レバノンは血を流し、イラクは燃え、人々は逃げる
アメリカ合衆国がイラクを「解放」するために侵略・占領して以来の、膨大な殺人と破壊。「私たちは、ただ、戦争のない場所に行きたいだけなのです。死と、苦しみと、破壊には、もう疲れ切ってしまいました」。
レバノンは血を流し、イラクは燃え、人々は逃げる
ダール・ジャマイル
2006年7月26日
ZNet原文
「ハビビ、今バグダードに暮らすことは、巨大な監獄に暮らすことだ」。最近、彼は私にこう語った。「家の中に居続けるだけ。外に出るのは、どうしても必要なときだけだ。毎日、とてもたくさんの人が殺されていて、ただ、今日が自分の番ではありませんようにと望むしかない」。
2週間近くにわたってダマスカスから報道している中で、バグダードから私に会いに来た通訳アブ・タラトと一緒に活動してきた。
こうして、彼は心配して、バグダードにいる家族と連絡をとり続けてきたため、私は、彼との会話そして彼がイラクに電話している様子を通して、「解放された」イラクでの、彼らの生活について直接、事情を知ることができた。
レバノンとイスラエルの間の惨事は破滅的で、400人以上の死者と1250人以上の負傷者を出したこの侵略戦争の酷さを軽視するわけではないが、それにもかかわらず、イラクの状況はそれ以上に酷い----しかも、いつも以上に報道は少なくなっている。
今月18日、バグダードの南、クファにある黄金のドームを誇るモスク近くに、爆発物を積み込んだバンを運転する自爆爆弾者が突っ込んだ。クファは、シーア派の聖職者ムクタダ・アル・サドルが祈りを捧げている土地で、モスクの外で自爆者が自らとバンとを爆発させたとき、少なくとも59人が殺され130人以上が負傷するという大混乱に陥った。
このまえ2週間も過ぎていないときに、ムクタダ・アル=サドル民兵マフディ軍のメンバーが、彼らの特徴である全身黒の制服を着て、首都バグダードのスンニ派地区アル=ジハド地区に入り込んだ。民兵たちはそこで暴れ出し、少なくとも40人のスンニ派を、身元証明書をチェックした上で、殺した。
分派主義的暴力が制御不能になって以来、バグダードでは、一日平均一ダースの遺体がチグリス川の川岸に浮かぶ。イラクでは、報復による殺人が毎日どころか、毎時間起きている。今年2月、ランセット報告の共著者の一人であるレス・ロバーツは、イラク人死者を数万人という単位ではなく、10万人、20万人、30万人と数えなくてはならないと語った。
それが5カ月前のことである。今年6月、バグダードのモルグだけで1595人の遺体を受け入れた月よりも前のことである。そして、つい先週、国連が、イラク保健省(イラク内の病院の死者数を調査している)とバグダードのモルグのデータをもとに、今年3月には2378人、4月には2284人、5月には2669人、6月には3149人のイラク人が殺されたと報ずるよりも前のことである。
各組織が死亡証明書を発行しているため、イラク政府は、死者数を数える際に重複して数えている可能性はないと述べている。
国連の報告は、毎日平均して100人以上の民間人が、イラクで殺されていることを示している。バグダード侵略のときに殺された人々の数よりも多く、反戦と称するウェブサイトがこれまで発表してきた馬鹿げて小さな犠牲者数を吹き飛ばすデータである。
バグダードに暮らす人々、そして直接、大虐殺の酷さを目にしてきたジャーナリストたちにとって、これは驚きではないにもかかわらず、それでも、国連報告書の結果は恐るべきものである。今年の最初の6カ月に、死亡者は77%も急上昇し、合計で1万4338人の民間人が暴力的な死をとげた。
この大虐殺に対し、アメリカ合衆国の駐イラク大使ザルメイ・カリルザード----この人物は、目標の一つに中東石油の確保を掲げる「新たなアメリカの世紀のためのプロジェクト(アメリカ新世紀プロジェクト)」の文書作成者の一人としてこの戦争を促す手助けをした人物である----は、大胆にも、イラク傀儡政権の「指導者」たちに対し、「口先だけで責任を述べて和解を求めるだけでなく、それを実行するよう」呼びかけた。
時を同じくして、イラク副首相サラーム・アル=ズバイエは、暴力の大部分の責任はアメリカ合衆国にあると非難し、死者の半分について責任は連合軍にあるとした。彼は、その点を強調し、「我々が今日抱えている問題のすべては、彼ら[連合軍]のせいだ」と述べた。
そうした中、国を逃れることができる人々は誰もがそうしている。生きるために逃げ出しているのである。息子をバグダードから外に逃がす方法を懸命に探しているアブ・タラトは、数百万人と言わないまでも、そうした数十万人の一人である。彼の息子はヨルダンへの入国を許されない。というのも、「軍事年齢」だからである。ヨルダン当局が発布したこの新たな政令により、イラク人男性の非常に多くが、息の絶えつつあるイラクという国に閉じ込められている。
それでも彼の息子は脱出を試みたが、国境ですぐに押し返されてしまった。今、息子は、バグダードのダウンタウンのアパートに座り、外に出ることも出来ないでいる。悪いときに悪い場所----つまりイラク----にいた誤ったイスラムの宗派に属しているという理由で殺されないならば、それが続く。
それにもかかわらず、すでにヨルダンとシリアには何百万人ものイラク人が避難している。現在、ダマスカスは、イラクからの難民、そして今やレバノンからの難民で、溢れている。
インターネット・カフェに行く途中、私が通り過ぎたミドルイースト・エアラインの事務所では、レバノン国営航空でシリアからほかの場所へ逃れようと求める人々が群がって列をなしていた。
そこにいた何人かと話をした。レバノン人の多くは流暢に英語を話すので。泣き叫ぶ赤ん坊をかかえた妻とともにそこに立っていたある男性は、輪足に、「どこでもいい。ただ、戦争のない場所に行きたいだけなのです。私たちは、死と、苦しみと、破壊には、もう疲れ切ってしまいました。そして、今は、シリアにとどまることも恐いのです。というのも、いつシリアがこの狂気に加わることになるかわからないのですから」。
「ただ、戦争のない場所に行きたいだけなのです」。
中東では、そんな場所を見つけるのは、ますます難しくなっている。
「死と、苦しみと、破壊」を引き起こしたアメリカ合衆国に追従する日本。その日本でも、具体的な想像なしに、観念的な遊びのように、進んで「死と、苦しみと、破壊」を引き起こすことを求める人々が、政治家の中にますます増えています。
投稿者:益岡