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2005/09/05

劣化ウランと州兵の健康

イラクから帰国したニューヨーク州兵の劣化ウラン汚染と,ペンタゴンの費用負担で検査が受けられるようにしたコネチカットの州法。

Radioactive Wounds of War
By Dave Lindorff
In These Times
Thursday 25 August 2005
http://www.truthout.org/docs_2005/082605A.shtml


*概略(DUについての解説の部分は大幅に割愛。また事実関係以外のことが書かれている部分も割愛。時間がないため。)

31歳のジェラルド・マテューは,俺はラッキーだよなと思っていた。何しろイラクでの軍務から生きたまま,手も足も失わずに戻ってきたのだから。1年半前のことだった。彼はニューヨーク州州兵だ。

しかし帰国したあと,彼は,同僚のレイ・ラモス軍曹が劣化ウラン汚染の検査を受け,陽性反応が出たということを知った。ラモス軍曹はニューヨーク・デイリー・ニュース【ニューヨークのタブロイド新聞】とホアン・ゴンザレス記者の申し出を受けて検査を受けたのだった。

ジェラルド・マテューは,自分も検査を受けた方がよかろうと考えた。イラクでの軍務の間ほとんどの時間を,DU弾で損傷を受けた装備の近くで過ごしたからだ。検査の結果,マテューは全員の中でもっともひどく汚染されているということがわかった。

すぐさまマテューは妻に,おなかの中の子どもの超音波検査をすすめた。そして夫妻は,胎児は放射線被曝の場合によく見られる状態にあることを知った――非定型多合指症(atypical syndactyly)。胎児の右手は,2つに分かれているだけだった。(=指が5本に分かれていない状態。)

現在,生まれて13ヶ月になるヴィクトリア・クローデット【赤ちゃんの名前】には,このほかの遺伝子障害は見られず,健康状態も良好である。しかしマテューは娘の奇形の原因を作ってしまったことで罪悪感を感じている。そしてDUの危険について何も伝えなかった政府に対して怒りを抱いている。

米軍が最初にDUを使用したのは1991年の湾岸戦争のときだった。このときは300トンのDUが対戦車砲やA-10 shellとして使われた。バルカン紛争のときにもDUは使われた。量は300トンより少なかった。

しかしアフガニスタンとイラクでの現在の戦争では――特にイラクでは――DUは当たり前のように用いられる兵器となっている。アフガニスタンでは1000トン以上が,イラクでは3000トン以上が用いられた。また,湾岸戦争の時にはDU兵器はほとんどが砂漠に撃ち込まれていたのに対し,今の戦争ではDU弾は人の居住する都市部で爆発している。

ペンタゴンはDUの用途を,対戦車砲やA-10 shellのほかに拡大した――バンカーバスター,対人小型爆弾,M-16 shellやピストルの銃弾にも。DUの貫通力は他に類のないほどのものであり,軍はそれを気に入っているのだ。

問題は,DUが標的に当たると高温で燃焼し,微細な粉塵となる点である。この粉塵は広いエリアを汚染し,何億年も放射能を帯びることになる。体内に吸入されるとこれらの粉塵は肺などの臓器や骨にたまり,細胞を傷つけ癌を引き起こす。

さらに悪いことに,ウランは非常に毒性の高い重金属である。放射能については議論もあるが,重金属であるウランの科学的毒性についてはまったく議論はおきていない。

何人の米兵がDUで汚染されているかは誰にもわからない。被曝の可能性のある軍関係者には,それが誰であっても検査を許可するようにとの法があるにもかかわらず,米軍はこれらのテストを避けているか,あるいは検査の意味がなくなるくらいまで遅らせている。

マテューは「フォート・ディクスで検査をしてほしいと言ったときに,体内にDUの破片が入っていなければ心配無用だと言われたが,まったく間違っていた」と語る。同僚のラモス軍曹は,放射線病と重金属汚染に似た症状を呈している。彼は,検査を受ける前にメディカルセンターで数時間も,どうして検査を受けたいのかと問い詰められ,さらにはトラブルメイカーと見なされることになったと言う。マテューは,メディカルセンターは彼のサンプルを「紛失した」のだと言う。

開戦時,米国は国連やそのほかの環境検査機関に対し,イラク内でDUのレベルを測定する許可を与えなかった。現在では治安に懸念があるために,国連はイラクには近づきもしない。

