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2005/06/25

「死の部隊」式虐殺(3)

 
労働組合員・農民たちへの体系的殺害。数千年の昔から人々が守ってきた種子の利用を禁じ、遺伝子組み替え種子を強制する体制。「エルサルバドル・オプション」の第三回・最終回です。

「死の部隊」式虐殺
「エルサルバドル・オプション」が現実に

マックス・ヒューラー
2005年6月2日
Occupation Watch 原文

イラク戦争のモデリング

イラク全土の暴力の多くは混沌としているように見えるが、ほかの場所での対ゲリラ戦争のパターンとロジックに合致するいくつかの特徴的部分が姿を現し始めている。エルサルバドルでは、戦争がついに終わったとき、犠牲者の大多数が、進歩的な社会運動に参加した人々や、ゲリラに共感を抱いていたり支持していた農民たちであることが明らかになった。戦争の目的は、イデオロギーに依拠する反乱を打倒することではなく、進歩的な社会改革の可能性を阻止し、エルサルバドルを伝統的な奉仕役割を担う米国の衛生にとどめておくことにあった。

同じことが現在のコロンビアについても言える。コロンビアでは、長引く現在の内戦で、コロンビアの経済自由化と並行して、何千人もの社会活動家が殺された。つまり、コロンビアの豊富な天然資源から巨大な利益を外国資本が得るために、また同じ目的で公共資産を売り飛ばすために、合法的な社会的要求が暴力的に弾圧されているのである。紛争のほとんどは、いわゆる「市民社会」の領域で行われており、進歩的な指導者が排除されたり抹殺される一方、貪欲な外国資本に迎合しようとするものは褒美を与えられ賞賛される。

イラクでは戦争は二段階になっている。第一段階は終了した。米英の資本の利益に従わない政府の破壊である。第二段階は、それらの利益に結びついた新政府を打ち立て、社会のあらゆる反対派を撲滅することである。このためには、第三世界と東欧に巨大なダメージを与えて廃墟にした経済的ショック両方と同様のものを公に適用することになる。一方、裏では、反対する人々を脅迫し、誘拐し、殺害することを意味する。

イラクに対する経済的攻撃はすでにかなり進められている。明示的な失業率は28%と破滅的なレベルであり、国営部門の大部分はすでに売り払われて給与水準は(しばしば戦争前の半分以下にまで)下落した。パキスタンやインド、フィリピンから安い賃金の労働者を何千人も導入したせいでもある。これらの労働者はしばしば騙されて連れてこられ、パスポートを剥奪され、イラク人が馴染んだ生活水準を切り下げるために実質上の奴隷として働かされる。再建プロジェクトはほとんど完全に外国(主に米国)の企業に与えられ、イラク国営企業は排除される。外国企業は一律15%の税金を払えば利益の本国送金の上限は何もない(http://www.antiwar.com/orig/shumway.php?articleid=3005)。地方部では、イラク人農民は、遺伝子組み替えされた種子を育てるライセンスを買うことを義務づけられ、文明の発生の地で祖先たちが守ってきた種子を使うことは禁じられている(http://www.globalresearch.ca/articles/KHA501A.html)。

秘密の攻撃も始まった。労働者と労働組合員に対する攻撃はまずます数が増えており(http://www.iraqitradeunions.org/archives/000200.html)、私有化が予定されている産業である鉄道の労働者組合はとりわけ標的とされてきたようであり、現地の米国行政府はインド人労働者を連れてくると脅していた(http://www.iraqitradeunions.org/archives/000117.html)。支配的な地位にたつ政府のお墨付きを受けた新たな労働組合傘組織IFTUは占領を承認したかも知れないが、イラク労働評議会・組合連盟(FWCUI)は占領を認めていない。いずれにせよ、普通のイラク人労働者は、本当に最低限の生活水準を守ろうするときに、傀儡政府がますます大きく立ちはだかることに気づく。イラクではストライキなどの抗議行動はすでに頻発しているが、主流派メディアではほとんど報じられていない。

