イラク撤退は今だ
戦争は答えではない。米国の視点から、イラク侵略占領を分析し、撤退を呼びかける。
イラク撤退は今だ
ジェイソン・ヴィック
2006年7月7日
ZNet原文
米国上院議員ビル・ファーストが、民主党はイラクから「尻尾を巻いて逃げ出そう」としていると述べたのに対し、ジョン・ケリー上院議員は、共和党は「何もせず/嘘をついて死ぬ」という無能な政策を採っていると批判した。ジョン・ケリーは雄弁に戦争を批判しているが、こうしたスローガンは、我々米国人が、イラクでの戦争をめぐって思慮深く正直な論争からどれだけ離れてしまっているかを如実に示している。
自由が戦争の灰燼から生まれることはほとんどない。我々が侵略したとき、イラクの人々を何千何万人と殺し、その後の残忍な占領では、イラクの人々のイスラムとしての感覚を侮辱した。ほとんどのイラク人がサダムの支配を嫌悪していたのは疑いないが、同様に、我々米国人の支配にも、当初から同じように反対している。こうした状況で、巨大な民族主義的ゲリラ活動が生まれるのは自然なことであり、それとともに、外国から来た人々を中心とするテロリストのグループがセクト的諍いと内戦を引き起こそうとする。米国の対応はそれ以上に醜悪であり、そのことは、ファルージャ侵略に典型的に示されている。ファルージャ委侵略の際、30万人近い市民が紛争を避けて家を逃げ出し、一方で病院は、ファルージャ市民が1000人以上、戦闘で殺されたかも知れないと述べている。
イラクの状況は劣悪で、100万人近いイラク人が、イラクの「自由」を逃れてシリアやヨルダンのイラクより安全なところに逃げている。アメリカ合州国の政治家たちが「自由の変革する力」を賞賛している中、何千人というスンニ派の人々が、宗教が違うと言うだけで数千人の人々を処刑した政府治安部隊と死の部隊、民兵の手から逃げている。一方、シーア派の市民は、自殺爆弾やスンニ派民兵の恐怖にいつも怯えて暮らしている。人々が思っているのとは逆に、米国の戦争はテロリスト勢力を力づけ拡大させており、減らしてはいない。さらに、米軍の空襲と地上部隊は、民間人を何十人という単位で殺し続けている。
犠牲者についての注意深い報告は、米国の侵略以来、少なくとも5万人のイラク人民間人が殺されたことを検証している。調査によっては、現在までに犠牲者の数は10万人をゆうに超えているだろうと述べている。そして、アメリカ人占領者、外国のテロリスト、シーア派治安部隊、スンニ派ゲリラ、内戦を激化させる分派的民兵の手で、数千人という人々が命を落とし続けている。不幸にして、そもそも、我々は、サダムの最も残忍な犯罪をまさに正確に複製しているのだから、戦争の理由付けなど完全に崩壊している。
ほとんど常に、独裁者が失墜したときその手先は狩り出されて処罰される。ときに超法規的に。けれども、イラク「民主」政権のテロはボルシェビキの規模に近づいている。毎日、何十人ものスンニ派の人々が、側溝の中、あるいは道ばたで埋められているのが見つかる。全員が、政府治安部隊に処刑された印----後頭部に一発撃ち込まれた銃弾----を示している。彼らが殺されたのは、サダムの戦争犯罪に協力したからではなく、たんにサダムと同じ宗教を信じているからである。この状況、そしてそれを悪化させる米国の侵略と占領のもとでは、イラク人のほとんど全員が、米国の駐留に反対しているのは不思議ではない。
そして、アメリカ合州国人は、最も基本的な事実から目を背けてはならない。イラクの民主主義が育つためには、つまり統治が人々の代表により行われるためには、忌み嫌われている占領部隊は撤退しなくてはならないことは言うまでもない。
さらに、ハディーサがある。残念ながら、この出来事について多くの人は偏った理解しかしていない。ハディーサが戦争犯罪なのではなく、戦争そのものが犯罪なのであり、戦争の問題がそうした途方もない非道な行為が生み出されるのであって、それは数人の血迷った兵士の野蛮行為なのではない。
誰の言うところでも、ニュルンベルクからジュネーブまであらゆる国際法の主な基準に照らして、イラク侵略と占領は不法である。不法な戦争においては、あらゆる行為が犯罪になる。政府が自国兵士を酷い血塗れの紛争に投入するならば、兵士たちが恐ろしい事態に直面するのは確実である。そうした恐ろしい事態がもたらす帰結もまた容易に理解できる。ハディーサの米軍兵士たちは怪物なのではない。友人が苦しみ死ぬのをしばらく見続けたら、人は自然に混乱する。そして、そうした状況の想像できない恐怖の中で、そうした兵士たちは、24人の武器を持たない民間人----女性と子ども、父親と息子たち、小さな兄弟姉妹- ---を虐殺するに至った。これは、数人の怪物のような人間に限られた行為ではなく、怪物的な戦争の結果なのである。米軍の最初の説明(米軍はゲリラの爆弾が人々を殺したと述べた)から判断すると、こうした出来事は、イラクではあまりに日常的に起こっているに違いない。
それにもかかわらず、こうした憎むべき戦争を始めた指導者たちを処罰するかわりに、我々は、このグロテスクな状況で悲しむべき反応をした数人の兵士たちを処罰しようとしている。戦争に反対する声を挙げることで、米国の人々が政府を裏切るのではない。政府が人々と兵士を裏切って、この21世紀最大の犯罪を開始し、それを「自由のための行動」と呼んでいるのである。
「尻尾を巻いて逃げ出す」という言葉を、正直な民主的人々は恐れるべきではない。そうした言葉は専制君主とその手先の言葉であり、侵略と占領を続けるために議論を窒息させ、反対者の間に恐怖を引き起こすための言葉である。
尻尾を巻いて逃げ出すときがきている。憎まれている占領をやめ、我々が行っている残虐行為と暴力から逃げ出すときである。平和のために活動し始めるときである。それは、これまで我々が辿ってきた残虐行為への道から逃げ出すことである。朝鮮でも、ベトナムでも、グレナダでも、パナマでも、イラクでも他の多くの血塗られた冒険旅行でも、戦争は答えではなかった。イランに対しても、北朝鮮に対しても、シリアに対しても、中国に対しても、リビアに対しても、キューバでも、その他に我々が幻想として創り出すどんな「悪魔」に対しても、戦争は答えではない。戦争は決して答えにはならない。
いくつかの点で、この記事は興味深かったので訳出しました。第一は、記事の著者が立つ位置。米国の犯罪は「過ち」だったとか「本当は私たちはすばらしいんだ」という反戦論議は少なからずありますが、この記事も、米国の犯罪行為と「本当はすてきな米国」との間を微妙に行っているところがあります。第二に、「戦争は決して答えにはならない」こと。北朝鮮のミサイル発射以来、冷静さを欠いたまま様々な主張が飛び交っている日本で、改めて。