「解放するはずだった場所を汚染している。これは正しいこととは思えない」とラモスは言う。

ペンタゴンは,何ら具体的証拠もなく,DUは安全であると主張し続けている。こんにちに至るまで,軍・退役軍人省による検査を受けたのは,帰還兵のうち,わずか270名ほどにすぎない。しかも,これらの検査は尿検査で行なわれるのだが,尿検査では被曝から30日経てば意味がなくなってしまうのだ。DUはそのころには体外に排出されるか,あるいは骨や臓器に入ってしまうからである。

ゴンザレス記者とNYデイリーニュースは,9人の州兵の検査費用を負担した――彼らはより費用がかかるが,体内のウランの位置を正確に示し,人造のDUに特有の同位体番号を特定できる検査を行なった。9人のうち4人が,DUに陽性という結果だった。また9人全員が,ウラン汚染の症状を呈していた。

まもなくもっとはっきりした証拠がでるかもしれない。ペンタゴンの費用負担で,州兵がDU汚染検査を受けられる州法が,コネチカットとルイジアナでは満場一致で成立している。州兵は連邦政府ではなく州政府のもとにあるので,この方法ならペンタゴンに邪魔されることもなくなる。

コネチカット州でこの法案を作ったパット・ディロン州議員(民主党)は,「これは民主党だとか共和党だとかいう問題ではありません。みなが私たちの子どもであり,誰かが彼らを守らねばならないのです」という。同議員の法案通過【2005年6月終わり】以降,彼女のもとには軍人会や家族組織,他州の議員,州兵隊司令官から法案のコピーを送ってほしいとの問い合わせが寄せられている。この法律の発効は今年10月である。ルイジアナ州では,退役軍人のボブ・スミスがディロン議員の法案を入手し,同様の州法を成立させることに成功した。……以下略


元記事@truthoutには,ダグ・ロッキー博士のコメントもかなり入っていますので,ご興味がおありの方は原文をぜひご覧ください。(時間があまり余裕がないのではしょってしまってます。)

また,コネチカット州の州法(パット・ディロン議員の立法)は
http://www.thepowerhour.com/news2/connecticut_du.htm
から閲覧できるようになっているはずなのですが(文中にリンク),私がみたときにはデッドリンクでした。

http://www.newbritainherald.com/の7月29日記事をざっとナナメ読みしたところ,全体像としては,DUだけでなく,あらゆる健康被害(PTSDを含む)についての法案のようですね。

■参考記事=ルイジアナでの州法について詳細な記事:
【劣化ウラン:出征兵と帰還兵を護るために行動を起こす州】Kevin Zeese , The National Gulf War Resource Center , Inc.(2005/7/19)@反戦翻訳団さん

投稿者:いけだ

南部と北部,「治安維持」は民兵にお任せ?

イラク南部と北部の「治安維持」を担当しているのは宗教政党の武装組織とクルド政党の武装組織――ワシントン・ポスト報道。

Militias on the Rise Across Iraq
Shiite and Kurdish Groups Seizing Control, Instilling Fear in North and South

By Anthony Shadid and Steve Fainaru
Sunday, August 21, 2005

http://www.truthout.org/docs_2005/082105Y.shtml

*概要:
イラク政府の治安部隊の一部としてしばしば活動しているシーア派とクルド人の民兵は,イラク南部および北部の掌握をより強固なものとするため,誘拐や暗殺をはじめとする威嚇行為を行なってきた。そしてこれが,民族・宗派によるイラク分断を深めている――これは政治的リーダーたちや被害者家族,人権活動者やイラク人高官の話でわかった実態だ。

バグダードで憲法草案策定が難航している一方で,民兵や民兵をコントロールしているシーア派政党やクルド人政党は,独自で権限を確立しつつあり,選挙で選ばれた政府の手が届かなくなっている,と人権活動者や高官らはいう。シーア派が多数を占める南部のバスラ(イラク第二の都市)や,クルド人が統治する北部のモスル(イラク第三の都市)およびそれぞれの周囲の町や村においては,多くの住民が,伸張する民兵の支配を前に無力であると述べている。これではまるでサダム時代ではないかという恐怖も増している。

