ワールドカップとフットボール(サッカー)とムクタダ・サドルと「陰謀論」思考
ワールドカップ開幕直前である。
今回、イラクは2次予選に進めなかった。(ウズベキスタン、イラク、パレスチナ、台湾というこの組み合わせは、偶然とはいえ、何とも言えないものがある。2次予選でイランと北朝鮮と日本が同じ組だったのも「すごい組み合わせだ」と思ったが。)しかも、7日にドイツで予定されていたチュニジア(本大会出場)との親善試合が、「『イラクがドイツに入ることができない。行政上の問題』と中止となった」という。(→BBCによると行政手続き上の問題でイラクのチームが渡航できず、イラク側からキャンセルしたという。別の英文記事によるとヴィザ申請書類を期限までに提出しなかった/できなかったことで航空券の手配が間に合わなかったという事情らしい。)
出場できないのはもちろん、親善試合までキャンセルとはとても残念だが、イラクもサッカー熱の高い国だから、せめて試合観戦で盛り上がるくらいのことはあってほしい。でも実際はテレビ観戦もすんなりとはできないようだ。
日刊スポーツ記事より:
テレビ観戦でも混乱続く?/イラク
【イラク】サッカー好きの国民が多いが、W杯をリアルタイムでテレビ観戦できる人は限られた人数となりそうだ。5日付のバーレーンのアラビア語紙アルアヤムが混乱が続くイラクの「W杯テレビ観戦」情勢を伝えた。
アラビア半島の多くの国ではW杯の放映はヨルダン資本のARTというテレビ局が独占的に行っている。イラクでは地元のTV局がARTから放映する権利を買おうとしたが、かなり高額だったために断念。このため、イラクにいるイラク人がW杯をリアルタイムで見るためには、個人で衛星放送のARTと契約するか、契約しているバーなどに行くしかない。……
[2006年6月6日23時52分]
記事ではこの後、「値段」(英文記事によれば、ワールドカップ全試合受信のセット料金のことと思われる)が、需要の増加でこの2ヶ月で1.5倍以上に高騰しているという説明があり、放送を受信できる店(バーなど)での観戦については、バグダード市内では大きな店は夜間の営業に制限があるので「郊外や村などにある小さな喫茶店などでひっそり見ることになりそうだ」と結ばれている。
放映権の問題はいかんともしがたい。また、ドイツとイラクの時差を考えると、試合の生放送が始まるのは夕方4時くらいから(日本で夜10時からの場合)。グループリーグは1日3試合で、最後の試合は夜10時までになるから、確かに事実上の夜間外出禁止にも等しいような状態では、衛星放送を受信してるバーに見に行くにしても、生では全部は見られなかろう。
サッカーをめぐっては、さらにまったく別の問題が報告されている。
バグダードの中には、次のような「トンデモ」を唱える人物の配下にある民兵がパトロールしているような地域がある。(彼らの勢力が強いのはバグダードの一部だけではないが。)イラク全体としてはワールドカップ熱は高まっているにしても、それらの地域ではショー・ウィンドウに飾られたブラジルの旗ですら、脅迫の上で外させられているという。
親愛なる者たちよ、西洋は自分自身を満たす(完全にする)ことを阻害するものを作り出した。彼らは我々に何をさせようというのか?ボールの後を追いかけるだと?親愛なる者たちよ...、それに何の意味があるのか?大の男が、ムスリムが、ボールの後を追いかけるのか?親愛なる者たちよ、この「ゴール」と呼ばれているもの...もし走りたいならば、高貴なゴールに向かって走りなさい。あなたの品位を落とすようなそれではなく、あなたを完成させる高貴なゴールに向かうのだ。ゴールをあなたの心に抱いてそれに向かって走りなさい。そして神のご満悦を得るというゴールに向かって、全ての人々はそれぞれの道に従いなさい。これがひとつ、そしてふたつめにもっと大切なこと。我々は西洋、特にイスラエル、親愛なる者たちよ、ユダヤ人たちがサッカーをするのを見たことがあるか?アラブ人がしているように彼らがゲームをするのを見たか?彼らはサッカーやほかのことに我々をかかりきりにさせ、自分たちはそれから離れている。イスラエルチーム(彼らに呪いあれ)がワールドカップに出たなどということを聞いたことがあるか?あるいはアメリカは?……
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出典:Riverbend, 「ムクタダばんざーい・・・」、2006年5月31日(翻訳はヤスミン植月千春さん)
この世迷い言、支離滅裂なアジ演説は、「反米」で「過激」な宗教指導者(シーア派)、ムクタダ・アル=サドルによるものだ。
個人的には「バカじゃねぇのこいつ」と爆笑してスルーしたいところだがあえてツッコミを入れてみる。何だかんだで政治プロセスへの参加を果たしたムクタダは、もはやかつてのような「アウトロー」ではなくなっているのだから。
ムクタダの言い分をまとめると、「サッカーは敵側の支配の道具である」ということになる。もう少し詳しくいうと、「きみたちがサッカーにうつつを抜かしている裏では、サッカー熱を煽るだけ煽って自分ではサッカーをしない連中が、あれこれ策をめぐらしている」ということだ。そしてムクタダの脳内では、「サッカーをしているのは支配される側であり、支配する側はサッカーなどしていない」ということになっているらしい。(ここで、「支配」という語を私はあえて用いる。)
