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2005/02/24

選挙の意味

1月30日に投票に行ったイラク人の文章。1月31日のOccupation Watch記事。

イラク選挙の意味を翻訳すると・・・
ハウラ・カラマ
2005年1月31日
OccupationWatch原文

私は長いこと待たれていたイラク選挙にこの週末参加する機会を得た。一般に信じられているのとは異なり、イラク政府で私の意見が求められたのはこれが最初ではない。本当のところ、これは3回目なのだ。サダム・フセインは、我々イラク人に、1995年と2002年に、私たちは彼が指導者であることを望むかどうかと訊ねた。どれだけ多くのイラク人とイラン人そしてクウェート人の血が彼の手についているかを考えると、ちょっと馬鹿げた質問に聞こえるかもしれない。それにもかかわらず、どちらの投票でも、サダムを承認する投票者の比率は99%以上だった。この数値は正確ではありえない、だろうか?イラクの人々は、ひどい専制支配と隣国との戦争、民族浄化をさらに何年も望んだというのだろうか?

振り返ってみると、これら二つの投票の驚くべき結果を説明する理論は何十もあることがわかる。もしかするとバアス党員だけが投票に参加したのかも知れない。人々はあまりに怖くてサダムを望まないと言えなかったのかも知れない。「否」の投票をした人々は無視されたのかも知れない。いずれにせよ、過去を分析することにあまり時間を使いすぎないようにしよう。最低ラインとして言えるのは、独裁体制のもとで民主主義などあり得ないということである。今日私は時間を使って、外国の占領下で民主主義を利用することにしよう。

私はニュースを見るものなら誰でも分かる理由で投票を躊躇した。それから、アメリカ人が私たちに持ってきてくれた民主主義を私が受け入れなかったときイラクにいるアメリカの客人たちが失望するだろうと考えた。彼らの気持ちを傷つけたくはなかった。文明の発祥地に住む人々は文明化されていないと彼らに考えてもらいたくはなかった。だからバグダードで私の家に一番近い投票所に勇気をふりしぼって行ったのである。

最初、私は投票所と米国大使館とを間違えたかと思った。あまりに多くの米兵が外に立っていたから。私の登録票を確認した。私は正しい場所を訪れていた。そこで私は深呼吸して、中に入った。イラク当局が米軍の駐留を求めていたこと、というのも当局は投票者にイラク製のお茶を準備するのに手助けが必要だったからというのを知って安心し驚いた。彼らは、この民主的プロセスをできるだけリラックスするようにしたかったのである。

テキサス州出身の若い兵士がイラクの歓待の一杯を私にくれた。私はそれから神経質に投票箱に向かった。私の心臓は速まり、この瞬間が起きるために支払われた代償を考えて涙が目から溢れた。個人的に、私の姪は2003年3月バグダードで爆弾が爆発したとき両腕と両足にひどい火傷を負った。私の裏庭は米軍戦車の駐車場となってしまった。さらに広い範囲を見渡すならば、私の同胞が十万人以上殺され、さらに多くが怪我をしたり肢体不自由になったに違いない。多くのアメリカ人家族が、軍にいた愛する人々を失って嘆き悲しまなくてはならなかった。環境は向こう数世紀にわたって打撃を受けたと宣言されている。ホワイトハウスと議会の政治家たちはわざわざ、私がこれらすべての苦しみを誰が魔法の杖で振り払ってくれるか選ぼうとしていたときに、私の一杯の紅茶に十分な砂糖が入っているかどうかチェックしてくれたのである。

私は涙を拭い、気を取り直して、ティーカップの最後の一滴を飲み、投票ブースへ入った。私の前に置かれた投票用紙を見てすぐさま、今度は1995年と2002年のときとは違うことを見て取った。その二度のときには、私はたった一人の独裁者に関するたった一つの質問を効かれただけだったのである:「サダム・フセインを大統領として望みますか?A)はい、B)いいえ」。

一方、今度の選挙は、私に沢山の問題について、様々な選択肢を提供してくれていた。私が質問された多くの質問を見て欲しい:

1.あなたは誰に拷問されることを望みますか? A)米軍兵士、B)英軍兵士。

2.道で占領軍兵士があなたを止めたとき、あなたは裸にされて身体検査されるとき、次のどちらを望みますか? A)目隠しあり、B)目隠しなし。

3.外国の兵士があなたの家に真夜中に入ってきてあなたの夫を逮捕し子どもたちを恐怖に陥れるとき、次のどれを望みますか? 彼らが、A)ドアをノックすること、B)呼び鈴を鳴らすこと[この質問は奇妙に思えた。というのも、彼らは私たちには電力供給がないため呼び鈴がならないことを知っていたと思っていたから]。

4.CIAに雇われた以下のイラク人のうちどちらを望みますか?[選択肢はあまりに多いのでここで再掲はしない]

5.あなたはあなたの国を占領している外国軍の撤退を望みますか?A)いいえ。[たぶん彼らは、「はい」という選択肢をたまたま印刷し忘れたのだと思う]。

私たちの意向を完全に確実に聞き届けるために、質問のいくつかは選択式ではなく自由回答式だった。投票者は様々な問題について意見を書くことを許されていた。たとえば次のようなものである:

6.あなたの拷問の写真に対して著作権を持つべきメディアはどこであるべきだと思いますか?

7.占領軍はナジャフやカルバラの神聖な場所を侵害し、バグダードとファルージャで沢山のモスクを爆撃しました。占領軍が見落とした他の神聖な町はありますか?

8.イラクの石油の独占権はどの米国企業に与えられるべきだと思いますか?

これらの質問すべてを読んだ私は、1995年と2002年にしたのと同じことをした。投票用紙に何も書かず、出てきたのである。

投票所から帰る途中、一人の米軍兵士が私に「私は投票した」と書かれたステッカーを手渡してくれた。私がそれを彼のライフルに貼り付けて立ち去ったとき、彼は困惑したようだった。



ファイル作成者:益岡
2005-02-24 21:48:42

英軍はアブ・グレイブの尋問テクニックのことを知っていた。

南部バスラの担当(?)である英軍も,収容施設で収容者に対し拷問/虐待を行なっていたことが1月に判明しましたが,これまで英軍は一応関連していないと思われていたアブ・グレイブ収容所での拷問/虐待に,英軍の何らかの関与があったことが明らかになりました。2月20日,オブザーヴァー記事。

要点だけをまとめると,2003年9月に連合軍司令部が作成した尋問方針の内容を知っている英軍将校がいる,ということです。英国政府はこれまで「アブ・グレイブの件については英軍は何も知らない」と述べてきていたのですが,野党のウェールズ国民党所属の国会議員が国防閣外相に送った質問状の回答で,英軍が米軍の方針をまったく知らなかったわけではないということが明らかになりました。

刑務所での拷問規定に英国も関連
UK link to torture jail's rules
Jamie Doward
Sunday February 20, 2005
The Observer
http://observer.guardian.co.uk/uk_news/
story/0,,1418624,00.html


米軍によるイラク人収容者に対する拷問(torture)の使用をめぐって物議をかもしたバグダードのアブ・グレイブ刑務所における,苛烈な尋問テクニックを許可した規定の草案作成に,英軍将校も関わっていた。

昨晩(英国時間19日)明らかになったところによると,犬を使う,眠らせない,負担のかかる姿勢を取らせるといった,ジュネーヴ条約に違反した尋問手法を,拘束されている人々に対して刑務所の警備担当者が用いることを許可した決定的な文書には,英軍将校は誰一人として関わっておらず,またその文書を見た者も英軍将校にはいないとする主張を,英国政府は取り下げることを余儀なくされた。

昨年,警備担当者が強制的に収容者を裸にして性的な行為をまねさせている写真が明らかになり,同刑務所は悪名をとどろかせた。また,収容者が犬をけしかけられ噛まれている写真もある。

英国のアダム・イングラム国防閣外相(The Armed Forces Minister*1, Adam Ingram)は,ウェールズ国民党(Plaid Cymru)所属のアダム・プライス議員*2に宛てたレターで,バグダードの連合軍法務局配属の英陸軍の法律家が,その文書の草稿の作成時に「自身の上官からのコメント」を寄せたということを認めた。

当該の将校が文書に賛成していたのか反対していたのかはわかっていないが,関与があったことが判明したことにより,英陸軍の指揮系統の誰が,アブ・グレイブで用いられた尋問テクニックのことを知っていたのか,またその時期はいつかということについて,重大な疑問が持ち上がっている。

当該の英軍将校は,週に一度上官に報告しており,拘束者の扱いを規定している国際法が守られていないと感じた場合には,上官に知らせる責任があった。

プライス議員は「政府が今,以前の声明は不正確であると認め,英軍の上級の法務担当者が草稿作成段階で何らかの役割を有していたことを認めるとは,非常に憂慮すべき事態です」と述べた。「感覚遮断などのテクニックを用いることは英国の軍法に照らして違法です。ジュネーヴ条約違反でもあります。警告のベルはなり続けていたはずです。米軍の行動に英軍の指揮系統は注意を向けているものと思っていたのですが。」

問題の文書は,「尋問と対レジスタンス・ポリシー(Interrogation and Counter-Resistance Policy)」と名づけられているもので,イラク人拘束者の尋問を監督する連合軍司令部(the coalition's Combined Joint Task Force 7 (CJTF))によってまとめられた。同文書にはグアンタナモ湾(=キャンプXレイ)で用いられているテクニックから多くが流用されている。同文書は2003年9月14日に書き上げられたが,承認されるまでにいくつかの草案が作成されている。

米軍の尋問テクニックの使用について米当局が行なった調査の結果であるフェイ・レポート(The Fay Report:04年8月のBBC記事からPDFファイルへのリンクあり)では,連合軍司令部はグアンタナモで用いられている尋問テクニックを「ほぼそのまま写した」としている。これに加えて,尋問ポリシーの文書をまとめた将校らが用いるべきであると考えたほかのテクニック,すなわち「犬を使うこと,負担のかかる姿勢を取らせること,どなりつけること,大音量の音楽を流すこと,照明を利用すること」といったものが,相当数付け加えられている,とフェイ・レポートは述べている。

米当局は,連合軍司令部の文書によって現場で用いられた尋問ポリシーは,収容者の虐待に「間接的につながった」と結論付けている。

(2003年の)10月12日に,その頃にはすでにアブ・グレイブ刑務所内では虐待(a culture of abuse)が表面化していたが,米中央軍司令部(Centcom)が当該文書の内容に非常に驚いたために,文書をトーンダウンするよう命令している。

2003年7月から2004年1月にかけて連合軍法務局に配属された当該の英軍将校の氏名は,英国防省は明らかにしていないが,連合軍上級法務顧問で米軍のリカルド・サンチェス司令官への報告を行なっていたマーク・ウォレン大佐(Colonel Marc Warren)に報告をしていた3人の副官の1人であると理解される。サンチェス司令官は,アブ・グレイブで起きていたことについては,2004年1月に軍の査察官に写真が渡されるまで気づかなかったとしている。

イングラム閣外大臣は,プライス議員へのレターの中で,昨年国会での答弁書2通において政府は間違って「英軍将校は当該文書の作成には参加しておらず,当該文書を目にした者もいない」と述べていたことについて,遺憾の意を表明した。

プライス議員は,現在国防省に対し,アブ・グレイブで用いられた尋問テクニックについて知っていたのは軍の階級の中のどの人物で,それはいつだったのかを明らかにするよう求めるレターを書いている,と述べた。

「グアンタナモ湾で用いられたテクニックに基づいたアブ・グレイブでの新たな尋問ポリシーは,その英軍将校が上官に報告しなければと感じるようなものだったというのが事実ではないかと思います。指揮系統のどこが関わっていたのかについて,はっきりとしたことを私たちは知らなければなりません」とプライス議員は述べた。

【注】
*1:
英国の国防省の「大臣」はministerではなくsecretary(The Secretary of Defence)で,ministerは閣僚ではない「閣外大臣」。ちなみに国防大臣はジェフ・フーン(Geoff Hoon)。

*2:
アダム・プライス(Adam Price)議員は,2004年夏にブレア弾劾の動議を出した議員です。→そのときの私のウェブログ記事BBC記事|プライス議員に賛同した保守党のボリス・ジョンソン議員の書いたもの