シーア派やクルド人の民兵は,時には独自に,時には米英によって訓練され装備を与えられ中央政府によってコントロールされるイラク軍・警察の一部として活動している。民兵の権限が拡大するにつれ,民兵がその地域を支配するようになった。彼らが敵とみなす者にはムチ,彼らの支持者にはアメと,はっきりと分かれた。彼らが主導権を握るようになったのは,バグダードでの権力の空白があるためであり,また,1月の議会選挙で彼ら自身が成功したためである。

今春,移行政府が成立した際,バスラでは何十件という暗殺が発生し,バアス党メンバーやスンニ派の政治指導者,シーア派の競合政党の幹部らが殺害された。これらの暗殺の多くは警察の車両に乗り軍服を着用した男たちによって為された,と政治指導者や被害者家族らは述べている。暗殺の標的となった者の死体は,夜間にゴミ捨て場に投げ込まれていたという。バスラ州の知事は,あるインタビューにおいて,シーア派民兵が警察に入り込んでいると述べた。また別のイラク人高官は,警官の9割までもが,宗教政党に忠実であると推定している。

一方北部では,クルド人政党が,これまではっきりとわかっていなかった拘置施設のネットワークを使うようになっている。これら少なくとも5つの拘置施設は,モスルやイランとの国境地帯で誘拐されて密かに移送されるスンニ派アラブ人やトルクメン人をはじめとするマイノリティを収容するために使われている,と政治指導者や被拘束者の家族は言う。クルド人民兵は,名目としては米国が支援するイラク軍の下に置かれている。しかし彼らは,クルド人の利益に反する行動をとる政府高官や政治指導者に暴行を加え脅迫してきた。ある高官がピックアップ・トラックの荷台に載せられて街を引き回されるのを見たという人々もいる。この高官は血まみれになっていた。【詳細は後述。】

人権団体Bethnahrainを率いるNahrain Tomaは,「クルド人がここでとっている方法は,サダムと何ら違いがないじゃないですか」と言う。この組織はイラク北部に事務所を複数かまえているが,殺すぞという脅迫を何度も受けている。多くのイラク人が米英軍の施したものと考えているイラク軍のもとで,これらの民兵が活動している。そのことで既に落ちていた米国の信用が完全に失墜している,とTomaは言う。「もう誰も,アメリカ人と何らかのかかわりを持とうとはしません。理由ですか? クルド人やシーア派に権力を持たせたのはアメリカ人だからですよ。クルド人とシーア派以外の人は誰も何らの権利を持っていないのが現状です。」

バスラのイラク防衛省顧問であるMajid Sariは「これが問題なんです」と言う。彼は自分で選抜した25名のイラク兵からなる特別任務隊とともに各地を回っている。民兵について,彼は「国家から金を取り,国家から着る物を取り,国家から車両を取っているが,忠誠を誓うのは(国家ではなく)政党である」と言う。そして,彼らと意見を異にする者は誰であれ,「翌日には死体となって路上に転がされている」のだ,と。

バスラを拠点として南部を担当している英高官は,これらの(民兵による)殺害を「まったく容認できないこと」であると述べている。バスラ駐在の英国外交官であるKaren McLuskieは,「警官の制服を着た人間が,本物の警官であるにせよ偽者であるにせよ,バスラで重大な犯罪を行なっているとの疑惑があることは私たちも知っています」と言う。「イラク当局とともに,私たちとしても,最高水準の懸念を抱いているのです。」

南部で最大の力をもつ民兵組織のひとつであるバドル旅団は,数々の暗殺を実行してきたと言われているが,殺害についての関与は一切否定している。バスラのバドル旅団のトップであるGhanim Mayahは,組織は軽武装の民兵を使って,警察に対し「サポートとアシスト」をしているだけだ,と言う。「法もなければ秩序もない。警察は部族を恐れている。バドル旅団は恐れない。したがってこれらの脅威に立ち向かうことができる。」

北部では,地域一帯でテロリズム容疑者と見なされる人々がクルド人が運営する拘置施設に連れて行かれているということを,クルド人高官らは認識している。しかし彼らは,そういったことが為されているのは,米軍の支援のもとイラク政府の主導のもとでのことだと言う。「場所の問題ですよ。拘置しておく場所がありませんからね。ここなら安全ですし」と,クルド地域政府内務大臣にしてクルディスタン民主党(KDP)の幹部でもあるKarim Sinjariは言う。

