政府の「死の部隊」がバグダードを破壊している
政府の「死の部隊」がバグダードを破壊している
ダール・ジャマイル+アリ・アル=ファディリー
2006年10月20日
Antiwar.com 原文
バグダード発。最近明らかになっている証拠によると、首都バグダードでは、内務省の「死の部隊」がイラク警察の装いをして、ますます多くの人々を殺している。
たくさんの死者が出ている----9月の一カ月だけで、1536人の遺体がバグダードのモルグに運び込まれた。イラク保健省は、先月(9月)、一日250人の遺体を収容できるよう、バグダードに新たに二つのモルグを建設する予定であると発表した。
たくさんの人が、政府の手でさらなる殺人が行われることを恐れている。米軍は、バグダード南西部のアミル地区の食品工場で働いていた26人のスンニ派労働者が10月1日に誘拐されたことについて、実行犯は第8イラク警察部隊であることを明らかにした。そのうち10人の遺体は、のちに、首都のアブ・チル地区で見つかっている。
内務大臣ジャワド・アル=ボラニは、調査が完了するまで、この警察部隊の公職を停止し、基地に閉じ込めておくと発表した。
けれども、内務省自体の一部が、拉致と殺害に関わっているようである。この事件では、内務省の車両が誘拐に使われ、また、目撃者がIPS通信に語ったところによると、「死の部隊」の黒い「制服」を来た数人を除き、侵入拉致を行った男たちのほとんどが、イラク警察の制服を着ていたという。
公式発表では、この警察部隊の隊長は自宅で逮捕状態にあり、この事件をはじめとする犯罪について尋問を受けている。
「彼らがやったのは確実だ」と、犠牲者の隣人は匿名を条件にIPSに語った。「二日目に、拷問を受けた遺体が見つかった。犯人たちは警察の車に乗ってやってきた。こうしたことをしたのは、これが初めてではない。彼らはバグダード中で同じことをやっている。今度は、きちんと処罰されることを望む」。
一方、警察部隊の隊員たちがすぐに処罰を受ける気配はない。イラク警察のアドナン・タビット長官はIPSに、「彼らは再訓練し、任務にもどす」と述べている。
スンニ派の最大政党イラク・イスラム党は、この民兵がイラク政府および米軍と結びついていると批判している。
「イラク・イスラム党は、女性を含む26人が、イラク軍と米軍の検問とパトロールの中を、どうやってアミルからアブ・チルに運ばれることができたのか、疑問に思っている」と同党は声明の中で述べている。
米軍は、この殺害に対する関与を否定している。
内務省の副大臣ヤシン・アル=デュライミ将軍はイラクのテレビで数回にわたり、「死の部隊」は主にイラク警察と軍部隊からなっていると述べている。彼のコメントは、シーア派の中に忠誠や考えに違いがあることを反映している。
デュライミは、内務省設立----米国当局の監視のもとで設立された----当初から同省を支配している組織的な犯罪ギャングの存在を暴こうとしてきた。
デュライミは、大規模で十分に武装し資金も潤沢なシーア派バドル旅団が内務省を完全に制圧しているとは考えていないと語る。けれども、バグダードに住むほとんどの人は、バドル旅団がバグダード治安維持警察隊を完全に支配して、セクト的殺人に用いていると考えている。この部隊はバグダードに公式の治安チームをいくつか持っている。
この部隊を率いているのはメフディ・アル=ガラウィで、2004年11月米軍が率いたファルージャへの攻撃では、似たような治安部隊を[米軍の側で]率いていた。
「ファルージャ危機でジェノサイドをはじめとする戦争犯罪を犯して生き延びた犯罪者たちは、全員、昇任した」とイラク防衛省のアミル・ジャシム少佐はIPSに語った。「私をはじめ、私の同僚の多くは昇任しなかった。というのも、他の兵士たちが[ファルージャで]人々の家を略奪したあと、家に火を着けよという命令に従わなかったからだ」。
ジャシムは、2004年のファルージャ包囲攻撃の際、ファルージャの家々を略奪し放火せよとの命令は、内務省と防衛省から出された述べる。
ジャシムは、シーア派が支配する両省について、「今や彼らはファルージャでやったと同じことをスンニ派居住地域のすべてでやって、イラクに内戦を引き起こそうとしている」と言う。「信じがたいほどの金を略奪した彼らにとって、内戦を引き起こすことが唯一、権力を保持する方法だからだ」。
防衛省の別の職員ムンタテル・アル=サマライはIPSに対し、セクト的殺害の広まりはイランと内務省内の「協力者」のせいだと語った。
「私の省内で起きた汚職事件について数千件ものリストを私は持っており、他のファイルとともに世界に暴こうとした」と彼は言う。「けれども、世界は耳を貸そうとしない。耳を貸したときには遅すぎるのではないかと恐れている」。
サマライのオフィスに所属するある警察官は、匿名を条件に、IPSに、殺人者たちは殺人を犯しても処罰を受けないと考えていると述べた。
「彼らは逆に殺人者たちに褒美を与え、昇任させるだろう。本当だ」と彼は言う。「こうした殺人者たちが権力を握っている限り、この国は決してうまく行かないだろう。そして、アメリカ人たちは、外出禁止の時間帯に彼らの車列が動き回るのを認めることで、彼らを支援している」。
米軍が直接これらの殺人に関与している証拠はないが、そうした殺人を奨励するために、米軍が何をしたのか----あるいは何をしようとしなかったのか----について疑念が広まっている。
昨年9月に公開された国連人権報告は、内務省部隊が、抑留、拷問、殺害の組織的作戦を行っていると述べている。同報告書はまた、殺人を行っていると批判を受けている警察の特別奇襲部隊は、シーア派バドル旅団やマフディ民兵からリクルートされ、米軍の訓練を受けていると述べている。
これら部隊への訓練を統括していたのは、イラク治安部隊について当時の駐イラク米国大使ジョン・ネグロポンテの補佐官を務めた退役大佐ジェームズ・スティールである。
スティールは、1984年から1986年まで、エルサルバドルで米国軍事アドバイザリー・グループの司令官を務めた。一方、ネグロポンテは1981年から85年まで、駐ホンジュラスの米国大使だった。1994年、ホンジュラス人権委員会は、当時ホンジュラスで起きていた広範な人権侵害についてネグロポンテを批判している。同委員会は、少なくとも184人の政治活動家が拷問を受け失踪したと報じている。
1996年に設置された、ホンジュラスにおける米国の役割を検討するCIAワーキング・グループによると、ネグロポンテの監視下でホンジュラスで進められた人権侵害は、CIAが訓練した工作員により実行されていた。
CIAの記録は、ネグロポンテの「特別諜報部隊」----「死の部隊」の名の方が良く知られている----は、CIAから訓練を受けたホンジュラス軍の部隊から構成されており、この部隊が、左派ゲリラを支援していると疑いをかけられた人々を何千人も誘拐し、拷問にかけ、殺したのである。
エルサルバドルについては、エルサルバドル1980年~1994年:人権、ただしワシントン式をご覧下さい。また、米軍が運営する米州軍事学校と拷問の関係について、犠牲者の回想として、米州軍事学校と拷問をご覧下さい。
ファルージャについては、『ファルージャ2004年4月』(現代企画室)および『ファルージャ2004年4月』(土井敏邦・映像)をぜひ、ご一読・ご覧下さい。
投稿者:益岡