一連の拷問/虐待をめぐる米軍の文書については,The National Security Archiveなどにまとまっています。

英軍の拷問テクニックについては,北アイルランドでの例(シン・フェイン党のジェリー・アダムズ党首の体験談)があります。少し引いておきます。
服を脱がされ,頭に黒い袋をかぶせられた者もいる。袋は光を完全に遮るもので,頭から肩までこれをかぶせられるのだ。壁に向かって四肢を広げて立つと,脚を下から蹴られる。睾丸や腎臓を警棒や拳で殴られ,股間を蹴られる。ベンチに寝かせられ,身体の下にラジエータや電気ヒーターが置かれる。腕がねじ曲げられ,指がねじ曲げられ,肋骨をしたたかに殴られ,肛門に物を突っ込まれ,マッチで火をつけられ,ロシアン・ルーレットをやらされる。ヘリコプターに乗せられ宙吊りにされた者もいた。中空高く飛んでいると思っているが,実は地上5~6フィートでしかなかった。彼らは常に袋をかぶせられ,手錠をかけられ,途切れることのない高音のノイズを聞かせられていた。

出典:「私も拷問写真に写ったことがある――アブ・グレイブはアイルランドのリパブリカンにとっては驚くべきものではない」
カウンターパンチ,2004年6月5/6日号(日本語化はいけだによる)



投稿者:いけだ
2005-02-24 21:26:18

ファルージャ状況

ファルージャを追放され国内難民となった人々の状況を、国連人道情報局の報告から紹介します。

ファルージャ状況
IRIN報告
2005年2月18日
ElectronicIraq原文

ファルージャ2005年2月17日:アブ・ムサーブとその家族は、冬服も毛布もあまり持たないまま、ファルージャの外にあるキャンプにとどまり、政府が自分たちの家----主とバグダードから約60キロ離れた町ファルージャで米軍とゲリラとの激しい戦いにより破壊された----について下すだろう決定を待っている。

ムサーブは戦闘により家を追われた何百という家族の一人である。この戦闘は2004年11月に始まり、3カ月近く続いてきた。彼の自宅を含む何千人もの人々の自宅はぺしゃんこになり、町には未だに基本的な設備さえないと援助団体は述べる。

国際赤十字社(ICRC)の報道官アフメド・ラーウィはIRINに対し、ファルージャ出身の国内避難民(IDP)たちが置かれている状況に対して、膨大な量の供給品が必要であると語った。

彼はまた、月々の食糧配給の配布にも問題があると語る。

ラーウィはまた、赤十字社は1月14日スタッフがゲリラに殺されて以来、イラク内での活動を停止していると述べる。「安全上の問題から我々は仕事を停止しており、劣悪な治安の中でイラク内部で活動するためにはどうすればよいか評価と検討を行っている。イラクの人々は、我々が中立であることを理解しなくてはならない」と彼は言う。

「ファルージャにいたとき、庭師としての仕事で家族を養っていました。今日、私は何一つ買うことができず、どんな組織からでもいいから援助を待っているところです。私の息子は病気ですが、私には薬を買う金さえありません。どうすればいいか本当にわかりません」とムスタファ・アル=アラニはIRINに言う。彼はファルージャから7キロほどのところにあるサクラウィヤのキャンプにいる5人家族の父親である。

ファルージャの医療スタッフは、ちゃんと機能しているのはファルージャの中央病院と二件の小さな医療センターだけであると苦情を述べる。また、病院が町の入り口近くにあるためアクセスが困難であるとも。彼らはまた、報告されている最も多い症状は、子どもの栄養失調と汚染された水による病気であると述べる。

ファルージャ内にある医療センターの一つで働くアムマル・アル=イサウイ医師はIRINに対し、政府は保険部門に緊急の投資をする必要があり、路上に溢れた瓦礫は健康に有害なので公共省はファルージャの掃除を始めなくてはならないと語る。

イラク保健省(MoH)は、国内避難民が暮らす地域のサービスは手一杯であると報告している。たとえば、サクラウィヤのクリニックでは一日平均600人から800人の診断を行っており、呼吸器疾患や下痢、疥癬が多数報告されているという。人々が密集しすぎており衛生状況がひどいためであるという。

米軍海兵隊第一部隊のピーター・スミス大佐によると、現在ファルージャには8000人近くが暮らしており、また、検問を通って約10万人が町に入ったと語る。ファルージャの総人口は以前は28万人だった。援助組織によると、戦闘の前と戦闘の間に、人口の3分の2が町を逃れたと言われている。

彼はまた、家族は電気や水の欠如に苦しんでおり、また多くの家が修復を要するが、状況はまもなく改善され始めるだろうと語る。「イラク政府は米軍兵士とともに懸命に活動しており、住民が自宅に戻れるよう安全と十分な状況を提供することができるだろう」とスミスはIRINに語った。

サッカーボールやお菓子を子どもたちに与える武装した海兵隊員のあとを走る子どもの姿も目撃されており、日常が訪れた兆しを見せている。けれども自宅の玄関に立ちすくんで町の沈黙を眺めるだけの家族の姿が目に付く。町で聞こえる唯一の音は、今や、日々の治安チェックのために通り過ぎる米軍の戦車の音だけである。

開いている店はほとんどなく、街角に果物や野菜を売る人々がわずかに見られる。電気と水道は今も十分動いておらず、家族は町中に配布された水タンクに水を満たすNGOの支援に頼っている。

NGOたちが心配しているもう一つの問題は、地雷や不発弾(UXO)が残されていることである。報告によると、家々や公共の建物は十分に整理されておらず、また危険を告げる情報も帰還者たちに十分に伝えられていないという。

「私たちはこれ以上の犠牲者を受け入れることができない。とりわけ最も危険にさらされている子どもたちを。ファルージャからUXOを取り除き人々が安全に歩き回れるようにすぐにすべきだ」とあるNGO職員はバグダードでIRINに語った。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は追加でテント200と毛布3000枚、暖房500個と500枚のビニール・シートを、ファルージャに帰還した人々に配布すべく、追放移民省(MoDM)に提供した。

一方、国連イラク支援団(UNAMI)は、声明の中で、水と衛生を担当する部門が7万人以上の国内避難民に対して約700万リットルの水を提供したと発表した。

ユニセフは毎日、ファルージャのすぐ外にあるハバニヤ、アミリヤ、カルマ、サクラウィヤの国内避難民が暮らす場所の約6万6500人に、毎日40万リットルの飲み水をトラック輸送している。

ユニセフは、ファルージャおよび周辺コミュニティ出身の推定10万人の子どもたちが、学校が占領され、破壊されまた人で溢れているために、まるまる一年の勉強を失う危険に晒されていると述べる。ファルージャ市内にある95の学校のうち開いているものは一つもなく、周辺地域に362ある学校のうち機能しているのは125校だけであるという。

イラク赤新月社がハバニヤとアミリヤ、サクラウィヤに送った最後のコンヴォイは3週間前で、毛布と持ち運び用水・食料供給を運び込んだという。

「我々は、ファルージャのIDPの援助の責任を新政府がとることを期待する。そしてファルージャ市内でできるだけ早く妥当な生活環境を保証し、彼らを援助する我々に最低限の安全を提供することを望む」とICRCのラーウィは言った。

この情報は国連IRIN人道情報局の「アフリカ=英語」サービスに提出されたものであるが、必ずしも国連の見解を反映しているものではない。さらなる情報・無料の購読・キーワードの変更については、Irin(atmarkhere)ocha.unon.orgにメールであるいはhttp://www.irinnews.orgにアクセスすること。この記事を再掲・複写・アーカイブ化あるいは再投稿する際には、このクレジットと断り書きを必ず入れること。商用サイトへの再掲にはIRINの書面での許可が必要である。

家を破壊され、仕事を失い、難民キャンプで病気の子どもを抱えた家族に訪れる冬。そうした人々を置き去りにしたまま喧伝される「選挙」。米軍が投下したクラスター爆弾の不発ボムレットが残される町。

反対勢力の攻撃で阻害される救援活動。町を破壊し尽くし人々を追放したあとで「間もなく安全になる」とのたまう米軍大佐。

占領軍兵士のあとを子どもが追うのが「正常さ」のきざしだとは、私にはどうしても思えません。そもそも占領軍が居座っていること自体、異常な状況以外の何ものでもないように思えます。

投稿者:益岡
2005-02-23 01:22:39

新政府の手で拷問は続く

少し古い(1月25日付)ものですが、ヒューマンライツ・ウォッチが公開した報告書の概要紹介です。

イラク:新政府の手で拷問は続く
警察は被拘留者を体系的に虐待
ヒューマンライツ・ウォッチ
2005年1月25日
OccupationWatch原文

バグダード発2005年1月25日:イラク治安部隊は体系的な拷問をはじめとする様々な虐待を拘留された人々に加えていると、ヒューマンライツ・ウォッチは1月25日に公開された報告書の中で述べた。

The New Iraq? Torture and Ill-treatment of Detainees in Iraqi Custody」と題する94ページからなるこの報告書は、イラク当局による不法な逮捕や長期に渡る外部との接触を遮断した拘留、拷問などをはじめとする被拘留者(子どもも含まれる)への虐待が日常的に頻発していることを記録している。ヒューマンライツ・ウォッチはイラクで90名の被拘留者に聞き取りを行い、そのうち72名が特に尋問の際に拷問あるいは虐待を受けたと主張した。

反対勢力部隊も多くの不法攻撃をイラク警察に対して加えているが、それはイラク当局による虐待を正当化するものではないとヒューマンライツ・ウォッチは語る。

「サダム・フセイン政権が崩壊した後、イラクの人々はこんな状況よりもマシなものを約束されたはずだと、ヒューマンライツ・ウォッチの中東北アフリカ部門代表サラ・リー・ウィトソンはかがる。「イラク暫定政権は基本的人権を尊重するという約束を果たしていない。不幸なことに、被拘留者の扱いについて処罰を受けずに好きなことをする政府に苦しめられ続けている」。

被拘留者が語った拷問法には、ケーブルやホースなどの道具で体を繰り返し殴ることが含まれる。被拘留者はまた、蹴りやビンタや殴打、背中で両手を縛り手首のロープで体を吊り下げる、耳たぶや性器など体の繊細な部位への電気ショック、数日間ずっと目隠しされ手錠をはめられるなどがある。いくつかのケースでは、被拘留者は回復しない肉体的障害を負った。

被拘留者たちはまた、イラク治安部隊が食料と水を剥奪したこと、また立っているのがやっとの小さな牢獄に詰め込まれたことなどを証言している。多くの被拘留者がイラク警察が釈放や家族との面会、食料と水の提供のかわりに賄賂を求めたと述べている。

ヒューマンライツ・ウォッチの報告は、2003年以来の重大で広範にわたる人権侵害を報じている。こうした侵害は、ゲリラのような国家安全保障に対する容疑者と通常犯罪の容疑者の双方に対してなされている。同報告書はまた、2004年半ば以来イラク国家諜報サービスが犯してきた重大な人権侵害を重点的に扱っている。これは、国家治安の脅威となると思われた政党の党員に対して犯された侵害が中心である。

ヒューマンライツ・ウォッチは、2004年7月から10月の4カ月にわたってイラクで行なった調査により、恣意的逮捕の体系的な活用、司法による検討なしの長期にわたる裁判前の拘留(場合によっては4カ月にも及ぶ)、被拘留者への拷問と虐待、家族や弁護士の被拘留者との面会の拒否、拘留した子どもに対する虐待、裁判前拘留施設の劣悪な状況などを明らかにしている。同法酷暑は、米国をはじめとする多国籍軍の収容所における被拘留者への虐待は扱っていない。

「イラク治安部隊が、民間人をも標的とするゲリラをはじめとする大きなチャレンジに直面しているのは明らかである」とウィトソンは言う。「我々はゲリラの残虐さを無条件に批判する。けれども、次の点について国際法は曖昧なくはっきりさせている:いかなる政府も、治安維持の名のもとで被拘留者に対する拷問を正当化することはできない」。

イラク当局がこれら侵害を行なった担当者の調査と処罰を行うことはほとんどまったくない。国際警察アドバイザ----主として米国政府の資金を受けた米国市民----も、溢れかえるこれらの虐待に対して見て見ぬ振りをしている。

「イラクに治安と安定をもたらすという名の下で、イラク政府関係者も国際アドバイザもこうした拷問を調査しないで放置している」とウィトソンは言う。「こうした行為によりイラク警察官の責任が問われた例を見たことはない」。