米国の役割について尋ねると,Sinjariは「アメリカは私たちをサポートしていますよね。そして私たちもアメリカをサポートしている。私たちは彼らを自由の軍だと見ています。問題があれば話をすることができる。こちらからは何も問題はありませんが」と述べた。

北部イラクで,行方不明者についての申告件数が増加しており,彼らはクルディスタンに連れて行かれたとされるがとのことで,バグダードにいる米国の高官にもいくつかインタビューを申し込んだが,断られた。

この6月,米国高官は一切の役割を否定し,「裁判外の拘束」を終わりにするよう求めた。当時の国務省のメモがあるが,それは北部の都市キルクークでの誘拐事例は「民族間の緊張を大いに増大させて」おり,米国の立場を脅かしていると警告している。

イラク北部でも南部でも,政党と政党に属する民兵は,自らのやり方について,ますます無法になっていく中で治安を確保するための方法であるとしている。また,1月の選挙で成功したことで権力を有するようになったのだ,とも。(1月の選挙では,KDPとPUK,およびSCIRIなどイスラム政党が,それぞれの地域で圧勝している。)

しかし彼らを批判する側は,彼らは事実上の領土と主権を主張するために治安部隊に対するコントロールを曲解しているのだ,こうして,バグダードの代表団が恒久憲法についての話し合いを難儀しながら行なっているうちに,イラクを分断しようとしているのだ,と言う。バスラの北130マイルに位置するナシリヤの共産党の責任者であるRahi Muhajirは,「私たちのイスラームの同胞が,法も国家も知ったことかとばかりに,権力を欲しているのだという感じですね」と述べる。「彼らが欲するのは権限であり,彼らは恒久的にそのままの状態であることを欲しているのです。」

独自の基準の正義

バスラは,シャット・アル=アラブの岸にあるくすんだ茶色をした港町で,人口は150万。人員13600名を擁するバスラ警察は,この街で,治安の道具であると同じく,恐怖の道具となってしまった。バスラ知事のMohammed Musabahは,警察には宗教政党が入り込んでいることを認識している。それら政党の中でも最も有力なのが,SCIRIである。

バスラ警察署長のHassan Sawadiはもっと踏み込んだ発言をする。彼は英紙ガーディアンに対し,自身の警察の4分の3には自身の力が及ばず,警察内部の民兵が,反対者を暗殺するために警官の立場を利用しているのだと述べた。その直後,彼は内務省から二度と公的に発言をすることはならないと命じられたのだという。【訳注:警察署長の名前でガーディアンのサイトを検索しましたが,当該記事は見つかりません。ただ,ドイツの『シュピーゲル』に2005年8月22日付け(この記事の翌日)の記事があり,そこでは所長は,「当警察の80パーセントが私の指令では動かない,としか申し上げられませんが」として,“イランの影響を示唆”したそうです。(Major General Hassan Sawadi Al-Saad, Basra's chief of police, also hints at Iranian influence: "All I can say is that 80 percent of our police officers do not obey my commands.")】

5月以降,バスラでは65件もの暗殺事件が発生している,と政治指導者たちは推計している。暗殺された人の中には,防衛省の中佐1名,バアス党時代の警察官1名,サダム・フセイン政権とのつながりのあった商人1名,大学教授2名,汚職を追及していた市政府役人1名などが含まれている。最近アメリカ人ジャーナリストも1人殺されたが,状況は不明である。【8月初めに通訳のイラク人女性とともに殺されたSteven Vincentさんのこと;ガーディアン記事によれば,警察で尋問を受けてから,警察の建物を出たところで襲撃された。<まるで映画「ミシシッピー・バーニング」のモデルとなった事件のような。。。】

Musabah知事はイスラム政党Fadhilaの党員である。この政党は警察内部で影響力を拡大していると思われる。知事は,殺害事件に関わった警察車両を追跡するために,新たな規則を導入したと語る。車両には側面に大きな数字を書くことにし,曇りガラスは禁止された。最も悪名の高い2グループ(つまり警察情報部と内務局)は解散。しかし下級の警官は,それらは今でもバドル旅団(SCIRIの武装部門)の指示によって影の部隊として活動していると述べている。

多くのバスラ住民が,権力は今も銃を手にした者たちが握っていると言う。住民たちは,SCIRIやFadhilaをはじめとする政党が,警察に力を及ぼすことが,自身の影響力を確保しライバルとたたかう上で最も確実であると考えたのだと言う。

