「開かれた心,閉じられた境界」――ファルージャ訪問記(CPT,3月18日)
3月16日のクリフ・キンディさんのレポートと同じ日のことを書いています。
画像はクリックで原寸表示します。
心は開かれているが,境界線は閉じられている
Open Hearts, Closed Borders
Peggy Gish, Electronic Iraq
18 March 2005
http://electroniciraq.net/news/1907.shtml
破壊された教室の瓦礫の中に立つイラク人の子ども――ファルージャ市 (photo: CPT)
3月14日,私たちはファルージャ市のGebeil地区のテント村を訪れようとしていた。どのようなことを想定しておけばよいのかはわかっていなかった。米軍の厳重な検問所を3箇所通過して市に入れたこと自体が驚きだった。市にアメリカ人がいると伝われば,生命が危険になるかもしれないという警告も受けていた。
ファルージャのいくつかの地域では,建物が破壊されているけれどもまだ立っていた。しかし今,CPTスタッフ5人とイラク人6人(うち数名はシーア派である)の私たちの訪問団が目にしているのは,スンニ派が大多数を占めるこの都市の広大なエリアが,まるで地震が襲った後のようになっている光景だ。かつては家屋があった場所には瓦礫の山。住処を失った家族たちが私たちを暖かく迎え,テントの中に入れてくれた。
テントの片隅で,女性たちが小さなガスバーナーでお茶を淹れるためのお湯を沸かし,私たちは10フィート×15フィートの空間に暮らす25人もの家族のメンバーに会った。年輩の父親が,家族に起きたことを話し始めた。2004年11月,米軍が攻撃が間近であると警告し,家族は家を後にした。そしてほかのファルージャ市民たちとともに,近隣のHalabreh村の学校を住処とした。1ヶ月前,学校再開のため家族は学校を退去しなければならなくなり,ファルージャに戻った。家は完全に破壊されていたため,赤新月社がテントと毛布4枚を供給した。寒さのなか,彼らは瓦礫のなかから壊れた家具を掘り出して,暖をとるため,調理のために燃やした。
「ありがとう」と女性たちの何人かが私たちに言い,私たちの女性メンバーを抱き締めてキスをする。私は畏怖の念を抱いて歩き去った。私たちはあの人たちを助けるために特にこれといったことはしていない。それに私たちは,あの人たちの町と家を破壊した国の人間だ。
後刻,私たちは宗教上のシャイフ【注:「シャイフ」には宗教指導者と部族指導者の2種類がある】と長い話をした。シャイフはファルージャの破壊について,そしてこの4ヶ月の間余儀なく孤立させられていたことについて重々しく熱を込めて語った。彼が言うには,私たちがファルージャの人たちを助けるためにできる最も重要なことは,ファルージャの破壊について,そして人々の苦しみについて,外部の人たちに知らしめること。バグダードからシャイフに連絡を取るのが難しいという話題になると,彼は私たちにこう言った――「私たちは心を開いています。けれども境界線は閉じられています。」私たちも同じ考えだった。物理的な境界線と,偏見と恐怖の境界線を私たちは見た。しかし同時に,私たちはあの日,たくさんの開かれた心を実際に体験した。
米軍主導の軍が市全域の多くの学校を破壊した。戦車やヘリ,ジェット機がそれらの標的を砲撃した――ファルージャ市 (photo: CPT)
戦闘が行なわれた数ヶ月の間に,教室の壁が吹き飛ばされた――ファルージャ市 (photo: CPT)
すべての学校の壁や天井が破壊されたわけではないが,破壊を免れても炎や煙で内部にダメージを受けている――ファルージャ市 (photo: CPT)
燃やされ,撃たれている――ファルージャ市 (photo: CPT)
投稿者:いけだ
2005-03-23 00:23:17