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2005/03/07

ファルージャの映像の上映が3月10日に(東京・文京区)

3月10日(木)に,東京都文京区の「文京シビックセンター」にて,ファルージャの映像が上映されるそうです。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)さんのページから。

ジャーナリズムは政治権力とどう向かい合うべきか

期日  2005年3月10日(木)
場所  文京区シビックセンター・小ホール
時間  開場 18:30/開演 18:45~21:00
入場料 1000円

■ 映像上映
◯ 2004年11月 ファルージャ虐殺実態の記録映像
………… イラク戦争報道の資料として
◯ 占領地から報道するイスラエル人ジャーナリストの証言
………… ジャーナリストの役割について

■ シンポジウム発言者
◯ 大治浩之輔氏 (元NHK社会部記者)
 ロッキード事件当時、社会部デスクで報道の陣頭指揮を取る。後にロッキード事件の検証報道番組をめぐり上層部と衝突。水俣病報道の先駆者としても著名。

◯ 川崎泰資氏  (元NHK政治部記者)
 ロッキード事件当時の政治部デスク。大治氏同様、検証番組をめぐり上層部と衝突。共著『日本の組織ジャーナリズム・NHKと朝日と毎日新聞』でNHKの問題を鋭く指摘。

◯ 服部孝章氏  (立教大学教授/メディア論専攻)
 研究領域は放送制度、マスメディア法。放送局免許制度をはじめとする放送事業をめぐる法制度および行政のあり方を研究してきた。

(問合せ)
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)
TEL 090-6101-6113 FAX 03-3252-7651
E-mail office@jvja.net
※予約不要、一般の方も参加できます。

文京区シビックセンター
文京区春日1-16-2
TEL 03-5803-1100
営団地下鉄丸の内線・南北線「後楽園」4bまたは5番出口、下車すぐ


勝手に転載しました。転載にあたり,空白行をトルツメにするなどしました。

投稿者:いけだ
2005-03-07 02:48:26

拉致されていたイタリア人解放:米軍の発砲でイタリア情報機関員死亡

2月にイラクで拉致されたイタリア人ジャーナリストが3月4日に解放されましたが,そのジャーナリストの乗った車を米軍が銃撃し,同乗していたイタリア情報機関員が死亡した件について,BBC記事を数件ざっとまとめて。

3月5日BBCトップ記事
↑画像は3月5日のBBC NEWSトップページのキャプチャ。(トップ記事。)

拉致されていたジャーナリスト,ジュリアナ・ズグレーナさんはベテランの戦争ジャーナリスト。どのようなジャーナリストなのかはBBC記事に詳しいのですが,現在はイル・マニフェストというコミュニスト新聞で仕事をしているとのこと。常に持たざる者の立場からの報道をし,昨年はアブ・グレイブに捕らえられていた女性へのインタビューもしているとのこと。

以下,時系列に沿ってBBCの記事(主要なもののみ)一覧。7本あります。一部は日本語で概略をつけていますが,一部はURLだけです。

イタリア人女性がイラクで拉致
Italian woman kidnapped in Iraq
Last Updated: Friday, 4 February, 2005, 23:44 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4236239.stm
※記事内容の日本語での紹介は省略

米軍が解放された人質に発砲
US troops fire at freed hostage
Last Updated: Friday, 4 March, 2005, 22:25 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4320111.stm
※概略

解放されたイタリアのジャーナリスト,ジュリアナ・ズグレーナさんがバグダード空港へと向かっていたところ,ズグレーナさんらの乗った車に対して米軍が発砲した。発砲があったのは検問所で,同乗していたイタリアの情報機関員1名が死亡した。

イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相はこの件について「このような重大な出来事(such a serious incident)」と言い,駐イタリア米国大使を呼び出して説明を求めた。

バグダードの米軍は軍が1台の車両を撃ったことを事実であると確認し,調査が開始されたと述べている。

米軍の声明によると,「21時ごろ(GMTでは18時ごろ)にバグダード西部のパトロール隊が検問所に向かって速力を上げてくる車両を確認し,運転手に警告しようと手や腕や光で合図を送り,車の正面に警告射撃を行なった。運転手が停止しなかった際【訳注:接続詞nbecauseやafterではなくwhenが用いられている】,兵士がエンジンブロックを撃ち,そのために車両は停止し,1人が死亡し2人が負傷した。」

ベルルスコーニ首相は米国主導のイラク侵略を支持してきたが,今回の件については回答されるべき「穏やかではない問題」があると述べた。また情報機関員,ニコラ・カリパリ氏が死亡したことについては「あまりのことに茫然自失である」と述べた。