スンニ派のイラク・イスラム党バスラ支部の責任者であるJamal Khazaalは,「政党は,自身の政治的見解を押し付けるために,治安部隊を通じて力を行使しています」という。彼自身,拳銃を携行し,武装した護衛をつけて移動している。「警察署長は自身の警察をもはやコントロールできなくなっている。そしてこのことはもはや秘密ではありません。」

イラク国境警察の一員であるAmmar Muther(30歳)は,昨年の12月に,父親のMuther Abadiをアマラからバスラに連れてきた。父親はバアス党で高い地位にあり,イラン・イラク戦争のときのミサイル技師だった。アマラにいるころに暗殺されそうになったことがあるが,それを彼は,バスラからピックアップ2台でアマラにやってきたバスラ警察による仕業だと考えていた。だから息子は,父親はバスラで自分と同居したほうが安全なのではないかと考えたのだ。

その月の寒い日,Ammar Mutherはダウンタウンにいた。携帯電話が鳴るので応答すると,義理の弟だった。「すぐに帰ってきて」と電話から声がした――と彼は回想する。

帰宅すると,父親はいなくなっていた。家族の話では,制服を着て黒いフェイスマスクを着用した6人の警察官が家に入ってきたとのことだった。警官らはAmmar Mutherの妻の頭に銃を突きつけ,彼女とAmmar Mutherの母親と子どもたちを寝室に閉じ込めた。Ammar Mutherの父親は逃げようとしたが,警察に取り押さえられた。引きずられていくときに,彼はドアに爪を立て痕を残した。

「隣人たちもただ見ていた」とAmmar Mutherは言う。「だってしょうがないですよね。警察のやることなんですから。」

それから5時間,バスラの街で,Ammar Mutherは誘拐された父親を探し回った。日が傾きかけたころ,彼は断念して家に戻った。その数分後,ある友人が家に駆け込んできた。友人は泣いていた。Ammar Mutherの父親が殺されたと聞いたのだという。

その晩,父親の死体がゴミ捨て場で発見された。錆びた缶やらペットボトルに埋まっていた。5発銃弾を浴びていた――胸に2発,顔に2発,こめかみに1発。

「彼らは自分たちの正義を執行したんです」とAmmar Mutherは言った。目には涙が浮かんでいた。

迷路のような牢獄

暴力にゆれる人口100万の都市モスル。東には広大な平野が広がり,数百という村が点在する。住民たちは反乱勢力を恐れ,反乱勢力と戦っている者たちを恐れている。Sinjari【上述のクルド地域政府内務大臣・KDP幹部】によれば,モスルのイラク警察は,4つのクルド人部隊が主軸だ。

7000人を擁していたモスル警察が機能しなくなった後,昨年の11月,クルド人戦士たちがこの地域に入った。それ以来,米国高官やイラクの人権組織は,数百人のスンニ派アラブ人やトルクメン人といった人々が,急襲で,または路上で連れ去られ,クルディスタン(クルド人政党2つによって統治されている半自治区)にある秘密の牢獄に移送されているという正式な申し立てを受けてきた。

シリア,トルコ,イランそれぞれの国境地帯にまで広がる全域で,行方不明の届出が増加している。クルド人が運営する迷路のように複雑な拘置施設ネットワークの中に消えた親族を見つけようと,家族たちは血眼になっている。

人権活動家や政治指導者,解放された人々によれば,クルド人は,クルディスタンにあるアービル,スレイマニヤ,ダフーク,アクラー,シャクラワの各都市に,拘束した人々を拘置している。

拘置されている人々の総数はわかっていない。Sinjariは数値をあげることを拒否した。この6月,米軍はキルクークだけで180件の記録があると述べた。モスル市内のスンニ派アラブ人とトルクメン人の政治指導者は,500はくだらないだろうと推定している。the Islamic Organization for Human Rights副代表のWisam al Saadiは,この2ヶ月でモスルの120の家族が申し立てをしたが,恐ろしいので申し出ることができない人たちはもっと多い,と言う。クルド人で,イラク赤新月社のアービル支部代表のNawazad Qadirは,数百人の「過激派が拘束され」て,アービルに拘置されており,ほかにも数百人が他のクルド人運営の拘置施設にいると述べている。

