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2005/04/02

「イラクの大量破壊兵器」情報をめぐる最終報告書@米国

3月31日,米国で「イラクの大量破壊兵器」情報について調査・検証を行なっていた独立委員会が,最終報告書をブッシュ大統領に提出しました。

これについて,日本では,例えば産経新聞
二〇〇三年三月の米英軍によるイラク攻撃開始前に,米政府が得た大量破壊兵器に関する情報の精度について検証した独立委員会は三十一日,最終報告書をブッシュ大統領に提出し,機密事項分を除いて公表した。報告書は,「サダム・フセイン(元イラク大統領)の大量破壊兵器獲得の意図に執着し過ぎて,同兵器の存在を結論付ける重大な過ちを犯した。この情報収集の失敗は,近年の米国史の中で最も重大な損傷だ」などと厳しく批判した。
 一方,「政治的影響によって情報がゆがめられた」との見方を否定。イラクのケースに見られる失敗は他ではなく,リビアの同兵器開発計画の放棄やパキスタンのカーン博士による核の闇市場の暴露では,情報機関は「重要な役割を続けている」とも指摘した。
 また,今後の改善点として,各情報機関が収集した情報の共有推進や,大量破壊兵器拡散防止のための新組織創設などを勧告した。……

共同通信
イラク戦争前の米情報機関の問題点を検証した独立調査委員会が31日,「開戦前の大量破壊兵器をめぐる判断で,情報機関は致命的な誤りを犯した」とする最終報告書をブッシュ大統領に提出。大量破壊兵器拡散や大型テロなど「21世紀の脅威」に立ち向かうため情報機関の抜本変革を求め,74項目の具体的勧告を行った。
 開戦を急いだ政権内強硬派が大量破壊兵器の関連情報を意図的に誇張,歪曲したとの疑惑をめぐっては「(情報操作の)証拠はなかった」と結論付けた。
 イラン,北朝鮮の核開発に関しては「機密扱い」の情報が多いとして,具体的な問題点を公開しなかったが,大量破壊兵器をめぐる情報収集が極めて困難な現状に強い懸念を示した。

というように伝えているのですが,私は例によって例のごとく,英国の報道をいくつか読んでみました。

ほんとは主要4紙とBBCの合わせて5件を読もうと思ったのですが,気力が尽きてしまったので,保守2紙(タイムズとテレグラフ)はまだ読んでいません。

というわけで,BBCとガーディアン,インディペンデントの記事を,それぞれの見出し&書き出しで比べてみます。

1)BBC
http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/4396457.stm
Bush pledge over US intelligence

President George W Bush has welcomed a study that says US intelligence agencies know "disturbingly little" about enemy weapons programmes.

Describing the report as "extremely significant", he said US intelligence needed "fundamental change" to face the threats of the 21st Century.

The study makes recommendations for new director of US intelligence John Negroponte, who heads 15 spy agencies.

The study in particular criticises US collection of intelligence in Iraq.

The report says dramatic changes are needed to prevent failures similar to the fiasco over Iraq's missing weapons, including the creation of a a national counter-proliferation centre to combat the spread of weapons of mass destruction.


2)ガーディアン
http://www.guardian.co.uk/international/story/0,,1449755,00.html
US intelligence on Iraq chaotic and incompetent, says Bush commission

A presidential commission investigating the intelligence debacle that preceded the Iraq invasion reported yesterday that the damage done to US credibility would "take years to undo".

American intelligence was described by the report as being in chaos, often paralysed by the rivalry of 15 different spy agencies and affected by unchallenged assumptions about Baghdad's supposed weapons of mass destruction.

The incompetence described in the report occasionally descends into farce, particularly over an Iraqi defector codenamed Curveball, whose fabricated tales about mobile biological laboratories and their influence on US decision-makers were reminiscent of Graham Greene's accidental spy in Our Man in Havana. Despite warnings that he was "crazy", "a waste of time", and that he had not even been in Iraq at the time of an event he supposedly saw, his claims became the subject of almost 100 Defence Intelligence Agency reports and a focus of the National Intelligence Estimate in October 2002.


3)インディペンデント
http://news.independent.co.uk/world/americas/story.jsp?story=625307
WMD verdict: 'Dead wrong'
The damning verdict of America's official report into the reasons for going to war in Iraq

A bipartisan US commission has delivered adevastating critique of the intelligence assessment of Iraq's pre-war weapons of mass destruction. It also implied that the country's spy agencies know "disturbingly little" about Iran and North Korea.

The intelligence community was "dead wrong" in "almost all of its judgements" about Saddam Hussein's presumed chemical, biological and nuclear weapons programmes, declared the panel, which was set up by President George Bush in February last year.

It bleakly warned that the United States "simply cannot afford failures of this magnitude" again. And, as he formally took delivery of the 400-page report at the White House, Mr Bush concurred, saying that America's intelligence community - currently scattered across 15 separate agencies - needed "fundamental change". He promised that "concrete actions" would be taken soon.