ヒューマンライツ・ウォッチの報告は、2004年8月ナジャフでの衝突の際およびその後に拘束されたシーア派聖職者ムクタダ・アル=サドルのマフディ軍のメンバーあるいはシンパと疑われる人々のケースを検討している。同じ時期に、政党ヒズボラーの党員数人も拘束された。これらのケースでは、諜報要員を含む治安部隊は人々を不法に逮捕し、拷問をはじめとする様々な虐待を加え、その後、告訴することなしに釈放している。これらのケースが法廷に持ち出されたことはない。

ヒューマンライツ・ウォッチのインタビューでは60人以上の刑事犯罪容疑者も対象となっている。その多くはバグダードの中央刑事裁判所に訴追され、テロリズムやら拉致、マネーロンダリング、麻薬商売、破壊行為といった重罪で告発されている。より軽い犯罪で告発された少数の容疑者は警察署に拘留され、バグダードの他の刑事裁判所にケースが提出されている。

「彼らは私に冷水をかけ、私の性器に電気ショックを加えた。私はまた、数人に、腕と背中をケーブルで殴られた」と語るのは2004年7月に拘束されマフディ軍と関係していると非難された21歳の男性である。2004年6月に麻薬の所有の罪で拘留された別の被拘留者は「最初の3日間、ずっと拷問された。アルミ製の鞭とケーブルで殴られた・・・・・・それから後ろ手に縛られたままで宣言書に署名するよう言われた。私は書類を見ることもできず、自分が何に署名したのかもわからない」。

「イラク新政府を作るためには、指導者の交代だけでなく、人間の基本的な尊厳に対する態度の変更が必要である」とウィストンは言う。

ヒューマンライツ・ウォッチはこうした拷問と虐待の主張をすみやかに調査し、被拘留者の虐待を行なった職員を裁くよう求めている。政府は国内的・国際的な法的義務に従い緊急の手だてを講じて、被拘留者を虐待から保護し、独立の人権監視グループに内務省下にある拘留施設へのアクセスを認めるべきであると。

米国をはじめとするドナー諸国は、イラク当局と警察・拘留の領域で協力している国際アドバイザに対し、ただちに、独立苦情受け付け組織の設置を含む、拷問や虐待の報告に対する報告と調査を行う体制の設置を手助けするよう確実な手段を採るべきである。

「イラクに治安と安定をもたらすという名の下で、イラク政府関係者も国際アドバイザもこうした拷問を調査しないで放置している」。

米軍がファルージャを無差別爆撃し、女性と子ども、老人をはじめとする数千人もの人々を殺したときも、米国は、選挙を前に「イラクに治安と安定をもたらす」と主張していました。おかげで、今やファルージャは一説によると「イラクで最も安全な場所」だそうです。

人々にIDカードが強制され、好き勝手な襲撃捜査の対象とされ、夜間外出は禁止され、勝手にいつでも尋問を受けることができる「安全」。しかも、数千人を殺したあとでの。

投稿者:益岡
2005-02-22 18:37:57


いけだによる追記:
1月25日付けBBC記事についての当ウェブログ記事もご参照ください。

ネグロポンテ大使が米国家情報長官に。

CPAのポール・ブレマー長官がバグダードを去ったのと入れ替わるかたちでバグダードの米国大使館(元大統領宮殿)に入ったジョン・ネグロポンテ大使が,米国で新設された国家情報長官(director of national intelligence: DNI)に指名されたそうです。

米国家情報長官にネグロポンテ駐イラク大使を指名
ブッシュ米大統領は17日、新設した国家情報長官にジョン・ネグロポンテ駐イラク大使(65)を指名すると発表した。

 上院の承認を経て、初代長官に就任する。新長官は、中央情報局(CIA)や国防総省傘下の国家安全保障局(NSA)など15の情報機関を総括する任務を帯びることになっており、イラク戦争を巡り欠陥が露呈した情報機関を立て直せるかが焦点となる。

〈後略〉


この件について,英語記事はIraq Envoy to Be Chief of Intelligence (Yahoo.comにあるLA Times記事)など。

米国の国家情報長官(director of national intelligence)の新設は,「イラクの大量破壊兵器は存在する」という“証拠”は証拠などではなかったと判明したが,すべては情報当局の責任であるという結論になったことを受けたものです。

LA Timesでは,「この人選は意外(Negroponte, 65, was something of a surprise pick)」と書いています。なぜならば,Negroponte has never held a high-level intelligence job or worked in any of the agencies he would supervise.(ネグロポンテ氏には情報機関で働いた経歴はない)

しかしブッシュ大統領は次のように述べています。
But Bush said Negroponte understood "America's global intelligence needs because he spent the better part of his life in our foreign service." He promised to give his nominee ample authority and backing.


Bush said Negroponte would "determine the annual budgets for all national intelligence agencies" and direct how those funds were spent. Bush also said that Negroponte would be his "primary briefer" and would have complete control over the extent to which the heads of the various intelligence agencies would have access to the Oval Office.

発言内容の概略(訳としては精密なものではありません):
ネグロポンテ氏は外交官としての経歴が十分にあり,米国の情報にとって必要なものをわかっている人物だ。ネグロポンテ氏はすべての国家情報機関の年間予算の決定権を有することになる。さらに,大統領へのブリーフィングを行なうことになり,また大統領執務室に入ることのできる各種情報機関の長に対する権限も有することとなる。


というわけで,ネグロポンテ氏は駐イラク大使からDNIに異動(?じゃないだろうけど)ということになりそうですが,後任の駐イラク大使はまだ確定はしていないようです。再度LA Timesより:
Bush did not indicate when he would fill the crucial post of U.S. ambassador to Iraq. Senators urged Secretary of State Condoleezza Rice at a hearing Thursday to ensure that the administration moved quickly to replace Negroponte. At least one name has surfaced — that of Negroponte's deputy, William Taylor, who oversees Iraqi reconstruction. Sen. Chuck Hagel said Taylor could "step in and do the job" of ambassador.

後任の名前はブッシュ大統領の口からは語られていないが,木曜日のヒアリングで上院はライス国務長官に対し,早く後任を決めるよう強く要請した。現段階で名前が出てきているのは,ネグロポンテ氏の副官のウィリアム・テイラー氏で,チャック・ヘーゲル上院議員はテイラー氏が適任であろうという内容のことを言っている。


LA Timesの記事は,ちょっと長いのですが,ネグロポンテ氏の経歴も書かれていますし,DNI新設の経緯などもまとめられています。


投稿者:いけだ
2005-02-18 22:37:10

最初のファルージャ包囲を回想する

2004年4月の米軍によるファルージャ包囲と無差別殺害をめぐって、イラク世界民衆法廷に提出された証言からの抜粋。

最初のファルージャ包囲を回想する
イラク世界法廷に提出された証言からの抜粋
オマール・カーン&ダール・ジャマイル
2005年2月14日
ZNet原文

皆さんがた法律家は、自分に関わることなのになぜ沈黙しているのか?
 ジョルジュ・アガンペン

背景:銃撃戦

アメリカ合州国の軍隊は、まず2004年4月に、ついで2004年11月に、イラクの都市ファルージャを包囲した。これらの攻撃をめぐって米国の報道メディアが果たした役割をよりよく理解するために、私たちはほとんど繰り返されてはいないけれども否定しようのない次のような現実を確認することから始めなくてはならない:ファルージャに対する米軍の攻撃は2004年4月に始まったのではない。第一次湾岸戦争の際、ファルージャが最も数多くの民間人犠牲者を出した都市の一つだった----この名誉は人々であふれかえった市場をレーザー誘導の精密爆弾が襲ったことによる----という居心地の悪い事実を思い出すことは避けることにしよう。そうすると、ファルージャ攻撃が始まったのは「自由イラク作戦」開始のときだということができる。忘れてしまった人々のために指摘しておくと、「自由イラク作戦」というのは、米国のイラク侵略に名付けられた名前である。ヒューマンライツ・ウォッチの報告書が、この背景を説明している。

アル=ファルージャは全体としてみると前政権から経済的な利益を受けていた。地元住人はヒューマンライツ・ウォッチに対し、多くの住人が軍や警察、諜報で働いていたと語っている。しかしながら、ヒューマンライツ・ウォッチは、サダム・フセイン政府が崩壊した後でもサダム・フセインに対する強い同情の存在をアル=ファルージャで確認できなかった。アル=ファルージャの住民の多くは、自分たちはサダムの抑圧的支配の犠牲者であると感じておりまたサダム支配に反対していたとヒューマンライツ・ウォッチに語っている[1]。

同レポートは、2003年4月23日に米軍がファルージャにやってくる前に:

アル=ファルージャの部族指導者と宗教指導者たちはすでに都市総監と市長を含む都市運営評議会を選出していた。この現地政府がすみやかに設立されたため、イラクの他の都市で多数見られた略奪をはじめとする犯罪は最小限に抑えることができた。町の財産である銀行や政府事務所などを異なる部族が管理した。あるときには、アル=ファルージャの病院を管理している部族がすぐに武装した男たちからなるギャングを組織して差し迫った攻撃から敷地を守ろうとした。地元のイマームたちは人々に法と秩序を守るよう呼びかけた。人々の間にあった確固たる家族間関係のおかげもあって、その作戦は成功した。アル=ファルージャでは、たとえばバグダードなどで見られたような略奪と破壊の兆しは見られなかった。

しかしながら、同じヒューマンライツ・ウォッチの報告は、米軍が小学校を含むファルージャの中心部に陣取ってから、ファルージャのコミュニティはいささか「興奮し心配しだした」と述べている。「心配した地元指導者たちは4月24日に米軍司令官と面会し、アル=ファルージャは宗教的な町であり、米軍兵士にそのことを考慮してほしいと求めた」。それにもかかわらず、高圧的で攻撃的な路上パトロールが米軍により続けられ、そして学校が始まる予定日の前日だった4月28日、米軍が陣取る小学校の外でデモが行われた。米軍が「銃撃戦」と説明し米国ジャーナリズムの旗手たちが恐らく攻撃に対する過剰対応だったと述べた事件[2]で、米軍兵士たちは人々に対して10分近くにわたり機関銃を休みなく掃射し続け、17人を殺し70人以上を負傷させた。その後行われた銃痕の調査からは、米軍兵士たちに向けて発砲が行われたことについては「何一つ説得力のある証拠は見つからなかった」。

安全維持手段

ファルージャで2003年4月に米軍が開始した「高圧的で攻撃的な路上パトロール」に立ち戻ると、こうした町の安全維持が住人を怒らせたのはどうしてかと不思議に思うかも知れない。けれども、この問題に答える必要は実際にはない:イラクではそうしたパトロールとそれに伴う米軍による人々の拘留そして集団的懲罰が進められている。そうしたパトロールが町の市民にとって忌まわしいものだったのはなぜかと問うことはまた奇妙でもある:そうしたパトロールは、結局、住民男女から市民としての権利を剥奪するものだったのだから。米国当局がファルージャを安全に放置しておけば、ファルージャの人々の市民権も同様に維持されていた。占領軍がやってきてから8カ月後の2004年1月に法律学教授と話すためにファルージャを訪れたとき、この問題は思いもかけないかたちで浮かび上がることとなった。

私たちが会いに行ったのは法律学教授のハジ・バラカート導師だった。問題は、バラカート導師は3カ月前に米軍兵士に拘留され、今日までアブグレイブ収容所に入れられたままにされていることである。ファルージャの米軍司令官は彼の家族に導師は無罪であるとすでに告げたというのに、彼は拘留されたままなのである。彼の解放を家族が求めるたびに、米軍からは同じ返事が返ってきた。明日、明日、明日、明日・・・・・・と。

彼のいとこハーミスは、「ハジ・バラカート導師は偉大な尊敬すべき人物です」と説明する。「アメリカ人たちは彼をレジスタンスに資金を提供していると非難しました。けれども導師自身が7人の息子がレジスタンスに参加していると述べていたのです。そうだからといって父親が有罪となるわけではありません。それにもかかわらず、いずれにせよ米軍は彼を不法に拘留したのです」。

バラカート導師の甥で20歳のオマールもまた拘留された。彼は我々に尋問を受けた様子を教えてくれた。アメリカ人たちは彼にスンニ派かどうか、母親と最後に会ったのはいつかなど、奇妙な質問を訊ね、それから彼を解放した。彼はまた、アメリカ人たちが彼を拘留しに来たとき、家のドアは破壊され、書類とパスポートは取り上げられ、家族の車の所有証明書と家にあった金も全部持っていかれたと語った。