行方不明者の中には,バアス党員だった者や旧イラク軍将校などが含まれているが,「中には何ら論理的な理由がないと見受けられる事例もある」とal Saadiは言う。彼はまたこの作戦を「人々を連れ去り,別の場所に置く軍事作戦」であると言う。

60歳のHussein Saad Husseinは,12月に息子のAmarを探し始めた。Amarは33歳でホテル従業員。彼はHusseinの甥と義理の息子ら3人の男性と一緒に,米・イラク合同の強制捜査で連行された。Husseinは,何週間も一切の連絡がなく,そしてようやく解放された人たちによって,Amarがダフークの街の刑務所で目撃されたと聞かされた。Husseinは娘のSukainaをその刑務所にやったが,「Amarはそこにはいないということでした」。

3月,拘置施設をモニターしている国際赤十字委員会がHusseinの甥と義理の息子からの手紙を転送してきた。手紙は3月15日の日付で,ダフークではなくアービルの収容施設から届いた。アービルはKDPが支配している。甥は「神のみぞ知る,おわかりでしょう」と書いていた。検閲でその次は消されていた。そして甥の手紙には「注:僕はこの手紙をAmarのいるところで書いています。Amarは僕と同じ房にいます」とあった。

Amarを探すために,Husseinは娘のSukainaをアービルにやった。「娘は甥らの手紙を見せましたが,収容施設では『いや,この人たちはここにはいない』との返事でした」。

何週間も経って,Husseinは解放された人たちからAmarたちはまた別の施設に移されたと聞いた。アービルの北東20マイルのところにあるリゾート都市のシャクラワだという。Sukainaはそこで弟を発見した。「シャクラワの方がアービルよりはましな状況で」とHusseinは淡々と言う。「何しろ寝るときは脚を伸ばせたというのですから。」

「あっちは銃を持ってる」

イラク南部全域,チグリスとユーフラテスの流域の各都市では,SCIRIなどのイスラム政党がコントロールを固めている。彼らは住民を支援し,また威圧して基盤を固めているということが住民や政治指導者の話でわかる。

ナシリヤ*1では市議会は1月の選挙の結果イスラム政党が支配的となった。その市議会は,新たに287名からなる警察部隊を設立することを決定した。市議会の議員ひとりひとりに7名の隊員の任命権が割り当てられ,最有力のイスラム政党が圧倒的なシェアを獲得した,と共産党支部長のMuhajirは言う。「この部隊の設立は,政党に益するものです。」

複数の政治指導者の話では,南部の諸都市では治安部隊や市民防衛隊,官僚あるいは国有企業に職を得るには,政党の推薦状が必要である。その推薦状には100から500ドルがかかる。バスラの政党の責任者であるKhazaal【前出のイラク・イスラム党支部長】は「政党はビジネスマンになってしまいました」と言う。

政党の力の威圧的な面が民兵である。ナシリヤのような都市においては,SCIRIとムクタダ・アル=サドルに従う武装集団が,警察内部で活動し,また独自の活動もする武装集団を保持している。【訳注:サドルはこの8月第4週にもナジャフとナシリヤなどでマフディ軍を動かしました。ナジャフではイマーム・アリ廟の向かいに事務所を構えようとして,SCIRIと衝突があったそうです。事務所は燃やされたそうです。】

サドルのマフディ軍は,街路では最強の武装集団と見なされている。彼らは今月,240名からなる部隊をナシリヤの南東にあるSuq al-Shuyukhに自動車爆弾を探すために送った。派遣された部隊は48時間にわたって街からの人や車の出入りを有人で監視した,と,ナシリヤの民兵司令官,Ali Zaidiは述べている。「あらゆるところにマフディ軍がいます。」

ナシリヤやアマラ,ディワニヤのような街の警察を掌握しようと,SCIRIは攻撃的に動いたが,それはバグダードの内務省を同党がコントロールしていることに助けられてのことだった。

この2月,SCIRIの民兵団に所属する70名が,ナシリヤ警察署長のMohammed Hajami将軍の本部を襲撃した。署長を追放しようという目的でのことだった。機関銃から何十発という弾丸が撃ち込まれ手榴弾も投げられて,警察署の建物の正面にはいくつもの穴ができてしまった。Hajamiの推定では警察官の7割が署長である彼にではなくイスラム政党に従っているとのことだが,Hajamiと一握りの署長支持者が民兵を撃退した。

