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2005/04/27

これは私たちのゲルニカである。(27日、英Guardian, Jonathan Steele and Dahr Jamail)

4月27日、英ガーディアン論説、ジョナサン・スティールとダール・ジャマイルの連名記事。

これは私たちのゲルニカである。
This is our Guernica
Jonathan Steele and Dahr Jamail
Wednesday April 27, 2005
The Guardian
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/
0,2763,1471169,00.html


ロバート・ゼーリック(Robert Zoellick:参考)は米国政府内部の人物の典型である。優れたtechnical mindを有してはいるが、現場(any coalface or war front)での経験はゼロ。何の苦労もなくアイヴィーリーグのアカデミックな世界から米通商代表部(一大不祥事を起こしたエンロン社の顧問というポストも含む)へと進み、現在は国務省のナンバー2のポストにある。【訳注:前通商代表だったゼーリック氏は、2005年1月から国務副長官。】

しかしこの完全無欠な"man of the suites" 【man of the suitsのもじり】は、今月、(英国の)首相や外相を恥じ入らせるようなことをしている。首相も外相もイラクを何度も訪問しているが、どちらもバグダードやバスラの厳重に要塞化されたグリーンゾーンの外に出ることはなく、イラクの人々が贈らなければならない生活を見たことはない。写真を撮影させ、ブリーフィングを行ない、英軍兵士と話をして英国に戻り、そして自分たちが侵略した国で何が起きているかは把握していると主張する。実際には何も見ていないに等しいのに。

対照的に、ゼーリックはイラクへの初めての訪問で、ファルージャを見てもらいたいといわれた。読者のみなさんはファルージャのことをご記憶であろうか。人口およそ30万の1都市、占領に対する武装レジスタンスの拠点であると言われた都市である。

昨年、米国は2度にわたり、この抵抗のシンボルを破壊するための行動を行なった。1度目は4月、イラクの政治家たち――自国への侵略を支持した多くの者も含め――が、市全体を恐怖に陥れるために(terrorise)空からの攻撃を用いたことを非難したあとで、尻すぼみに終わった。米軍は攻撃を中止したが、それは数百の一般家族たちが脱出する前のことで、600人を超える人々が殺された。

その6ヵ月後、米国は再挑戦した。今回はワシントンの同盟各者には事前に話がされていた。ファルージャにはアルカーイダ最高幹部のひとりであるアブ・ムサブ・アル=ザルカウィが存在しているという米国による執拗なプロパガンダが、米国が指名したイラク政府の中での黙認の空気を作るために利用された。シーア派指導者たちは、ファルージャをコントロール下に置くことが、スンニ派によって刺激される内戦を防ぐための唯一の方法なのだと告げられた。

英国のブレア首相も責任を分担するよう依頼された。英国は軍隊を派遣し、包囲戦が始まると、ファルージャからの脱出経路をふさぎ、補給物資がファルージャに入らないようにした。【訳注:南部バスラに拠点を置く英軍は、2004年10月下旬に中部イスカンダリヤ方面に部隊を送りました。当時の記事兵士へのインタビュー。】

大規模攻撃の警告があり、ファルージャの30万の人々の大多数が脱出を急いだ。そして、残された人々は「テロリスト」に相違ないとの根拠により、ファルージャはa free-fire zoneであると宣言された。

昨年11月、攻撃が開始されてから3週間後、米軍は勝利を申し立てた。米軍はおよそ1300人を殺したと述べた。しかし包囲戦が始まって1週間で、BBCの記者が出した非公式の死者統計では2000人だった。何が起きたのか、また誰が死んだのかは曖昧なままだった。バグダードに拠点を置く人権団体が報じたように、多くが非武装の一般市民だったのか。米軍と戦って自宅を守ろうとしていただけであっても、彼らは「テロリスト」となってしまうのか。

米軍に「エンベッド」されていたジャーナリストたちは、負傷した捕虜(prisoner)の殺害を含め、惨劇を記録した。しかし全体像のようなものを把握できた記者は誰もいなかった。包囲戦が終わって以降は、米国による厳重な規制により、また、人質として誘拐される危険があるために記者はイラクのほとんどの地域で移動することもできないような状況で、この完膚なきまでに破壊された都市は、事実上、立ち入り禁止となってしまった。