これら3つの報道が,同じものを伝えているということが,にわかにはわからないほど,それぞれで使っている単語も違うし,焦点を当てている部分も違います。

BBCの記事を読むと,この報告書を受け取ったときのブッシュは笑顔だったかもしれないと思うし,インディペンデントの記事を読むと,苦虫を噛み潰したような顔だったんだろうなあと思います。

ガーディアンはGraham Greeneとか引き合いに出してて,正直うざったいです(<本筋と関係ない)。(これがガーディアンの癖ではあるのですが。)

これらの伝えている内容は,要するに,この報告書は
(1) 「イラクの大量破壊兵器」情報は間違っていた。
(2) それは諜報機関が15もあったことなど、諜報を扱う部署にいろいろな問題があったことが原因だ。
(3) ゆえにこれからは,諜報機関を改革していかねばならない。例えば、各機関をまとめる最高責任者1人が必要である。
という内容である,ということだろうと思います。

そしてその責任者になるのが,ジョン・ネグロポンテ(現在は駐イラク米大使)です。

知りうる限りで冷静に判断して,この報告書の内容は,インディペンデントが言うような「ブッシュ政権を糾弾する」ものではなく,むしろBBCの言うように「ブッシュ政権これからはこうすればうまくいく」というものだろうと,私は思います。

インディペンデントの記事で際立っているのは,「イラクについての諜報がデタラメだった。イランや北朝鮮についてもそうだろう」という焦点の当て方です――それをインディペンデントでは,「米国の諜報機関はイランや北朝鮮についても『ひどく少ししか』知らない」(know "disturbingly little" about Iran and North Korea)という表現で表し,第一パラグラフに持ってきています。かなりショッキングです。

このことはBBCでも書かれてはいるのですが,
Looking beyond Iraq, the report said: "The bad news is that we still know disturbingly little about the weapons programs and even less about the intentions of many of our most dangerous adversaries."

という形で,全然目立ちません。ショッキングでもありません。

ガーディアンは「カーブボール」というコードネームのスパイの情報がデタラメだったのに,当局はそれを頼りにしたということに焦点を当てて書いています――というか,それだけで字数を埋めているような感じ。

3件のいずれにも書かれていないのは「英国が果たした役割」についてですが,この最終報告書は一部が機密扱いになっているとのことなので,そのせいかもしれません。(確証があるわけではないですが。)

最終報告書の現物は,BBC記事から読むことができます(PDFファイル)。

投稿者:いけだ
2005-04-02 16:57:19

ファルージャの生活は恐怖物語だ(ダール・ジャマイル)

米軍による最初のファルージャ包囲と大量殺人から1年。『ファルージャ2004年4月』の著者の一人でイラクで取材を続けたダール・ジャマイルがファルージャについて語る。

ファルージャの生活は恐怖物語だ(ダール・ジャマイル)
エリック・ルーダー(ソーシャリスト・ワーカー紙)とのインタビュー
2005年4月1日
Electronic Iraq 原文


イラク ファルージャ(CPT撮影)

ダール・ジャマイルは独立ジャーナリストとして、イラクで8カ月を過ごした。米軍に「軍属」しない数少ないジャーナリストの一人として、彼の報道は、占領下の生活を妥協せずに伝えるものとして名声を勝ち得ている。

現在、ジャマイルは米国に戻り、スピーキング・ツアーで西海岸のいくつかの町を回っている。彼はソーシャリスト・ワーカー紙のエリック・ルーダーに、占領下の2年間に米国がイラクに加えた破壊について語った。



あなたの報道は、他のメディアと比べて、イラクで起きているこtについて大きく異なる視点を提供しています。あなたがご覧になったことについてお話いただけますか?

私はこれまで少しだけ報道に関わってきましたが、そう沢山関わっては来ませんでした。そんな中、ここ米国の主流メディアが流す報道と、代替メディアや海外のメディアの報道とが違うことに気付きました。この大きなギャップにますます当惑するようになり、そこで私はイラクに行って自分で報道しようと決断したのです。最初にイラクを訪れたのは2003年11月でした。

昨年4月のファルージャ包囲の際、私は2日間ファルージャにいました。それから5月、そこで起きたことを報ずるために何度かファルージャにもどりました。けれども11月の包囲の際にはファルージャに行けませんでした。というのも、米軍が警戒線を張ってファルージャを遮断し、今日までその警戒線を解いていないからです。米軍はジャーナリストを誰一人ファルージャに入れさせません。私は難民とインタビューしたり、町を何度か出入りした数人の知人たちのから情報を手に入れてきました。

ファルージャの生活はものすごく恐ろしいものです。建物の少なくとも65%が爆撃により倒壊し、残された建物も重大な損害を被っています。水はなく、電気もなく、そしてもちろん仕事もありません。人々がファルージャに戻るときには、瞳孔スキャンを受けなくてはならず、指紋を押捺しなくてはなりません。それからIDカードを発給されるのです。

それから、人々は町に入って自宅の名残りを目にします。しかも、米軍が町を完全に掌握している本当に恐ろしい状況の中でです。米軍の狙撃手がいたるところにいて、救急車が飛ばすこともできません----今でも米軍は救急車を標的にしているのです。残っている唯一の病院----ファルージャ総合病院----はほとんど機能していません。というのも、人々がそこに行くためには、検問所をいくつも通らなくてはならないからです。

ファルージャの生活は、本当に、恐怖物語です。ファルージャ住人のほとんどは今も難民生活をしており、これからも、かなりの間、難民生活を余儀なくされることでしょう。これらの難民は、ファルージャ周辺の小さな町のほか、バグダードや他の都市に散らばっています。私が耳にした最近の推定では、2万5000人----それより少しは多いかも知れません----がファルージャに戻ったと言います。以前、35万人の人口を擁していた町です。


ファルージャ攻撃を宣言したとき、米国は、レジスタンスを根絶することが目的だと言っていました。米国が定めた戦略的目標について、そしてそれが達成されたかどうかについてお話願えますか?

