講演会「破壊されるくらし‐戦争報道の向こう側」(4月22日、東京・目黒)
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●テーマ:破壊されるくらし‐戦争報道の向こう側
~イラクでの人質事件-イタリア人女性記者解放と日本人旅行者殺害の違い~
●講師:田保寿一(ジャーナリスト)
●日時:4月22日(金) 18:30会場 19:00開演
●場所:目黒区民センター7F 社会教育会館第3研修室(→地図などはウェブサイトで)
●資料代:500円
●主催:医療・福祉の戦争協力に反対する連絡会議(→ウェブサイト)
メールはmwhansen@infoseek.jp(←全角文字で入力してあります。メールを送るときには半角でタイプし直してください)
米英軍によるイラク攻撃が2003年3月20日に開始されて以来イラク戦争は今年で3年目を迎えてしまいました。イラク国内では第一次イラク戦争・今回の戦争を通じて数十万の人々が殺され、地域社会では劣化ウラン弾によるとされる放射能汚染により多くの人々が白血病や癌、先天性障害に苦しみ命を落とし続けています。J・ブッシュ米大統領による戦闘終結宣言、そして国民議会選挙を経てなお現地ではイラクの人々に対する占領軍の無差別殺戮が横行し、それに応じる武装勢力による自爆・ゲリラ攻撃が続発し現地は昏迷の度合いを深めています。
周知の通り、この戦争に日本政府も加担し自衛隊をサマワに派遣しています。結果日本人ジャーナリストや民間人が誘拐・殺害され、ついには昨年旅行者香田証生さんが誘拐されたうえ殺害されるという悲惨な事件が起きてしまいました。今回、私達がこの講演会を考えた動機の一つには、その後同じくイラクで武装勢力に誘拐され殺害予告がなされたイタリア人女性記者が自国政府の努力もあり無事解放されたという報道に接した時に感じた違和感でした。つまり、香田さんは殺害されたのに何故女性記者は解放されたのか。同じ占領軍に参加している国の人間で何故そのような差が出てくるのか。一連の人質事件での日本政府の対応とイタリア政府の対応をその背景から考え比較検証してみる必要があるのではないかと思いました。何故、日本人旅行者香田さんはあのような死に方を強いられたのかこの戦争に疑問をもつ人間として共に考えてみませんか。
講演では、第一次湾岸戦争よりイラク現地での報道に従事しイラク日本人三名人質事件に際しても現地で行動されたジャーナリストの田保寿一氏を講師に招き、氏が実際に目の当たりにした人質事件での政府・現地大使館の対応。そしてイタリア政府の人質解放に向けた動きについてお話しを頂き、さらに報道機関が撤退する中で今現地の人々の生活が如何に破壊され被害を蒙っているか、イラク国内はどうなっているのかをイラクの地域性や歴史理解も踏まえ、ジャーナリストの目線から実際に見聞きし撮影した映像や事実を元にお話ししていただきます。
当日、みなさんのご来場を心からお待ちしております。
【講師略歴】
○ 田保寿一(たぼ じゅいち)
1950年富山県生まれ
90年、番組「ザ・スクープ」のスタッフとして湾岸戦争終結直後のクウェートを取材。米軍が主張したイラク軍が原油を流し水鳥に被害が出たという事件について、実際は米軍の空爆でクエートの石油精製施設が破壊され、原油が流出したものであることを明らかにした。2003年10月からイラクで取材。ファルージャなどのスンニ三角地帯を日本のメディアとして初めて取材。ムクタダ・サドル師を取材しインタビューに成功。同年12月に再びイラクを訪れ高遠菜穂子さんと出会う。高遠さんの協力のもとストリートチルドレン、サマワの現状、ドーラの空爆等を取材。2004年3月、三度目のイラク取材。核施設と言われているツワイサの現状とサダム時代の秘密を取材。ナジャフ、サドルシティでの戦闘を取材中に事故に遭い、帰国した。