CPTメンバー解放についての記事類(2) 救出作戦について
23日のBBC記事、British Iraq hostage Kember freedによれば、
……多国籍軍によって解放された。
……
3人の救出は、イラク時間午前8時(GMTで午前5時)のことだったと考えられている。これに先立つ1週間、英軍が主導し米軍とカナダ軍の特殊部隊が参加した作戦が行なわれていた。
この作戦について当局者から明かされていることは非常に少ないが、拉致した者たちは誰もその場におらず、一切の発砲なく、また誰も負傷しなかったということはわかっている。
とのことで、とりあえずは「米軍ではなく英軍主導」で、「作戦は流血なく完了した」こと、「現場からは拉致犯は既に姿を消していた」ことがわかります。
私としては、「イケイケで乱射狂的な精神」にのっとって実行された作戦ではないということに、ひとまずは安堵を覚えます。殺されるいわれもない人が殺されることなく3人が戻ってきたということには、イラク戦争およびその後の占領についての見方がどうであれ、誰もがひとまずは安堵できるんじゃないかと思います。。。ってこれもまたunthinkableがnormalになってるような気もするのですが。
さて、というわけで英メディアは「SAS祭り」になってます。Google NewsでSASで検索すると、うさんくさーと思うくらい。(笑)
SASは、先日の記事(「アメリカの外交政策のパシリになるために英国陸軍に入隊したのではない」として軍を退役した28歳の元SAS隊員のインタビュー)でちょっと触れた通り、英陸軍の特殊部隊です。駐英イラン大使館人質救出作戦(1988年)が特に有名です。
そうやたらと新聞記事になることはないSASが、ここまで多くの記事で見出しになり、「SASと思われる」というような断定を避けた表現以外で語られるのは、成功した人質救出作戦のときくらいではないかと私は思いますが。
ガーディアンの、ずばり"SAS frees Kember and Canadian hostages"という見出しの記事(24日付け)によると、「通常は作戦に特殊部隊が加わっているとはっきり認めることはほとんどない英国政府が、この作戦はSASが主導したと、自ら進んで述べた」とのこと。珍しい。今回の件には何か特別なものがあるんですかね。確かにこれで、SASのイメージは上がるかもしれないけど。。。
ともあれ、今回の救出作戦についての記事。
まずはBBC。(網羅的になりすぎていて、あんまり整理された記事ではないのですが。)
How Iraq hostages were freed
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4837602.stm
記事から読み取れる「作戦」の流れなどはこんな感じです。
水曜日の夜に米軍が拘束した2人の男が非常に重要なことを知っていた。うち1人はCPTの3人が拘禁されている家の場所(あるいはその手がかり)を知っていた。その情報が翌朝米軍にもたらされ、救出作戦が実行に移された。
米軍スポークスマンの発言(正確な訳ではなく要約):
「軍が(=英米カナダとオーストラリアの特殊部隊で編成)その家に踏み込むと、中に3人がいた。負傷などはしていなかった(in good condition)。家の中に拉致犯はおらず、いたのは、縛られた人質3人だけだった。」
BBCの軍事記者フランク・ガードナーによると、救出に関わったのは、多国籍(英、米、カナダ、オーストラリア)の特殊部隊、警察の交渉人、およびイラク人の仲介役と考えられる。また救出作戦は教科書的な作戦で、先頭に立ったのは英軍兵士(つまりSAS)。
英国のジョン・リード国防大臣は、「数週間かけて準備をした」と述べている。
英国のジャック・ストロー外務大臣は、作戦担当チームを賞賛した上で、一般市民(civilians)が「背後で(in the background)」作戦に関わっていたことを認めている。
米軍スポークスマン、Major General Rick Lynchの会見の内容は:
Kidnapped Christian peace activists rescued in military swoop
http://www.irishexaminer.com/pport/web/...
それから、これ系の報道では絶対外せないテレグラフ@絶賛「SAS祭り」中:
SAS moved at dawn as prisoner cracked
By Oliver Poole in Basra
(Filed: 24/03/2006)
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?...
