ハディタはアラビアのソンミ村である
ラマディ攻撃が続けられる中、『ファルージャ2004年4月』著者の一人ラフール・マハジャンが、2005年11月に米軍海兵隊が犯したハディタ虐殺をふりかえる。少し前の記事です。
ハディタはアラビアのソンミ村である
2006年5月22日
ラフール・マハジャン
EmpireNotes原文
2005年11月のある日、ハディタにいた米軍海兵隊は、即席の爆発装置(IED)により同僚が命を落としたことに復讐しようと決め、罪のない武器を持たない男女と子どもを23人、意図的に殺した。海兵隊兵士たちは犠牲者の家に侵入し、至近距離から射殺したのである。大人たちは殺さないよう懇願し、子どもたちの前に体を置いて子どもたちを助けようとした。兵士たちが祈りを捧げる神と同じ神に祈りを捧げながら。
殺しのあと、海兵隊は自分たちの行為を隠蔽するために、嘘をついた。自分たちが虐殺した身を守るすべをもたない男性8人は、「ゲリラ」とされ、他の15人----年齢と性別から必然的に「民間人」だった----については、同じIEDの犠牲者だと言い張った。そののち、犠牲者の一部は、前述の「ゲリラ」と「銃撃戦」とされるものを「交わした」ときの「副次的被害」であると言われた。
彼らにとっては不運なことに、ジャーナリズムを先行する学生が、ハディタのモルグで遺体をビデオにおさめ、犠牲者たちが処刑式殺人により至近距離から頭を撃たれたことを示す写真がとられた。先週(5月半ばの週)記者会見を行った、クリス・マシューズとやりあっているジョン・ムーサ上院議員によると、事件に対する軍の調査もそれを確認することになるという。
この老いた軍国主義者ムーサは、事件そのものよりもはるかに、兵士たちが追いやられたストレスを持ち出して海兵隊のために言い訳をすることに熱心だったが、それにもかかわらず、彼の発言は信頼に値する。マシューズが事件を歪曲しようとしたとき、ムーサは冷静にマシューズの発言を正し、違う、戦闘などどこにもなく、交戦もなく、爆発もなかった----兵士たちは23日を「冷酷に」殺した、と述べた。マシューズが、これはソンミ虐殺のようなものかと尋ねたとき、ムーサは正直に、そうだと答えた。
実際、ベトナム戦争におけるソンミ村虐殺----米軍兵士たちが男性・女性・子どもを並べて機関銃掃射をあびせ、500人の民間人を虐殺した----こととの類似は避けがたい。規模は小さく、今回はおそらく女性が強姦されたことはなかっただろうが、ハディタ虐殺の残忍さは、ソンミ村虐殺に肩を並べる。
今は、「兵士」たちをわれわれは「支持する」などと世迷い事を言うべきときではない。下劣な殺人者たちが帰国したときにはできるだけの治療が必要だが、刑務所で受けるべきである。
どうしてかわからないが、ほとんどの米国人にとって、ソンミは、ベトナムで米国が犯した罪すべての換喩語となっているが、実際には、ソンミ村虐殺は氷山の一角である。それより規模の小さな虐殺はしょっちゅう行われていたし、いくつかの地域では、ベトナム人を無差別に殺すことは、標準的な作戦手続きとなっていた。
ハディタもまた、氷山の一角である。この事件の二つの側面から、他にもこれと同じような事件が多数あった可能性がかいま見える。第一は、交戦があり副次的被害が出たというストーリーを使った隠蔽工作である。それに反駁するビデオの証拠がなければ、軍の調査が単なるお墨付きを与える以上になっていたとは考えがたい。
第二は、8人の男性をゲリラに見せかけようとしたことである。これは、もちろん、最悪の領域で米軍が持ち出す理屈である。たとえば、ファルージャに対する二度目の攻撃のとき、作戦の原則は、ファルージャにいる「軍年齢の男性」はすべて戦士であると仮定され、攻撃の対象とされた。殺したあとで遺体に銃を持たせたり、さらにはシャベルを持たせれば、すぐにその男性は「ゲリラ」であると見せかけることができた。
ハディタはまた、民間人を殺す様々な一連の方法全体----銃を撃ちたくてうずうずしている兵士による検問所での殺人、民間人で混み合った場所への無差別発砲返し、「ゲリラの疑いがある者たち」に2000ポンド爆弾のような広域兵器を用いること、そして「まず撃って、それから尋問」という一般方針----と有機的に結びついている。そうした方法は、頻繁に、意図的な殺害二ならない場合でも、イラク人の命に対する下劣な無関心になる。さらにそれに加えて、2004年の二度にわたるファルージャ攻撃のような出来事がある。このときには、民間人の「付随的被害」は広範にわたっており、例外ではなくまさに攻撃の特徴となっていた。
数字に弱くはっきりした態度をとれない米国の人々は、ベトナム戦争という犯罪の巨大な規模をけっして理解することができなかった。今日まで、米国の人々は、おそらく10万人のベトナム人が殺されたと考えている。実際に殺されたベトナム人のわずか3から5%である。ベトナム戦争時、米国人の大多数は、大量爆撃、環境系の破壊、いくつかの地方部での生命の体系的な破壊などに思い至らなかった。戦争の野蛮で不道徳な性格を米国に知らしめたのは、ソンミ村虐殺事件だけだった。戦争の行方についてはテト攻撃が転回点となったが、米国の人々が道徳的に戦争に反対する転回点となったのはソンミ村虐殺である。
イラクについても、どうようの展開をする機は熟した。これまでのところ、一方でゲリラの一部の残酷さが、他方で兵士のイメージ維持政策が、戦争に反対する道徳的主張を難しくしていた(ヒーローや少年聖歌隊員が不道徳な行為をすると考えるのは心理的にも感情的にも難しい。米国人にいつも見せられる英雄的な少年聖歌隊員だとなおさらである)。今、それを変えなくてはならない。そしてハディタ虐殺は、その道を示している。ハディタは、アラブにおけるソンミ村虐殺なのである。
ハディタ虐殺について、当ブログでは、まとまって扱うことができていませんでした。どうか、想像してみて下さい。外国の部隊による不法占領の中、戦闘が続き、心配な家族や親戚が一つの家に集まっている。そこに占領軍兵士が侵入し、至近距離から中にいる人を射殺し始める。子どもの命を救おうと、占領軍兵士の銃と子どもの間に身を置く大人たち。
日本の「自衛隊」は、不法占領軍の一部として、こうした行為を行う米軍に加担しているのです。
不法な侵略と不法な占領を続ける軍隊には、相手が「ゲリラ」だろうと、殺人を正当化することはできません。ナチスドイツが占領下欧州のレジスタンスを「ゲリラ」「テロリスト」などと呼んでいたことを思い起こします。
米国国防省に抗議の声を届けるには、http://www.defenselink.mil/faq/comment.htmlにアクセスし、上の方のま>
んなかあたりにある「Ask a Question / Make a Comment」をクリックします。
そこで出た画面に、
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を入れて、「Send」ボタンを押すと、メッセージが送信できます。
コメントは、
Stop attacking Ramadi. とか、
Could you please stop the war crimes that you have been committing in Ramadi, Ir
aq, immediately? とか、
No more killing, no more war crimes, please.
など、短いものでも。
投稿者:益岡