このようなコンテクストで見ると、ゼーリック国務副長官の訪問は、少人数の米国のジャーナリストによって取材されているだけだが、illuminatingである。ゼーリック副長官は、撃ち落されることを避けるため、ヤシの木々の上を低く飛ぶブラックホーク・ヘリコプターで、この「解放された」都市に向かわねばならなかった。ファルージャの街路はほとんど無人であったが、彼はスーツの下にフラックジャケットを着込んでいた。彼の車列は、8台の装甲車両から成り、ワシントン・ポスト報じたところによると、「米国が提供したmicro-loanで再開された屋外のパン屋を高速で通り過ぎ、生地を扱っているパン屋の従業員たちの姿は、一瞬ちらりと見えただけだった」。この記事を書いた記者は、「街ではどのブロックでも、爆発で飛んだ建物の破片が並んでいた」と付け加えている。

ある米軍基地で、入念に選ばれたイラク人たちと面会したゼーリック副長官は、米国による復興支援のペースについて、また、米兵が一般市民を頻繁に威嚇していることについて、怒涛のような苦情を浴びせられた。国務省のファクトシートでは、住民の95%の自宅に水道があると主張されているが、ファルージャの市長は、その水は下水で汚染されており、安全ではないと述べている。

ファルージャ市の補償委員会の委員長であるドクター・ハフィド・アル=ドゥレイミ(Dr Hafid al-Dulaimi)の話でも、ファルージャでの生活についてを知ることができる。同氏の報告では、米軍の攻撃で36000軒の家屋が破壊され、8400軒の商店が破壊された。幼稚園と学校60軒が、65軒のモスクや宗教的聖域と同様、瓦礫となった。

the Institute for War and Peace Reportingに所属するイラク人ジャーナリストのダウード・サルマン(Daud Salman)は、2週間前にファルージャを訪問し、市の住民で市に戻ったのは4分の1に過ぎないということを知った。外周部のテントで生活し続けている人々は数千単位。イラク赤新月社は、米軍がファルージャの周囲に警戒線を張っているため、病人を助けるために入ることが困難であるとしている。

レバノンの放送局でカメラマンをしているバーハン・ファサア(Burhan Fasa'a)は、包囲戦の最中に、人々は自宅から出ることができないので、家族の誰かが死亡すると自宅の庭に埋葬されていると伝えていた。避難民たちは私たちのひとり【訳注:ダール・ジャマイルのことだと思われる】に対し、白旗を掲げている一般市民が、米軍兵士に撃ち殺されたと語った。複数の死体が米軍の戦車に結び付けられて、戦利品のごとく、見せびらかされた。

クリスチャン・ピースメイカー・ティームズ(CPT)のジャスティン・アレクサンダーは、最近、自宅の敷地内にテントを張って暮らしている人々、あるいは応急的に補修された一部屋にみなで暮らしている人々が、何百という単位でいることを知った。IDカードのシステムが厳重で、ファルージャの外で生まれていることが書類に書かれている人は誰も市に入れず、ファルージャ以外で生まれファルージャで長く暮らしてきた人たちは、自宅に帰ることができない。「ファルージャの人々は、自分たちの街であったものの残骸が、巨大な監獄に変えられてしまったと感じている」と、彼は報じている。

多くの人が、できたばかりの新たな軍隊であるイラク国家警備隊(the Iraqi national guard)の兵士たちが夜間の外出禁止令の時間帯に商店から略奪を行なっている、人々の身柄を拘束し、解放してほしければと賄賂を払わせていると述べている。彼らはバドル旅団(the Badr Brigade)のメンバーなのではないかと疑われている。バドル旅団とは、スンニ派に復讐をしたがっているシーア派民兵組織である。

確実なことがひとつある。すなわち、ファルージャへの攻撃は、米英の占領に対する反乱をおさめるためには何にもならなかった、また、アル=ザルカウィの死を生み出すことにもならなかった――ちょうど、アフガニスタンへの侵略がオサマ・ビン=ラディンの拘束ないし死亡を達成していないように――、ということだ。数千単位のファルージャの人々が、財産や家族を奪われ家を失い、そして米国やその同盟者を憎む新たな理由を手に入れた。