高等教育部門では、さらにいっそう恐ろしい事態が姿を現している。占領の開始以来、約200人のイラク人学者が殺害され、統制支配と脅迫が体系的になされるようになった。犠牲者の多くは、進歩的な社会運動との重なりが避けがたい、社会科学分野の専門家たちである(http://www.newstatesman.com/200409060018)。

残念ながら、イラクでは、こうした暗殺や超法規的処刑を誰が行なったか確証をもって言うことはできない。そうした中、米英のプロパガンダは、それらの多くをアル=ザルカウィのような化け物のせいだと人々に信じさせている(Michel Chossudovsky's article 'Who is Abu Musab Al-Zarqawi?' http://www.globalresearch.ca/articles/CHO405B.html を参照)。しかしながら、私たちは、何百人ものイラク人が殺されていること、まるまると太った国家テロの純血種たる米軍訓練官が組織した傀儡政権の準軍組織殺害部隊がますますそうした殺害に関係していることを知っている。

信頼できる情報が極めて少なく、偽情報と邪悪なプロパガンダが蔓延しており、独立ジャーナリストや監視団は意図的に排除されている中で、状況を理解し、できれば実行力を持つためには、それをモデル化することができなくてはならない。そうしたモデリングには基本的に二つの軸がある。第一に、イラクはしょっちゅうベトナムと比較される。似ているところは、米国が現地に10万人をはるかに越える兵士を擁していることである。けれども、この類比は誤解を招きやすい。というのも、イラクでは、北ベトナムのような敵国との紛争はすぐに終焉したからである。モデルとして、エルサルバドルもまた完全に正確ではない。エルサルバドルでは、米軍「顧問団」は数としては少なく、戦闘に直接参加することは禁じられていたからである。それにもかかわらず、米国が向かおうとしているのはこのモデルであり、占領の汚い仕事をイラク人の手先に譲り渡そうと期待しているのである。しかしながら、多くの点で、最も近いアナロジーとなっているのは現代コロンビアである。米軍の配置に関してではなく、コロンビアでは資産剥奪と人々の貧困化、コンキスタドール(征服者)風の略奪が深く定着し進められている点についてである。イラクで戦闘の先を見ようとしている人々の活動をよく表している学者や独立労働組合員、農民組合に加えられる攻撃に関して、最もはっきりしたパターンが見られるのは、コロンビアにおいてである。これが、どのようなモデルであれ考慮しなくてはならない第二の軸である。本質的に、このパターンは、あらゆる帝国主義者の言うところの「対ゲリラ」戦争で何度も何度も繰り返されてきたことで、その一つ一つの背後には、搾取と階級をめぐる戦いがあり、これまでの帝国主義勢力が示してきたように、普通の人々の希望と夢を粉砕するための最後の線は、過激な暴力を行使してテロを広める手段に訴えることにある。イラクでは、エルサルバドル・オプションは、ある日家に帰ってみると、家族全員がテーブルの前に座り、皿の上に自分の頭が供せられ、なみなみと血の注がれたボウルが置かれているシーンに出くわすことを意味するかも知れない。


投稿者:益岡

「死の部隊」式虐殺(2)

 
抵抗を粉砕するために市民に向けられる体系的なテロと悪魔的な殺害。「エルサルバドル・オプション」の第二回です。

「死の部隊」式虐殺
「エルサルバドル・オプション」が現実に

マックス・ヒューラー
2005年6月2日
Occupation Watch 原文

直接非難された警察奇襲隊

モスルほど完全なパターンではないが似たパターンは奇襲隊が活動しているほかの地域でも現れている。とりわけ、サマラでは、近くのタルタル湖で最近遺体が発見された( http://www.turkishpress.com/news.asp?id=41936 )。けれども、最も確固たるケースが現在バグダードで姿を現している。バグダードではこの数週間に起きた一連の殺害について、直接、政府の治安部隊が非難され、とりわけ警察奇襲隊が非難されている。これらは別々に起きた3つの虐殺に関わっている。5月5日、カスラ=ワ=アタシュ工業地帯で14名の遺体が埋められた浅い大量墓地が発見された。犠牲者は全員が若い男性で、目隠しをされ、後ろ手に縛られ、頭に銃弾を受けて処刑されていた。遺体にはまた、頭蓋骨骨折や火傷、殴打、右目玉をくりぬかれるなどといった拷問のあとがあった。この事件では家族が遺体を確認することができた。犠牲者は、市場に向かっていたスンニ派の農民たちであった。英国の「公共利益を求める法律家たち」のフィル・シャイナーによると、これらの男たちは、イラク治安部隊が野菜市場を襲撃したときに逮捕されたという( http://www.guardian.co.uk/international/story/0,,1488096,00.html , http://abcnews.go.com/International/wireStory?id=760368 )。