オマールは、収容所にいたときに彼を尋問したアメリカ人たちは文民の服を着ており、ジャーマンシェパードを使って彼を襲わせると脅したと述べた[4]。


拷問の画像は今や広く知られている。2003年4月以来、ファルージャをはじめとするイラクの人々にとって、英国植民地支配下のインドは牧歌的な夢のようなものに映ることだろう。ガンジーが逮捕される際に述べた「いったい何の罪で」という力強い答弁は、今日のイラクでは米軍当局とそのお抱え拷問者たち(ハジ・バラカートが拷問されたことを口にだすまでに弱ったとして)からは嘲笑をもって迎えられるだけだろう。「自由イラク作戦」のために、ファルージャをはじめとするイラク全土で、安全維持のために最初に破棄されたのは法律なのである。

屠殺された羊

それにもかかわらず、最初のファルージャ包囲の前数週間、米国の報道メディアは、米軍のイラク占領に対するレジスタンスは「自由市場資本主義と性の自由、ハリウッド映画の押しつけ」に反対しているのだと言うことができた。そうした反対はあるものの、イラク人に対するニューヨーク・タイムズ紙の調査は、自分たちの生活は良くなるだろうという「高揚した感覚が多くの人々に見られる」ことを示していた。「イラク人は事態の進捗に満足を表明し始めている」と[6]。かくして、ニューヨーク・タイムズ紙に、イラクから撤退するというスペインの決定----恐らくそのとき起きたマドリッドの爆発に関係している----は「9/11以来我あれが直面している最も危険な時である」と論ずる記事[7]が掲載されたのは驚きではない。

2004年3月31日、ファルージャを通っていた米国の車両が襲撃され、乗っていた4人が殺された。この4人は何者だったのだろうか? 米国国内のメディアによると、彼らは「コンサルタント」あるいは「契約職員」あるいは「治安契約職員」だった。彼らはファルージャで一体何をしていたのだろうか? 4月1日、サンフランシスコ・クロニクル紙は、「ファルージャ周辺に食料配布」を行っていたと書き、ニューヨーク・タイムズ紙は「ファルージャ地区の食料配布の治安維持をしていた」と書き、シカコ・クロニクル紙の見出しは4人を単に「民間人」と書いている。氾濫した記事の中で、我々は、こうした説明とは異なる説明をたった二つしか見つけることができなかった。一つはワシントン・ポスト紙の記事で、殺された男たちは「イラクで活動するエリート突撃部隊の一員だった」としている。しかしながら、同じ記事はこの事実を雇用主の次のような説明とともに掲載している:

連合軍兵士と民間人契約職員と行政は、毎日イラクの人々と協力して働いている。我々の仕事は危険で、同僚が命を失ったのは悲しいが、我々はまたイラクの人々の状況を改善していることに誇りと満足を感じている[8]。

シカゴ・トリビューン紙のある記事は、殺された4人は、軍様式の階級を採用し、要員の訓練に攻撃ヘリを使い、数カ月連続で要員を派遣し、軍施設で訓練を行い、あらゆる戦争地帯で米軍司令官たちと日常的に協力して活動する「治安企業」で働いていたと書いている[9]。それにもかかわらず、この同じ記事は、それらの要員は「治安に関する防衛的仕事」を行なっていただけなので「傭兵ではない」と結論している。そして、イラクの土地と資源の正当な所有者が米国企業であるということを思い起こしさえすれば、これはわかり切った結論だということになるのだろう。すなわち米国企業を守ろうという試みはすべて防衛行為となり、また企業利益に仕えるためにイラク人に対して警察行為を行うことも防衛行為だということになる。いずれにせよ、これら4人についてこのように述べている記事は例外であった。実際、2004年3月31日に殺された4人----保全許可を有し(すなわちイラク人だったら全員が----ラッキーならだが----従わなくてはならない法律を超越した存在だったということである)、重武装し、軍の鑑札章を身につけていた4人は、メディアで、ほとんど例外なしに、教師や庭師、用務員や援助職員を指し示すのと同じ言葉で表されていたのである。4人の死の直後そして第一次ファルージャ包囲の直前の3日間、4月の1日・2日・3日の間に、この4人について全く当たり前のように「民間人」という言葉さえ使われ続けた:ロサンゼルス・タイムズ紙で10回、サンフランシスコ・クロニクル紙で9回、ワシントン・ポスト紙で20回、シカゴ・トリビューン紙で16回、そしてニューヨーク・タイムズ紙ではナント25回も「民間人」という言葉がこの4人に対して使われた。米軍が報復のためのファルージャ包囲を準備しているわずかな時間の間に、米国で最も評価の高いたった5紙に限っても、読者は80回も「ファルージャにおけるアメリカ人民間人の死と遺体切断」という文句を目にしたのである。

次の点を問うてみるのは自然なことだろう:この時期、ファルージャの民間人はどのように描き出されていたのだろうか? 米国で部数の多い7紙では、橋からつり下げられたアメリカ人の遺体の前で祝福しているファルージャの人々の写真かあるいは地面に横たわるアメリカ人の遺体を殴っているファルージャの人々の写真を一面に掲載した[10]。主要な米国の報道メディアは、出来事を描き出す立場を検討していた。典型的なのはニューヨーク・タイムズ紙で、「好みの問題」という見出しのもと、「視聴者を不快にさせずに起きたことを示すにはどうすればよいか」という問題を論じていた。この問題に対して同記事は、「路上で遺体を引きずりながら歓声を上げる子どもたちを見せることは報道に必要不可欠だった」と結論している[11]。ファルージャの人々----メディアは注意深くこれらの人々を表象した----に対する関心ではなく、全く逆の関心から状況と伝えるというこの事態は、10年前のモガディシオに似通っていた。モガディシオでは「その瞬間が人々の意見を変え結局米国の撤退を促すことになった」のである。とはいえ、ニューヨーク・タイムズ紙は、同紙が引用した米軍海兵隊の言葉よりもうまく事態を表現することはできなかったろう:「ファルージャの反乱勢力は我々を試している。我々の決意を試している。けれども我々は撤退しない。我々はここに来たばかりなのだ」。こうした決意は米国のメディアに満ちあふれていた。圧倒的な存在だった。ニューヨーク・タイムズ紙が「反米感情の野蛮な爆発」[12]と呼んだ事態は、シカゴ・トリビューンの言うところでは「サダム主義者の反乱」であるばかりではなく「陽気に踊る喝采」[13]であり、ワシントン・ポスト紙によれば「猛り狂う町の人々」[14]であり、ワシントン・タイムズ紙では「残忍な血の祝祭に歓声を上げる群衆」[15]であった。サンフランシスコ・クロニクル紙が報じたように、ファルージャで起きたことは「イラク最悪のトラブル・スポットの血塗られた基準から言っても残忍なまでにショッキング」なもので[16]、「何ら理由も必然性もない」「西洋人を標的とした無差別殺害」だった。全国に配信された目撃証言は、「ファルージャの人々は遺体のいくつかを屠殺された羊のように古い橋から吊り下げた」と住人のアブドゥル・アジズ・モハマドはうれしそうに語ったと伝えている。当時の状況の中でそれは不必要だったが、ファルージャのタクシー運転手はニューヨーク・タイムズ紙の読者に「ここにいる誰もが皆これを喜んでいた。それは疑いない」と確言している[17]。

これにどう対応すべきかという問題も同様の決意で扱われている。ニューヨーク・タイムズ紙が報じたように、この出来事により「西洋式の民主国家を構築するための米国の前進」が中断されることとなった[18]。4月2日には、あらゆるところから、迅速な軍事的対応をとらなければ、米国は「暴力を我慢する」ようになったという不穏な証拠を提供してしまうことになるのではないかとの心配の声が挙がり始めた[19]。対応策に使うべき手段については、恐らく、ニューヨーク・タイムズ紙に引用された、死亡したアメリカ人の家族の一人の次のような言葉に示唆されている:「それを行なったのが誰であれ、動物以下だ」[20]。もっとあからさまな新聞もあった。署名なしのワシントン・ポスト紙社説は「この国は野蛮行為により腐敗し敗北するのだろうか」と問うている。この社説はさらに続けて「米軍司令官は力をもってファルージャに応えスンニ派反乱ゲリラに反対攻撃を加えることが決定的に重要だ」としている[21]。かくして我々は、4月に殺された4人のアメリカ人傭兵(あるいは当時のはやり言葉でいうと「屠殺された羊」)以外に、ファルージャ住民----市民ではなくまた屠殺される羊でもない----がおり、彼ら町の父親や母親、赤ん坊や祖母は単なる「喜びに満ちた現地の生き物」であって、自ら示したように獣であり、したがって「無害化する必要がある」ことになる[22]。ある新聞は、ファルージャ住民の「彼らがファルージャにやってこようとすればよいのに。そうすれば地獄を見せることができる」という言葉への返答として、次のように述べた:「この男の望みはかなえられるだろう・・・・・・いつどのようにしてが決まっていないだけだ」[23]。

抜け目なき決意

いついかにして、は数時間後に訪れた。米国が据え付けたイラク国民会議のメンバーさえ集団的懲罰として批判した、そしてワシントンのご主人たちが「抜け目なき決意作戦」と呼んだ作戦として、それは実現した。倦むことなく繰り返し繰り返し表明された目的は、「反抗的な都市をふたたび制圧する」ことだった[24]。ヒューマンライツ・ウォッチによると、サダム後のイラクでファルージャの町は相対的に「法と秩序」が守られた自治生活を歩み始めていたことを思い出そう。このヒューマンライツ・ウォッチ報告書はまた「サダム・フセインに対する強い同情の存在は確認でき」ず、住民の多くは「抑圧的支配の犠牲者であると感じておりそれに反対していた」ことを思い出そう。けれども、真実は、米国にはほとんど邪魔にはならない。米国の報道メディアは巧妙に、ファルージャをそれとは全く違った町として読者の前に描き出した。そこではファルージャは「反抗的」なだけでなく「無法」であり、暴力の「ホットスポット」かつ「フラッシュポイント」であって、また「爆発の危険をはらんだ[サダム・フセイン]支持の拠点」とされた[25]。その月のもっとあとになって噂は事実に格上げされ、ニューヨーク・タイムズ紙はペンタゴンの口から出た言葉をそのまま繰り返して、サダム・フセインの元士官たちがファルージャでの今日の「攻撃のほとんどを行っている」と報じるに至った[26]。ニューヨーク・タイムズ紙では実際の戦闘は海兵隊が「ゲリラをあぶり出すためにブロックごとに戦いを進め」、ファルージャで「検問所を設けてゲリラと疑わしき者たちを探している」と報ぜられ、さらにその町は「アメリカの治安契約職員が殺され遺体がバラバラにされた」町だったことを読者に思い起こさせた[27]。この指摘は米軍がファルージャにいることを説明する際、そしてニューヨーク・タイムズ紙の別の記事が明らかにした次のような点を指摘する際に必須のものとなった:[要員の殺害の]結果、米軍海兵隊は「米軍のより友好的な側面」を放棄することを余儀なくされ、そのかわりに「重火器とよりタフな戦略」を採用せざるを得なくなった、と[28]。

米軍のこうした「タフな戦略」は、米国の国内メディアで報じるには「不適切」なものだったが、ファルージャにいた人にとっては誰の目にも明らかだった。4月9日ニューヨーク・タイムズ紙は、「住民が何十人もの死者を埋葬できるように、また包囲されたファルージャに食料と緊急に必要な医療品を提供するための輸送路を開くために」米国が戦闘を一時停止したと報じたが、実際にファルージャにやってきた60台のトラックのうち町に入ることを許されたのはたった3台だけだった。これらトラックの何台かに対して町へ入ることを拒否し追い返す前に米軍が発砲していたことも、報ずる価値のないことだったのだろう[29]。その二日後ニューヨーク・タイムズ紙が掲載した「交渉のため米軍は戦闘を控えている」というのも、単に全くの嘘であった:

私の友人たちの3人が、一台の動く救急車に乗って負傷者を診療所に連れてくることに合意した。この救急車には米軍の狙撃手が運転席側のフロントガラスに3発の銃弾で穴をあけていたが、救急車に乗り込んだ3人のうち2人が西洋人であるという点が、米兵たちが負傷したイラク人を連れ出すことを認めるかも知れない可能性をめぐる唯一の希望だった。以前この救急車を運転していた運転手は米軍狙撃手の銃弾が彼の頭を削り取って負傷していた。