私は、米軍がファルージャを侵攻してやったことについて二つの理由を耳にしています。今あなたが言ったことと、それから、1月30日の選挙に向けて「治安と安定」を確保することです。

実際に起きたことといえば、戦士たちのほとんどは、包囲が始まる前に既にファルージャを立ち去っていました----軍でさえそのことを認めています。ですから、殺された約3000人の大多数は普通の市民でした。米軍はファルージャを「自由発砲」地帯と宣言しました。つまり、民間人と戦闘員とを区別しないということです。民間人がいる町でこのようなことをするのはもちろん国際法違反です。

「戦闘員を根絶する」こと、及び/あるいは1月30日の選挙に向けて「治安と安定」を確保することという目標を達成したかどうかについては、いずれも達成されなかったことを見てとることができます。

結局のところ、これらにより、レジスタンスはさらに国中に広がることになりました。ラマディでは別のかたちの「ミニ=ファルージャ」状況が起きています。そこでは町全体を封鎖してファルージャでやったことをやるかわりに、地区の一つ一つに対してそれを行なっているのです。基本的に、地区にいる戦士たちは標的とされるときには別の地区に移動し、米軍が別の地区に標的を移したときに元の地区に戻ってきます。

米軍は同じ戦略をサマラでも、バクバでも、バイジでも、モスルでも、そしてバグダードのいくつかの地区でも用いています。この戦略は、ほとんど占領が始まったときから米軍が用いているものです----レジスタンスと戦うために非常に圧制的な手段を用いるのです。けれども、そうすることで、米軍は、町や国の別の地域にレジスタンスを広めているだけで、基本的にさらに大きなレジスタンスを創り出すことになっているのです。


米国がレジスタンスを広めているとおっしゃるとき、人々が実際に別の町に行ってそこでリクルートを行いレジスタンスを組織するからなのでしょうか? それとも、米国が引き起こした惨劇が人々に怒りを引き起こし、レジスタンスに参加させることになるからでしょうか?

その両方です。ほとんどの戦士たちは、米軍がいつ新たな攻撃に出るか知っていますから、そのときには避難します。これはゲリラ戦なのです。相手が攻撃を予期しているときには攻撃せず、予期していないときに攻撃するというのはゲリラ戦の基本の一つです。戦士たちは米軍と直接角付き合わせようとはしていませんから、その場を離れるのです。

さらに、あなたと私がイラクのように部族のつながりが強いところに暮らしている兄弟だったとします。そして誰かがあなたを殺したとしましょう。もし私があなたの死に報復しなければ、家族の名誉を汚すことになります。そんなわけですから、占領下で10万人をはるかに超えるイラク人が死亡した----その大多数は占領軍の手によるものです----と推定されている事実を考えるならば、どれだけ多くの人がレジスタンスに参加しているか理解するのはちょっと計算すればよいだけの簡単な問題です。


先週、米国の公式筋は、イラクの地上部隊が米軍の空からの支援を得て、ゲリラのキャンプを攻撃したと、勝ち誇ったように話していました。これは占領の新たな展開だとお考えですか?

いいえ。本当のところ、これは米軍がイラクで使っている昔ながらのプロパガンダであり、それがここ米国のメディアに吹聴されているに過ぎないと私は思っています。既にこの状況をめぐって様々な報道に大きな相違があることがわかっています。

状況は、2003年12月に私が報じた状況に似ています。サマラで起きた出来事ですが、米軍は、大規模なレジスタンス部隊の攻撃を受け、レジスタンスを48人殺したと主張しました。それから一晩たって、人数は魔法のように54人に増えたのです。

私は自分でサマラに行き、それを報道しました。病院の医師たちにインタビューし、死体安置所を訪れました。現場にいた民間人にもインタビューしました。誰もが、殺されたのは8人で、全員が民間人だったと言ったのです。米軍の主張は、自分たちが攻撃され民間人を数人殺してしまったという過ちを犯したという事実を隠蔽しようとして広めたプロパガンダの煙幕に過ぎなかったのです。

あなたが言及した状況をめぐっては、ロイター通信が当初、イラク政府の奇襲隊がバグダードの北方100マイルにある孤立したキャンプを攻撃したと報じていました。けれども、米軍、ロイター通信、AP通信、AFP通信などの報道の間にはギャップがあり、それがどこで起きたか、正確にいつ起きたのか、何人の人々が殺されたかについて対立する報道がなされているのです。

大きな混乱があり、真実が姿を現すまでに時間がかかることでしょう。けれども、真実が、軍が発表した当初報告と相当異なったものであろうことは、かなりはっきりしていると思います。


ところで、米国のメディアでは報道されないことの一つに、米軍がイラク爆撃回数をますます増やしているという点があります。

それは極めて大切なポイントです。イラクに関して最も報道されないことの一つであることは確かです。毎日、米軍は多くの、多くの任務飛行を行い、大量の爆弾を投下しています。実際、イラクの民間人死者の大多数は、米軍戦闘機が投下した爆弾により殺されているのです。

例えばファルージャでは、殺されたと推定される3000人のうち大多数が米軍戦闘機により殺されたと言ってまず間違いないでしょう。家全体が、家々が立ち並ぶ一地区全体が、米軍戦闘機の爆撃で完全に倒壊したことを難民たちが語るのをどれだけ沢山耳にしたか、伝えきれないほどです。このため、今でもなお、人々の遺体が家の瓦礫の下に埋もれているのです。

これが民間人の犠牲が出る最大の原因であることに疑いの余地はありません。米軍は、自分たちが戦士を爆撃しており、それにより、占領に抵抗し続ければお前たちは爆撃を受ける、お前たちの周囲にいる皆が爆撃を受けるというメッセージを送っていると考えています。