すっごい筆がのってて「彼らの、長い118日が、終わったのだ」調の記事ですが、事実関係についての部分を中心に要旨(「翻訳」ではありません):
CPTの3人が拘禁されている場所はここだということが確実になったときには、SASのブラック・ユニット(SAS's Black unit)はグリーンゾーンの英国大使館内で(←注目)出動準備が完了していた。
3人の居場所を確実に知っていると思われる男が前の晩に拘束されており、既にアメリカとカナダの特殊部隊とSASは合同していた。
拘束された男は、その日の夜が明けるずっと前に、3人が拘禁されている家とその家のある地域の詳細を喋った。
ぼやぼやしているとその情報は古くなってしまうので、作戦は3時間でまとめられた。
日の出のころには、彼ら特殊部隊はバグダード北西の市境から数マイルのところにある建物で待機していた。
その後どうなったのかについて詳しいことは明らかにされていない。今後同様の事件が発生した場合に、手の内がすっかり知られているということがないように、限られた範囲でしか明かされていないためだ。
作戦はSASが先頭に立った。彼らは家の玄関のドアを蹴破り、すべての窓を割って家に入った。1人用の部屋に、3人がまとめて入れられていた。拉致犯の気配はなかった。家の外では、部隊のメンバーが拉致犯の手がかりを求めて捜索していた。
バグダードでの誘拐事件というと、身代金の支払いがお定まりだが、今回はそういうことはなく情報(intelligence)のおかげで解決したのだと内部の人間は強く主張している。
米軍は、水曜の晩に事情を知っているイラク人を拘束したことがキーとなったと言うが、作戦に関与したすべての人が、これは数百時間を費やした調査の結実であるということを強調している。つまり長い時間をかけて航空写真を分析したり情報源から得られた情報を分析したりしてきた結果である、と。
今回、事態を動かすきっかけとなったのは、2週間前にトム・フォックスさんが遺体で見つかったことだった。
フォックスさんの遺体を調べた結果、処刑されたのではないという結論が導き出されたのだ。これまで、イラクでは処刑の場合は頭を撃ち抜いていた。しかしフォックスさんの頭は撃たれていなかったのだ。
フォックスさんは、腕に3発、胸に3発が撃たれていた。拷問の痕跡と考えられたあざは、格闘した証拠と考えられる。
調査担当チームは、フォックスさんは単にアメリカ人だから殺されたということではないと結論づけた。おそらく、脱出しようとしているときに殺されたのだろう――そうであるとすれば、彼の殺害の様子をおさめたビデオがないことも辻褄が合う。イラクでは通常、政治的動機での殺害では必ず殺害の様子をおさめたビデオが出される。
拉致犯はおそらく、事態をコントロールできなくなっていた。そして彼らの意図せざる行動が、新たな手がかりとなった。18日までには、救出への望みは増していた。
調査に近い人たちは、一切取引はなかったと強く主張する。拉致犯は英国側が断固として身代金の支払いに応じないということを知っており、それゆえに、身代金交渉などをすれば、人質の命を危険にさらすことになるからだ。
彼らが言うには、作戦のスピードゆえではないかとのことだ。作戦は、理想的には24時間監視してから行なわれるが、今回はほとんど時間をかけずに実行されている。あるいは、前の晩の男の逮捕で、拉致犯たちはすぐそこまで追っ手が迫っていることを知ったのかもしれない。
しかし、拉致犯が網をかいくぐって逃げたことは、昨日の救出作戦に陰りを投げかける。また同じことが行なわれるかもしれない、ということだけでなく、いまだ拘束されている7人の西洋人についての情報が得られる見込みも薄くなったからだ。また、復讐として7人のうちの1人の斬首が行なわれるという事態にもなりかねない。
ガーディアン記事によると、このタスクフォースにはMI6の人も参加していたそうです。(言うまでもないことではありますが。)
The Timesは、「すげぇぞSAS!」的な記事なんですが、作戦についてはテレグラフよりもさらに詳しいです。
Two minutes to freedom in SAS mission
By Nick Meo in Baghdad, Michael Evans, Daniel McGrory and Tom Baldwin
March 24, 2006
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,7374-2101201,00.html