2週間もたたない5月15日、さらに15名の遺体がバグダード西部の2カ所で発見された。犠牲者の8人はアル=シャアブ地区で見つかり、さらに7名がオレ地区のモスクの裏で見つかった( http://www.kuna.net.kw/home/Story.aspx?Language=en&DSNO=733276 )。シカゴ・トリビューン紙によると、「目隠しをされている人もおり、ほとんどは手を縛られ、全員が頭を撃たれていた」( http://www.chicagotribune.com/news/nationworld/chi-0505170030may17,0,3795261.story?coll=chi-newsopinionperspective-utl )。イスラム法学者協会はすぐにこの殺人の波に対応し、兵士と内務省奇襲隊が「イマームたちとモスクの守衛達を拘束し、拷問し、殺害し、それからシャアブ地区のゴミ捨て場に遺体を捨てた」と批判した( http://www.mg.co.za/articlePage.aspx?articleid=238784&area=/breaking_news/breaking_news__international_news/ )。同協会の事務局長ハレス・アル=ダリは「これは内務省の国家テロリズムだ」と述べた( http://news.ft.com/cms/s/47613c82-c804-11d9-9765-00000e2511c8.html )。アル=ダリはまた、政権に就いているシーア連合と結びついたバドル旅団のことも批判したが、主流派メディアでは、非難の強調点はすぐさまこの点だけを強調しセクト間暴力の概念だけを強調した(例えば http://newswww.bbc.net.uk/1/hi/world/middle_east/4569103.stm )。同協会の非難に対するイラク政府の反撃は予想通り狡猾で、新たな国防相は軍服を着たテロリストのせいだとした( http://www.chicagotribune.com/news/nationworld/chi-0505170030may17,0,3795261.story?coll=chi-newsopinionperspective-utl )。しかしながら、5月上旬に、政府がまもなく対ゲリラ鎮圧作戦を行うと発表していたことに気づいたとしても驚きではない。政府は、これによりバグダードとほかの問題地域でよく訓練を受けた突撃隊を差し向けると述べたのである( http://www.informationclearinghouse.info/article8725.htm )。

虐殺についてのより幅広い証拠

米軍が訓練した対ゲリラ部隊に対して名指しでこうした非難が起きていることを考えると、ここ数カ月のうちにイラクで起きたほかの虐殺のいくつかについても簡単に述べておくべきだろう。2004年10月、バクバの南方約50キロの路上で、49名の遺体が発見された。平服を着ていた犠牲者たちは、全員、頭を撃たれていた。内務省は、彼らは勤務時間外の兵士経ちであると発表した。警察の発言の中には、ゲリラがイラク軍の軍服を着ていると述べたものもあるが、詳細はまったく明らかでない( http://sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/news/archive/2004/10/24/international0921EDT0440.DTL ; http://www.foxnews.com/story/0,2933,136419,00.html )。

同様に、今年3月、シリア国境に近いカイムのそばのルマナで、26人の遺体が発見された。内務省によると、犠牲者のほとんどは緊急対応部隊のメンバーであるという。犠牲者たちは目隠しをされ、手錠をされ、頭を撃たれていた。やはり平服に包まれた遺体は、米軍がリバー・ブリッツ作戦を進めていた地域で発見された。この作戦は米軍海兵隊がユーフラテス河の渓谷でゲリラへを攻撃したものである( http://www.foxnews.com/story/0,2933,136419,00.html ; http://edition.cnn.com/2005/WORLD/meast/03/09/iraq.main/ )。

