさま入り込み、英軍が急いで撤退したのちに残された50万ドル相当と推定される機材を持ち去った。

昨年8月にはもう一つ重要な出来事があった。シーア派アラブ人の大部属ベニ・アサドの首長が、イランの後押しが疑われる「死の部隊」に殺されたのである。ベニ・アサドの人々は、殺人者たちがバスラでイラク内務省のために働いていたと考えている。

カユーン部族の人々はすぐさまそれに対して行動を起こした。路上と政府庁舎を占拠し、バスラのイラン領事館に火を放ったのである。聖職者たちとイラク政府官僚が、この件を完全に調査すると約束するまで抗議行動は続けられた。

「これもまた嘘でしたが、私たちの中には信じた者もいました」とベニ・アサドの上級指導者の一人が匿名を条件にIPSに語った。「シェイクはイランの協力者に殺されたのです。私たちは彼の魂に向かって、彼の貴重な命に対する報復を行うと誓いました」。

ベニ・タミムは、スンニ派とシーア派双方を含むもう一つの部族である。この部族の人々によると、自分たちのシェイクであるハミド・アル=スハイルが、今年1月1日、メフディ軍に殺されたという。メフディ軍はイランの支援を受けていると考えられている。シェイクは、バグダード北部にある、シーア派が多数を占めるシュラ地区で殺された。

「彼は70歳でした。メフディ軍の死の部隊は、彼を高い建物から突き落として残虐に殺したのです」と甥の一人がバグダードでIPSに語った。「これらすべての背後にはイランがいます。私たちベニ・タミムは、イラクを解体しようとしている奴らの黄色い風に抵抗する準備はできています」。

これら二部属の指導者たちを始め、南部の多くの部族の長たちは、スンニ派とシーア派グループの団結を実現しようと活動している。

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投稿者:益岡

2007/01/21

バグダードでバス爆弾が爆発


バグダードでバス爆弾が爆発
2007年1月21日
アルジャジーラ原文

バグダードのシーア派が中心に暮らす地域バブ・アル=シャルキ地区を出たミニバスで爆弾が爆発し、6人の乗客が殺された。

この爆発は、21日(日)、シーア派のアシューラ追悼祭の期間で、イラク治安部隊が警戒態勢にある中で起きた。

その前日には、米軍のブラックホーク軍用ヘリがバグダード北東部のディヤラ地区で墜落していた。

警察によると、爆弾犯人は、バッグに入れた爆弾をバスに仕掛けたという。

米軍ヘリの墜落では、クルーと同乗者12人が死亡した。当初報道では、死者数は13人とされていた。ジャイシュ・アル・ムジャハディーンと呼ばれるグループが、ヘリを撃墜したとの声明を発表した。

米軍は、この主張を確認も否認もしていない。

大きな犠牲者

シーア派の聖なる都市ケルバラでは、ガンマンたちとの衝突でさらに5人の米軍兵士が殺された。

この48時間に、米軍は、この数カ月で最も大きな犠牲者を出した。

バグダードでは、迫撃砲5発の爆発が、北部を襲った。少なくとも4人が死亡し、ある病院は全部で17人の遺体を収容したと述べている。

これらの惨劇は、イラクとブッシュ政権にとって決定的なときに起きた。ブッシュ政権は、「分派の暴力を止めるために」21500人の米兵を増派すると提案したばかりだった。

投稿者:益岡