これは集団的懲罰の一形態です。米軍の邪魔をすれば、お前とお前の周囲のあらゆる者たちを爆破して存在を粉々にするという明白なメッセージを送ることを意図していることは確実です。多くのばあい、爆弾が投下されると、その犠牲になるのは戦闘員ではなく民間人なのです。

一例を挙げると、11月のファルージャ包囲を前にして米軍がファルージャのどこに爆弾を投下するかについての情報を入手する方法は次のようなものだと何人もの人々が私に語ってくれました。つまり、イラク人は誰であれファルージャのはずれにある米軍基地を文字通り訪れて、次のように言うのです:「そう、この家だ。ここに戦士がいる」。そう告げた人々は100ドルから500ドルの金を受け取り、その家が爆撃されるのです。多くの人が昔からの対立にけりを付けたり現金を手に入れるための手段としてこれを使ったのです。

むろん、逆に、通告者が正しいこともありました。戦士たちがそこにいて、殺されることもときどきあったのです。けれども、ご想像通り、多くの場合は、そうではなかったのです。


ブッシュ政権は、「民主主義が前進している」ことはイラクの選挙が示しており、侵略と占領を十分に正当化すると言っています。

選挙、いや何かしら選挙っぽく見えるものが行われたからということでイラクに民主主義があるなどと言うことはまったくできません。一度の選挙が民主主義を意味することはありません。民主主義とは、人々が投票で選んだ政府が人々の意志を実現することを意味するのです。そしてイラクではこれまでのところ、それは実現していません。

イラクでの成功をはかるとするならば、ブッシュ政権が約束したことのうちどれだけが実際にイラク現地で実現しているかによってはかることができると思います。イラク人に仕事とよりよい生活をもたらすといった約束です。イラク人に国を再建させ、真に自分たちを代表する政府----人々が自ら選んだ政府----を持たせるといったことです。

これらのどれ一つとして実現されていません。電力供給は戦争前のレベルを大幅に下回った状態です。採掘される石油量も戦前の状態を大幅に下回っています。治安に至っては、忌まわしいものに過ぎません。イラクではガソリン危機が起きていますが、以前には一度としてなかったことです。人々はその日をしのぐためだけに日々奮闘しています。

イラクでは、評価できるあらゆるレベルで、米軍侵略前よりも事情は悪化しているのです。占領から2年がたちましたが、米国には落ち着いてこれらのことを提供しようと言う時間的余裕がなかったのははっきりしています。

人々は私に「成功したことは何なんだ?」とか「どんな良いことがもたらされたんだ?」と聞きます。私は、イラクの人々が、この侵略がもたらした唯一の良い点はサダム・フセインが取り除かれたことだけだと言うのを耳にしています。けれそも、それ以外では----そして私はイラクの人々の言葉をそのまま繰り返しますが----あらゆる面で、侵略以来、地べたの状況は悪くなっただけです。


主流メディアの報道がよく言うことの一つは、イラクではスンニ派ムスリムとシーア派ムスリムの間には深い敵意があるということです。イラクが内戦に向かっているとお考えでしょうか?

西側のメディアでは、シーア派とスンニ派の内戦の脅威をまったく強調し過ぎています。イラクの政治家や宗教指導者の中には、その可能性が確実に存在すると考えている人々もいますが、それ以外のほとんどの人たち----私がインタビューしたような普通の人たちは確実に----次のように言います:「いいえ、実際のところ、それは脅威ではありません。私たちは内戦をしたことはありません」。

実際、私が人々にシーア派かスンニ派か尋ねると、ほとんどの人は「私はムスリムで、イラク人です」と答えるのです。シーア派かスンニ派かについては教えてさえくれません。

もう一つ知っておかなくてはならないのは、イラクが基本的に部族文化だということです。それら部族の多くではシーア派とスンニ派がまざっていて、シーア派とスンニ派の間で沢山の婚姻関係があります。私が内戦の可能性についてこうした人々に聞くと、冗談っぽく次のように言います:「内戦だって? 自分の妻を攻撃するということかい?」 人々はそれを笑い飛ばします。

関連リンク:
ソーシャリスト・ワーカ・オンライン

最初のファルージャ総攻撃から1年が経とうとしています。救急車への狙撃、白旗を掲げて家の外に出た人々に対する狙い澄ました射殺、早産しかけた妊婦を救い出しに行こうとする救急車への攻撃。こうした戦争犯罪を犯した者たちは、その後11月にさらに大規模な殺人を行い、今もイラク全土でそうした行為を続けています。首謀者の一人は世界銀行のトップの座につきました。

「街や都市、村の無差別破壊」は以前から戦争犯罪であったにもかかわらず、飛行機による都市の空爆は処罰されないばかりか、実質的に非難の対象にすらなってこなかった。これは、現代国際法のスキャンダルである。このことを忘れてはならない。空爆は、国家テロリズムであり富者のテロリズムである。過去60年間に空爆が焼き尽くし破壊した無辜の人々の数は、反国家テロリストが歴史の開始以来これまでに殺害した人々の数よりも多い。この現実に、なぜかわれわれの良心は麻痺してしまっている。われわれは、満員のレストランに爆弾を投げこんだ人物を米国の大統領に選びはしない。けれども、飛行機から爆弾を落とし、レストランばかりでなくレストランが入っているビルとその周辺を破壊した人物を、喜んで大統領に選ぶのだ。私は湾岸戦争後にイラクを訪れ、この目で爆撃の結果を見た。「無差別破壊」。イラクの状況を表わす言葉はまさにこれである。
  C・ダグラス・ラミス 政治学者

