彼らが我々をアメリカ人と呼ぶのは、戦争で必要とするときだけだ
メキシコ系米国人の戦争との関係について。
彼らが我々をアメリカ人と呼ぶのは、戦争で必要とするときだけだ
戦争に参加しているメキシコ系アメリカ人のパラドックス
ホルヘ・マリスカル
2005年6月24日
CounterPunch原文
最近のニューヨーク・タイムズ紙(6月20日)で、ドナルド・ラムズフェルド国防長官がリカルド・サンチェス中将に四ツ星を与え、南方軍司令官に昇任させたがっていることが報ぜられた。サンチェスは、アブ・グレイブ監獄スキャンダルのときにイラクにいた最も位の高い将軍だったにもかかわらず、軍の内部調査であらゆる犯罪から彼は免責された。ニューヨーク・タイムズ紙の記事によると、サンチェスを昇任させる決定における最大の要因は、軍に若いラティーノたちを引きつけることができる点にあるという。
ペンタゴン内部の情報源を引用して、この記事は、「サンチェスの昇任は、軍がリクルート枠を達成するために悪戦苦闘しているときに、米国で最高位にあるヒスパニック系士官を人々に知らしめる。それは、テキサス州南部の貧しい家庭に育ち、貧困から逃れるために軍を利用したという、人を動かさずにはいられない個人の物語を広めることでもある」。
タイムズ紙は上級軍士官の次のような言葉を引用している:「サンチェス将軍は、ロール・モデルとして、極めて重要である。軍は成長と機会と発達を宣伝している。我々は、米国の人口構成を無視することはできない」。
ここでいう「人口」は、急速に増大している、劣悪な公立学校に押し込められた兵役適齢期のラティノ集団であり、退学率も高く、高等教育への進学は最低限で、彼らは、ペンタゴンが進めている数十億ドルにのぼる軍リクルート作戦の長期的ターゲットとなっている。
歴史は、メキシコ系アメリカ人の戦争における記録はすばらしく、非の打ち所がないことを示している。イラク侵略占領は、この記録を未来に向けて延長するだろう。けれども、コノコミュニティが被った戦時経験の暗黒面は、メキシコ出身の米国市民に対する米国社会自身の扱いの中枢にある矛盾を明らかにしている。
1943年初夏、何千人ものメキシコ系アメリカ人が欧州と太平洋で戦い命を落としているときに、水兵たちがロサンゼルスをはじめとする南カリフォルニアの諸都市の路上で、メキシコ系アメリカ人の若者たちを襲撃した。警察が傍観し、保守的な新聞は反メキシコ人ヒステリーを引き起こしている中、兵士たちは、メキシコ系の若い男女を、ズートスーツを着ているという表向きの名目で攻撃し、それから攻撃対象をメキシコ系の人々全般に広げた。
東ロサンゼルスで、ある若いメキシコ系アメリカ人は次のように書いている:「ここは自由な国ということになっているはずだ。我々は、人が着ている服が気に入らないからといって叩きのめしに出かけていったりはしない・・・・・・結局、海軍はどちらの側についているのだろう?」
1970年夏、何千人ものメキシコ系アメリカ人が東南アジアで戦い命を落としているときに、シカゴの反戦抗議者たちが東ロサンゼルスに集まって、地元コミュニティに対する戦争の影響を批判した。参加した2万5000人の男性と女性、子供がロサンゼルスのラグナ公園に着いたとき、ロサンゼルス郡保安官とロサンゼルス警察が群衆に催涙弾をあびせ攻撃し、男女を棍棒で殴り倒し、結局3人を殺した。
地元新聞にベトナムのあるGIは次のように書いている:「我々シカゴ出身の兵士たちは、東ロサンゼルスの兄弟たちに言いたいことがある。東ロサンゼルスのデモを耳にしたとき、我々は誇りに思った。だけど、どうしてそこでやめたんだい?・・・・・・我々は、帰ることを待ちきれずにいる。
2005年夏、何千人ものメキシコ系アメリカ人(そして何千人ものメキシコ国籍を有する非米国市民)がイラクで戦い命を落としているときに、いわゆる「ミニットメン」(民兵)が、国境地帯でメキシコ人労働者を狩り出し、南カリフォルニアや東部テネシーなど様々なところで嫌がらせをしている。不法移民問題の陰に隠れ、アーノルド・シュワルツネガーのような政治家から暗黙の支持を受けたこれらミニッツメンは、米国史を飾る人種差別主義のいじめの長い伝統に名を連ねるものである。
シカゴに住むベトナム戦争の元兵士チャーリー・トルヒーヨが言うように:「彼らが我々をアメリカ人と呼ぶのは、戦争で必要とするときだけだ。それ以外のとき、我々は、汚いメキシコ野郎に過ぎない」。
自警集団が貧しいメキシコ人労働者を脅迫し脅していると同じときに、テキサス南部で綿花摘みをしていた母親を持つサンチェス中将が若いラティノやラティナを誤った対外政策に引き込むためのポスター・ボーイとなるというのは、何という皮肉だろう。
戦争の際にメキシコ系アメリカ人が経てきた苦しみの歴史を考えるならば、全米のスペイン語話者は、土着主義の自警団が国内のメキシコ人コミュニティにテロ攻撃を加えているときに、サンチェスが、イラクの「解放」に自分たちの息子や娘を引き込むための宣伝マンになるというパラドックスを無視するわけにはいかない。歴史が再び繰り返す中、若者も老人も、ラムズフェルド、チェイニー、ブッシュの政策に仕えようとする者たちは、愛国心からそうするのか馬鹿だからそうするのかを自問しなくてはならない。
ホルヘ・マリスカルは1969年米軍兵士としてベトナムで兵役についた。彼は現在、カリフォルニア大学サンディエゴ校で教えている。メールはgmariscal(atmark)ucsd.edu。
投稿者:益岡