さらに怪しいことに、今年5月9日、サドル・シティ出身の8人の男たちの遺体が、バグダードの南方40キロにあるユスフィアで見つかった。犠牲者たちは拷問され、首の後ろに撃ち込まれた銃弾で処刑されていた。これらの犠牲者は軍服を着た状態で見つかったが、親族は彼らは民間人だと確認している。軍の大尉アフメド・フセインは、殺人者たちは人々に、自分たちが処刑したのは兵士だと信じさせたかったのではないかと示唆している( http://www.news24.com/News24/World/Iraq/0,,2-10-1460_1701988,00.html )。

他にも似たような大量殺害事件があり、さらに、それよりも遺体数が少ない事件は、言及するには多すぎるほど多数ある。それにもかかわらず、多くの遺体(100以上)が、とりわけバグダード南部のスワイラ周辺でチグリス河からあがっていることは強調しておかなくてはならない。人々が遺体に気づきだしたのは、今年2月後半、一日に1人か2人の遺体が浮かぶようになってからであるが、この数は4月に増えだした。犠牲者----ほとんどが男性だが中には女性や子どももいる----の中には、手足を縛られている人もおり、撃たれたり首を切られてい人もいた。4月に、タラバニ大統領は、これらの犠牲者はゲリラによるマダイン村から誘拐された人々だと主張したが、実際には、これまでに身元のわかった人は様々な範囲の人であり、一つの誘拐事件で説明できるものではない。スワイラの警察は、犠牲者の多くが覆面の男たちが即席で作った検問で止められた人々である可能性があると述べているが、犠牲者の中には警察に拘留された人々もいるかも知れないと述べるスンニ派もいる( http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/chronicle/archive/2005/04/22/MNG45CDDBQ1.DTL )。

チグリス河のこれらの遺体については、ジハード・アンスパンのウェブサイトに、米軍兵士達が、早朝、イラウk東部のディアリ川にヘリから遺体袋を投げ捨てているという奇妙な報告があったことを指摘することも意味があるかも知れない。この法国の著者は、これらの袋の中には、軍が人々から隠しておきたい米兵や外国人傭兵が入っていたと論じている(http://www.jihadunspun.com/intheatre_internal.php?article=100552&list=/home.php& )。このありそうもない理論は、米軍が隠蔽したい遺体の身元をめぐって大きな疑問符を残しており、ブリュッセル法廷に提出された「タルミヤ:静かな苦しみ」という報告を思い起こさせる。この報告の中には、米軍特殊部隊の一団による処刑未遂を生き延びたある農業労働者の直接の証言が含まれている。彼と同僚の一人は働いている農場から拉致され、隔離された木立に連れ去られて、喉を切り裂かれた。死んだものとして彼らはその場に放置されたが、奇跡的に、一人は生き延びたのである( http://www.brusselstribunal.org/ )。この証言には確証がなく、また関係者の身元を守るために匿名になっているが、ジェームズ・スティールのような人物がベトナムで行なっていた広範囲「監視」ミッションのようなものについての信憑性の高い記述である。


投稿者:益岡

「死の部隊」式虐殺(1)

 
今年上旬、米国政府は「エルサルバドル・オプション」をイラクで採用すると語っていたことが報じられました。すぐにその話しは話題から消えましたが、イラクの現状をその観点から見る記事。長いので3分割します。

「死の部隊」式虐殺
「エルサルバドル・オプション」が現実に

マックス・ヒューラー
2005年6月2日
Occupation Watch 原文

今年1月8日、ニューズウィーク誌は、イラクの反対勢力と戦うために米国政府は「エルサルバドル・オプション」を検討しているとする記事を掲載した(http://www.msnbc.msn.com/id/6802629/site/newsweek/)。エルサルバドル・オプションが指すものは、1980年代、ジミー・カーターが開始しその後レーガン政権が追求した軍事援助プログラムで、米国が、人々に支持されたFMLNゲリラに対するエルサルバドル軍の対ゲリラ作戦においてエルサルバドル軍を訓練し物質的に支援するものであった。このニューズウィーク誌の記事は、主流メディアで広く言及されたが、この主張はすぐさま国防長官ドナルド・ラムズフェルドにより否定された。様々な報告がエルサルバドルにおける人権侵害について述べたが、一般にこうした報告は、米軍顧問団が指導しているまさにその部隊が口に出すのもおぞましい最もひどい犯罪を頻繁に犯していることや、新たな訓練とその後に起きる残虐行為にときにはっきりした相関関係があることについてはほとんど述べていない(Noam Chomsky, 'The Crucifixion of El Salvador', http://www.zmag.org/chomsky/sam/sam-2-02.html を参照)。