私がファルージャから伝えることができるのは、停戦などなされていないし、停戦がなされたこともないということである。イラク人女性や子どもたちが米軍の狙撃手に撃たれている。米軍の攻撃で600人以上のイラク人が殺され、住民は2カ所のサッカー場を墓地にかえた。救急車も米軍に撃たれている。そして今、米軍はファルージャへの全面侵略を準備している[31]。

私には理解しがたい。とりわけ昨日そこにいて運転席側のフロントガラスに3発の銃弾の穴があいた救急車を目撃した後では。女性や子ども、年老いた武器を持たない人々が、米軍狙撃手に殺されたり怪我をさせられたりしたのを見た後では。先週ファルージャだけで600人以上のイラク人が殺され、数千人が負傷した[32]。

米軍による救急車の狙撃は非常に抜け目のないものだったので、4月17日イラク保健相はポール・ブレマーに公にそれについて説明するよう求めた。ブレマーは、米軍当局は救急車が戦士たちにより使われていると信じていると説明し、その返答の中でまさに集団的懲罰の定義を答えた[33]。医療行為を妨害することは、場合によってはさらに抜け目のない行為だったかも知れないことは、次のような例が示している:

アメリカ人たちは私たちの病院の前に陣取り、緊急部隊が病院に行くのを妨害したため、我々はすぐに機材と薬物が不足し始めた[34]。

ファルージャの医師の一人が米兵に、ファルージャから負傷した患者を連れだして良いかどうか聞いた。兵士は彼が犠牲者を動かすことを禁止してこう言った:「我々兵士の側にも死者が出ている。ここは戦地なんだ」。医師は負傷した男性を連れ出すことができず、この男性は死亡した。極めて多くの医者と救急車がファルージャの検問所で追い返された[35]。

こうした抜け目なさのかわりに、不法なハードウェアを使うこともできた。ファルージャ住民は、米軍がクラスター爆弾とフレシェット弾を使っていることをよく知っている[36]。ファルージャ総合病院で二人の整形外科医アブドゥル・ジャッバール医師とラシード医師はこれを証言した。アブドゥル・ジャッバール医師は「たくさんの人がクラスター爆弾により殺されたり負傷したりしている。もちろん米軍はクラスター爆弾を使っている。我々はその音を耳にしている。そしてまたクラスター爆弾を受けた人々を治療している」と語る。ラシード医師もそれに同意して、次のように言う:「私は自分のこの目でクラスター爆弾を見た。これ以上証拠は必要ない。これらの爆弾のほとんどが普通の家族の頭上に投下される。戦士たちはどうやって逃げればよいか知っている。けれども民間人は逃げようがない」[37]。

彼はさらに、「殺された人々のうち女性と子どもの数は6割は下らない。自分の目で墓地を見て下さい」と続ける。アル=アーダミーヤのノマーン病院でも、医師の一人は10日前にファルージャから連れてこられた患者たちについて、「ほとんどは子どもや女性、老人たちであると証言する[38]。ヤムーク病院でも医局長が米兵が女性と子どもを殺しているところを目撃したと述べ、ファルージャの状況を「虐殺」と呼んでいる。ニューヨーク・タイムズ紙は「すさまじく精確な」という表現を好む[39]。そしてそれは、あるファルージャ住民によると適切な表現である。この住民はバグダードに逃げてきたあとで、自分がファルージャを逃げ出すまえ、米軍戦闘機が町を大規模に爆撃しており海兵隊の狙撃手が包囲された町から一発一発で確実に住人を消し去っていたと証言している。「非常にたくさん米軍の狙撃手がいて、家から出た人は誰もが殺された」[40]。ニューヨーク・タイムズ紙では、これは「喜んで死を急ぐゲリラたち」と呼ばれる[41]。

4月の包囲の際、ファルージャに作られた臨時の救急診療所で働いていたある医師は、「デモクラシー・ナウ!」で次のような問いを問うている:

頭を失った5歳の子どもを目にしたとき、何が言えるでしょうか? 脳味噌がなくなって、がらんどうの頭だけが残された子どもを見たとき、何が言えるでしょうか? 頭の無い子どもを抱いた母親を見たとき、そしてその母親の体中に銃弾の穴があいているのを見たとき、何が言えるでしょうか?[42]

これは良い質問である。そしてそれには理由がある。2004年4月、ファルージャが侵略を受け、住人が逃げ、隠れ、あるいは虐殺されていたとき、米国では、報道メディアのおかげで「我々」人間の切断された遺体について人々はとてもよく知っていた。けれども、4月だけで何千回もなされた手足を切断された遺体への言及の中で、私たちは、3月31日より後に起きたそうした手足切断への言及をまだ一つとして見つけることができていない。それゆえ、今日、我々はイラク人医師が持ち出した質問をふたたび取り上げよう。このたびは、過去を振り返って:頭を失ったイラク人の幼女を見たとき、あなたは何を言いましたか?と。むろん、人によって異なるだろう。もしあなたがニューヨーク・タイムズ紙なら、何一つ言わなかったのだ[43]。もしあなたがポール・ブレマーだったら、たぶん、「それは抜け目ない決意だ」と言ったのだろう。

(1) "Violent Response: the US army in al-Falluja", Human Rights Watch, June 2003.
(2) See front page accounts in the New York Times et. al. on April 30, 2003.
(3) Ibid; see section 5, "Ballistic Evidence at the School".
(4) "Iraq Diary-Baghdad Street Sweepers; Collective Punishment and Kabobs in Falluja," Dahr Jamail, January 12, 2004.
(5) "Killing Iraq with Kindness," New York Times, Ian Buruma, March 17, 2004.
(6) "One Year Later," New York Times, Unsigned editorial, March 19, 2004.
(7) "Axis of Appeasement," New York Times, Thomas Friedman, March 18, 2004.
(8) "Slain Contractors Were in Iraq Working Security Detail," the Washington Post, Dana Priest and Mary Pat Flaherty, April 2, 2004.
(9) "Iraq violence drives thriving business," Chicago Tribune, Kristen Schanberg, Mike Dorning, April 2, 2004.
(10) "7 of Top 20 Papers Published Front-Page Fallujah Body Photos," E&P News, Charles Geraci, April 1, 2004.
(11) "To Portray the Horrors, News Media Agonize," New York Times, Bill Carter and Jacques Steinberg, April 1, 2004.
(12) "4 From US Killed in Ambush in Iraq; Mob Drags Bodies," New York Times, Jeffrey Gettleman, April 1, 2004.
(13) "Iraqi Mob Mutilates 4 American Civilians," Chicago Tribune, Colin McMahon, April 1, 2004.
(14) "Descent into Carnage in a Hostile City," Washington Post, Sewall Chan, April 1, 2004.
(15) "Four Americans Mutilated," the Washington Times, April 1, 2004.
(16) "Horror at Fallujah," San Francisco Chronicle, Colin Freeman, April 1, 2004.
(17) "4 From US Killed in Ambush in Iraq; Mob Drags Bodies," New York Times, Jeffrey Gettleman, April 1, 2004.
(18) "Acts of Hatred, Hints of Doubt," John Burns, New York Times, April 1, 2004.
(19) "General Vows to Hunt Killers, Retake Fallujah," Chicago Tribune, April 2, 2004.
(20) "Families of Men Slain by Mob Focus on Their Lives, Not How They Died," New York Times, Abby Goodnough, Michael Luo, April 3, 2004.
(21) "A Response to Fallujah," Washington Post, unsigned op-ed, April 1, 2004.
(22) "Why America Won't Cut and Run," Chicago Tribune, unsigned op-ed, April 1, 2004.
(23) "General Vows to Hunt Killers, Retake Fallujah," Chicago Tribune, April 2, 2004.
(24) "Marines Battle guerrillas in streets of Falluja," New York Times, Eric Schmitt, April 9, 2004.
(25) "Acts of Hatred, Hints of Doubt," John Burns, New York Times, April 1, 2004.
(26) "Hussein's Agents Behind Attacks, Pentagon Finds," Thom Shanker, New York Times, April 29, 2004. ほんのわずかたりともこの主張をうらづける証拠はあげられていない。また、前政権があるいは誰であれファルージャの人々に対して犯した犯罪が、なぜ、米軍がファルージャの人々に対して犯罪を(しかもはるかに重大な犯罪を)犯すことを正当化する事になるのか疑問とせざるを得ない。
(27) "Up to 12 Marines Die in Raid on Their Base AS Fierce Fighting Spreads to 6 Iraqi cities," New York Times, Jeffrey Gettleman and Douglass Jehl, April 7, 2004.
(28) "Marines Battle guerrillas in streets of Falluja," New York Times, Eric Schmitt, April 9, 2004.
(29) "When do we begin calling this a War again?" Dahr Jamail, April 9, 2004.
(30) "Troops Hold Fire for Negotiations at 3 Iraqi Cities," New York Times, John Burns, April 12, 2004.
(31) "Slaughtering Civilians in Falluja," Dahr Jamail, April 11, 2004.
(32) "No respite from the Violence," Dahr Jamail, April 12, 2004.
(33) "Iraqi Minister of Health presses Bremer and IGC to explain U.S. Targeting of Ambulances in Falluja," Dahr Jamail, April 17, 2004.
(34) "Fallujah Doctors Report U.S. Forces Obstructed Medical Care in April," News Standard, Dahr Jamail, May 21, 2004.
(35) "Cluster Bombs in Falluja, Harassment of Patients by Soldiers," Dahr Jamail, April 19, 2004.
(36) フレシェット弾は殺傷範囲が広いため極めて致命的である。人口密集地域でこれらの爆弾を使うことは戦争法の基本原則の二つに違反している。第一は、無差別攻撃の禁止という原則であり、これは民間人と軍事標的とを区別しないあるいは区別できない武器を使ったり攻撃を行ったりすることはできないことを意味する。第二は攻撃の方法と手段を選ぶ際には民間人の被害を避けるか最小化するためにあらゆる可能な手だてを取ることが要求されるという原則である。"Israel: Stop Using Flechettes in Gaza," April 29, 2003.
(37) "Atrocities Continue to Emerge from the rubble of Fallujah," Dahr Jamail, May 11, 2004.
(38) "Cluster Bombs in Falluja, Harrassment of Patients by Soldiers," Dahr Jamail, April 19, 2004.
(39) "Troops Hold Fire for Negotiations at 3 Iraqi Cities," New York Times, John Burns, April 12, 2004.
(40) Abu Muher, quoted in "Fallujah Residents Report U.S. Forces Engaged in Collective Punishment," News Standard, Dahr Jamaril, Apr 23, 2004.
(41) "Marines Use Low-Tech Skill to Kill 100 in Urban Battle," New York Times, Jeffrey Gettleman, April 15, 2004.
(42) "US Marines Shoot Ambulances in Fallujah," Democracy Now! April 13, 2004.
(43) もっときちんと検討しないとここは不完全であろう。2004年4月1日から5月11日までの間にファルージャを扱ったニューヨーク・タイムズ紙の55の記事のうち、米国による民間人攻撃を扱った記事がたった一つだけある。この記事は「民間人の戦争証言はイラク人の反米感情を激化させている」というもので、クリスティン・ハウザーが執筆し2004年4月14日に掲載されたものである。ヒューマンライツ・ウォッチが言うように「情報は直接検証しなくてはならない」という基本的なポイントが巧妙に利用されて、「戦闘の混乱により真実を知ることは難しくなっている」との指摘がなされる。けれどもそうした困難を記事も新聞もそれ以降気にしているようには思えない。この記事ではジョン・アビサイド将軍が「専門家の目撃証人」として登場し、次のように語っている:「アラブのメディア、とりわけアル=ジャジーラとアル=アラビヤは我々の行為を意図的に民間人を標的としているように描き出しているが、我々は断じてそんなことはしていない。誰もがそのことはわかっているだろう」。この記事の見出し表題が恐らくは示しているように、この記事は米軍の残虐行為が起きていることよりもむしろそうした残虐行為が起きていると噂されていることが米軍の戦争努力の邪魔になるという点を主題としている。「米国人治安契約職員が襲撃され手足を切断されてから開始された米軍によるファルージャ攻撃に関するこうした証言を、中東地域の多くのアラブ人は耳にしている」。