少なくとも、ゼーリックは見に行った。彼はその訪問でどのような印象を受けたかについては何も示唆していないが、この現実が意味するところを何ら理解しえずにいるには、あまりに頭が良すぎる人物である。この教訓はブレア(英国首相)やストロー(英国外相)に通じないなどということがあるはずがない。ブレア首相が戦争の合法性の問題から「進む(move on)」時が来た、やサダム・フセインが転覆させられてからのイラクの変化を祝おうと主張するたび、それに対する答えは「ファルージャを忘れるな(Remember Falluja)」であるはずだ。そして外相がこの次にイラクを訪問するときには、フラックジャケットを身に着けて、破壊することにおいて英国も一役買ったこの街を、見て回るべきである。

政府は、選挙の争点としてはイラクは消えてしまうことを望み続けている。しかしそれは、そうなることを断固として拒んでいる。有権者はこの戦争が不法で(illegal)正当性のないもので(illegitimate)不必要な(unnecessary)なものであったことに怒っているばかりではない。米英による侵略が始まって以来、イラクの人々に押し付けられてきた扱いは、それらと同様に、重要である。

1930年代、スペインの都市ゲルニカが、理不尽な殺人と破壊のシンボルとなった。1990年代、グロズヌイ【訳注:チェチェン共和国の首都】がロシア軍によって無慈悲に破壊された。グロズヌイはいまだ廃墟のなかである。この10年の残虐と大量殺人の忘れることのできないモニュメントが、ファルージャである。反乱に対処するにやってはならないことの教科書的ケース、そして人々の支持のない占領は、後先を考えぬ自暴自棄の行為と残虐行為へと変質してゆくものであるということを思い出させるケースである。

*ジョナサン・スティール(Jonathan Steele )はガーディアンの上級海外特派員。ダール・ジャマイル(Dahr Jamail)はフリーランスの米国籍ジャーナリスト。


ファルージャをゲルニカに譬えた記事には、昨年11月末のSaul Landauのもの当ウェブログ記事もあります。


いけだ

英国と拷問について。

ひとつ前の記事で、拘束したイラク人の扱い方について、非常に生々しい記述があります。
我々は大ハンマーを持っていた。壁にたたきつけると、爆発音のようにこだまし、奴らを無茶苦茶怯えさせるんだ。それでもうまくないときは、9ミリのピストルに球を詰めて、頭のそばで撃つ真似をする。奴らを撃つと思わせるんだ。それをやっておけば、奴らを好きなように操れる。

――私がイラクについて耳にしたこと (6)


このような「尋問手法」はイラクでの米軍に限った話ではありません。例えば、イラクとは直接的関係のない場所での「身柄拘束の後にとられる尋問手法」について、「尋問される側」による「対処マニュアル」が、ネット上にあります。直接関係がないのでどうかなとも思ったのですが、このような手法が取られていることは「イラク」固有の問題ではないし、ちょっと書いてみることにしました。

さて、「警察に身柄を拘束されたらこういう尋問が行なわれるので、各人、心しておくように」というこの「対処マニュアル」は、IRA(Irish Republican Army)によってメンバー向けに作成された「行動規範」の一部です。下記アドレスで、全文を読むことができます。
http://www.residentgroups.fsnet.co.uk/greenbook2.htm

マニュアルの初めの部分から少し引用。(文中のVolunteerはIRA用語で、「義勇兵」の意味、つまりメンバーのことを言います。)
What A Volunteer Should Do When Arrested
義勇兵は逮捕されたときにどうすべきであるか

1. The most important thing to bear in mind when arrested is that you are a volunteer of a revolutionary Army, that you have been captured by an enemy force, that your cause is a just one, that you are right and that the enemy is wrong and that as a soldier you have taken the chance expected of a soldier and that there is nothing to be ashamed of in being captured.
1.逮捕された際に心に留めておくべき最も重要なことは、貴君は革命軍の義勇兵で、敵軍に捕らわれたのであり、貴君の大義は正しい大義であり、正しいのは貴君であって敵は誤っているのであるということ、そして、これは兵士には当然予想された事態であって、捕らえられたことについて恥に思うべきことは一切ない、ということである。

2. You must bear in mind that the treatment meted out to you is designed to break you and so bleed you of all the information you may have with regard to the organisation to which you belong.
2.貴君に対する扱いは、貴君を破壊し、貴君が属している組織について持っている可能性のある情報をすべて搾り出すことを目的としているのである、ということを、心に留めておかねばならない。