特に興味深いところだけ引用して、内容を日本語化:
Task Force Blackとして知られる秘密部隊がある。司令官はSASの将校だ。彼らは何ヶ月にもわたり、静かに、イラクの戦争犯罪者(<誰のことかわからん)を追跡し、人質を捜索してきた。
Task Force Blackは、米軍、英軍、オーストラリア軍の特殊部隊員250人ほどで構成され、諜報部員にバックアップされている。CPTの3人が昨年11月に連れ去られたあとで、ロンドン警視庁は訓練を受けた交渉人を、カナダは誘拐事件の専門家を送り込んだ。また、FBIやMI6の職員もバグダードに入り、犯人との直接交渉を仲介する人物との接触を試みた。
英軍の秘密作戦担当兵士が、ひげをたくわえイラク人の服装をして、宗教指導者や部族の長老と会い、誘拐犯についての情報を収集した。衛星写真や電話の傍受などの情報は、緻密に調査された。報酬を支払って雇ったインフォーマントや地元のリーダーやイラク警察から寄せられる情報は、嘘ばかりだった。しかし水曜の夜に拘束された男は、秘密を語ったのだ。
SASは拉致犯の拠点はバグダードの西部、al-Hurriyah地区であると判断した。ここは主にスンニ派の反乱者(mainly Sunni insurgents)の拠点であり、数十件ものイラク人誘拐を行なった犯罪ギャングの拠点である。水曜の夜に拘束された男は、正確な住所を明かし、場所の様子を説明し、3人が拘禁されている家とその傍の道路のスケッチを描いた。
……
23日午前3時ごろ、救出部隊責任者のSAS司令官がグリーンゾーンの基地(<テレグラフによれば「英国大使館」)に隊員を招集した。部隊は主にSAS隊員で構成され、英陸軍パラシュート連隊第一部隊と英海軍の兵士50人がバックアップしている。50人全員が、タスクフォース・マルーン(Task Force Maroon)というコードネームを持つSpecial Forces Support Groupの隊員である。
この3つの記事を読めば、前日から当日までの流れはわかります。つまり、前日の晩に拘束された人物が、(おそらく米軍で)取調べを受け、深夜1時とかくらいに家の場所などの詳細情報をゲロった。その情報を元に救出作戦が立案され、作戦に当たる部隊が数時間のうちに召集され、夜明けには現場近くで待機。SAS隊員が突入し、縛られていた3人を発見し、救出した。一方で家屋周囲では捜索も行なわれたが、拉致犯の姿はなかった。(男が情報源になる/なったことが拉致犯にわかったのかもしれないですね。「あいつが捕まった→居場所がばれる」的な形で警戒して逃げたとか。)
さて、上記タイムズの記事に次のような一節があります。
the hostages were cut free, taken out of the building and bundled into the back of an army Land Rover. Less than two minutes after the rescue force had entered the building, the three Westerners were on their way to freedom.
人質はいましめを解かれ、建物の外に連れ出され、英陸軍のランドローバーに乗せられた。救出部隊が建物に入ってから2分もしないうちに、彼ら3人の西洋人は、自由への道についていた。
解放されて「自由への道」についた3人が向かった先は、同じ記事にheavily fortified(厳重に要塞化された)という形容詞つきで出てくる、バグダードのグリーンゾーンです。
バグダードでは、「自由」は要塞化されている、という皮肉に見えてしかたありません。気のせい?
投稿者:いけだ
■トラックバック先:
【イラクでのアメリカのやり方は「不法」として、SAS隊員が軍を除隊】Sean Rayment, Telegraph.com(2006/3/12)@反戦翻訳団さん、3月22日
http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/50223624.html
※記事中で反戦翻訳団さんの訳文(by 203号系統さん)を一部使わせていただきました。
■追記:
英語には日本語の「おつかれさま」を言うための表現方法がないと、英会話まわりではよく言われますが、英国の閣僚が今回のケースでどう発言しているかを見ると、「よくやった、おつかれさま」の表現方法がわかるかもしれません。