その2ヵ月後,Hajamiはトレーニングのためにイタリアに行った。彼の治安特別部隊は休暇を与えられた。Hajamiが不在の間にSCIRIの民兵が,4台のピックアップと1台の警察車両で,本部に再び現れた。民兵らは署長のいない署長室に押し入った。そして今回は1発の発砲もなく,SCIRIは新たな署長を据え付けた。

Hajamiの弟で警察官をしているKadhimは,「警察を掌握したら,その次は街を掌握する。今はほかに権力を持つ者がいない。仮に政府が倒れたとしても,彼らはとどまるだろう。何しろあっちは銃を持っているのだから」と語る。

SCIRIの民兵組織,旧称バドル旅団は,バドル組織と改称している。その幹部らは非武装組織に代わったのだと言うが,軽火器は保持したままだ。イランに亡命していた20年の間に培われた秘密で行動するスタイルは,今も以前と変わらない。彼ら民兵のバスラ本部はノーマークだ。幹部らは本部の電話番号を教えることはできないといった。

A Move to Dominate

モスルでは,民兵はセキュリティを確保するだけでなく,クルド人がニネヴァ平原(the Nineveh Plain)の大半のコントロールを得るのを助けた。この平原にはアッシリアンおよびカルデアン・クリスチャンやトルクメン,またシャバクと呼ばれるあまり知られていないシーア派ムスリムの宗派を含む数百の町や村が存在している。

クルド人兵士はイラク軍の軍服に身を包んでいるが,その袖には赤と白と緑に黄金の太陽のクルディスタンの旗のワッペンがついている。モスルへ向かうハイウェイに沿って設けられているイラク軍の検問所には,公然とクルディスタンの旗がはためいている。

カラコシュ(Qaraqosh)はモスルの南東20マイルに位置する人口25000の町である。ここを見れば,クルド人がいかにしてその勢力を北に伸ばしたのかがわかる。誰に聞いても,クルド人が人口に占める割合はせいぜい1パーセントだという。しかしクルド人政治指導者らはこの地域を支配する意図を隠していない。「クルディスタン地域の議会および行政府のもとにおいて,アッシリアン,カルデアン,トルクメンの人々は自身の権利を享受するであろう」と,KDP本部の外の旗には書かれている。

同党の地区委員会の幹部でのLuqman Mohammed Rashid Wardakは,右の手の甲にクルドの太陽の紋章を刺青している。彼はカラコシュが「平常な状態になった」後には,クルド人に割譲されると考えていると述べた。一方で彼は「私たちは私たちの政治理念を人々に示している」のだと言う。Wardakが言うには,クルド自治区政府はこれまでに6000ドルを貧困家庭に分配してきた。「この地域は正式にはクルディスタン地域には入っていないので」――と彼は言う――その金は「党に入り,それから党が人々に払うのです」。党は700名からなる「防備隊」を設立し,要員に対し月給150ドルを支給している。

しかし気前よくふるまってもうまくいかない場合には,党は武力を用いる。12月5日,この地域の党幹部が,公有地管理局のBahnam Habeeb局長に対し,中央政府の布告に背くようにと命令した。中央政府は土地を,前のイラク軍幹部や兵士に分配せよと布告していた。

Habeebは,現在はコメントはできないとのことだが,党に対して,土地の分配をストップできるとすればそれは「もっと上の筋」から命令を受けた場合だけだと伝えた――つまりモスルの州政府あるいはバグダードの中央政府からの命令でなければできない,と。

その15分後,民兵を満載した5台のピックアップがやってきた,と目撃者たちは語る。そして,民兵たちは53歳ででっぷりと太ったHabeebを椅子から引きずりおろし,こぶしやライフルの台座で殴打した。民兵らはHabeebをうつぶせにしてピックアップの荷台に載せ,背中や脚を土足で踏みつけて「自分たちが何をしたかをすべてのものに示すため」に引き回した,というのがひとりの目撃者の話である。この目撃者は報復を恐れ,匿名で取材に応じた。

Sinjari【上述のクルド地域政府内務大臣・KDP幹部】は,クルド人は土地の分配に反対していたが,そのようなことがあったとは聞いていないと述べた。

「法というものがないのです」と,交通省のある幹部は語る。40歳のこの人物は先月ダフークで5日間にわたって拘束されていた。彼は,あるクルド人高官から「ネット上で反クルド的なことを書いている」と非難されたのだ,という。