カリパリ氏は発砲を受けた際にズグレーナさんを守ろうとして死亡した,とベルルスコーニ首相は語った。「残念なことです。我が国の国民みなが喜んだ嬉しいニュースがあり,その直後に,あのように勇気ある人物が死亡したとのことで,深い悲しみに変わってしまいました。」

ズグレーナさんは肩に刺さった破片を除去する簡単な手術を受けた。もうひとりの情報機関員も負傷していると伝えられている。

これに先立って,アルジャジーラが,一見したところ健康状態に問題のなさそうなズグレーナさんが,彼女を拉致した人々に対し,待遇に問題はなく感謝していると語っている映像を放映していた。

あまり知られていない民兵集団「イスラム・ジハード組織(Islamic Jihad Organisation)」がズグレーナさんを拉致したと語り,イラクからのイタリアの撤退を要求していた。

この集団は昨年9月にイタリア人人道支援活動家のシモーナ・トレッタさんとシモーナ・パーリさんを殺害したと語っていたが,両者は後に別の組織によって解放されている。

2週間前,ズグレーナさんのビデオ映像が流されたが,その中でズグレーナさんは助けてほしいと言い,外国軍はイラクから立ち去るべきだと述べていた。その映像では,緊張状態にあり涙を浮かべたズグレーナさんは,「占領を終わらせねばなりません。そうしない限り,この状況から私たちは出ることができません。私にはあなたがたが頼りなのです」と述べていた。【このときのBBC記事

このビデオが流れてすぐに,イタリア上院はイタリア軍のイラク駐留を延長することを議決で決めた。

ズグレーナさんのビデオは,この議決と合わせて発表されたと考えられている。

イラクの民兵によって多くの外国人が拉致され,外国軍や米国主導のイラク侵略に関わった企業の撤退が要求されている。拉致された人々の中には殺害された人も解放された人もいる。

イラク人の拉致被害はさらに多数に上るが,通常は身代金目的である。

フランスのリベラシオン紙の記者,フロレンス・オーベナ(Florence Aubenas←最後のsは読むのかもしれません)さんは,現在もまだイラクで捕らえられた状態である。オーベナさんの母親は水曜日に,内輪もめのせいで娘の解放を確実にしようという努力が実っていないのだとフランス政府を批判した。

ズグレーナさんは人質に取られたイタリア人としては8人目。昨年拉致されたジャーナリストで赤十字のエイドワーカーだったエンゾ・バルドーニさん【参照記事】は,昨年8月に「イスラミック・アーミー・イン・イラク」と名乗る集団に殺害されている。
昨年4月には4人のイタリア人が人質に取られた。そのうちのひとりである民間の警備員,ファブリツィオ・クアトロッチさんは射殺されたが,残る3人は解放された。


米国,人質への発砲についての調査を行なうことに
US to investigate hostage shots
Last Updated: Saturday, 5 March, 2005, 07:34 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4320961.stm
※日本語での記事紹介は省略

人質「銃弾の雨」を語る
Hostage recalls 'hail of gunfire'
Last Updated: Saturday, 5 March, 2005, 23:37 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/4321913.stm
※概要

解放されたイタリア人ジャーナリストのジュリアナ・ズグレーナさんが,バグダードでイラク人誘拐者たちから解放されたすぐ後に「銃弾の雨」を浴びたことについて語っている。

ズグレーナさんは負傷し,手術のためにローマの軍病院に送られている。

ズグレーナさんは,発砲を受けたときに車が検問所をスピードを上げて通り過ぎていたという米軍の説明を,否定した。

この発砲で死亡したイタリア情報機関員ニコラ・カリパリ氏の遺体もローマに到着している。カリパリ氏の葬儀は,氏に因んで名づけられたローマ中心部の通りで,月曜日に行なわれる。

米国のブッシュ大統領は,発砲について完全な調査を行なうと約束している。
ズグレーナさんは2月4日に拉致された。解放に至った経緯は明らかではない。イタリアのマスコミの中には身代金が支払われたと報道するものもある。

イタリアのベルルスコーニ首相は,ブッシュ大統領を最も強く支持してきた首脳のひとりだが,なぜ米軍がズグレーナさんを安全なところまで運んでいた車に発砲したのかをはっきりさせてほしいと要求している。

ズグレーナさんはライ・ラジオ(Rai Radio)に対し,「突然発砲がありました。まさに銃弾の雨あられでした。私はニコラと,最近イタリアではどういうことが起きているかと話をしていたのですが,彼が私の方に身を傾けたのです。おそらく私を守ろうという目的もあったのでしょう」と語った。