しかしながら、国際法の言葉がニューヨーク・タイムズ紙から失われたというわけでもないらしい。4月7日、マーリス・サイモンズは「イラク人が戦争犯罪裁判専門家と面会」したことを報じている。けれどもそこで彼女が議論しているのはサダムを裁判にかける見通しについてであり、米国にいるサダムの(失望した)主人たちを裁判にかけることにつじてではない。そのときすでに、米国にいるご主人たちはファルージャで虐殺の初期段階を開始していたにもかかわらずである。4月8日、ジュネーブ条約への言及がなされたが、現状に適用できるものではないとされた。9日には、米軍の将軍たちがニューヨーク・タイムズ紙を使って読者に、ファルージャで米軍は「武力行使を思慮深く/遵法的に」行っていると述べた。読者がそれを理解できないときのために、ニューヨーク・タイムズ紙は、ファルージャの者たちは「ファルージャで4人の治安ガードを攻撃して殺してから戦争の光景を劇的に変えてしまった」と説明し、そのためもはやファルージャでは戦士と民間人のはっきりした区別などすることができないと示唆してくれる。「誰があなたのところに来てあなたを殺すかなどわからないのだ」と("Under Falluja Sun, Gun Fire and a GrimTask: Wait it out," John Kifner, April 19, 2004)。また、「今や大問題は友好的な者たちと民間人と悪人がまぜこぜになっていることだ」とも("A Full Range of Technology is Appled to Bomb Falluja," Eric Schmitt and Thom Shanker, April 30, 2004)。実際のところ、3月31日にファルージャで死んだ4人のノースカロライナ州出身傭兵に対してと同じ基準がファルージャ住民にも適用されたとするならば、「抜け目ない決意」の犠牲となったファルージャ住民の一部ではなく全員が民間人である。

ニューヨーク・タイムズ紙をはじめとする米国のメディア(日本の少なからぬメディアや政治家の発言、インターネットや紙媒体の「批評家」の発言にも同様のものは見られますが)の発言は、まったく最悪のストーカー発言そのものです。

他人の家に法を犯して乗り込んで居座って「自分たちはお前たちに善をなしている」と居直り、抵抗されると「西洋式民主主義を教えようとする我々の企てが邪魔された」とわめき散らす。

大規模爆弾による無差別殺人、老人や子どもの狙い澄ました射殺、無根拠な拘留と収容所での拷問や強姦、町の破壊を繰り返し、勝手に押しつけた総督と傀儡にすべての資源を米国を中心とする諸外国の資本が略奪できるような「法」を勝手に押しつけておきながらなお、米国は「西洋式民主国家を構築しようとしている」と叫ぶ。

平和的なデモにマシンガンを無差別発砲し17人もを殺し数十人もを負傷させておきながら、それを全く取り上げずに、あたかも米国人傭兵が殺されるまで米軍海兵隊は「友好的」であり、その「友好的側面」を放棄せざるを得なくなったのは傭兵の殺害のせいであるとする根本的な自己反省能力の欠如も、こうしてまとめてみると異様なまでに際だっています。

ニューヨーク・タイムズ紙の執筆者たちは、自分たちは戦略的に宣伝の立場をとっておりこうしたストーカー的記事は意識的なものであると言うのかも知れません。けれども、ロス・マクドナルドがかつてその小説の中で「自ら狂気を意識的に装いながらその装いの意識も含めて完全にイカれてしまった人物」を描いたように、米国のメディアはその「戦略的自己意識」も含めて完全に人間的センスを失い崩壊してしまっているように見受けられます。

2004年4月のファルージャ包囲の際、米軍が実際に何をしていたかについての目撃証言は『ファルージャ2004年4月』(現代企画室)にまとめられています。また、TUPさんが、「ファルージャ総攻撃の実態を伝えたイラクNGOの国連事務総長宛報告書」を日本語で紹介しています。是非ご覧下さい。

投稿者:益岡
2005-02-21 18:04:50

ファルージャの安全?

クリスチャン・ピースメーキング・チームの一員による、ファルージャ状況と難民の声の簡単な紹介。

ファルージャの安全?
ペギー・ギッシュ
2005年2月17日
ElectronicIraq原文


30キロ爆弾

「もっと安全なところにいたいなら、ファルージャに移るべきだろう」と、ここバグダードで私の同僚の一人が冗談っぽく言った。新聞で、ファルージャはイラクで最も安全な町であるとの記事を読んでのことだ。私はその記事を取り上げ、ファルージャ----人口30万人の都市----で8000人が投票したと書かれているのを発見した。

記事はまじめに書いているものだということがわかった。難民の一部はファルージャに戻り、瓦礫を取り除いて再建の準備をしていることが報じられていた。前提にあるのは、反乱勢力がいなくなったから、ファルージャは今や安全だというものだった。けれども記者は他の状況についても言及していた:水と電気がほとんどないこと、厳格な外出禁止令、移動の制限。

昨年11月、米国政府は1月にわたり米軍が行ったファルージャ攻撃を、安全で自由な選挙を実現するための手段であるとして正当化した。実際には、この攻撃で投票者数は大規模に減り、イラク全土のスンニ派の大多数は選挙をボイコットした。

昨年11月以来、我々のピースチームのメンバーはファルージャ難民キャンプ3カ所を訪れ、また、他の場所にいる難民たちともインタビューした。数日前に行った最も最近の訪問では、バグダード大学モスクにキャンプしている約1300人を訪問した。そこでは家族が屋外テントに密集し、またモスクの中ではロープにかけられた毛布で作られた小部屋に詰め込まれていた。人々はファルージャで破壊された自分たちの店やビジネスについて語り、今もさらに多くの家が破壊され続けていると述べた。町に入るために検問所で12時間以上も待たされる。多くの家族が、メンバーや友人が行方不明になっていたり殺されたり、拘束されたりしていると説明する。難民のほとんどは、ファルージャがより安全になり容易に帰ることができるようになり、そして米軍が立ち去るまでファルージャに戻らないと決めている。

子どもたちは状況について色々話をしてくれる。12歳のラニアは次のように聞いてきた:「アメリカ人が強いというのなら、どうしてアル=ザルカウィを見つけられなかったの? どうしてアメリカ人は私の本やゲーム、子どものおもちゃをめちゃくちゃにしたの? 私たちが何をしたの?」

ここにいる難民のグループは5つの要求が満たされるまで寒い泥にまみれたキャンプに留まることを選んだ。

1.無差別爆撃に対する米国の謝罪
2.50億から100億ドルの被害弁償
3.米軍兵士のファルージャからの撤退
4.他の地域からのイラク人民兵の撤退
5.国際組織とメディアのファルージャ入りと自由な報道

ファルージャはもしかするとイラクで最も「安全」な都市かもしれないが、私自身はそんな安全の中に住みたいとは思わない。イラク人にとっての本当の安全を作り出す方法は、米軍兵士がファルージャでしたように町を完全に破壊して平らにすることではない。すべての人にとっての安全は、米兵を殺すことでも、米兵がさらに多くのイラク人を殺すことでももたらされない。安全と民主主義をうち立てるためには、破壊された社会を復興し、仕事を提供し、異なるエスニック・グループ間の対話と団結を支援し、暴力の主原因であるイラク占領を取り除くことで始めて可能になる。

米国は石油支ペギー・ギッシュは農家で、現在クリスチャン・ピースメーカー・チームの一員としてイラクで活動している。

配のためのサダム追放とイラク侵略を隠蔽しごまかすために、「大量破壊兵器」「アルカーイダとの関係」といった事実無根かつ侵略と破壊・占領の理由には何一つならない「理由」を持ち出してきました。

それが全く通用しなくなると、今度は「イラクに民主主義をもたらす」と叫び始めました。侵略して占領し、傀儡政権を植え付け植民地時代さながらに総督ポール・ブレマーが勝手な法律と憲法相当の政令を発布し、裁判もかけずに無差別に拘束した人々を拷問し強姦し、ファルージャで無差別大量殺人を犯し、といった事態を「民主主義の実現」という言葉でくるむことで、「民主主義」という言葉は全く内容を失いました。

そして、「イラクの安全/治安を維持する」と称してファルージャを破壊し民間人数千人を無差別に殺し、また老人や病人・けが人をも狙い澄まして射殺したのち、外出禁止令と検問とIDカードを導入してわずかな人々を完全監視下においてファルージャは「安全」だと叫び始めました。かくして「安全」という言葉も、全く意味を失ってしまいました。

日本でも「国家安全保障」政策への動きが高まっています。まさにファルージャ風の「安全」を保障するからありがたく受け取れというもの。

投稿者:益岡
2005-02-19 00:14:39

戦闘機械

14日に「朝の情報番組でスポーツ新聞の記事を紹介しているのを見た」と書いた「戦闘ロボット」は,同日夜のニュース番組で映像を見ました。小さめのキャタピラ1対の上に“目”らしきものと武器がくっついた形で,1月23日に日本語にしたBBC記事にあった写真と同じものだろうと思います。

この「戦闘ロボット(ロボット兵士)」については,www.worldpeacereport.comからリンクされていたtheState.com記事(2月18日付)に詳しく書かれています。

さらに,2月17日付けHot Wired Japan記事(←「遠くまで。」さん経由)によると,
『セグウェイ』がロボットになって戦場へ
 “世紀の大発明”とも言われ評判になった立ち乗り式電動スクーター『セグウェイHT』が米軍で兵器として採用されそうだ。米アプライド・パーセプション(API)社は16日(米国時間)、セグウェイHTをベースとする軍用の移動プラットフォームの開発で、米国防総省国防高等研究計画庁(DARPA)と契約したと発表した。兵士をサポートするロボットシステムの調査に着手する。

〈中略〉

 具体的には、荷物の運搬や兵士支援などの基本的な任務に利用。さらに、危険物の探索、歩哨任務、不発弾の探知、負傷兵の搬送など幅広く応用していきたい考え。API社は、セグウェイHTが選ばれた理由として、現在すでに利用可能で、比較的コストが安く、高速、運搬能力を備え、開発がしやすい、ことなどをあげている。契約額や開発スケジュールなどは公表していない。

〈後略〉


Google Newsで検索した結果,Applied Perception Begins Project to Investigate Soldier-Personal Robot System Based on the Segway Platform
という記事がヒット。(内容的には上記日本語記事とあまり変わりませんが,やや詳しいです。あと,記事末尾につけられている固有名詞の説明が詳しい。)

また,Google Newsでは,「ピッツバーグ・ビジネス・タイムズ」というサイトのPittsburgh company to pitch military Segwayという記事にもヒット。記事末尾を引用(引用文中のHeは,Applied Perception Inc.のTodd Jochem社長):
He said the Segway would be used in Military Operation Urban Terrain missions and could be the armed forces' new first line of defense.

"It would be ideal in a place like Falljuah," Mr. Jochem said. "On terrain that's not sand or woods, (or) where it would have to hop over logs." The time from mock-ups to use in the battlefield depends on how the technology works, Mr. Jochem said, and "finding the customers in the Department of Defense who have a need for this."



