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2005/08/23

反帝国レポート:アル=デュビア訓練マニュアル(1)

 
『アメリカの国家犯罪全書』著者ウィリアム・ブルムによるイラクをめぐる米国の情勢分析。長いため、二部にわけてアップします。その第1部。

反帝国レポート
アル=デュビア訓練マニュアル(1)
ウィリアム・ブルム
CounterPunch原文


アルカーイダの訓練マニュアルが、ありもしない虐待があったと主張する戦略を強調していることを知るのが大切だ。

米国が捕虜を「虐待」(ルビ:拷問)しているという告発を前にしたとき、ホワイトハウスやペンタゴン、米国国務省の報道官は、公式かつ頻繁に、こう答える。インターネット上に散在する多くの戦争支持者もこれを繰り返す。

したがって、ホワイトハウスやペンタゴン、米国国務省の訓練マニュアルが、米国が捕虜を虐待しているとの告発を受け、報道官に弁護の途がないときには「アルカーイダの訓練マニュアルが、ありもしない虐待があったと主張する戦略を強調していることを知るのが大切だ」とする戦略を強調していると指摘することができる。

これら様々な報道官たちが、アルカーイダのものであれそれ以外のものであれ、テロリストの訓練マニュアルからの正確な引用をけっして実際には行わないことを指摘するのも、同様に重要である。拷問が問題になっているときに、私が見つけることのできた、米国政府関係者が特定のテロリスト訓練マニュアルに言及している唯一の例で参照されていたのは「マンチェスター・マニュアル」である。これは、英国マンチェスターで2000年にテロリスト容疑者のコンピュータから見つかったマニュアルである[1]。このマニュアルの公開された部分の中で拷問に言及しているところでは、虐待があったと偽の主張を行う戦略をはっきりと曖昧性なく指示しているところはなく、強調しているなど論外である。どうやら1980年代に書かれたらしいこのマニュアルは、拷問について次のように言っている:「尋問と拷問を受けた同胞は、司令官と事前に合意していたことをすべて語り、そこから逸脱してはならない」。「我々の国々の治安要員は同胞を逮捕し、尋問と拷問によって必要な情報を手に入れる」。

米国政府の職員が明示的に引用した第18講には、次のようにある:「1.裁判が始まるときに、同胞たちは、判事の前で、今一度、国家治安[担当官たち]により自分たちが拷問を受けたことを証明すると主張しなくてはならない。2.収容所にいたときに虐待を[法廷に]申し立てる。3.同胞の家族が雇っているか法廷が指名したかにかかわらず、弁護士との間で同胞の弁護について取り決めをすること。4.同胞は全力を尽くして国家治安要員の名前を知ろうとすること、そして判事にそれらの名前を言うこと。[これらの名前は、以前のケースで治安要員とやりとりした同胞から得ることもできるかも知れない。]

括弧に入れられた言葉はすべて元のマニュアルで括弧に入っていたものである。もしかすると翻訳者のコメントかも知れない。

ブッシュ政権とブレア政権は、このマニュアルの一部しか公開していないので、削除された部分が、ホワイトハウス/ペンタゴン/国務省のお題目にどれだけの疑問を投げかけるものなのかはわからない。たとえば、第18講第1部の「今一度」は何を指すのだろうか? 公開を差し止められているどこか関連するくだりであろうか? そして「自分たちが拷問を受けたことを証明する」という下りは、どうすれば「ありもしない虐待があったと主張する戦略」とうまく結びつくのだろうか? 第2部は、何かでっち上げをすることを示唆しているように受け取ることもできるが、ここでは拷問には言及されておらず、恐らく拷問を意味してもいないだろう。というのも、拷問については第1部で十分扱われているからである。

いずれにせよ、この問題は空想的なものにすぎない。グアンタナモの、イラクの、アフガニスタンの米軍収容所で様々な「虐待」が数十もなされていたことを認める、米国人看守をはじめとする軍関係者そしてペンタゴン職員による数多くの証言があるのである。忌むべきお話はあまりに多い。さらにアブグレイブの写真もある。さらにCIAの「引き渡し」については多くの記録証拠があがっている。人々を誘拐し、日常的に拷問を加えていることで知られる多くの国々に空輸する行為である。これらのどれ一つとして、アルカーイダの訓練マニュアルから出たものはない。

我々は勝利しつつある、まあそんなもんだ

米国政府の政策はまだ変わっていないが、日毎に守勢に立たされている。イラクからの撤退の日取りの発表を----米国議会内外でその要求がますます強まっている中で----繰り返し何度も断固として拒否したのちに、文民と軍双方の政府関係者数人が、最近になって撤退日取りの推定を話し始めた。ただし、彼らの言葉はまったく無意味なもので、批判者たちを黙らせようとしているに過ぎない。

