人殺しを、気の向くままに
怯えた米軍兵士たちはいまだに不処罰のまま民間人を殺し続けている。
一方、死者の数は数えられていない。
パトリック・コックバーン
インディペンデント紙より
ZNet原文
バグダード中心部のオーバーパスで、パトロールの米軍兵士たちが銃を構え、通行中の車両を引き離そうとしていた。3人の若者が乗った黒い車の停止が遅れ、兵士がマシンガンをその車のエンジンに数発撃ち込んだ。
運転手と同乗していた友人たちは撃たれなかったが、こうした米軍兵士との思わぬ遭遇で、多くのイラク人が命を落としている。イラクでは、いとも容易に、たまたま殺される。米軍兵士たちは、皆を、自殺爆撃を行う潜在的候補と見なしている。その判断があっているときは自分の命が救われるし、間違っていてもまったく処罰は受けない。
「我々は米軍兵士の免責を終わりにしなくてはならない」とマフムード・オトマン博士は言う。彼は経験を積んだクルド人政治家で、米軍の占領が瞬く間に極めて不人気になった理由の一つは、民間人を殺した米軍兵士たちが処罰されていないからだと言う。けれども彼は、自軍の兵士たちに対する処罰にはいかなるものであれ反対するという米国の態度を考えると、米軍兵士の免責は終わりになりそうもないと認めた。
イラク人の誰もが、何ら十分な理由もなしに、友人や親類を米軍兵士に殺された経験を抱えている。正規の兵士に撃たれたのか、西洋の「治安企業」の職員----多くはぶっきらぼうな元兵士で、イラクの至る所にいる----に撃たれたのかわからないこともしばしばである。
昨年、アフメド・チャラビの政党であるイラク国民会議(INC)のある党員が米軍の検問所を通過しつつあったとき、狙撃手からの発砲が一発あった。米軍兵士の誰も銃撃を受けなかったが、それにもかかわらず検問所の兵士たちは辺り一帯に銃撃の雨を降らせ、通行中のINC党員は負傷し、運転手は殺された。
バグダード南部にあるアル=ナフライン大学の総長は、卒業式典のために町の逆側を通過していたところ、四駆に乗った白人の男たちが突如として発砲し、彼の腹を撃った。この白人の男たちは、彼が自爆作戦を遂行しようとしていたと考えたらしい。
民間人犠牲者の数を数えないというペンタゴンの主張が、多くのイラク人から、イラク人がどれだけ殺されても米国は意に介さないことの証明と見なされることは、紛争の初期から、米軍士官たちの多くには明らかだった。イラク人民間人死者のことを考えないのは、殺された人々の親族が復讐を求める文化の中ではとりわけ馬鹿なことである。
民間人死者の数をめぐる秘密主義は、戦争のもう一つ重大な側面を示している。米国政府は、常に、出来事がイラク人にどんな被害を生むかよりも、それが米国人有権者にどう影響を与えるかに関心を持っている。紛争の最初から、米軍と英軍は、イラクで誰が民間人なのか特定することに困難を抱えてきた。
昨日カリフォルニア州で埋葬された米国人人道活動家マーラ・ルジカは、イラクで、犠牲者数は出来事後の報告に基づき控えられていることを死ぬ前に確証した。2月28日から4月5日までの米軍兵士とゲリラとの銃撃戦で、公式には29人の民間人が殺されたことを彼女は見つけだした。けれども、この数字が大幅な過小推定である可能性は高い。
イラクの米軍兵士は、衝突後にすぐさま撤退することで悪名高い。自軍の犠牲者は連れて行くが、しばしばダメージを受けた車両は後に残す。イラク人がどれだけ殺されたり負傷したかを知る時間はない。
バグダードのイラク保健省は犠牲者数を発表していたが、きちんと照合が取れてないとして、それを途中でやめた。メディアの情報をチェックして犠牲者の数をモニターしているイラク・ボディ・カウントは、犠牲者総数を1万7384人としている。けれども、ほとんどのイラク人が死ぬ状況は曖昧であり、誰が殺されたかを見つけだそうとすることは、記者たちにとって----イラク人であれ外国人であれ----危険である。イラクのかなりが、強盗の住まう荒れ果てた地となっている。
バグダードでさえ、霊安室に運ばれてくる何百という遺体から、ここが地上で最も暴力的な社会の一つとなったことがはっきりとわかる。イラク・ボディ・カウントの犠牲者数も、恐らく相当低すぎるだろう。というのも、米軍の戦略は、多くの民間人犠牲者を出すことが確実なものである----この戦争の奇妙な点は、米軍司令官が、しばしば、自分たちの武器がイラクの密集した都市に与えるダメージを理解していないことである。
ソ連軍との戦闘を想定して設計された米軍の兵器は、人口密集地帯で使えば必ず民間人を殺したり負傷させたりする。一方、ランセットが発表した研究の、イラクで10万人の民間人が死んだという数値は高すぎるようである。けれども、正確な数字がない限り、殺されて数えられていないイラク人の死は非人間化されたままであり続ける。コロンビア大学の看護学教授でランセット報告の著者の一人でもあるリチャード・ガーフィールド博士は「我々は米国によるジェノサイドを記録しようと今も奮闘している。人々の名前が特定され数えられなければ、政策上は存在しないことになってしまう」と書いている。
米軍兵士たちの責任が問われないことは、怖い状況で米軍兵士たちが発砲することを阻止するものは何一つないとういことを意味する。最新鋭の装備にもかかわらず、米軍兵士たちは自爆攻撃や路傍の爆弾には脆弱である。
自爆攻撃では、攻撃者はすでに死んでいるし、路傍の爆弾では、爆発を引き起こす人はすでに何百マイルも離れた隠れ場所にいる。ほかに誰も撃つ標的がいないので、民間人が代価を払うことになる。
米軍は、ベオグラードのオフィスビルを爆撃する前に、次のように「リスク」を計算していました(ウィリアム・ブルム著『アメリカの国家犯罪全書』作品社):
このオフィス・ビルにミサイルが発射される前に、NATOの計画立案者たちはリスクを計算していた。「犠牲者推定:50から100人の政府/政党職員。意図せざる文民犠牲者推定:250人。爆弾半径内のアパート」。計画立案者たちは、近くのアパートに住む250名ほどの一般市民が爆撃で殺されるかもしれないと言っているのである。
完全に予定に組み込まれた民間人犠牲者を「意図せざる」と呼ぶことは、とても奇妙です。「我々は奴を殺したい。その際、回りの人間も殺してしまうことになる。意図せずに。
まったくイっちゃったとしか言いようがない行為と「弁明」(イっちゃったひとたちにだけそう見えるもの)が横行しています。
なお、ランセットの推定は、ベースラインに対する過剰な死者の数なので、この記事の主題である米軍による直接の犠牲者とは概念が少し違います。
投稿者:益岡