投稿者:いけだ
2005-02-18 22:06:19

誰に投票しようと勝つのはワシントンだ

イラク戦争計画』の著者ミラン・ライによるイラク「新政府」へのワシントンの影響力分析。

誰に投票しようと勝つのはワシントンだ
ミラン・ライ
2005年2月16日
ElectronicIraq原文

新たに結成されるイラク国会をワシントンはどうやって支配しようとしているか。

イラクの選挙は普通の人々が自分の国の運命に影響を与える前例のない機会であったが、選ばれた国会は米国が押しつけた制限をあまりに大きく受けているため、創生される内閣は独立政府というよりは鎖につながれた囚人に近い。

今年1月、シーア派連合の著名なイラク人政治家がニューヨーカー誌に、米国は選挙前に諸政党に秘密裡に、新たな政府には三つの条件が課されていると語ったと述べている:イランの影響のもとにあってはならないこと、米軍撤退を求めてはならないこと、イスラム国家を樹立してはならないこと。

重要だが無視されてきた問題の一つには、米国の指示のもとで治安部隊が着々と再バース党化されてきていることである。この再バース党化をシーア派連合は強く拒否しているため、新政府にとってこれは重大な問題となる。

英国のマスメディアは、他の地域のマスメディア同様、スンニ派とシーア派、クルド人のコミュニティ間での権力分配、そして「勝利を収める」シーア派連合の中の異なる団体の権力の分配のみを扱う傾向がある。そこで検討されていないのは、新たに選ばれる国会とまもなく指名されるだろう「イラク移行政権」がその中で活動しなくてはならない大枠である。

メディアの驚くべき自己検閲のためにアジェンダから除外されているのは、選ばれたイラク国会と選挙で選ばれたのではない米国主導の占領支配者たちとの権力分配である。米国は支配力を維持するために数レベルの権力を作り上げた。

米国が支配に用いる道具の一つは暫定行政法(TAL)である。これは、ワシントンで書かれた暫定憲法であり、2004年3月にイラクに押しつけられた。

シーア派二大政党の一つダーワの党員であるジャワド・アル=マリキは正しくも、「私たちが選んだ組織はこの文書よりも正当性が大きい」と述べている(フィナンシャル・タイムズ紙2005年2月14日)。残念ながら、TALは、住民投票により恒久的な憲法が採用されるまでデフォールトのイラク憲法であると自らを規定している。

TALは、シーア派の多数党が強く拒否する文言で、恒久的な憲法はイラクの18州のうち16州で少なくとも3分の1の有権者の賛同を得なくてはならないとしている。この文言はクルド人地域に最終憲法への拒否権を与えるために盛り込まれた(スンニ派が多数を占める地域にも同じ拒否権を与える)(Nathan J. Brown, Post-Election Iraq: Facing the Constitutional Challenge (pdf), Carnegie Endowment for International Peace Democracy and Rule of Law Project, Feb 2005)。

クルド人がこの拒否権を行使するならば、TALが憲法であり続ける(そしてTALの第59条によると、イラク軍は米国司令下に置かれ続ける)(Nathan J. Brown, Post-Election Iraq: Facing the Constitutional Challenge (pdf), Carnegie Endowment for International Peace Democracy and Rule of Law Project, Feb 2005)。

暫定行政法(TAL)のこれら条項は、ワシントンに最も強い忠誠を誓うお抱えの者たち----クルド人たち----に政治的前進に対する強力な拒否権を与える効果を持つ。

米国がイラク支配に使うもう一つの道具は2004年11月にまとめられた債務救済計画である。この計画のもとで、対イラク債権国の一部はイラクの債務の一部を(段階的に)免除するが、その際の条件として、イラク政府がIMFの「自由化」プログラムに従うことが必須とされている。この計画は外国の投資、私有化、「税制改革」を優先事項とするが、失業と貧困は重視しない。

イラクの新政権は国際経済金融秩序の支配者たちを拒絶するか、IMFに従うかの選択をしなくてはならない。IMFに従うことはまた、米国行政官ポール・ブレマーがイラクを支配していたときに発効させた経済リストラと私営化の追求を意味している。

米国によるイラク支配の最大の道具は、もちろん軍事力である。フィナンシャル・タイムズ紙が最近指摘したように、「米国の影響力は、シーア派が自分たちの政府は米国の支援継続なしに内戦を生き延びることはできないと知ることにかかっている」(2005年1月13日)。選挙で最大の票を得たシーア派連合はバグダードにある米国が支配し「米兵に守られた」「グリーンゾーン」の会議場で候補者リストを発表しなくてはならなかった(インディペンデント日曜版、2004年12月19日)。

2003年11月、米国が「委譲」プロセスの最初のバージョンを明らかにしたとき、ある上級米国政府職員はニューヨーク・タイムズ紙に次のように語っていた。「これはギャンブルだ。とてつもないギャンブルだ。けれども我々が今手にしている、出来事への支配力を過剰見積もりし、それをどれだけ維持できるかを過少見積もりするのは容易だ」。別の米国上級政府職員は、イラク暫定政府の創設後も「我々には皆さんが考えるよりも多くのレバーがある。恐らくはイラク人が考えるよりも多くのレバーが」と語っている。米国が使えそうなレバーとしては、米軍駐留そのもの、200億ドルにのぼる米国のイラク再建予算、米国投資家の要求がある("America's Gamble: A Quick Exit Plan for Iraq", NYT, 16 November 2003)。

支配のためのもう一つの道具は、ポール・ブレマーが退任直前に指名した5年任期の中枢官僚である。2004年6月、米国人支配者ブレマーは、米国が押しつけた暫定「首相」イヤド・アラウィが選んだイラク国家安全保障顧問と諜報局長の任期を5年とする命令を発した。これによりアラウィが選んだ人物が選挙で選ばれた政府に押しつけられることになる。ブレマーはまたすべての省の監察官を5年任期で指名し、通信と公共放送、治安市場の委員会を設置しそこに人員を配置した(ワシントン・ポスト紙、2004年1月27日)。

アラウィの選択が最も重要なのなのなの国家安全保障の領域である。自身が元バース党員であるアラウィは(これについてはJNV速報67を参照)、サダム政権に使えていた者たちを中枢ポストに抜擢し、治安部隊に元バーシストを多数あてた。サダムの特殊部隊兵士たちと元諜報職員たちが警察の突撃部隊に再雇用されさえした。昨年夏、アラウィの政府は秘密警察総監ポストにラシード・フライェーを指名した。1991年のシーア派蜂起を残虐に弾圧する行為にナシリヤ市治安部隊長としてフライェーが関与していたとして脱バース化最高評議会が反対したのを押し切っての指名である。

昨年10月、アラウィは脱バース化評議会(彼の古いライバルであるアフメド・チャラビを長とする)を解散させようとして失敗した。アラウィは元バース党員たちを、法廷で重大犯罪をめぐり有罪とされない限り堂々と権力の座に復帰させることを可能にしたいと考えており、ワシントンはこの方針を支持している。選挙に「勝利」したシーア派連合はこうした再バース化の流れを逆転させると約束した。アラウィが再バース化に熱心なので、アラウィが新政権の妥協として首相になることはそのために阻止されるかも知れない。

1991年以来、米国政府はイラクで「体制安定化・指導者すげ替え」政策を追求してきた。2003年の政権崩壊のショックから、まだワシントンは復帰していない。ブッシュ政権はその後退却と攻撃のジグザグな道をたどることを余儀なくされ、その結果、今日、(米国の資金を大規模に受け取った)ブッシュのお抱え候補アラウィの大敗北となり、親イラン派の政党が多数の票を得、国会では脱バース化を求める声が強い地位を占めることとなった。この脱バース化の声は、米国が指示するイラクの再ナチ化を押しとどめようと決意している。

ワシントンは手にしている権力支配のレバーすべてが必要となるだろう。

JNV(復讐ではなく正義を)を支援して下さい。0845 458 9571
できる限り多くのブリーフィングを作成します。その印刷と配布を助けるために、チェックを以下に送って下さい:
'JNV', 29 Gensing Rd, St Leonards-on-Sea, East Sussex TN38 0HE. UK.


ブレマーは、イラクの農民に自分たちの種子を使うことを禁じ、米国大企業の遺伝子組替作物を使うことを強制する政令さえ発布しています。

投稿者:益岡
2005-02-18 00:31:48

メディアの虚偽報道

ダール・ジャマイルが報ずる「イラク世界法廷」ローマ・セッションの一部。

メディアは虚偽の報道で有罪
ダール・ジャマイル
2005年2月15日
ZNet原文

ローマ発2月14日(IPS通信):イラク民衆法廷は、西洋メディアの多くが、イラク報道の中で暴力を煽り人々を騙した罪を負っていると判断した。

国際的な人々のイニシアチブによりイラクの戦争と占領をめぐる真実を求めているイラク世界法廷(WTI)は、3日間にわたる会議のあとで13日、見解(判決)を発表した。同法廷は、独立ジャーナリスト、メディア専門家、活動家そして欧州議会議員ミシュレ・サントロの証言を聞いた。

WTIのローマ・セッションは、ブリュッセル、ロンドン、ムンバイ、ニューヨーク、広島、東京、コペンハーゲン、ストックホルム、リスボンでのセッションに次ぐセッションで、メディアの役割に焦点をあてたセッションである。

WTIの判事からなる非公式のパネルは、ジャーナリストの仕事を妨げ、意図的に虚偽と誤った情報を創り出したとして米国政府と英国政府を批判した。

同パネルはまた、情報をふるいにかけ握りつぶし、また独立ジャーナリストを脇に追いやりまた危険にさらしたとして西側の企業メディアを批判した。イラク侵略の14カ月の間に、ベトナム戦争の全期間よりも多くのジャーナリストたちが殺された。

イラク民衆法廷はまた、イラクをめぐる主流メディア報道がニュルンベルク裁判(ナチスの犯罪を裁くために設置された)第6条に違反していると述べた。第6条は、「上記の犯罪(平和に対する罪・戦争犯罪・人道に対する罪)のいずれかを犯す計画あるいは陰謀の立案や実行に関与した指導者や組織、煽動者や協力者は、そうした計画を実行した人物のあらゆる行為に責任を負う」としている。

証言を聞いたパネルのメンバーには、ベルギーのトリコンチネンタル・センター(ラテンアメリカの民衆運動のいくつかを支援している)所長フランソワ・ウタール、セネガルのダカールにあるサード・ワールド・フォーラム所長サミール・アミン博士がいた。また、英国ヨーク大学で政治学と女性学を教えるハレー・アフシャル博士とイタリアの作家で新聞編集者エルネスト・パロッタが裁判に立ち会った。

米国によるイラク植民地化をめぐっていくつかの論文を書いている人権活動家トニー・アレッサンドリーニ博士は、「これは単に主流はメディアの偏向と無能を批判するというだけの行為ではない」と語る。「そうした批判はこれまで何カ月もなされてきた。ここローマではさらに先に進まなくてはならない」。

WTI実行を支援したアレッサンドリニは、さらに「我々が考慮するよう求められたのは単なるメディアの偏向ではなく、これまでイラクの人々に対して犯された、そして今も毎日のように犯されている犯罪に対するメディアの積極的な共謀である」と続ける。

専門家数人が強力な証言を行った。「プロジェクト検閲」の代表を務めカリフォルニアのソモナ州立大学でメディア検閲を教えるピーター・フィリップス博士は録音した証言を提供した。彼は、1930年代以来、米国が今ほど「制度化された全体主義」に近づいたことはないと述べ、さらに「米国社会は世界で最も情報を与えられず、娯楽だけを与えられる社会となった」と続けた。

WTIのローマ・セッションでは、「嘘を言う:イラク攻撃におけるプロパガンダとメディアの歪曲」の著者であるスコットランドのデービッド・ミラー博士の証言も聞いた。「問題はジャーナリズムが戦争犯罪に共謀していることについてである」と彼は言う。ミラーはまた、PRとプロパガンダのモニター・グループ「スピンウォッチ」の共編者でもある。


ミラーは、ペンタゴンが「独立ジャーナリストという概念を認めていない」と語る。というのも、「独立ジャーナリストたちは非友好的な情報を提供するからである」。さらにミラーは、米英の主要メディアは「侵略と占領を人々に受け入れさせることに荷担した。主流はメディアに関してなされたすべての研究は、政府の政策がこれらメディアを支配していたことを示している。英国の戦時TVニュース報道は一般に政府見解に同調している」と語る。

イラク侵略の際息子ヘスス(米兵)を失った(ヘススは米国の不法なクラスター爆弾を踏んだために死亡した)フェルナンド・スアレスも法廷で証言した。

スアレスは、ペンタゴンはまず、息子ヘススは頭を撃たれて死んだと説明し、それから事故で死んだと説明し、それから「味方の攻撃」で死んだと説明したと証言した。

息子の遺体を調べたスアレスは、死因がクラスター爆弾を踏んだためであることを発見したと語った。

「私は彼らから一度も真実を耳にしたことはない」とスアレスは語った。「私は自分で真実を発見した。それはとても単純だった。3月26日、米軍は2万個のクラスター爆弾をイラクに投下したが、そのうち爆発したのは約2割だけだった。残りの8割は町や学校に残され、地雷のような役割を果たしている」。

スアレスは語る:「ブッシュは、イラクは不法な兵器を持っていると言って私の息子をイラクに送った。そして息子は死んだ。不法な米国の兵器によって。それなのに誰もこれについては話さない。メディアは不法な米国の兵器について話さないだろう」。

何人かの証人が、ファルージャ包囲攻撃をめぐるメディアの情報操作について証言した。また、ジャーナリストで映像作家でもあり、またオンラインのメディア問題ネットワークであるMediachannel.orgの責任編集者でもあるダニー・シェシュターによる賞を受賞したドキュメンタリー「大量破壊兵器」のコピーも提出された。