この部分に明示されているように、この文書は、「我々の組織の破壊を目的としてこのような手法が取られるので、それらは無視するように」という、対処マニュアルです。(ちょっと変な連想ですが、例えば大学のキャンパスで新入生向けに配られる「近くの繁華街で悪質なセールスがありますから気をつけてください」というプリントで、「悪質なセールス」の具体例を説明しているようなものと考えてよいと思います。)

この「IRA拷問対処マニュアル」に個別に例示されているのは、次の3つの手法です。
1. Physical Torture.
2. Subtle Psychological Torture.
3. Humiliation.

1. Physical Torture
1.肉体的拷問

The physical torture will be in the form of beatings, kicking, punching and twisting of limbs, it may even be burning from cigarette ends.
肉体的な拷問は、殴る、蹴る、パンチをする、四肢をねじる、といったかたちを取る。火のついた煙草を押し付けるといったこともあるかもしれない。

2. Psychological Torture
2.心理的拷問

This will be in the form of threats to his family, his friends and himself, e.g. threats of assassination and threats to castrate him
家族や友人、あるいは本人への脅迫というかたちを取る。例えば誰それを殺すぞとか、あるいは去勢するぞといったものである。

3. Humiliation
3.はずかしめ

This takes the form of stripping the prisoner of his clothes and remarks passed about his sexual organs. This period of interrogation may last for as long as two hours or more and at the end of that period they may produce a factual or faked confession from an associate. Failing to get their confession they leave the cell, telling him they will be back and when they do come back they will break every bone in his body. This process can continue for seven days without a break, the minimum of sleep is allowed and if they deem it necessary, no sleep will be allowed. Lack of sleep causes the prisoner to become confused.
はずかしめは、囚人の服を脱がせ、生殖器についてあれこれ言われるというかたちを取る。尋問におけるこの段階は2時間ほど続き、その終了間際で、仲間からの自白(真実であれ虚偽であれ)を出してくるかもしれない。自白が得られない場合はまた戻ってくるからなと告げ、戻ってきたときには、拘束している人物の骨を折る。この段階は休みなく7日間続くこともあり、睡眠は彼らが必要と判断した場合に、最小限しか許されない。必要と判断されなければ睡眠は許されない。睡眠ができないことで、拘束された人物は段々混乱してくる。


アブ・グレイブなどイラクの収容施設で用いられた米軍の「尋問手法」――今年の1月に、「エルサルバドル・オプション」についての記事がいくつかありましたが(Newsweekラフール・マハジャン、当ウェブログでの日本語化記事)、英国は、こんなに明白な「拷問をしていた過去」があるのに、はっきり言えば「我関せず」な態度でいます。例えばアブ・グレイブの件が大きく報じられていたときには「あれはアメリカ人がやったことだ」という論調の記述を、いくつか読んだ記憶があります。この4月にBBCで放送された番組ではウルグアイやアルジェリア、南アフリカで拷問を行なっていた人たちの証言を取り上げるなどしていたようですが、「そんな遠くまで行かなくても、証言者は近くにいるじゃん」じゃないですか?

一方、BBCでも時々、英国の拷問への加担を報じる記事が出ているのですが、それらにしても、「いや、そーゆーこととは別に」と思わざるを得ないことがあります。

ますます「イラク」とは関係なくなっていきますのでこのへんで終わりにしますが、英国の治安当局による北アイルランドでの行動については、下記などをご参照ください(順不同)。(欧州人権法廷での判断は、多分1977年のものが最初です。)
http://www.coe.int/T/e/human_rights/awareness/
6._Human_Rights_Issues/3_prohibition_of_torture.asp

http://www.phrusa.org/past_news/iraq051004_stressandduress.html
http://www.humanrightsfirst.org/us_law/detainees/
prohibits_torture.htm

http://rwg.phoblacht.net/conroy.html
http://www.nihrc.org/index.htm
http://www.wsws.org/articles/2001/may2001/
ire-m11.shtml


アブ・グレイブでの拷問が明らかになった後の、アイルランド国内での反応としては:
http://www.trocaire.org/newsandinformation/iraq/
concernabouttortureiniraq.htm


いけだ