この言葉は、第一次湾岸戦争について語られたことですが、現在もそれが続けられています。


投稿者:益岡
2005-04-02 10:20:32

イラクの囚人,5ヶ月で倍増

イラクの囚人,5ヶ月で倍増
――米国に拘束されている人々に虐待のおそれと人権グループ
Prisoner count in Iraq doubles in 5 months
Human rights group fears U.S. detainees will be mistreated
Wednesday, March 30, 2005 Posted: 12:15 PM EST (1715 GMT)
http://www.cnn.com/2005/WORLD/meast/03/30/iraq.detainees.ap/

【ワシントン発AP】米国がイラクで収容している囚人の数は10500で,10月時点で収容されていた人々の数の2倍以上であると軍が語った。

これらの囚人のうちおよそ100人が18歳未満(以下)であると,イラクでの拘留作戦のスポークスマンである陸軍のガイ・ラディシル中佐(Army Lt. Col. Guy Rudisill)が述べた。

5ヶ月前,軍はイラクで収容されている人数は4300としていた。反乱が一向におさまらず,昨年6月にイラク暫定政府に正式に権力の委譲がなされている中で,囚人の数が増大した。

イラクで米国によって拘束されている囚人の数は,昨年夏,バグダード近郊アブグレイブでの虐待が国際的大非難を巻き起こした後で,減少した。

アブグレイブ以降も虐待の露見は続いている。金曜日(=25日)には軍はアフガニスタンとイラクでの6件の刑務所虐待調査を詳述した文書を発表した。これらの報告書には,兵士が囚人を裸にしてそのまま帰宅させたり,拳や足で被収容者を殴打したり,囚人のあごを砕いたり,被収容者に強制して倒れるまで運動させたりといったことが述べられている。

調査官のひとりは,モスル近郊の臨時刑務所にいる囚人たちが,2003年12月に体系的に虐待され(mistreated),おそらくは拷問も受けていた(tortured)であろうと結論付けている。

囚人の数についてEメールで問い合わせを行なっているが,米アフガニスタン連合軍部隊(U.S. Combined Forces Command-Afghanistan)のスポークスマンの回答は,月曜日にも火曜日にも得られていない。軍は1月に,アフガニスタンではだいたい500人を収容していると見積もっている。

一方水曜日には,人権団体が,収容人数の増加は囚人が虐待を受けるリスクを増しているとする報告書を出すことになっている。

ニューヨークに拠点を置く「ヒューマン・ライツ・ファースト(Human Rights First)」の報告書は,1月以降,軍幹部がアフガニスタンでの囚人の数を話すことを拒んでいることを引いて,囚人についての機密厳守も強まってきているとしている。

「ペンタゴンが一時的施設と呼んできたもの,すなわち野外刑務所(field prisons)が過重になっていることについて,重大な懸念を覚えています」と,HRFの弁護士であるデボラ・パールスタインは火曜日に述べた。「これらの場所では条件は最悪です。2002年から2004年にかけて最悪の虐待がこういった場所で起きているのです。国際赤十字委員会のアクセスもまったく存在しないところまで制限されています。」

イラクではおよそ1200人の囚人が,出撃ポイント(forward bases)の臨時施設に収容に収容されているとラディシル中佐は述べている。中佐の話では,このほかに9300人が3つの恒久的刑務所(アブグレイブ刑務所と,バグダード国際空港のキャンプ・クロッパー,および南部のキャンプ・ブッカ)に収容されている。

12月,米当局者は,60歳以下の囚人を65人拘束していると述べていた。現在拘束されている18歳以下(未満)の囚人はおよそ100人で,成人の囚人とは別に収容されている,とラディシル中佐は述べた。

今月公にされた尋問の書き起こし記録で,イラクでの収容作戦の元トップのジャニス・カルピンスキー准将は,自称11歳と言うがむしろ8歳のように見えた少年と会ったことを語っている【→カルピンスキーの証言。についての当ウェブログの過去ログ】同准将は,その男児はお母さんに会いたいと泣いていたと述べているが,その男児に何があったのかは語っていない。


AP記事では割と軽く流されているのですが,主権はイラクにあります。

昨年6月末,数日前倒しで主権委譲の式典が行なわれ,ポール・ブレマーCPA長官(当時)がそそくさと飛行機で立ち去ったときに「新たな局面」だの「本格化する国家再建」だのという見出しがたくさん出たと記憶しているのですが,今更言うまでもなく,どうやらそれは幻を見せられていたということのようです。

当ウェブログを見返してみましたが,うーん,やはりあっさりしている。

「主権委譲」の数日後には,ファルージャ爆撃がありました。当時は「いつどこで(どういう戦闘機が)何を爆撃し何人死んだか」という“事実”の記述と,「ザルカウィがいるから」という“理由”とで記事は埋め尽くされていたのですが,そういえばあの時は「主権」は「イラク」にあったのですね。当時私は「主権委譲など茶番だ」という論説をいくつも読んでいたので逆に無感覚になっていたのでしょう。

投稿者:いけだ
2005-03-31 23:22:20

1年が経過しました。

橋げたに黒く焼け焦げ,手足をもがれた遺体が吊り下げられ,興奮した群集が画面いっぱいに映し出されているあの映像が流れてから,ちょうど1年です。1年前のことを,当時の記事で振り返ってみます。