見事なまでに、あらかじめ用意された結論をいうためだけの、デタラメの羅列である。これは何のパロディだろうか、としばし考えたあとに、何のパロディでもないというぞっとするような事実に思い至る。
「われわれにサッカーなどというくだらないことをさせわれわれを支配する者どもは、サッカーなどしていない」というムクタダの脳内妄想は「くだらない陰謀論」に過ぎない。こんなもの、誰にでも一撃で崩すことができる。グループEでイタリア、チェコ、ガーナの代表と対戦するのはどの国の代表か? グループBで40年ぶりの優勝を狙っているイングランド代表は、nationではなくstateとしてはどの国のチームか? その国はイラクに対して何をしてきたか? 確かにイスラエル代表はワールドカップに出たことはないし、今度のワールドカップにも出ない。ただしそれはユダヤ人がサッカーをしないからなどではない。イラクと同じく、地区予選で勝ち上がれなかったからだ(「グループ4」の3位)。それから、バスラで取材していたBBC記者に、「英国人は大好きだ」と言う地元の人が、財布から取り出して記者に見せた写真の被写体であったイングランドのあのスター選手は、「サッカーをするユダヤ人」ではないのか?
つまり、ムクタダが挑みかかるような疑問文で語っていることは、反論の余地が100パーセントという、議論としてはどうしようもないものである。「事実」をまったく無視した妄想だ。問題は、それが「事実」と照らしあわせれば一瞬もかからずに笑い飛ばせるものであるにも関わらず、「事実」以上の何かとして作用しているんではないか、ということだ。
イラクでサッカーをやっている人たちとか、サッカーが好きな人たちにとっては、このような世迷い言は「ネタ」でしかないだろう。けれども、こんなものだって、信じ込まれたら「ネタ」とは言っていられないくらいになる、つまり「事実」以上の何かとしての力を持つことがありうる。
ムクタダは多分、そういうことをよく知っている。あるいは、自分の言うことは何でも信じる人たちしか当座の相手として想定していない。(Riverbendが書いているように、ムクタダはGWBに似ているのかもしれない。)
ちなみに、「西洋が我々を堕落させるためにサッカーを持ち込んだ」という主張そのものは別に新しいものでもないかもしれない。広く言われる「スポーツ・ナショナリズム」とは別の、「スポーツについてのナショナリズム」があって、それはnation stateってやつと切っても切れないところがあるんではないかという例がある。Gaelic footballはその一例。またわりと最近、日本についての例も見た。
「はてなブックマーク」で多くの人がブクマしていたことで知った記事、「明治時代には『ゲーム脳の恐怖』ならぬ『野球脳の恐怖』が存在した!」
http://www.geocities.co.jp/Playtown-King/4566/textking/textking2006/yakyuunou.html
孫引きになるけど、上記ページに引用されている「平凡社の『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』(著:米沢嘉博)という本」から:
明治四三、四年頃には、「東京朝日新聞」などを中心に野球撲滅論が起こっている。「教育と野球」(野村浩一、私家版)から引くと、「野球はアメリカから来た賎戯で士君の弄ぶべきものではない。我が国には胆を練るには剣道があり柔道があり、また国技として相撲がある。どうして外来の遊戯を学ぶ必要があろうか」というのが大勢だった。五千円札に肖像が描かれている当時の一高校長新渡戸稲造は、「野球という遊戯は悪く云えば巾着切(すり)の遊戯、相手をペテンにかけよう、計画に陥れよう、塁を盗もうなど、眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊戯である」と語っている。
……
当時の野球弊害説をいくつかあげてみよう。
「(中略)野球選手が学科の出来ぬのは、野球に熱中の余り勉強を怠るのかと思ったら、そうでなく、手が強い球を受ける為その震動が脳に伝わって、柔らかい学生の脳を刺激し、脳の作用を遅鈍ならしめる異常を呈せる」。
引用したような言説が、当時の日本社会においていかほどの影響力を持っていたのか、私はまったく知らない。「バカなことを言う勇ましい連中がいるよ、あはは」と笑われていたかもしれないし、「そうだそうだ」とばかりに野球を潰そうとする動きがあったのかもしれない。いずれにしても。
「相手をペテンにかけよう、計画に陥れよう……など、眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる」という新渡戸稲造のサーカスティックな指摘(?)は、サッカーについても当てはまる。それどころか、サッカーは、新渡戸に言わせればもっとひどいものだろう。「ファウルを誘う」といったこともするし、自分たちを有利にするためにわざとコケたり(シミュレーション)もする。相手チームの選手のユニフォームを引っ張ったりもする(やりすぎると審判の笛が吹かれるが)。それを「駆け引き」と呼ぶか「ペテン」と呼ぶかは人それぞれ、その人の主義主張次第だ。