「そのころにはもう危険は脱したと思っていましたから,ショックでした。」
「ニコラは崩れ落ちました。それで死んでしまったとわかったのです。」

ズグレーナさんは「運転手が私たちはイタリア人だという説明をすることすらできなかったので」発砲は続いた,と語った。

「本当におそろしいことでした。」

米軍が発砲したときに車がスピードを出しすぎていたのではないかと質問されると,ズグレーナさんは「あのような状況下です,特にスピードの出しすぎだったわけではありません」と答えた。

ローマにいるBBC記者デイヴィッド・ウィリーは,これは米国とイタリアの間の深刻な外交問題であると述べている。

ブッシュ大統領はベルルスコーニ首相に電話し,お悔やみの言葉と謝罪の言葉を述べた。

ホワイトハウスのマクレラン報道官によれば,大統領は「ベルルスコーニ首相に対し,完全な調査を行なうと約束した」。

ベルルスコーニ首相をはじめとする政府高官らは,ズグレーナさんの家族と一緒に,ローマ空港(Rome's Ciampino airport)でズグレーナさんを出迎えた。

ズグレーナさんは助けを借りつつゆっくりと歩き,待機していた救急車に乗り込んだ。

ズグレーナさんの勤務する左翼紙イル・マニフェストは,土曜日(5日)にローマでピースラリーを行なうとしている。

ズグレーナさんの同僚らは当初解放を知って祝った。

しかしイタリアの情報機関員の最も高位のスタッフのひとりが銃撃で死亡したことは,本来喜ばしいニュースであったものの上に暗い影を投げかけている,とBBCローマ特派員は述べている。

カリパリ氏は土曜日のイタリア各紙において,ズグレーナさんの命を守ろうとしたその勇気ゆえに,国民的英雄として描かれている。


イタリア情報機関員の遺体が帰国
Body of Italy agent returns home
Last Updated: Sunday, 6 March, 2005, 10:38 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/4322775.stm
※概略の要約

米軍の銃撃で死亡したイタリア情報機関員,ニコラ・カリパリ氏(51歳)の遺体がローマに到着した。棺はイタリアの国旗で包まれていた。

カリパリ氏はジュリアナ・ズグレーナさんの解放交渉を指揮した人物だった。

ズグレーナさん,カリパリ氏と2名の情報機関員を乗せた車がバグダード空港に向かって進んでいたときに,正確に何が起きたのかについては,現在もまだ詳細がはっきりしていない。

米軍は車が検問所に近づいたときにスピードを出していたとし,また,警告のシグナルを出した後で車に向かって発砲した【訳注:they fired towardsと前置詞つき】としている。

ズグレーナさんは車の速度は特に速かったわけではないと述べている。

カリパリ氏は1発の銃弾を受けた。ズグレーナさんは銃撃で肩を負傷した。

日曜日ズグレーナさんが勤務する左翼日刊紙イル・マニフェストで,ズグレーナさんは,拉致犯らは進んで自分を解放したと述べた。

ズグレーナさんは自分の解放のニュースについて「最も嬉しい瞬間であったが,同時に最も危険な瞬間でもあった」,なぜならばその先に何が待ち構えているかわからないということを意味していたからだ,と述べている。

「彼ら〔拉致犯ら〕は私の解放に全力をあげると言っていましたが,『あなたに戻ってもらいたくないアメリカ人がいるから』気をつけろとも言っていました。」

車が攻撃を受けたときにその言葉がよみがえった,と彼女は語っている。

ズグレーナさんが車に乗り込むと,「ニコラ(・カリパリ)が」目隠しを取ってくれ,「親しげな言葉をたくさんかけてくれ,ジョークもたくさん話してくれました」。

「ニコラ・カリパリは私の隣に座っていました。運転手は大使館とイタリア本国に2度,空港に向かっていると連絡をしていました。空港は米軍でぎっしりだと私は知っていました。あと1キロ以下ですよと言われたときに……そのとき……銃撃があったのです。」

「そのとき,銃撃と銃弾の雨が浴びせられました。数分前には楽しい声で語らっていたのに,永遠にそれが沈黙させられました。運転手はこの人たちはイタリア人だと叫び始めました。イタリア人です,イタリア人ですよ,と。」

「ニコラ・カリパリは私を守るために私の上にかぶさりました。そしてすぐに,本当にすぐに,彼の最後の息を私は感じました。彼は私の上にかぶさって死にました。」

「これ以上は,今はまだお話できません。」

BBCのローマ特派員は,米国は完全な調査を約束し,ブッシュ大統領は遺憾の意を表明しているが,ローマでは政治的に難しい状況になるであろうと述べている。イタリアでは国民の多くが米国主導のイラクでの戦争(war in Iraq)および政府の3000名の派兵決定に反対していた。


イタリア各紙,米軍誤射事件に紙面のほとんどを割く
Shooting fallout consumes Italian press
Last Updated: Sunday, 6 March, 2005, 13:15 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/4323315.stm
※日本語での記事紹介は省略