まず,昨年3月28日,橋げたに遺体が吊り下げられる3日前の,英ガーディアン/オブアーヴァーの記事。ファルージャにいたPatrick Graham記者が,ファルージャの人々を取材したものです。

Falluja fury as marines move in to restore calm
Patrick Graham in Falluja
Sunday March 28, 2004
The Observer
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1179692,00.html

米軍と迫撃砲やRPGで武装したゲリラ(guerrillas)との戦闘が激化するなか,今週末,イラク各地での暴力による死者は22人に達した。

昨日バグダードでは路上で爆弾が爆発し,イラク人5人が負傷。米軍が一帯を封鎖した。

またティクリートでは昨日,3歳の男児が米軍に撃たれて死亡した。男児が乗っていた車が検問所で停止せずに銃撃された。

さらにモスルでは昨日,反乱勢力が行政の建物にロケット弾を打ち込み,文民2人が死亡,14人が負傷した。

しかし最も激しい戦闘となっているのはファルージャである。市街で海兵隊とゲリラとの戦闘が何時間にもわたっており,海兵隊員1人と,少なくとも6人のイラク人(うち1人は11歳の男児)とテレビ局カメラマンが死亡。

金曜に始まったこの戦闘で,イラク人25人と海兵隊員5人が負傷している。

土曜の朝までに,ファルージャに入る主要な道路のすべてが,米軍によって封鎖された。軽装甲車両とハムヴィーが戦闘が発生したファルージャ郊外に配備された。

ファルージャ市民の怒りに対して新たなアプローチを約束しながら,米海兵隊は,水曜にファルージャを後にした前任者,第82空挺師団(the US 82nd Airborne)と同じ過ちを犯しつつあるように見える。昨年(=2003年)4月,第82空挺師団は2日間の戦闘中に18人のデモ参加者を殺した。占領が始まって6ヶ月の間に,ファルージャ市と周辺において,同師団は少なくとも40人の文民および警察官を殺した。

これらの死亡事件の後で,米軍は人々の信頼を回復することができておらず,数ヶ月のうちに最大規模の反乱がアル=アンバール州全域で発生。(2003年の)初秋までに,米軍は事実上ファルージャ周辺地域のコントロールを失い,その後優位を回復できずにいる。ヘリや戦車の援護なしに車両の外にいる米兵は,今ではほとんど見かけない。

しかし金曜の市全域での掃討は,多くの住民からは,現在の占領者である海兵遠征軍(the Marine Expeditionary Force)の力を誇示するためのものだ,と見なされている。

ファルージャ市議会のモハメド・アルバルワ(Mohammed Albalwa)議長は,「木曜に攻撃があり,米兵1人が死亡していますが――これは(金曜の掃討の)復讐でした」と語る。「彼ら(=米軍)は自分たちは強く,ファルージャをコントロールしているのは自分たちなのだということを証明したがっているのですが,彼らにはファルージャをコントロールできません。」

金曜にアスカダリ(Askadari)地区で何が起きたのかは,正確にはわかっていない。死者のひとりの通夜では,参列者たちは反乱勢力と海兵隊との間には戦闘はなかったと断言していた。

「アメリカ人はここに朝の9時に来ました。その数時間前に爆弾が1つ爆発していたのですが,米兵は何でもかんでも銃撃しました」と,甥のシャキール・マフムード・ムクリフ(Shakir Mahmoud Mukhlif)の通夜に参列していたタヒール・ムクリフ・アブドゥラ(Tahir Mukhlif Abdullah)は語った。

タヒールの話では,32歳の商店主のシャキールは,友人のアディルが家の門の外で撃たれたのを見て駆け寄った。そして倒れた友人を抱き上げようとしたところ,頭を銃撃された。アディルの家では,玄関から道路に出る通路(driveway)にどす黒いしみが残っている。

「銃撃が始まったとき,アディルは様子を確認するために門のところまで出たのですが,そこで3発撃たれたのです」と,アディルの兄弟のひとりであるジュスフ(Jusuf)は語る。家族の話では,米海兵隊が家に来て30分ほど留まり,写真を撮影したり家族と話をしていったりした。

ジュスフは「アイム・ソリー,ソリー」と言った。ひとりの兵士が英語で彼に言った言葉だ。ジュスフは,その将校は基地に行って死亡の件について申し立てるように言った,という。

第82空挺師団から海兵隊に管轄権が引き渡される期間に,新たな司令官は異なったアプローチを約束していた。

「地域の人々と一緒にサッカーをしている日が来ると思います」と,新司令官のジェイムズ・コンウェイ(James Conway)大将は語った。「しかし数週間のうちにそうなるということはないでしょうが。」

1週間前,海兵隊が最初に到着したとき,ファルージャの多くの人々は安堵していた。「彼らはとてもよいです」と米軍から身を隠していたあるシャイフは言った。「彼らはドアを蹴破るのではなく,ドアをノックしますから。」


この記事を参照しているカナダの人のウェブログ,Flitの記事(=検索で見つけました)は,次のように書いています。


March 31, 2004
THOUGHTS ON FALLUJAH

1週間前にファルージャで起きていたことを振り返っておくことは,今起きていることを理解するうえで,重要だろう。

※ワシントン・ポストの記事の引用のようです。以下は要旨。パラグラフを入れ替えた箇所があります。

【3月26日,ファルージャ】 金曜日,ファルージャで発生した銃撃戦で米海兵隊員1人が死亡した。負傷者も数名出ている。海兵隊は1軒1軒家宅捜索を行なっていた。米軍スポークスマンは,死傷者についての情報はほかにはないとし,ファルージャにおけるこの「攻撃作戦(offensice operation)」については,「現在進行中のため」として,それ以上のコメントを拒んだ。攻撃は午前8時30分に始まって以来,この時点で15時間。