1月10日のインタビューで退役した元米軍特殊作戦部隊司令官ウェイン・ダウニング将軍は、まったく異なる見解を示し、米国が支援する特殊部隊は、2003年3月以来、いわゆる反乱勢力の指導者に対して「攻撃を行なって」きたと述べる('Phenix Rising in Iraq', Stephen Shalom http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?ItemID=7227 からの引用)。けれども、ダウニングは、注意深く、エルサルバドル方式の戦略を実施すれば、占領の軍力にあらたな「タイプ」の部隊が付け加わることになるだろうと述べている。メディアもドナルド・ラムズフェルドも、ダウニング将軍も指摘していないことは、エルサルバドル・オプションがすでにイラクで実施されており、想像するよりもはるかに文字通りのかたちで行われていることである。

最近発表されたニューヨーク・タイムズ・マガジンの記事によると、2004年9月、イラク治安部隊に関する米国大使顧問ジェームズ・スティールが、イラク内務省の統制下で結成された特殊警察奇襲隊として知られる新たなイラクのエリート対ゲリラ部隊と協力する任務を指名された('The Way of the Commandos', Peter Maass, http://psychoanalystsopposewar.org/resources_files/TheWay_of_the_Cor)。

1984年から1986年まで、当時大佐だったスティールは、エルサルバドルで米軍顧問団を率いており、紛争の絶頂期に、旅団レベルでの特殊作戦部隊を養成する責任者だった。これらの部隊は、集められる限り最も残忍な兵士たちからなり、スティールがベトナムでの兵役で馴染んだ小部隊作戦を真似たものだった。領土を奪取することに焦点をあてるかわりに、部隊の役割は、「ゲリラ」指導陣とその支持者、供給源とベースキャンプを攻撃することにあった。第四旅団について言うと、こうした作戦のために、20人の兵士が部隊が加えた総犠牲者の6割を生み出すこととなった(Manwaring, El Salvador at War, 1988, p 306-8)。軍事関係者の中では、こうした戦略を用いたことで、最終的にゲリラを妥当することができたとされているが、カトリックの聖職者ダニエル・サンティアゴ師をはじめとする別の人々には、スティールのような者たちの存在は別の相違をもたらした。

エルサルバドルでは、死の部隊はただ人々を殺すのではない。人々は切り刻まれ、頭は槍に刺されて目印のように置かれる。エルサルバドル特殊警察はただ男のはらわたを抉りだすだけでなく、切り取ったペニスを口に突っ込む。治安部隊はただ女性を強姦するだけでなく、子宮を体から切り取って顔に被せる。ただ子どもを殺すだけでは足りないので、肉が骨からそげ落ちるまでバラ線にこすりつけ、それを親に強制的に見物させる(Chomsky, op. cit. からの引用)。

警察奇襲隊は、基本的に、もう一人の対ゲリラ戦ベテラン、スティーヴン・カスティールがあみだしたものである。カスティールは元DEA(米国麻薬取締局)のトップで、内務省の上級顧問として活動していた。カスティールは、コロンビアの悪名高いコカイン王パブロ・エスコバルの追求に参加しており、その期間、DEAはロス・ペペスとして知られる準軍組織と共謀していた。この組織はのちに、コロンビアの準軍組織「死の部隊」すべての傘となるAUCとなった(http://cocaine.org/colombia/pablo-escobar.html ; http://www.ciponline.org/colombia/040105isac.htm)。

