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2006/02/28

モスクの怒りは連帯を生んでもいる

 
「内戦」が騒がれています。そうした中、イラクから現地の状況。

モスクの怒りは連帯を生んでもいる
ダール・ジャマイル&アルカン・ハメッド
インタープレス・サービス
2006年2月26日
Electronic Iraq 原文

バグダード発2月25日(IPS)。サマラのシーア派黄金モスクが最近爆破されたことで引き起こされた広汎にわたる分離主義的暴力と同時に、また、イラク全土で、スンニ派とシーア派の連帯デモも起きている。

バグダード北西135キロにあるサマラのアル=アスカリヤ・モスクは、イラクのシーア派にとって4聖地の一つとして崇拝されている。

2月22日午前6時55分、このモスクが男たちにより爆破された。この男たちは守衛を縛りあげて爆発物を仕掛けたのである。このところそれまでに二度シーア派に対する攻撃があったため、すぐさま広汎な怒りを引き起こし、暴力的反応も引き起こした。

暴力的な報復攻撃によりスンニ派のイマム3人と民間人数十人が命を失い、50以上のスンニ派モスクが攻撃を受けた。

けれども、この暴力を受けて、シーア派とスンニ派の指導者たちが落ち着きと自制を呼びかけ、連帯のデモも行われた。

シスタニ師のオフィスはすぐさま声明を発表した。「我々は信者に、平和的手段で・・・・・・抗議の意を表明するよう呼びかける。強い悲しみと衝撃により、イラクに分離主義的紛争をもたらそうとしている敵たちを利するような行為を起こしてはならない」。

イラクのシーア派聖職者のなかで第二の影響力を持つとも言われているムクタダ・アル=サドル師は記者団に対し、次のように述べた。「イマム・アル=ハディ----神の平和がありますよう----の聖廟を攻撃したのはスンニ派ではなく、占領(軍)とバース主義者たちである。あいつらだ。我々はスンニ派のモスクを攻撃すべきではない。私はアル=マフディ軍に、シーア派とスンニ派の廟をいずれも守るよう命じた。

サドル師はすぐさまレバノンから帰国し、イラク議会に、イラクからの占領軍撤退を決議するよう求めた。

スンニ派の宗教関係者たちは、人々に平和を呼びかけ、分離主義戦争を引き起こそうとしている者たちに抗するよう呼びかけた。

アラブのメディアの中には、これらの攻撃を阻止するために必要な治安を確保できなかったとして、おろおろするイラク政府を非難するものも多い。けれども、デモに参加した何千人という人々は、イラクの人々を守れない米軍を批判した。

サマラでスンニ派の人々はただちにシーア派の人々に連帯するデモを行い、モスク爆撃を非難した。それから、スンニ派とシーア派の連帯デモがイラク全土で行われた。バスラ、ディワニヤー、ナシリヤー、クート、サラー・アル=ディンなどでも大規模なデモが行われた。

シーア派の怒りの多くは米軍に向けられている。バグダード南部にある、シーア派が大部分を占めるクート市では、何千人もの人々が行進し、米国旗とイスラエル国旗を燃やした。

バグダードの巨大なシーア派スラムであるサドルシティでも数千人が行進し、反米のスローガンを叫んだ。サドルシティにはバグダードの人口の半数に近い人々が住んでいる。

バグダードではサドルシティのほかでも、大規模なデモが多数行われた。

「これらの聖廟は、イラクだけでなくイスラム世界のすべてに住むムスリムみんなにとってとても大切なものです」と、40歳の商人アフメド・ハッサンはIPSに語った。2月23日バグダードのカダミヤ地区で行われたデモのときである。「イラクにいる全ムスリムが、この行為を批判し非難しています。そして誰もがこうした行為に反対しています」。

イラク治安部隊がスンニ派地区の封鎖に乗り出したにもかかわらず、バグダードで行われたシーア派のデモにも数千人のスンニ派が合流した。

「これは金をもらって米軍が一部の奴らにやらせたイスラエル風の行為に違いありません」と54歳のシーア派の男性はIPSに言った。「やったのはスンニ派ではありません。私たちは、アメリカ人たちとイスラエルが、私たちを分断させたがっているのを知っていますから。スンニ派の人がムスリムのモスクを爆破するなどということは決してあり得ません」。

デモに参加していた25歳の女性は、出会った人すべてに、この攻撃はサマラのスンニ派の人々とは何一つ関係がないと説明していた。

「私の夫は、サマラ出身のスンニ派で、あの聖廟に行っていました」とハシミア・アティミムは説明する。「このおぞましい行為を行ったのが外国人だということを、私たちはもちろん知っています」。

デモに参加した人々の気持ちと少し対応する言葉は、思いもかけず、別のところでも表明されている。英国首相トニー・ブレアは、声明の中で、サマラの黄金モスクを攻撃した者たちは「ただ一つの動機しか持っていない、スンニ派とシーア派の間に暴力的な分断を持ち込むことだ。イラクの民主主義を脱線させるためにだ」と語った。

(c)2004年、2005年、ダール・ジャマイル。さらなる記事や写真、コメントはdahrjamailiraq.comにある。すべての写真と文章は米国の著作権法および国際的な著作権法の保護のもとにある。ダールの報道をウェブで再掲したい場合、この著作権情報を掲載し、DahrJamailIraq.comウェブサイトへはっきりわかるリンクをはること。写真や文書をそれ以外の方法----以下に限らないがたとえば、別のウェブでの再掲利用、コピー、印刷など----で使う場合には、ダール・ジャマイルの許可を要する。

来日していたイラク人医師イブラヒーム・ナシールさんも、「スンニ派とシーア派はイラクで仲間として生きていた」と語っていました。

投稿者:益岡