「野球脳」(笑)については……あはは、野球での手からの振動で脳に影響が出るというなら、サッカーはどんだけ影響が出ることやら。(しばらく前に、サッカーのヘディングは脳にとって危険であるという研究報告(まじめなもの)もあったけど。実際、昔のボールは今のより重くて、選手はヘディングするたびにプチ脳震盪を起こしている状態だったとか。)さすがにこんな「何となく科学っぽいこと(にせ科学)」を、ムクタダ・サドルが言い出すことはないと思うけれども、仮に「サッカー脳の恐怖」が宗教という仕組みと文化的に排他的(攘夷論的)ナショナリズムと結びついたら、どんだけ暴走するだろうか。
今はイラクでのサッカーは「多くの人々が愛好するスポーツ」だけれども、ムクタダの戯言みたいなのが真面目に受け取られる度合いが増せば、どうなるかわかったもんじゃない。暴走したときの最大限を考えた場合、「堕落」として禁止すらされかねない。諷刺コメディの台本ならそういう筋書きがありそうだ。でもこれはお笑いの台本ではない。
2004年のアテネ・オリンピックのときに、私はサッカーのイラク代表の試合をテレビで見てすげぇと思ったし、安い言い方だが「感動」した。当時はファルージャやナジャフにとんでもない破壊がもたらされていて、破れかぶれみたいな気持ちでイラクについての一筋の希望として「何年かしたら……」を求め、「イラクのサッカー」にその希望を見ていた。当時バグダードにいたメル友ともサッカーについて話をした。イラクでサッカーが潰えるなんて可能性など、微塵もないと思っていて、「次も期待してる」みたいなおしゃべりをしていた。
けれども、2006年のムクタダの世迷い言には、「微塵」程度には不吉な何かが含まれているかもしれない――とはいえ、イランのサッカー熱が高いことを考えると、サッカーそのものがイスラム的に「堕落」と決め付けられる可能性はほとんどないようにも思われるのだが、国代表の場合「国家の威信」が絡んでいてそこがめんどくさい。サッカーのゴールは「高貴なゴール」ではないというファトワが、万が一にも出されたら、それもムクタダのレベルではなくもっと上から出されたら、と思うと、笑うに笑えない。
しかし同時に、この戯言が「何をバカげたことを」という反応を多くの人々――できればムクタダ支持者――の間に引き起こすように作用すれば、その「微塵」は消し飛ぶはずだ。「何をバカげたことを」と言わせるために必要なのは「事実」のみである。何の解釈も加えない無味乾燥な「事実」。この場合には、地区予選と本大会の出場チームの表で十分だ。難しいことではない。
ただし「アメリカはワールドカップに出てます」と言っても、ああいう類の「結論ありき」の人ってのは「アメリカはアメリカでも選手はほとんどがWASPではなく移民ではないか」と言い出すかもしれない。イングランドについても「上流階級はサッカーなどやらないではないか」と言い出すかもしれない。予選でのイスラエルの最終順位は、「魂」と書いて「だましい」と読むアイルランドより上だったのだが、イスラエルの代表チームで得点をあげて喝采を浴びたプレイヤーの中にアラブ系イスラエル人の選手がいるというだけで、「ほら見たことか、やはり差別され支配される側がやらされているんだ。アメリカではアフリカ系の人はスポーツか音楽でしか社会で認められないではないか」と言い出したりもしかねない。
そうであっても、淡々と、単に事実を述べることが、一番強いはずだ。だから私たちには「事実」が必要なのだ。必要最小限の情報量しか持たない「事実」が。飾る余地のない「事実」が。「今日の気温は22度です」だけの、「過ごしやすいです」「暑いです」「寒いです」のような説明のない情報が。
なお、今回のワールドカップでイラクで人気のある代表ユニ(1枚3ドルのぱちもん)は、バグダードの商店主によると、「一番人気はブラジル代表、続いてアルゼンチン、ドイツ、イタリア」だそうだ。本大会に出場するアラブの2カ国(サウジとチュニジア)のユニは棚に置かれていないという。アラブ諸国とイラクとの関係が緊張しているためだとの説明がある。(この段落、ソースはパキスタンの英字紙の記事。)
2004年アテネ・オリンピックのときの当ブログ記事:
ロイター記事:イラク代表監督「自由のシンボルにしないでもらいたい」(2004-08-26)
殺害されたイタリア人ジャーナリストと,サッカーのイラク代表と。(2004-08-28)
※これを書いたあとで、エレクトロニック・イラクに次の記事が上がっていることに気づいた。サッカー選手を含むスポーツ選手が宗派的暴力のターゲットになっていると報告されている。ムクタダの世迷い言は、ほんとに、笑ってスルーできるものじゃないのかもしれない。
Athletes targeted for sectarian, religious reasons
Report, IRIN, 8 June 2006
http://electroniciraq.net/news/2372.shtml
投稿者:いけだ