米国政府関係者はまた、テロリズム----とりわけ反米・反英タイプのもの----は、米英の対外政策の論理的な帰結であるという批判がますます大きくなっている中で、全面的な防御姿勢に入っている。元国務相報道官ジェームズ・ルービンとニューヨーク・タイムズ紙特派員トマス・フリードマンは、最近になって、「言い訳屋たち」を暴き出す必要があると宣言した。「大きなテロ事件が起きると、常に、言い訳屋たちが姿を現して、我々に、帝国主義やシオニズム、植民地主義やイラクによって、テロリストがなぜ行為に踏み切ったかを説明できると告げる。こうした言い訳やたちはテロリストとほとんど同じくらい見下げ果てた奴らで、暴き出す必要がある」[2](テロリストが終身刑を受けるならば、ルービンやフリードマンは言い訳屋たちにはたったの禁固20年で満足するのだろうか? それとも「言い訳屋たちに寛容だ」と非難されるのを恐れるだろうか?)。

フリードマンもルービンも、イラクとして知られている人道的破局がいくつかのテロ行為の背後にあるという考えに反論しているわけではない。そして米国人も英国人もほとんどが、その関係を認めている。それは反戦運動のもう一つの得点だろう。

トニー・ブレアは、ロンドンを爆弾した者たちが米国によるイラクとアフガニスタンの戦争を英国が支持したことに動機付けられているという考えを否定したとき、まったく逆上せんばかりだった。ブレアとブッシュは自分たちが行なっている戦争犯罪の冒険とテロリズムとの間に因果関係を認めることができない。それを認めれば、政策を変えなくてはならないからである。

けれども現実は幻想をうち破って姿を現し続ける。ロンドンの爆弾者になるところだったオスマン・フサイン(イサーク・ハムディという名でも知られている)----彼の爆弾は7月21日完全に爆発しなかった----が、ローマで逮捕されたあと語った言葉を挙げよう。オスマンは「容疑者たちが、悲しみに暮れたイラク人寡婦と子どもたち、そして紛争で殺された民間人の映像を何時間もテレビで見ていた」と語った。「彼は、判事に、映像を見たあと、『憎悪の念が起こり、メッセージを送る必要があると感じた----何かしなくてはと』と述べたという。・・・・・・オスマンは次のように言ったという:『礼拝よりも、我々は仕事と政治とイラクでの戦争について議論した・・・・・・我々はイラクにおける戦争の新たな映像をいつも見ていた・・・・・・何よりも、米軍と英軍の兵士により殺されたイラク人女性や子どもたちを見ていた』」[3]。「ロンドンで7月7日に起きた爆撃」、「それはイラクで毎日起きているものだ」とハムディは語った[4]。

米国戦争長官ドナルド・ラムズフェルドは、米国の対外政策に対するそうした批判を大きく憂慮し、ロンドンで爆弾が爆発したあと、ロンドンのフィナンシャル・タイムズ紙に論説記事を書いた。彼が読者にまず披露したのは、雑誌から切り貼りしてきたようなメッセージだった:「アフガニスタンとイラクで、連合軍部隊は、民主的に選出された政府の要請のもとで作戦を遂行している」。フムフム、なるほど。連合軍がアフガニスタンとイラクにいるのは、大量爆撃や侵略、占領とは何一つ関係なく、それぞれの自発的な招待によるもので、花と口づけを持って迎えられたというわけだ。ラムズフェルドは、誰一人、つい最近の歴史を知らないとでも思っているかのようである。さらにラムズフェルドは、誰一人それ以前の歴史を知らないとでも思っているかのように、次のように続ける:

過激派の要求を受け入れること----アフガニスタンとイラクからの撤退を含む----で、過激派の不平の種がなくなり、それとともに今後の攻撃もなくなると考えている人々がいるようだ。けれども、2001年9月11日、テロリストたちがアメリカを攻撃したときのことを思い起こすがよい。急進的なイスラム主義政府がアフガニスタンを支配しアルカーイダ指導者たちを庇護していた。実質上国際社会に妨げられることなしに。そしてサダム・フセインがイラクで確固たる権力を誇り、国連の経済制裁を終わらせようという試みに支持を得つつあった」[5]。

けれども、2001年9月11日以前に、すでに米国の行為に対する長い不満のリストがあった。十数人のアルカーイダを動かすに十分なものである:

・1981年、リビア機2機の撃墜

・1983年と1984年のベイルート爆撃

・1986年のリビア爆撃

・1987年のイラン船爆撃と撃沈

・1988年、イランの旅客機爆撃

・1989年、リビア機2機のさらなる撃墜

・1991年、イラクの人々に対する大量爆撃

・その後12年にわたる爆撃と過酷な経済制裁の継続

・1998年、アフガニスタンとスーダン爆撃

・イスラエルによるパレスチナの人々への日常的な破壊と拷問、米国による継続的なイスラエル支援

・それをめぐるパレスチナ抵抗運動への継続的非難

・イスラム最大の聖地サウジアラビアをはじめとする湾岸各地への大規模先端兵力の駐留

・イランのシャーからサウジまで中東の非民主的専制に対する永年の支援



[1] Federal News Service, July 21, 2005, State Department briefing. The manual is at www.usdoj.gov/ag/trainingmanual.htm

[2] New York Times, July 22, 2005

[3] The Observer (London), July 31, 2005

[4] Agence France Presse, July 31, 2005

[5] Financial Times (London), August 1, 2005

「デュビア」はブッシュのこと。第2部に続きます。

投稿者:益岡