「『フリーダム』とか『リバティ』なんてのは,紙切れに印刷されたインクでしかありえない言葉ですよ」と彼は言う。「今の法律は,大きな魚が小さな魚を食うという状態です。」

カラコシュからのレポートはFainaru記者がおこなった。



*1:
ナシリヤ(ナシリヤー)はイタリア軍がいましたが,3月のエアポート・ロードでの銃撃事件の後,イタリアは軍の撤退を決定し,今年8月13日に部隊のうち100人がイタリアに帰国したとの報道がありました。予定では9月に撤退開始だったのですが,少し前倒しになったようです(8月13日付けでAP記事が出ていたというメモが手元に)。また,どこで読んだのか失念してしまったのですが(というかここに書いたかどうかも失念してしまったのですが),ナジャフとナシリヤでは「状況がよいので」治安権限が占領軍から市当局に移された,という記述を数週間前に見ました。


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SCIRIのバドル旅団,クルド勢力のペシュメルガ(いずれも「旧称」ですが……バドル旅団については上記記事中に言及あり,ペシュメルガは2004年夏にdisbandということになってたと思います)のことを伝えるこの記事を読んでいて,思い出した一節があります。2001年9月11日以降,メディアにはまったくといっていいほど登場しなくなったバルカン半島を,その後も取材し続けたカナダ人ジャーナリストの書いた本の一節です。

2001年11月22日(木曜日、午前)
 ……略……
 彼が話のなかで、コソヴォ解放軍(UCK)というニックネームを使っていたので、それは「アルバニア国民軍(ANA)」や「アルバニア解放軍(ONA)」のことではないのだなと尋ねてみた。彼は笑いながらこう答えた。「そんな言い方をするのは、NATOとあんた、つまり西側の新聞記者の連中だけさ。あんたは、壁の落書や俺たちの兵隊の胸元にANAやONAって書いてあるのを見たことがあるかい」。……

――スコット・タイラー著、佐原徹哉訳、『アメリカの正義の裏側――コソヴォ紛争その後』、2004年、平凡社、pp.293-294(→amazon.co.jp


上記引用文中,UCK=コソヴォ解放軍は「セルビア人に弾圧されていたコソヴォのアルバニア人たちの民兵組織」(ということになっていた)。しかし実際は弾圧されたかわいそうな人たちであるというよりむしろ,ふつうに民兵組織で,それもかなり暴力的。仕返しだとばかりにセルビア人を殺戮した勢力です。

UCKは,国連のもとで進められるプロセスにおいて武装解除の後解体されることになっていたのですが,結局はここにあるように,ANAやONAと名前を変えて存続。そればかりか,2002年1月には,「再結成して活動を再開する」と発表(上掲書p.331,関連年表より)。

つい先日放送されたテレビ番組によると,この「かつてUCKと呼ばれていた武装組織」は実質的にそのまま,正規軍というような扱いになってるそうです。米軍のバックアップつきで。(日本のテレビカメラが,本来は戦犯としてハーグに立っててしかるべきUCK司令官と米軍将校が式典で同席している光景をとらえていたのだから,「公然と」という副詞つきで語ってもよい話でしょう。)

# しかし,「再結成して活動を再開」だなんて,「往年のロックバンド」じゃあるまいし (^^;)

最近75~80年ごろの北アイルランドの写真をある程度まとめて見ているのですが,当時,警察が信用を失っていた地域では(警察=「敵対勢力とべったり」という構図だったので,警察は信用なんかされない),パラミリタリー(主にIRA)がアソルト・ライフルか何かをかついで目だし帽をかぶって,町を「パトロール」しています。パラミリタリーが独自の“法”を作り上げて,それは一部から見れば「法と秩序law and order」だったようですが,多くの場合,それは「恐怖」だったということは,疑いないことです。自分たちの勢力が(あるいは自分たちの勢力の上層部もしくはその後ろ盾が)いかようにも法律を作れる,あるいは自分たちの勢力は法の外側にある(outlaw)という人々が,あれやこれやの武器で武装して「パトロール」していることがもたらす社会への傷は,よりどころが宗教だろうが革命思想だろうが他の何だろうが,違いがないんじゃないかと思います。

後から学ぶ「歴史」ではなく,リアルタイムでこういうことが起きている,という点もひとつ。

投稿者:いけだ