コロンビアの「死の部隊」と同様、イラクの警察奇襲隊は意図的に、恐ろしい準軍組織のイメージを展開している。侵入襲撃捜査のときには目出し帽と黒い革手袋をはめ、外国のジャーナリストがいるときでさえ、疑わしい人々をおおっぴらに脅して残虐行為を加える(Peter Maassのレポートを参照)。重要なことだが、警察奇襲隊の多くは、指導者も含めて、スンニ派ムスリムである。

虐殺の証拠

この数週間、バグダード市内及び周辺でいくつかの大量墓地が発見され、複数の超法規的処刑が行われた証拠がはるかに目に見えるようになった。けれども、実際には、イラク・ボディ・カウントが収集したような虐殺の記録をざっと見ただけでも、少なくとも過去6カ月にイラクでは大量処刑が当たり前のように起きていることがわかる。とりわけ印象的なのは、これら殺害の多くが警察奇襲隊の作戦行動が始まってから起きており、しばしば、奇襲隊が派遣された地域に対応していることである。

相関が最も明らかなのは、10月後半に警察奇襲隊が作戦を開始したモスルである(http://www.strykernews.com/archives/2004/10/29/special_iraqi_police_commandos_continue_operations.html)。11月半ば、ゲリラが攻撃を行い、(通常)警察のほとんどを町から追放することに成功したことが報じられた。それに続き、米軍と警察奇襲隊の共同反撃と言われるものが行われた。警察機動隊は11月16日から旧市街内で襲撃捜査を行い、数十人の容疑者を逮捕した。モスクと紅茶店を標的にしたこうした襲撃捜査の一つでは、目隠しをされ後ろ手に縛られた人々が警察奇襲隊に連れ去られるところが目撃されている(http://www.smh.com.au/news/After-Saddam/Iraqi-soldiers-found-murdered-in-Mosul/2004/11/21/1100972263000.html)。それから数週間・数カ月間に、150人以上の遺体が見つかった(http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4105009.stm)。しばしばまとまって、そして頻繁に処刑されたことが明らかなかたちで、通常は頭に銃弾を撃ち込まれて(例えば http://www.middle-east-online.com/english/iraq/?id=12147 )。

繰り返し、犠牲者のほとんどは治安部隊に所属しており、「ゲリラ」が脅迫作戦を行なっているとして非難された。けれども、遺体のほとんどは民間人の服装で、身元をあきらかにするものはほとんどなかった。身元がわかったと報じられたいくつかのケースでも、それらは曖昧な証拠にもとづいていた。たとえば、頭を撃たれた兵士と報じられた9人の犠牲者の場合、米軍中尉が単に、「米軍基地の一つに最近移動してきた部隊」では「数名の行方がわからない」と述べているだけである( http://www.smh.com.au/news/After-Saddam/Iraqi-soldiers-found-murdered-in-Mosul/2004/11/21/1100972263000.html )。犠牲者の写真は、犠牲者が平服を着ていることを示している。偽情報のあからさまな例としては、2005年3月、モスル西部の墓地周辺に散らばった31人の遺体を警察奇襲隊が「発見」した出来事がある。内務省報道官が民間人、警察官、軍兵士と述べた遺体は、ショカイェル・ファリード・シェートというただ一人の警察官の犠牲者であると言われている。彼は、警察奇襲隊アドナン・タビットが思いついた「正義の手によるテロリズム」というテレビ番組の中でこの殺害をはじめとする多数の殺害を告白したのである( http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A23448-2005Mar10.html )。この番組は、想像しうるあらゆる道徳的・法的基準を破っているだけでなく、明らかに拷問されたことがわかる捕虜が、しばしばむりやり、同性愛者だったとか幼児性愛者だったとか殺人犯だったなどと告白させられる( http://66.102.9.104/search?q=cache:OkQ0b9q9QbkJ:uniraq.org/documents/ArabicRegionalNews22 March2005.doc+quds+press&hl=en&client=safari )。

証拠が極めて少なく、確実な身元確認もなく、内務省が偽情報を発表していることを考えると、少なくとも、モスルにおける超法規的処刑のすべてではないにせよ多くが、警察奇襲隊によりなされた可能性は強い。


投稿者:益岡