戦闘は,民間人の服装をして迫撃砲やRPG,アソルトライフルで武装した反乱勢力が,海兵隊に発砲して始まった,と目撃者は語っている。戦闘が続く中,イラク人市民がそれと気づかずに戦闘地域に入り込んでしまっている,と住民たちは語っている。

イラク人死者は15人。さらに,病院筋からは,数人の子どもを含む25人が負傷しているとの情報がある。イラク人医師の話では,死者の1人は,米ABCニュースと契約しているイラク人のフリーランス・カメラマンのブルハン・モハメド・マズール(?:Burhan Mohammed Mazhour)で,頭を撃たれていた。ほかに少なくとも1人の女性と1人の子どもが含まれている。カメラマンを銃撃したのが誰かはわかっていない。

目撃したというイラク人と手当てした医師によると,死傷したイラク人は海兵隊に撃たれているという。医師のこの判断は,死傷者から取り出された銃弾に基づいている。

第一海兵遠征軍(the 1st Marine Expeditionary Force)のT.V.ジョンソン少将は,ファルージャ市東端部の工業地帯での作戦は,「ならず者集団(rogue elements and thugs)」を根こそぎにすることが目的であると語っている。

木曜に反乱勢力がファルージャの東部で輸送車列を攻撃し,海兵隊員1人が死亡,2人が負傷している。


筆者の分析:
ファルージャ情勢は,サマラ情勢と同様,海兵隊が着任して市をコントロール下に置こうという再度の試みが失敗に終わり,市内から出るという方針に落ち着いていた。今回海兵隊は死者を出した襲撃に応じ,翌日に市内で家宅捜索を行なった……この家宅捜索で無差別な銃撃(→ここで上記ガーディアン記事へのリンク)があったかもしれないし,また住民たちを怒らせたことは確実だろう。住民の一部はその4日後に,最も近いターゲットを襲撃した。【=橋での件を指す。】

だからといって,今日の米国の傭兵(mercenaries)4人の死体損壊の理由となるだろうか? もちろんならない。しかし,これはこれまでの流れを考える材料となる。現在までのところ米軍側の犠牲者の数値が低く抑えられているのは,サマラやファルージャといったホットスポットからはなるべく離れているという方針によるものである。

今回死亡したのは,ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルティング社と契約していた人々だ。同社ウェブサイトには同社は「特殊部隊関係者にルーツがある」「退役した軍人・情報部員・法執行のプロ」であるとある。(同社ウェブサイトには現在,炎上する車両の画像があるが,訓練中の光景ではあるのだろうが,やや不適切だ。)というわけで,こんなことがいくらか気持ちをやわらげるとすれば,死亡した4人は襲撃されたときにほぼ間違いなく武装していた。(事実,銃器や米軍のIDがあった。)彼らを傭兵と呼んで間違いなかろう。「民間人」というのはややこじつけのように思われる。

興味深いことに,彼らはファルージャで「食糧輸送の治安確保」をしていたという話だ……誰に対する輸送であるのかは特定されていないのだが。5日前にファルージャでどのようなことがあったのかを彼らが知っていたとすれば――彼らが訓練を受けたプロフェッショナルなのであれば,また彼らが米軍基地から出ているのであれば,戦闘があったばかりの現場を,2車両で通行して安全だと考えていたのはなぜなのか,理解しがたい。

……後略……
Posted by BruceR at 05:49 PM


この後,海兵隊はファルージャを包囲攻撃。その時系列的記述を,英国で編集・制作されているウェブサイトUNDERSTANDING THE PRESENT CRISISから転載します。

なお,この期間に2度ファルージャに入ったジョー・ワイルディングさんのネット上での報告と,1度入ったラフール・マハジャンさん,ダール・ジャマイルさんの,同じくネット上での報告をまとめたのが,書籍『ファルージャ 2004年4月』です。

31 Mar
Four US security contractors killed, bodies mutilated
3月31日 米国の警備会社契約者4人が殺され,遺体損壊。

1 Apr
General Kimmitt says 'we will pacify that city'
 4月1日
 キミット准将「あの町を平定する」と発言。

4-5 Apr
1,200 US troops seal off Falluja
 4月4~5日
 1200人から成る米軍部隊がファルージャを封鎖。

6 Apr
Heavy fighting, US forces say they control industrial area on east of city
 4月6日
 激しい戦闘。米軍は市東部の工業地帯を制圧と発表。

7/8 Apr
US F-16 jet drops bomb on the Abdul Aziz al-Samarrai mosque, locals say up to 40 killed
 4月7~8日
 米軍F-16戦闘機が,アブドゥル・アジズ・アル=サマライ・モスクに爆弾を投下。地域住民によると最高で40人が死亡。

9 Apr
Women, children and old men allowed to leave city. Relief workers take some aid in. Reports speak of bodies left in the streets. Fighting resumes in evening
 4月9日
 女性,子ども,高齢の男性がファルージャから退去することを許可される。救援活動者が救援物資を運びこむ。街路に遺体が放置されているとの情報。夕刻に戦闘が再開。