アレッサンドリーニは、イラクの人々に対して犯された犯罪そして虚偽と暴力煽動の罪に対して主流メディアが積極的に加担していた証拠は今や圧倒的であると述べる。

「私たちは、米国によりイラクの人々に対して犯された犯罪を歴史が記憶するという理解のもとで活動している」と彼は語る。「これらの犯罪を記録し、これらの犯罪が二度とふたたび繰り返されないようにすることが私たちの責任である」と。

クラスター爆弾の子爆弾(ボムレット)の不発率はそもそもとても低く設計されています。後々、不発弾が地雷として機能することを意図的に狙った設計です。

投稿者:益岡
2005-02-17 02:24:25

無人戦闘機械

今日のスポーツ新聞(←おそらく)に米軍が戦闘ロボットを開発という記事が掲載されていると朝7時ごろの情報番組で見たのですが,1月にBBCで報じられていた件のようです。(開発した企業の名称や特徴が一致していました。)

詳細は……
ロボット兵士・・・(当ウェブログ1月23日記事)

投稿者:いけだ

追記:ちょっと立て込んでいるのでこのウェブログの作業が遅滞しています。あしからずご了承ください。
2005-02-14 10:33:30

イラク人難民たち(マハジャン)

イラク人難民について、『ファルージャ2004年4月』著者の一人、ラフール・マハジャンの「帝国ノート」より。

イラク人難民たち
ラフール・マハジャン
2005年2月3日
EmpireNotes原文

今日(2月3日)のワシントン・ポスト紙に「膨大なイラク人難民がシリアに」(Iraqi Refugees Overwhelm Syria)という重要な記事が掲載された(重要さはA18ページに掲載されたことでもわかる)。記事の中心は以下の通り。

シリアがイラクと共有する450マイルの国境については、中東地域でも世界でも、アラブ人が外国からイラクに流入して反乱勢力に参加することを憂慮しているが、〔・・・・・・〕ますます多くのイラク人が逆方向に動いている。国連職員は、22カ月前、米国とその同盟国がイラクを侵略した際に国連が予期したエクソダスを今目にしていると語っており、シリア政府と国際援助団体は難民がもたらす心配な社会的影響を目にし始めていると語っている。

シリア政府関係者は、様々な民族・宗教・経済的背景のイラク人70万人が米国主導のイラク侵略以来シリアに到着しており、それは地域の他のどの国よりもはるかに多い数であるという。過去4カ月に流入者数は増えている。

70万人! 米国の状況を想定して11倍ないし12倍すると、この状況は800万人の米国人が難民になったことに相当する。

この記事は、明言してはいないが、難民の大部分はイラクのセクト主義暴力とレジスタンスの行為により生み出されたと示唆している:

裕福なイラク人の最初の流出----米国政府関係者は現在彼らがイラクの反乱勢力に資金を提供しているかも知れないと述べている----のあと、大部分がシーア派ムスリムとキリスト教徒----日々の暴力の標的とされている集団である----の大きな波が続いた。

けれども、注意深く読めば、これらの難民流出の多く(恐らくは大部分)は米軍の軍事作戦によるものであることが明らかになる。とりわけ、逃げ出したあるシーア派家族の典型例は9月にナジャフを立ち去ったものである----これは米軍による殺人攻撃からわずか数週間後のことであり、この攻撃はドナルド・ラムズフェルドによれば最大2500人を殺したという攻撃である。ナジャフはシーア派の支配地域でレジスタンス側からの暴力はほとんど全くなかったので、ナジャフから人々が逃げ出さなくてはならなかったのは、米軍の攻撃が引き起こした破壊のため、あるいはさらなる爆撃への恐怖のためであると考えられる。

(恐らくは)最初にシリアに逃げた裕福なイラク人たちによる不動産買い付けは、ダマスカスの不動産の値段をつり上げ、そのためシリア政府はイラク人が土地をこれ以上買うことを禁止することを検討している。

こうした難民に、もちろん、ファルージャ攻撃で生み出された「国内避難民」(IDP)が加わる。私が見つけることができた一番最近の評価は国連イラク支援団が1月18日に公表したもので、それによるとファルージャ攻撃により20万人以上の人々が国内避難民の状態に置かれ続けているという。ただし人数はもっと多いかも知れない。というのも、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、ファルージャに戻った人々の多くは、長期的にファルージャに留まる意図なく、損害を調べるために戻っただけだからである。実際、よそで土地を買う財力のある人々の多くは既に別の場所で土地を購入している。

国内での様々な暴力による犠牲に加え、主として米軍の攻撃で生み出された膨大な数の難民・避難民。併せて約100万人とすると、日本で言えば500万人もの人々が難民となった状態です。

投稿者:益岡
2005-02-11 19:37:13

「政党ではなく選挙パクトだ」(パトリック・コックバーン)

内実も今後も限界もあまりにきちんと報じられていない「選挙」について、バグダードからの報告。

政党ではなく選挙パクトだ
シーア派とクルド人がイラク新政府を支配するだろう
パトリック・コックバーン

CounterPunch原文

2004年2月8日
バグダード発

外相のホシヤー・ゼバリによると、イラクでは、選挙でうまくやった政党間の交渉が間もなく始まり、シーア派とクルド人からなる民族団結政府が結成されることになるだろうという。

延期に熱心に反対してきたゼバリ氏は、選挙後の喜びムードにつつまれて、「このすばらしい歴史的勝利を無駄にしてはならない。うまくやらなければ結果は破滅的なものとなるだろう」と述べた。

彼は、暫定政権首相イヤド・アラウィが仕事を失うことになるとはっきりは述べなかったが、新政府で首相ポストに就く候補は二人に絞られたと考えている。

一人は現副大統領でシーア派政党ダーワのイブラヒム・ジャーファリであり、もう一人は現財務相でイラクイスラム革命再考評議会のアデル・アブドゥル・マフディである。

ゼバリ氏は、投票前自ら行なった選挙結果推定で、シーア派連合の統一イラク連合(United Iraq Alliance)が、国会275議席のうち130から140議席を占めるだろうと述べている。

「クルド人連合は75から85議席を、アラウィは50から60議席を獲得すると思う」と。彼はまた、第アヤトラーのアリ・アル=シスタニ師のもとで結成されたシーア派の連合がいつまでもつか疑問に思っている。「この連合は選挙パクトであって政党ではない」とゼバリは続ける。

「既に彼らは誰を首相にするか、どの地位を得るかで口論を始めている」。

クルド人指導者たちはどの地位を望むかについて既に合意した。ジャラル・アル=タラバニが大統領候補である。ゼバリ氏は、新政府の上級ポストはすべて「一つのパッケージの一部」として合意されなくてはならないだろうと述べる。

反乱の中心であり大部分が選挙をボイコットしたスンニ派アラブ人を懐柔するために、トップの3ポストすなわち大統領か首相、国会議長のいずれかをスンニ派アラブ人に与える必要があるとゼバリ氏は言う。

スンニ派は憲法策定に一定の役割を果たさなくてはならない。彼はまた、大きな会議、「イラク社会を構成するすべてからなる全国対話」が必要であると付け加えた。憲法草案を作成する前でも後でもよいが、いずれにせよ憲法を批准するための住民投票が行われる前に開催しなくてはならないと。

世俗的なクルド人たちが、シーア派宗教諸政党の大勝利を心配していることが伺える。クルド人たちはまた、シーア派諸政党を通してイランの影響が強まることも心配している。「我々の悪夢は、誰かが3分の2の投票を勝ち取ることだ」とゼバリ氏は語る。新政府結成のためには、国会の3分の2が必要である。

アラウィが首相職を退く可能性が高いことについてゼバリ氏は申し訳なさそうに「アラウィはできることをすべてやった。引き受けた混乱を正すにはあまりに時間がなかった」と述べた。

けれども、ゼバリ氏は、選挙後、イラクは「2003年5月に戻るチャンスがある」と言う。サダム・フセインが失墜した月である。そしてそのときにしなくてはならないことをすべて行うチャンスがあると。

治安の欠如は、昨日モスルとバクバで警察署への自爆攻撃があり、27人が殺され20人が負傷したことからも明らかである。モスル警察署への迫撃砲による攻撃で他に一人が死亡している。

なお、あるウェブサイトによると、イラクで拘束されているイタリア人ジャーナリストが数日のうちに釈放されるだろうとのこと。ジュリアナ・スグレナは拘束者であるジハード組織から「スパイ行為に関与していない」と認められたとのこと。


ファイル作成者:益岡
投稿代行:いけだ
2005-02-10 23:22:18

「食べ物を得るための投票:続」(Raed Jarrar weblog)

3日に投稿した記事の続報,Raed blogより。

2005年2月4日(金)の記事

http://raedinthemiddle.blogspot.com/

食べ物のための投票:続
先日,イラクでは人々に投票に行くよう強い圧力を感じさせている非常に根強い噂があるという事実について触れました【当該の記事】。バグダードにいる弟のハリードが,この噂について1週間前に話をしてくれたのですが,ワシントン・ポストでも同じ件を扱っていました。

ワシントン・ポスト(米国の新聞)では,さらに別の記事を掲載しています。イラクの当局筋の人が次のように告白している記事です。
「投票しない者は食糧配給を奪われると喋って私たちが巷に噂を流布させたのであるが,投票したのはわずか10人であった……そのほとんどが高齢の男性であった」と,市中心部の投票所の責任者を務める選挙管理委員会職員のKhalaf Muhammedさん(43歳)は語った。有権者を誘い出そうとして虚偽の噂を広めたことを認めたのである。


この噂自体が,ニュースサイトやウェブログで言及されているのも,たくさん見つけました。クリスチャン・サイエンス・モニター(米国の新聞)では,選挙前の記事でこの噂について触れています。
この家族は,投票しない者には新しい食糧配給カードが配られないという噂を聞いていた。食糧配給カードはイラクの全世帯に配られている書類で,それに基づいて有権者リストが作成されている。


サンデー・タイムズ(英国の新聞)では,
Suharと違って,Suheilaは現在,月に12ポンド(日本円でだいたい2400円)相当の年金で細々と暮らしている。多くの貧しいイラク人同様,彼女も投票しない限りは月々の食糧配給を受けられないと脅された(threatened)と言っている。「私たちはみないつか死にます。爆弾で死ぬことは怖くはないですよ。でもね,飢え死にだけはどうしたっていやですよ。投票に行かなければ私の食糧配給カードは取り上げられてしまうんですよ。」

【訳注:サンデー・タイムズのこの記事の用語法は,サンデー・タイムズにはいつものことですが,非常にストレートだと思います。】

僕の友人のダール・ジャマイルも同じことを書いていた。
しかし何人かはそれでも投票すると言う。「投票しますよ,食糧配給を切られちゃ生きていけませんからね」と,バグダードで小さな自動車整備工場を所有するAmin Hajarさん(52歳)は語る。「投票しなければ食糧配給が止められるって噂があるんですよ。もしそんなことになったら,私も家族も飢え死にしてしまう。」彼は最近月々の配給を受け取ったのだが,そのときに有権者登録をしたという書類に強制的に署名させられたのだという。政府はこれを使って私が投票したかしてないかを追跡するんじゃないですかと思う,と彼は思っている。まったく真実味がないように思われるのであるが,この噂はバグダード中で広く流布されている。

【訳注:ダール・ジャマイルのこの記事は全文が日本語になってました→URUK NEWSさん。】

Riverbendも数週間前にこの噂について書いている。
多くの地域では人々は、もし選挙に行かなかったら、スンニであれシーアであれ、毎月の配給食料の量を減らすと脅かされている。イラク国民は、90年代の初めからずっとこうして配給を受け続けてきていて、多くの家庭にとっては、主要な生存の糧なのだ。いったい、選びたい人もいないのに強制的に投票させる民主主義って、何?

【訳注:Riverbendのウェブログの文面は,日本語版(翻訳は池田真理さん)のものを使わせていただきました。太字強調はライードさんです。】

ハリードもこの件について書いている。どうも弟もこの噂を信じているらしいけど。
というわけで新情報!
90年代初頭から,砂糖や小麦粉といったいくつかの品物をはじめ,イラク人の家庭の食料の主要な源であった「配給」カードの2005年分は,投票した人だけにしか与えられないってこと,ご存知でしたか?
投票所に行くと,地域の配給取扱店からカードを受け取るための書類を渡されるんです。
自由? デモクラシー? やったーーーー! 喜べイラク人よ,幸せな生活を!
情報源はたくさん,オンラインで簡単に見つかります。


Posted by: Raed Jarrar / 1:43 AM
*translated by: nofrills, 7 February 2005


投稿者:いけだ
2005-02-07 13:00:48