ニコラ・カリパリ氏:傑出したヒーロー
Nicola Calipari: An 'extraordinary hero'
Last Updated: Sunday, 6 March, 2005, 13:33 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/4323209.stm
※日本語での記事紹介は省略。名を知られていなかった情報機関員が,この件で国民的存在となったことについてのレポート。昨年拉致され解放されたイタリア人人道支援活動家2人(シモーナ・パーリさんとシモーナ・トレッタさん)の解放を成功させたのも,カリパリ氏であると,トレッタさんが語っています。

米軍は自分を狙ったのではと人質
Hostage fears troops targeted her
Last Updated: Sunday, 6 March, 2005, 15:02 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/4323361.stm
※概略

解放されたイタリア人ジャーナリストのジュリアナ・ズグレーナさんは,米軍は彼女を意図的に殺そうとしたのではないかと示唆している。

左翼紙イル・マニフェストに寄せた原稿で,ズグレーナさんは自分たちの乗った乗用車が「銃弾の雨」を浴びた状況について説明した。その瞬間,拉致犯らにアメリカ人の中には「あなたに戻ってもらいたくない」人々がいると言われたのを思い出した,と彼女は書いている。

米軍はスピードを出していた車が停止しなかったので発砲したとしているが,全面的な調査を開始している。

今回の件はローマの政治情勢にも大きな影響を与えている,と,BBCローマ特派員は述べている。米国を強く支持してきたベルルスコーニ首相に対し,イタリアの治安維持軍をイラクに駐留させることを再考するよう促す圧力は高まるであろう,と特派員は述べている。

イタリア外務省はすべてのイタリア国民に対し,イラクへの渡航を避けるよう勧告している。

金曜遅くにバグダードの空港に向かっていたズグレーナさんらを乗せた車が発砲された際に,正確に何が起きていたのかの詳細については,いまだ明らかになっていない。米軍は車はスピードを出して検問所に近づいてきており,兵士らは合図を出しさらに警告射撃をして停車させようとし,それから発砲したとしている。

ズグレーナさんはイル・マニフェスト紙の記事で,拉致犯は彼女を進んで解放したのだと述べている。

ズグレーナさんが車に乗り込むと,「ニコラ(・カリパリ)が」目隠しを取ってくれ,「親しげな言葉をたくさんかけてくれ,ジョークもたくさん話してくれました」。

「ニコラ・カリパリは私の隣に座っていました。運転手は大使館とイタリア本国に2度,空港に向かっていると連絡をしていました。空港は米軍でぎっしりだと私は知っていました。あと1キロ以下ですよと言われたときに……そのとき……銃撃があったのです。」

「そのとき,銃撃と銃弾の雨が浴びせられました。数分前には楽しい声で語らっていたのに,永遠にそれが沈黙させられました。運転手はこの人たちはイタリア人だと叫び始めました。イタリア人です,イタリア人ですよ,と。」

ズグレーナさんは,車は特にスピードを出していたわけではないと述べている。
ズグレーナさんは解放されたとき,「彼ら〔拉致犯ら〕は私の解放に全力をあげると言っていましたが,『あなたに戻ってもらいたくないアメリカ人がいるから』気をつけろとも言っていました」と述べている。

これとは別に,スカイ・イタリアTVとのインタビューにおいて,ズグレーナさんは,ワシントンは拉致犯と交渉するというポリシーに反対しているので,兵士らが彼女を標的にした可能性はある,と語った。

「アメリカが人質解放の交渉を好んでいないことは,誰もが知っています。そしてそれゆえに,私には自分が標的になった可能性を除外する理由が見えないのです」と彼女は語った。

解放に当たって身代金が支払われたかどうかはわからない,とズグレーナさんは語った――これもまた,米国が肯定していないポリシーである。


Last Updated: Saturday, 5 March, 2005, 11:50 GMTのIn pictures: Italy's joy and dismayでは,ズグレーナさん拉致から解放(喜びに湧く職場の人々,ライトアップされるコロシアムなど),ズグレーナさんの帰還まで,10枚の写真で紹介されています。カリパリさんの死去の報については,例によってものすごく仕立のよさそうなスーツを着こなしたベルルスコーニ首相の微妙な表情の写真で。

Last Updated: Sunday, 6 March, 2005, 16:41 GMTのIn pictures: Italy mourns and protestsに,カリパリさんの遺体を迎える夫人のご様子(見るのがつらい写真です)や,サッカーの試合で1分間の黙祷をするACミランとアタランタ,教会に列をなす人々,米大使館前のデモンストレーションなど,10枚の写真が紹介されています。

投稿者:いけだ
2005-03-07 02:39:39