10 Apr
Governing Council and US officials call for a truce
 4月10日
 統治評議会と米当局者が停戦を呼びかけ。

11 Apr
Tentative ceasefire begins at 0600. Thousands flee city
 4月11日
 仮の停戦が6時に開始。市から数千人単位が避難。

16 Apr
First direct negotiations between US officials and local leaders
 4月16日
 米当局者とファルージャ市指導者の間の第1回直接交渉。

19 Apr
US military officials and Fallujan leaders agree to work for a deal in which guerrilla fighters will give up their heavy weapons. US agrees to allow access to Falluja's hospital for the first time. US announces it is 'halting operations'
 4月19日
 米軍高官とファルージャ市指導者らが,ゲリラ戦士が重火器を放棄することになるディールへ向けて動くことで同意。米側は初めて,ファルージャの病院へのアクセスを許可することに同意。米側は「作戦を停止」すると発表。

26 Apr
(US launches attack on Najaf, 64 Iraqis killed)
 4月26日
 (米軍,ナジャフへの攻撃を開始。イラク人64人死亡)

26 Apr
US begins nightly 'defensive' bombing raids on city that last four nights
 4月26日
 米軍,ファルージャに対し毎晩の「防衛的」爆撃を開始。この後4晩続く。

28 Apr
(Pictures of torture and abuse of Iraqis By US at Abu Ghraib prison published)
 4月28日
 (アブ・グレイブにおける米軍によるイラク人拷問および虐待の写真が公表)

30 Apr
US announces pull-back, says Iraqi 'Fallujah Brigade' under Baathist Jasim Saleh will patrol city
 4月30日
 米軍が撤退を宣言し,バアス党員ジャシム・サレハ(Jasim Saleh)指揮下の「ファルージャ・ブリゲード」がファルージャをパトロールすると述べる。→参考:米国防総省サイト

2 May
US says Saleh will not after all be in charge of Fallujah Brigade
 5月2日
 米,サレハはファルージャ・ブリゲードの責任者ではなくなると述べる。


この「ファルージャ・ブリゲード」は,その後9月上旬に解体。ブリゲードのメンバーがゲリラ側に武器を渡すなどして支援していたことなどが,いくつもの記事に書かれています。
 →2004年8月14日,antiwar.comのblog記事
 →2004年9月10日,LAタイムズ記事(アリッサ・J・ルービン)
 →2004年9月13日,antiwar.comの記事(ブライアン・ドミニク)
 →2004年9月13日,ワシントン・ポスト記事(ラジヴ・チャンドラセカラン)←登録なしでも閲覧できました

ワシントン・ポストの記事(ウェブ版で2ページ目)には,次のような記述があります。
Conway insisted the brigade was an experiment. "The early success of the Fallujah Brigade was ultimately its downfall," he said. "You had to have a force that came from Fallujah in order for it to be accepted by the people of all. They're very xenophobic . . . but in the end those were the same things I think that dictated the demise of the Fallujah Brigade. Because they were from the local area, they were emasculated as far as their ability to do something very aggressive."

With no security forces in Fallujah now -- U.S. troops do not patrol inside the city limits -- the area has become a haven for insurgents, Marine officers said. Among the foreign-born fighters believed to be holed up in Fallujah is Abu Musab Zarqawi, a Jordanian who is alleged to have organized car bombings, kidnappings and other attacks targeting Americans and Iraqis.

コンウェイ大将はブリゲードは実験だと主張する。「ファルージャ・ブリゲードが早くに成功したことは失敗だった」と彼は言う。「住民に受け入れられるためには,ファルージャ出身の治安部隊が必要だった。彼らは極めて外国人嫌い(xenophobic)であるから……しかしそれがまさに,ファルージャ・ブリゲードの終焉をもたらしたのではないかと今は思う。ファルージャ出身の人々で構成されていたので,非常に攻撃的なことをする能力がほとんど備わっていなかったのだ。」

現在ファルージャには治安部隊が存在せず――米軍は市の境界線の内側はパトロールしていない――,そのためファルージャは反乱勢力の溜まり場(haven)になっている,と海兵隊将校らは言う。ファルージャにこもっていると考えられる外国生まれの戦士の中には,自動車爆弾攻撃や誘拐といった米国人やイラク人を標的とした攻撃をオーガナイズしているヨルダン人,アブ・ムサブ・アル=ザルカウィもいる。


「ゼノフォビア」と書かれるほど閉鎖的なコミュニティになぜ「ヨルダン人」が,という疑問もなくはないのですが,そこはとりあえず流します。ザルカウィは5月に米国人ニック・バーグさんを拉致拘束し斬首して以降,メディアの記事に毎日のように出てくるようになりましたが,そのザルカウィがファルージャにいるという報道が出たのは,BBCでは2004年6月19日でした。

ファルージャ・ブリゲードの解体が正式に宣言される週の米軍の行動について,上記ワシントン・ポスト記事には次のようにあります。

Over the past week, U.S. warplanes have bombed suspected insurgent safe houses and other targets in the city. Coleman said those attacks have killed hundreds of insurgents.

この1週間,米軍爆撃機は,ファルージャ市内の反乱勢力の隠れ家と思われるものなどを標的として爆撃してきた。コールマン(=Conway's chief of staff)はこの攻撃で反乱勢力を数百単位で殺したと述べている。


同じくワシントン・ポスト記事には,コンウェイ大将の後任となったサトラー中将は,この次にファルージャに入る(incursion)ときにはイラク軍との合同作戦になるだろうと述べている,とあります。

そして,それはその通りになりました

"When we approach it next time, we will approach it a little bit differently."

"The status quo is unacceptable."

--Lt. Gen. John F. Sattler, the Washington Post, 13 September 2004


投稿者:いけだ
2005-03-31 18:57:34